Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

国境を越えて

2013-11-29 19:25:33 | ポーランド
昨日一昨日とちょっと出稼ぎ・・ついでに寄り道も。

寄り道の目的は・・イルカ。
以前ザンジバル島でご縁のなかったイルカ君でしたが、今回はばっちり遭遇できました。
ただ、天候があまりよろしくなくて海は大荒れでしたが、イルカ君たちはかえってこういう天気の方が好きだとかで、幾つもの群れに遭遇しました。

ありがとうね。イルカ君。kおばちゃんの相手をしてくれて。

とっても魅力的なところだけれど、よその人が魅力と思っているところと地元の人が売り出そうとしているところのギャップは・・ちょいと違っている気もいたしました。

またいつか、再訪したい地でもあります。

○5月30日(木)

ビドゴシュチから列車に乗ったkおばちゃん。kおばちゃんのコンパートメントは先頭車両の一番前!でもほぼ満室です。

同室のメンバーは・・窓際にカップル?ご夫婦とおぼしき中年に指しかかった二人。彼らは向い合わせに座っていました。
で、kおばちゃんは通路側。でカップルとの間には・・若者・・というにはお年をっとったお兄さん。
彼は中国語を勉強したとかで漢字がわかるといっていました。

kおばちゃんの向い側は子どもづれの女性です。


そんなコンパートメントの列車の旅ですが、久しぶりの旅に、kおばちゃん時代の流れを感じました。

というのは、窓側の女性以外・・みんな電子機器をもっていて操作しているのです。
窓側のカップルの男性はたぶんIpadだと思うのですが・・でずーーとゲームをしています。
kおばちゃんのとなりのお兄ちゃんはPCを立ち上げてなんだかずっと作業をしています。
kおばちゃんの前の親子は、持参のDVDで、子どもに映画?アニメ?をみせています。

で、当のkおばちゃんは・・スマホでラジオを聞きながら読書・・といっても雑誌ですけどしながら移動しました。


kおばちゃんがこのスマホにしたのは電波ラジオが入る機能がついていたからだったのです。
そうそ、コンパートメントの背中の部分にはコンセントがついていて充電できるようになっていたのも助かりました。

そうそう、隣のお兄さんはkおばちゃんの雑誌をみて『漢字が書いてある』と言ってきたのですよね。
で、彼はiPhoneも持っていて、こっそりkおばちゃんの横顔を撮影しているのに気がつきました。なんかにアップしたのかな?
kおばちゃんの日本仕様のスマホはね、シャッター切るとおおきな音がしますからね。なるべく皆様を撮らないようにしました。

車内販売が来たのでコーヒーを頂きましたが、他の方達はなにも買いませんでした。


列車は次のおおきな駅に到着したみたいですね。


Inowrocławだったと思います。


岩塩坑の町だそうですが・・どんなところなんでしょうね。さらに列車は進みます。


次に到着したのはかなりおおきな駅です。


駅名は・・電光掲示板にはでないのですね。


到着したのはポズナンの駅です。


2年前来ましたね。でもあのときは車だったので駅まで来ませんでした。
時は夏の始まり。修学旅行ではにでしょうが、学生の団体さんの旅行のシーズンでもあるのでしょうね。

Zbąszynekですって。なんだか閑散とした駅です。


それもそのはず、ドイツとの国境にちかいので、ハブ駅としてだけの町のようですが、ポーランドのドイツとの戦いの狭間でイロイロな人たちの人生の分岐点にもなっている駅なんでしょうね。

この駅を過ぎるとドイツまでは西に向って・・という移動になるようです。


で、到着したのはRzepinというところです。


ここが、事実上のポーランド最後の駅です。


かといって、車輌の入れ替えがあるわけでもなさそうです。


ただ、この駅を過ぎたところでしばらく停車しています。


なにか検査まち??それともポイント切り替え待ちでしょうか?


やっと動き始めました。


もう少しで国境を越えます。


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列車の旅の始まり(ビドゴシュチ)

2013-11-26 18:04:15 | ポーランド
夕べの嵐のせいか、今朝はあまり寒くなかった。
悪戦苦闘の末、新しい8から△padに音楽データを以降完了。というか、XPから8にデータ移管はしたのだけれど、なかなか△padを認識してくれなくて、ついうっかり△padのOSをアップデートしてしまったら消えてしまった・・という状態だったのです。

そう、ついうっかり・・だったのです。
まだ確認はしていなけど、地図データというかgoogleマップが使いににくいとか醜いとかいうことを聞いていたのでずーーと化石のまま使ってたんですけどね。

kおばちゃんの音楽データはほぼ全部CDからのものや、自分で録音したデータなので、再び入れ直すにはエライ手間だと思っていたら、コツを覚えたらあっという間でした。
でも、取っ掛かり口をみつけるのが大変!いろいろググッテもキーワードが違うと中々出てこなくてね。

あーあ。もう少しボケたらダメだわさ。字を読むのが苦痛になってくるだろうね。

○5月30日(木)

さて、ビドゴシュチの駅で列車を待つkおばちゃんであります。
用心して行動したら早く着きすぎてしまったみたいですが、ホームで待つことにしました。


なんでこんなに用心深いか・・というと、実はkおばちゃんのこれから乗ろうとしている列車は1日に1本しかないのです。
直通がという意味ですけれど、これを逃してしまうと乗り変え便しかなく、しかも直通列車に比べると時間が3時間近くよけいに必要となってしまうのです。
ですので、ご予定いっぱいのkおばちゃんの旅はこの列車を逃す訳にはいかなかったのであります。

ホームのベンチで待っていると、一人の老齢のご夫人が近づいてきました。彼女はkおばちゃんに対して何か言ったのですが・・いかんせんポーランド語だめなkおばちゃん。言っている意味はわかりませんでした。
kおばちゃんがそのとき想像したのは、わざわざ外国人とどう見てもわかるkおばちゃんに声をかけて来たということで、『あまっているトラムの回数券があったら頂けないかしら・・』という意味かなと思ったのであります。

まあ、意味がわからないのと、そういうものは持ち合わせていなかったので『ノン!』と答えたのでありますが・・すこしはなれたご婦人の所に彼女は向いました。
すると、そのご婦人は小銭入れをあけて、彼女に小銭を渡していました。

あ・・・物乞いだったのか・・と理解したのですが、とっても複雑な心境でした。

kおばちゃんの感があたらなかった訳ではないのですよね。でもどうしてそう考えたか・・長距離のホームに荷物のないご婦人がいるのがおかしかったからです。
他の人は荷物をもっている、もしくは荷物を持っている人の見送り・・といった感じだったからです。

彼女、ポーランドを後にしそうな外国人にドイツでは使えないポーランドの小銭をねだっていたのですよね。
彼女はジプシーとかその手の『プロ』の物乞いではありません。どうみても、普通のポーランドの老女です。所謂『年金生活者』でしょう。

かつてポーランドが共産主義であった時代はこういう年金生活者も、安心して生活できるだけのお手当てが出ていたのでしょう。
それが、経済主義政策にかわり、老人達に支給される手当ては減っているという話を以前TVのドキュメンタリーでみたことを思い出してしまったのです。

日本で良く耳にする、『ヨーロッパなのどで物乞いを相手にするな』という話。kおばちゃんは違うとおもっているところもあります。
以前もおパリの国鉄のなかで見た物乞いに、小銭を与える移民市民とか、今日の老女に施しをあたえるおばちゃんの姿をみていると、なんだか『kおばちゃんにも出切るはずの、善行をしなかった』という罪悪感を感じてしまうのです。
なんとなく心が痛んだkおばちゃんです。

さて、駅にはイロイロな車輌が止まっています。で気になったのを撮っておきました。


いかにも新しい・・という車輌ですよね。まるでドイツの鉄道のようです。


それもそのはず。これは所謂『私鉄』というもののようです。
Arriva RP Sp. z o. oという鉄道のLCCの会社の車輌だそうです。この会社が欧州12カ国、チェコ共和国、デンマーク、ハンガリー、イタリア、オランダ、ポーランド、ポルトガル、スロバキア、スペイン、スウェーデン、マルタ、英国でで事業を行い、15億人の利用者があるそうです。

そういえば、さっき通った窓口にもこのマークの窓口が別にありましたよえね。


ほら、一番左側です。

LCCといえば、こんな列車も入ってきました。


これだけみると、どうと言う事はないのですが・・問題は後にくっついてるこれです。


かなり年代物の車輌ですよね。


こちらのプレートを見て・・ピンと来ました。


ここにある『TKL』と言うも字です。Twoje Linie Kolejowe こちらも、鉄道のLCCです。
で、こちらは先程とは違って本式格安会社。つま『安かろう』『悪かろう』の会社ときいています。ここにこんな恐ろしげなことも書かれていますから。

ま、とりあえず、kおばちゃんの選択したのは普通の国鉄の特急です。

あれ、そろそろかな・・


やってきました。


そうそ、この列車です。


よかった、綺麗な列車です。まあ、そうですよね。国際線ですからね。

のんびり写真なんか撮っていてはいけません。車掌さんに切符をみせると、kおばちゃんの車輌は一番先頭だとのこと。
大慌てで移動です。

列車はコンパートメント方式。


6人定員の部屋で、先客がもうすでに3人。結局後で子どもをつれた女性が乗りこんできたので子どももいれて満杯です。
他のコンパートメントもほぼ同様です。

列車はバルト海のグダニスク湾に面した港湾都市グディニャGdyniaとベルリンを結ぶグディニャ特急です。


さて、どんな列車の旅になりますかね。
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バリアありの駅(ビドゴシュチ)

2013-11-25 19:10:20 | ポーランド
この土日は結構忙しかったkおばちゃんです。でもしっかりと朝風呂は入りました。
お休みの日の楽しみです。

寒くなって来たのはとてもいやですが、冬の楽しみはお野菜が沢山食べられることです。
特にkおばちゃんの好物は、手抜き料理の野菜のスープ煮。ただ野菜をぶち込んで、他に肉系があればそれを突っ込むのもよし、豆腐を突っ込むのも良し。
熱々は七味をかけて食べたりしてます。

夏はさすがに暑くて調理する気もないし、食べたくもないのですが、寒くなって来るとこれを鍋いっぱいに作っておいて、食べるたびに火をいれる。
味噌、醤油のような発酵食品は味が変わるのであまりいれません。

この手抜気料理が冬のkおばちゃんの定番です。

さあ、今日も食べましょう。

○5月29日(水)

ビドゴシュチの町を徘徊して、最後に偶然入った建物にスーパーが入っていたのでお買い物をして帰りました。
結構良く歩いたので疲れました。

お宿に戻って、一休みして夕食をとろうか・・とホテルのレストランに行って見ますが・・閑散・・
営業前というわけではないでしょうけど、なんだか他のお客さんがいないと入りすらい。それに遅めのお昼をがっつり頂いていたので、実はあまり空腹でもなかったんです。

kおばちゃんの止まっていたお宿は、どうも想像するに共産時代のたてもの。その当時は近代的で共産党御用達だったにちがいありませんが、個性と言うか魅力にかけますね。
廻りも繁華街があるわけではありません。

先程の橋の向こう側のほうが繁華街のようですが、食事のためにもうあちらに行く気力はありませんでした。
ということで、お部屋に戻り、持参のお菓子などかじって、ネットチェックなんかしていたらもうすっかりくつろいでしまって、寝てしまうことにしました。
そうそう、翌朝は早起きしなきゃいけない理由もあったんですよね。

●5月30日(木)

今日は移動日です。というか今日も移動します。ただし、今日は列車に乗って。
だから寝坊はできません。ここのお宿から駅まではタクシーで10分掛からないと言われていますが、不慣れな土地なので早目早目の行動を心がけました。

チェックアウトの態勢を整えて、荷物をもって朝食会場にむかいました。もちろん荷物はフロントにおいておきましたけどね。

朝ごはんは7時半から・・と聞いていたのですが、半少し前に会場についたら・・もう着席できるようでした。


場所柄、観光というよりビジネス客がおおいのでしょうかね?昨日のジュレックもあります。


さっぱりとして美味しいです。

早々に朝食を済ませ、チェックアウトの手続き、でタクシーを呼んでもらいました。
直ぐに来たのですが、ちょっとドキドキ。間に合わなかったら・・と心配だったからなんです。

タクシーに行き先を告げて、本と5分くらいで駅に着きました。でも思ったより小さな駅でした。


まあ、ポーランドで利用したのはワルシャワ中央駅と空港駅しかないので比べ用もないのですけどね。
州の中央駅というより、片田舎の町の駅というかんじです。

切符の販売の窓口はこんな感じです。自動販売機なんかありませんし、料金表なんていうのもありません。


窓口の上に黄色い紙に書かれているのは、目的地別の列車の出発時間です。多聞それを見ながら買うのでしょうね。
kおばちゃんはワルシャワに到着した翌日にワルシャワ中央駅で今日の切符を買ってあるので、こちらは利用しませんでした。
だから、ここで国際切符が帰るかどうかは疑問です。買えない窓口もあるときいていますから。で、必死でワルシャワで買ったkおばちゃんだったのです。

さて、kおばちゃんのお仕事は、駅に到着して直ぐに出発便をボードで確認です。


お、予定道理に標示されています。


kおばちゃんの乗車予定は、上から2番目のベルリン行きです。5番線ですね。

ボードを眺めていたら、すぐそばに座っていた東洋系の青年がニコニコしながら近づいてきました。
彼は中国語で挨拶してきました。で、kおばちゃんも挨拶をかわしたのですが、その次に出てきた質問が??だったので、『私は日本人なの』と唯一知っている中国語もどきて返しました。
すると彼はがっかりした表情。だれか同胞を捜していたのかしらね。啄木の歌を思い出してしまいました。

さて、ここまで来たら列車に乗り遅れるわけには行きません。さっさとホームに向います。

ホームには地下通路をつかって行くのですが・・・エスカレーターなんかありません。もちろんエレベーターも。


降りるのはよかったのですが、登るのが・・と階段の下で立ち止まっていたら、通りかかった若い女性が手伝ってくださいました。
ほんと助かりました。

ホームにやっと出て・・眺めます。

あら、綺麗な車輌も・・


年代物の機関車もいますね。


多少『鉄分』の多いkおばちゃんの血が騒ぎます。
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不思議の町(ビドゴシュチ)

2013-11-22 17:50:22 | ポーランド
今日も朝からダイヤ乱れとかいってましたが、結局来た電車に乗っただけで、それが遅延の果てだったのかどうかは関係なく順調に移動できましたよ。

昨日久々に会ったお仲間から・・意外なカミングアウト。まあ、外国生活が主だったから、多聞そうかな・・とは思っていたのですけどね。
個人としてその人を受け入れる、受け入れないということは今回の件に関してはまったく気になりませんでした。
気にする人もいるでしょうけどね。

そうそう、昨日の○ニセフの話。関係者とお話する機会があったので、気になる事を聞いて見ました。
それは、あの名前シール押し付け寄付募集、です。
なんだかやり方が、今お年寄りを狙った商品売りつけサギみたいで気に入らないんですけど・・と言ったら、確かにそうですよね。と言われてしまいました。
でも、あの名前シール寄付が、寄付金のなかで締める割合がダントツなんだそうです。小さな善意を掘り起すということでしょうけどね。
それを聞いて何だか複雑な心境になったkおばちゃんです。

うーーん、理屈はわかるけど、感情としては納得できないな・・ということかな。

○5月29日(水)

ビドゴシュチの街中を徘徊していたkおばちゃん。
橋を渡って、お宿のあるエリアの方に戻ってきました。


橋の袂にはこんな看板も立っていました。ビドゴシュチの下水計画について?でしょうか。


で、ここでも不思議の光景に・・


これは一体なんでしょうか??

正面から見るとこんな感じで・・なんだか懐かしいような・・


日本の道祖神というかお地蔵さんになんだか雰囲気がにていますよね。
そして彼らの前にはマンホールが・・・これも下水計画に関係あるのでしょうか??不思議な光景です。

彼らの脇にはこのようはものが立っていました。


ビドゴシュチの町の地図と・・


このあたりの見所をマークしてある地図。


そして説明書き・・・うーーん。パンフレットがあると良いんですけどね。


このようなボードも立っておりましたが、この道祖神モドキの説明書きはありませんでした。


再びこの教会・・聖母マリアの昇天教会Kościół Klarysek Wniebowzięcia Najświętszej Maryi Panny w Bydgoszczy
の脇をあるきます。


で、行きにも気になったこの建物に入って見ることにしました。だってみんな入って行くし・・不思議な建物でしたので。


するとなんと・・中はショッピングセンターになっています。まあ、規模は小さいけれどショッピングモールですね。
どうも古い建物を再利用したもののようですが、古いのは外観だけのようです。

で、後で調べて見たら・・この建物はもと印刷工場Zakłady Graficzne w Bydgoszczyだったということです。
1806年からの印刷工場で、ポーランド最大のものだったようです。教科書なんかも印刷していたとか。
ドイツ軍に占領されたときも、稼動され、ナチの宣伝材料が印刷されたとか・・

2006-2007年にショッピングギャラリーに改装されたようです。

あらまあ、ここにもまたビドゴシュチの不思議が・・なんて思ったkおばちゃんです。
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微妙なバランス(ビドゴシュチ)

2013-11-21 19:00:41 | ポーランド
今日も寒い朝。まあ、ピーク時ではないけれどね。
今朝の電車の遅延のりゆう、途中駅でのなんとかんとか・・この『なんとかかんとか』の部分は忘れてしまったのですが『お客様混雑』でもないし『お客様救護』でもないし・・いったい何だったの??という意味合いの説明だったと思う。

スリが捕まった?痴漢が捕まった?と一瞬思ってしまいました。

そうそう、ここのところネット上で繰り広げられている日本○ニセフ協会への批難。
kおばちゃんには批難する人の気持ちが良くわかりません。

確かに日本の協会は日本支部ではないのだけれど・・それはそもそも成り立ちから違うんじゃないかな?
かつて日本が戦後困窮していたとき、○ニセフからの支援を受けていた。そしてその支援に対する感謝の気持ちから立ち上げられたのが日本○ニセフ協会。お礼のつもりというか、善意をうけたお返しに自分達も寄付をしたいと始まったのじゃないでしょうか?
現在でこそクレジットカードで気軽にどんな通貨ででも寄付できるけど、当時は現金決済。つまり日本のお金を両替して送金しなければいけないという作業もあったわけだから、この団体を通して行われることが普通だったのだと思います。

ところが、時が流れお金の流れもシンプルになってきた今、出来てしまった組織を運営しなければ行けないという課題があるので、それのみが追求されている感じがします。
物凄い宣伝効果を出すために資金をつぎ込んでいるのも事実でしょう。

ただ、世界のお金の流れ、宣伝の仕方が変わってきたのだから組織自体も変化して言っても良いと思いますけどね。

運動を運営するのに資金は必要ですが、無駄を省く努力もしなくちゃいけないのだと思います。
壱円でも1ドルでも多く、皆のために役に立てて欲しいと思う気持ちは共通しているのだから。ね。

○5月29日(水)

ビドゴシュチの散策をしているkおばちゃん。なんだか妙にだだっ広い広場を後にします。

人の流れにくっついてゆくだけですけどね。


この通りテラス席のついたカフェがたくさんありましがた、まだちょっと寒いかな?

川のそばにこのような建物がありましたが、これも博物館のようです。


この先に、橋がかかっています。渡って見ましょう。

橋からさっきの旧市街の方向を眺めると・・・倉庫のような建物と、カフェレストランでしょうかをしているボートが目に入りました。


そして、あら。空中に何か浮かんでいます。

反対岸の方をバックに眺めるとこんな感じで浮かんでます。


この像・・どこかで見た事があります。そうそう、ビドゴシュチの町を調べていたときにHPに良く出ていた像です。

どうやらビドゴシュチの『有名人』と言った感じですね。
で、これも帰国してから調べました。

この像は2004年5月1日にポーランドはEU諸国の仲間入りをしたことを記念して造られたというものらしいです。
Jerzy Kędzioraの作品で、バランスを取りながら川を渡っている→つまりEUの仲間入りをした。ということを業減しているようですが、同時に『後戻りできない』という意味もあるとか。
重さは50キロ・・kおばちゃんより小柄です。



そしてこの彼の右ひざの先にツバメが一羽、とまっているのですがこれポーランド・フィルPomeranian PhilharmonicのでディレクターであったAndrzej Szwalbe氏へのオマージュだそうです。


微妙にバランスを取りながら、後戻りできないところをそろりそろりと渡る・・なんだかこれの表す意味は深長だと思ったkおばちゃんです。
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悲しみの空間(ビドゴシュチ)

2013-11-20 20:35:34 | ポーランド
今日は寝坊をしてあわててお仕事へ・・まあ、間に合ったから良いけどね。

どうも眠りの周期が3時間という節は正しいようで、確かに夜中に目が覚めて・・あらまだ4時だと思って再び眠りのそこへ・・気がついたら7時過ぎです。

いつもよりは1時間も寝坊です。まあ、余裕がある起床時間なのですが、この時間になると余裕がなくなりタダバタバタと。で、なんとか間に合いました。
でも、お布団の中って気持ち良いのよね・・あとお風呂の中。
最近はお風呂で居眠りがでてきて怖いkおばちゃんです。

○5月29日(水)

ビドゴシュチのオペラでのバレエ鑑賞を終えたkおばちゃんです。
お子ちゃまいっぱいの公演でした。親につれられて来ていた子どももいましたが、このように団体さんで来ていた子供達も。


まあ、先生も大変ですね。

そうそう、劇場自体はそれほど大きな器でもないかも。


全体でこんな感じです。

終演後表にでましたが、当然ながらまだ明るいです。だって多聞午後7時くらいかしら?
で、キア君も返してしまったのでぶらぶらとお散歩しながら戻ることにしました。

さっき見かけた歩道を渡って見ます。


歩道の欄干にはご覧の通りびっしりと・・


鍵・・かぎ・・カギ・・


世界中はやりのようですね。このカギ・・一体最後はどうなるのでしょうね。

橋の途中からオペラ劇場を振り返って見ました。あら。素敵ですね。


橋を渡りきったところにもまた、流れがあり、広場になっています。


こちらは博物館の島とでもいうところのようです。

穀物倉庫を改造した建物などが


てんざいしてそれぞれ違う分野の展示をおこなっているみたいですが・・


緩やかな流れは、散歩コースにもってこいです。


博物館を見学しなくてもここで過ごすだけでも気持ちのよい場所です。

ここからすこ町の中心と思われる方向に歩いて行きました。


なんだか広場がまたありそうです。

辿り着いたのは・・こんな空間でした。


よく見られる市場広場といった感じですね。


広場をぐるり取り囲む古い家・・


でもね、なんだか違和感がありました。

これは、広場の端にあった建物。市庁舎でしょうか?


その違和感がなんだかわからないけど・・とにかくしっくりこなかったんです。


しっくりこない原因は、このとき感じたのは『広すぎる』という感覚でした。
この規模の町の旧市街の広場にしては・・なんか広すぎる・・

そしてこの広場の片隅にあったこの像もとても気になりました。


どう見ても、楽しい像ではありません。何かメッセージを持っているのは確かです。
何かに対して・・無抵抗であることを示しています。なんだろう・・

気にはなったけど・・ガイドブックもなにも持ち合わせていません。
だってね、それこそこの町に立ち寄ったのは『オペラ劇場がある』という理由だけでしたから。

気になっていたので、お得意の・・帰国してから調べて見ました。

すると、この町の歴史もわかってきました。
ここビドゴシュチも、この地勢からドイツとポーランドの挟間で歴史に翻弄され続けている場所だということです。
そして近年ではあの第2次世界大戦の時にとても悲しい事実があったということです。

事のはじまり・・それこそ卵が先か鶏がさきか・・のような話ではあると思います。
『ビドゴシチ住民殺害事件・Krwawa niedziela血の日曜日』と呼ばれる1939年9月に起こった悲劇です。

発端はドイツ系の住民に対するポーランド人の憎悪から来ているとされています。
ポーランドへのドイツ軍の侵攻への抵抗に呼応するかたちで、ビドゴシュチに在住していたドイツ人の迫害、リンチ、さらに殺害が行われたとされています。それが9月3日。

そして、次に起こったのはビドゴシュチの町に侵攻してきたドイツ軍によりひきおこされた、報復ともいえる悲劇です。
それが9月9日から9月10日(日曜日)にかけて起こりました。だから『血の日曜日』なのでしょう。

先の事件で犠牲になったドイツ人は100~300人といわれています。
そして報復と言われる事件で犠牲になったポーランド人はこの2日間だけでも、200〜400人問割れれているそうです。そしてそれは始まりにしか過ぎなかったということです。

この第2の事件には犠牲になったポーランド人に最後の聖餐の儀を行おうとした聖職者にまで及んだと言うことです。

この事件で犠牲になったという人々の数に関しては諸説あって、真実はまだわかっていないということですが、kおばちゃんは『数』の問題も大切ですが、そこにあった犠牲になった人達の人生は数では物語れないものだと思っています。
突然に人生を終わりにされてしまった人達の思い・・それは数では表せない無いと思うからです。

そして、この事実を知った時に、あの時kおばちゃんが感じた『違和感』の正体がわかりました。

それは・・やはりあの広場は広すぎたのです。なぜならば元々は別の建物もあったからなのです。
その別の建物というのは『教会』です。
Kościół pojezuicki pw. św. Ignacego Loyoli w Bydgoszczyイグナチオ教会がそこにはあったのです。
しかしあの血の日曜日事件をきっかけに、翌年1940年には解体されてしまったということです。

そう、旧市街のシンボルでもあったのでしょう。教会がこの空間に丸まる一つあったのです。
それがなくなってしまったから・・なんだかkおばちゃんが『違和感』を感じるような空間になってしまっていたのですよね。

解体された教会の跡には、あの『血の日曜日』の丁度30年後の19699月5日年に、この『ビドゴシチの闘争と殉教記念碑Pomnik Walki i Męczeństwa Ziemi Bydgoskiej』の除幕式が行われたということです。


調べて、違和感の謎が解けて良かったのですが・・・とんでもない悲劇まで知る事になりました。

あの空間は『悲しみの空間』だったのだと、改めて思うとともに人間がひきおこす悲劇にはどうしようもない思いになったkおばちゃんです。
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皆大好き!シンデレラ(ビドゴシュチ)

2013-11-19 19:55:18 | ポーランド
今日は昨日よりは寒い感じ。

昼間は駐日大使の信任状の授与式だかなんだかで馬車行列がでるとかでないとか・・
kおばちゃんのところはそんなに近いわけではないのに・・飛行物体が煩いったらありゃしない。

通常でも駐日大使のご挨拶は馬車利用がおおいとはきいてますが・・今日は特別なんでしょうね。

夕べは飲みに誘われ他のだけれど・・誘った相手はあまり飲めなく(いつもは飲むけど)なんだかkおばちゃん一人でがばがば飲んでる感じ。申し訳ない!とおもいつつ止まらないkおばちゃんでした。

○5月29日(水)

さて、お子様だらけのビドゴシュチのオペラ、実は今日は『オペラ』の上演ではありません。
今日の上演は『バレエ』なのであります。

kおばちゃんはそれを承知で来ているのですが、この演目題名だけ聞くとああ!とおもうのですが、作曲家を聞くと??どんな曲?と思うかもしれません。
『シンデレラЗолушка Cinderella』です。
作曲はセルゲイ・セルゲーエヴィチ・プロコフィエフСергей Сергеевич Прокофьев そう、プロコフィエフのシンデレラです。
2012年1月6日のおパリでダフ屋からチケットを買ってきいたあのシンデレラです。

曲がね・・お子ちゃま向けじゃないとは思うんですけどね。
しかしです。そんなこと関係ありませんでした。タイトル『シンデレラ』が映ったトタン大興奮の大声援です。ほんと、可笑しいくらいです。

幕があがり・・踊りが始まると・・また、その出演キャラクターのデフォルメされた性格のよくわかるような演出なのでみんな笑ったりと舞台に集中してます。

途中で休憩もはいり、長時間にならないようにはなっています。

但し、どこのブッフェも長蛇の列です。


さすがにお子ちゃまがおおいだけあります。


やることもないkおばちゃんはテラスにでてみたりしました。



休憩後は、少々テンションが落ちた男子がイスの上でじたばたしていたりもしましたけど、女の子は夢はバレリーナか、みんな夢見心地です。

舞台は装置は簡単なもので、レーザー光線やライトの使い方でイロイロ工夫してなかなかのできばえだと思いました。

とにかく楽しい作品でした。

カーテンコールも





コミカルなキャラクターダンスも楽しかったです。



このような地方都市ににも、立派なバレエカンパニーがあるのはうらやましい限りです。

今日の主役、シンデレラと王子さまです。


シンデレラがお迎えにゆきます。


本日のコンダクターです。


素敵で楽しい公演でした。


kおばちゃんのお席はこんなど真ん中でした・・っていってもこの画像じゃわかりませんね。


こんなオチビちゃんも見に来ていました。


子どものころからこのような芸術に触れる機会があるビドゴシュチの子供達、うらやましいなと思ったkおばちゃんです。
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謎の開演時間(ビドゴシュチ)

2013-11-18 17:33:36 | ポーランド
土日は大変過ごし易いお天気でした。
お布団も干せたし・・・ただし御用が多数でちっとも満喫できなかったのは残念。

今年も残りを気にしながらの日になって来てしまいました。

あーあ、年をとるのはいやね。

ここのところまたゆらゆら揺れてるのが多い気がします。なんだかいやですね。

○5月29日(水)

さて、お宿で一休みして再び出発です。
そう、さっき入手したオペラのチケットのためです。

今回は、キア君は返却してしまったので徒歩で向います。多聞15分程度かな?さっき車で通った道なのでなんとなくわかりますけどね。

ここでも、大通りのラウンドアバウトの交差点の下が地下商店になっていました。
ワルシャワといい、こういう造りがはやっていたのでしょうか?

ラウンドアバウトの地下にもぐってしまうと方向感覚がなくなってちょっと怖いんですけどね。

たぶん・・こっちという方向に出て歩きます。

さっき車で通ったときには余り気がつかなかった建物が・・


建物全体をガラスが覆っているような・・いったいなんでしょうね?

あとは、教会ですね。


通りの反対側なのでちょっと外からだけ眺めました。

ようやくノバ・オペラの前に到着です。実は時間は・・午後時少し前です。


開演が午後4時からなのです。不思議な時間でしょ?しかも平日です。

切符を頼んだ時からこの午後4時開演というのは撮っても不思議でしょうがありませんでした。
何で??平日のこんな時間に??って。誰が見に来るのでしょう??ってね。

会場に到着すると、さっきチケットを受取に来た時とは大違い!小奇麗な格好の方達が沢山います。


そして何故か目につくのが『子ども連れ』です。


中に入ってびっくり・・・ちびっ子だらけです。
それにkおばちゃんのお席!! センターど真ん中!通常日本だとスペシャルご招待のお席です。
あれま・・

kおばちゃんの前のブロックはお子様ばかりです。


さてさて、オーケストラピットも準備万端!そろそろスターとです・


おい!そこのガキンチョ!座りなさい!と思わず言いたくなるような始まりです。


さて、演目で子供達は大丈夫なのかしらね?
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水辺をお散歩(ビドゴシュチ)

2013-11-15 19:34:18 | ポーランド
今日は少し暖かい・・というか余り寒くなかった。

日中はおこもりだったのでお天気はわからないけどね。
結局昨日まで妄想していた、鬼の笑う旅行の計画・・は取り辞めた。あまりにもあまりかな・・と思ったのであります。
人間何事も程ほどが大切かと・・

夕べラジオで、『お金はとりあえず貯めましょう。お金はなんにでも化けます。そして腐りません。』というアドバイスを聞いてしまったからかもしれない。
いくら体力勝負、残り時間が少なくなって来た・・といってもね。

まあ、立ち止まって考えましょう。

○5月29日(水)

美味しいランチでお腹もいっぱい。チケットも無事入手できたし・・ということで少し周りをぶらぶらして見る事にしました。

このビドゴシュチのオペラは川のほとりにあります。googleさまのサテライトによると、ほらこの真中の丸い物体がオペラです。


丁度オペラ劇場のところでカーブしていますね。

ビドゴシュチBydgoszczはワルシャワにも流れていたヴィスワ川Wisła支流のブルダ川Brda沿いに発達した町だそうです。
ヴィスワ川Wisłaは丁度このビドゴシュチ郊外で大きくカーブをしてバルト海へと向って行くのです。

googleさまの地図によるとこの右側で『く』の字を書いているのがヴィスワ川です。


そしてブルダ川はビドゴシュチ運河へと繋がり、このビドゴシュチ運河はNakło nad Noteciąと言う町でノテチ川Notećと繋がり、さらにはオーデル(エルベ)川・ヴァルタ川水系と繋がっているというこです。


右側の赤い○がここビドゴシュチ。そして左に伸びるオレンジの線沿いがヴィスワ川水系とオーデル(エルベ)川・ヴァルタ川水系を結ぶライン。ポーランドの内陸水運の重要な町ということなのでしょう。

流れが気持ちよさそうです。


観光船も気持ちよさそうに運行して行きます。


流れの向こう側には特徴ある建物が見えますね。


向こう側と繋がっている歩道橋がありました。


渡って見たいけど・・渡ったらドツボにはまりそうなので辞めておきます。

その代わり、川べりに降りられそうなので降りてみました。


さっきの歩道橋です。


向こう側には古そうな建物が見えますね。


もうすこし時間のあるときに・・渡って見ましょう。

ここがキア君を止めてある駐車場です。奥の方に小さく見える赤い車です。


これが、入る時にもらったチケット。


出庫するときはこのチケットとお金を駐車場のかかりのおじさんに渡しました。金額は・・適当に・・お釣りをくださいました。

ここを出発した後は今晩のお宿に再び戻ります。

で、右手にホテルの入り口を見ながら更に進むと・・つきあたり!そしてその右の方にレンタカー会社の黄色いロゴがみえます。


標示に従って進むと、ホテルの有人駐車場。そこのおじさんにゲートをあけてもらって・・通過・・さらに曲がってその脇にあるパークハウスの中に返却場所がある・・というのだけれど・・ここも普通の駐車場。チケットをとって・・とりあえず、駐車場係りのおじさんがいたので『レンタカーの返却です』と告げると、『レンタカー会社のポールが立っているスペースがあるのでそこに止めよ』とのこと。

指示に従って進むとポールの立っている駐車スペースみつけましたけど、物凄く狭くて変な場所。でもここしかないし・・まあ指示に従ったわけだけだから他の駐車の車が通れなくなってもしらな!と無責任にそこに駐車しちゃいました。

で、書類をもってさっきのおじさんのところへ。すつると、書類のはしの穴にキア君のキーをひっかけて・・これで返却完了だそうです。

つまり、駐車場のおじさんに預けた形になったみたいです。

ちなみに・・走行距離は419.4キロでした。


さ、お部屋に戻って一休み・・できるかな?
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オペラチックなランチ(ビドゴシュチ)

2013-11-14 19:21:34 | ポーランド
今日も一日バタバタと過ぎた。
朝はとても寒かったけど、夕方はそれほどでもないかな?とりあえずの寒さは一段落かな。

さて、来年の鬼の笑うような旅行計画をあれこれ妄想していて、某航空会社のディスカウント料金の申し込みが昨日までだったのが、決心がつかなくて見送った。

今朝メールをみたら、1日延長・・って・・また悩むkおばちゃん。

行きたい場所は2箇所。でもお金の都合と休みの都合が今ひとつ。どうしよかな・・

○5月29日(水)

本日のチケットをようやく入手して一安心のkおばちゃんなのだけれども・・安心したらお腹が空いた、ということでやってきた劇場のレストランです。

ここのメニューを見ていてあらまあ!と思ったのが、お料理のタイトルです。


『皇帝と船大工』『オテロ』『ワルキューレ』『イル・トロバトーレ』『魔弾の射手』

そしてこちらも・・


『海賊』『バラの騎士』『彷徨えるオランダ人』『劇場支配人』『カルメン』

なんだかお料理の中味を見るよりもタイトルを見てしまいました。

お飲み物は・・残念ながらキア君を運転しなきゃいけないのでノンアルコール。リンゴジュースだったかな?です。


で、アミューズというか・・


これっていまだに何の実かわかってないんですけど・・

今日はしっかりとイタダキマス。まずはスープ。


これは、ポーランドの代表的家庭の定番だそうです。ジュレック żurekというそうで、ライ麦を発酵させたものだそうです。ちょっと酸っぱい感じはあります。

で、こちらのスープにもオペラのお名前が漬けられていました。『ハルカ』。トラニラフ・モニュスコStanisław Moniuszkoの作品でポーランドでは有名なオペラのようです。


ただ、とっても暗いストーリーのようです。

kおばちゃんの選んだメインはこちらです。


先日ワルシャワで見たオペラの名前がついていたから・・なんですけどね。その名も『彷徨えるオランダ人』
うーーん。これがどうして??と思うのですが、まあ魚料理なので『海』に関係してるからかしらね。

kおばちゃんとしては塩鮭の切り身の方がこのみなんですけど・・

しっかりデザートも頂きました。


これは・・確かオペラの名前はついていなかったと思います。

あーー美味しかった!ご馳走様でした。
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お取り置きもできます(ビドゴシュチ)

2013-11-13 19:16:40 | ポーランド
今日は忙しくばたばた。
お昼も外出先ですませたのだけれど、そこでちょっと?と思う光景に。

入ったお店は和食のお店。夜は飲み屋さんだろうけど。
カウンター席に案内されて、カウンターの中を何気なくみてたのだけれどもランチ時に忙しく働くひとのなかに一人だけプラプラと手持ち無沙汰の男性が・・おそらく板長でしょう。

ランチメニューだからもう仕込みは終って本当にする事がないのでしょうけど、他の人が忙しそうにご飯をよそったり盛り付けをしていたりするのになんかぶらぶらと・・
こちらもじーーと見てしまったりしました。

まあ、やることないのは判るのだけど、目障りだから奥にいらしたら??と思ってしまったkおばちゃんです。職人の世界ってややこしいですね。

○5月29日(水)

ビドゴシュチBydgoszczにやってきたkおばちゃん。
トルンからもそれほど離れてはいないこの町になぜか1泊します。

この町は有名な観光地ではありませんが、kおばちゃんの関心をひきました。
それは今回の旅の計画を考えているときに、ある検索にひっかかったからです。

googleさまの地図を広げて、最初の目的地のワルシャワと今回のもう一つの目的地というか最終寄航地を眺めてどうやって移動しようか、何処に泊まろうかと考えていたのですが・・・ある単語を打ち込んで検索をしたのです。
それは『オペラ』です。

数箇所ヒット(古い言い方ですね)したのですが、直線状の真中にあったのがこの町だったのです。
で、そのオペラを調べて見ると、アラ面白そう!ということになったのです。

この町には立派なオペラ劇場があるらしいのです。その名も新しいオペラ劇場『OPERA NOVA』です。
HPを覗くと中々面白そう・・なうえ、安い!で、外国人向けに『団体』の予約の仕方はあったのですが、『個人』の予約の仕方がわからない。
ダメ元でメール出したら、ご親切にも取り置きしておいてくださるとの事。決済も当日でよいとのことなのです。

開演前に行けばよいかな・・とも思いましたが念のためにね。早めに行って見ました。
オペラ近くには駐車場のあるのもgoogleさまのサテライトでチェック済み。でも、行って見たらここはオペラの駐車場ではなくて、一般駐車場。係りのおじさんの指示に従って駐車します。

建物は・・ご覧の通りモダンなガラス張りです。


この建物は紆余曲折の末に、2006年10月21日にやっと完成したものらしいです。なんとは34年と5ヶ月かかったそうです。

公演まえなので、入り口は閉まっていますが・・どこかに前売りの窓口がないかしら・・とぐるりと廻ったら事務所の入り口がありました。

多聞ここ?と思いながら中に入り、用件を告げました。


すると、ああ!と理解してもらえました。メールには日本から行くとは書いて置きましたけどね。
まだ、お昼休み中だったのか、デスクでお皿を広げている人もいたりしてなかなか庶民的です。
決済もカードでできました。良かった!

なかなか精力的に公演をおこなってるみたいです。期待しちゃいます。


チケットを受け取って、事務所をでました。


さて、楽しみになって来ました。

でも・・その前にお腹を満たしておかないと・・お昼を頂いてませんからね。

どうしようか・・とウロウロしながらまたオペラの周りを廻ったら・・あら、レストラン?カフェ?という感じのお店がありました。丁度言いや!ここで頂きましょう。

テラス席もあったのですが、室内にしました。


お客さんが・・他にいませんけど、食事ができるか聞くとOKとのこと。

オペラ付属のレストランのようです。


何の曲かしらね。
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ガソリンスタンドにて(ビドゴシュチ)

2013-11-12 19:10:34 | ポーランド
今日は一段と寒かった。
なんせ、ごそごそと手袋まで出してしまいましたよ。朝。だって夕べ帰宅時に手がスースーして寒かったんですよ。

こんな調子で寒くなって行くのでしょうね。

暑いときもイヤだけど、寒いのもなあ・・なんせ、隙間風だらけのあばら家にお住まいですから。
寒いと血圧もあがるそうですしね。

今年の冬は寒そうです。

○5月29日(水)

ゴルプ・ドブジンGolub–Dobrzyńのお城を外から眺めて・・出発したkおばちゃんの車は・・ナビさまのご託宣に
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/18/6cf683825e4787c9156e540273366a0d.jpg


道そのものは認識されているのですが、枝線というか高速の入り口付近がね。。なかったりするんです。
そういうときは目視あるのみですが、一番困るのは目的地の名前が出て無い事。その先の『方面』が書いてあると、地理関係が頭に入っていないと、サテどっちに走れば??と分岐点でまよいます。

以前も書きましたが、ポーランドの高速道は有料です。日本と同じ、料金所システムです。


この先に料金所・・というか、高速の入り口があります。ここはたいてい無人。


で、ここで通行券をうけとります。

受け取った高速券はこんな感じです。


実は・・この券は間違えて入ってしまったグダンスク行きの券だったと思います。


ドイツだったら間違っても無料だから戻ってくればいいだけですが・・有料だとチト痛いです。

ま、そんな失敗もやらかしましたし、高速道には目的の方向はまだ真っ直ぐ・・とでているのですが、ナビサマが必要に高速から降りろとお告げになるので。。まあ一応ナビさまに従って走ったら・・高速の側道のようなところをはしったり・・とイロイロしましたが、結局は目的の町にたどりつきました。



辿り着いたのはビドゴシュチ(ブィドゴシュチュ)Bydgoszczと言う町です。
殆ど日本人にはなじみが無いかもしれませんね。かくゆうkおばちゃんだって最近まで知りませんでした。

夕べ泊まったトルンもそうですが、 クヤヴィ・ポモージェ県Województwo kujawsko-pomorskieのまちで、そこの中心地、首都です。

ほら、トラムも走ってます。


車で走っていると・・これといって特徴が感じられませんが、以前走った北部の町よりは開けた感じはします。


で、kおばちゃんはここで今晩のお宿をよやくしてあります。

まずはお宿に向い、チェックイン。
ここのお宿は、とりあえずレンタカーの返却場所として指定出来たので選んだのですが、ホテルの駐車場は有料。で、今晩このレンタカーは返却しなきゃいけないので、その料金を浮かそう・・と言う目論見だったのですが、行って見てたら、レンタカーの返却場所は隣のパークハウス。で、ホテルの脇の駐車場を通り抜けて行く・・というしかけでした。

駐車場のおじさんとのやりとりは・・なんとかしましたが、とりあえず一周して車をホテル前につけて・・荷物を降ろして・・とりあえずチェックイン。再びし切りなおしです。

部屋に荷物をつっこんで・・お次は、ガソリンスタンドの検索です。
これもナビさまのご託宣にしたがいました。

まあ、もうあまり乗りまわしませんので、このあたりで満タンにしておけばOKだと思ったのです。



いつものように、満タンにして・・レジでお支払です。もちろんカードですけどね。

昨日今日と頑張ってくれたキア君です。


で、お姿を撮影しているときに、視野のはしにあれれ・・と思う光景が飛び込んできました。



あれって・・・ガソリンを入れてるようなんですけど・・あの・・プラスチックの普通の容器にみえるんですけど・・


日本では、たしか専用の携行缶じゃなきゃ消防法かなんかで禁止されていたと思います。灯油とちがってガソリンは。

どうみても「95」のところから給油してるから・・ガソリンですよね。
なんか危なっかしい・・と思うのは日本人のkおばちゃんだからでしょうか?

ちょっとドッキリしました。
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お城は外から眺めるもの・・(ゴルプ・ドブジン)

2013-11-11 18:07:34 | ポーランド
久しぶりに・・日曜はゆっくるするつもりが、結局日常の雑事に追われたkおばちゃん。

まあ、最近の物忘れっぷりにはほとほと参るけどね。
久々に近場の大型スーパーにでかけたけど、外人とくに外人(アジア人)の多さにびっくり。
こんなにいたっけ??と言う感じ。

ここでもゆっくるする暇もなく、必要な品だけさーーと買っておしまい。
まあ、買いすぎご注意なのでよいですけどね。

さて、寒くならないうちに進めないと・・

○5月29日(水)

トルネの観光をすませ、お宿から車を出発させたkおばちゃん。
お次に向うのは・・ちょっと本命のところまで行くのに時間があまりそうなので寄り道をする事にしました。

寄り道のさきは・・昨日うろうろしていて気になっていたところです。
ウロウロしていて気になる・・と言う言い方はちょっと違うかな。ウロウロする為に地図を覗いていて気になったところです。

そこはゴルプ・ドブジンGolub–Dobrzyńというまち。何でもお城があるらし・・ということで向います。
ナビさまのご託宣でもそう遠い距離でもありませんでしたしね。

ご託宣の通り進み、途中の案内表記に従って更に進むと、丘にのぼるような小道にはいり・・・その先に駐車場がありました。

有料のようですが・・小屋に誰もいません。まあいいか・・



振り返ると・・おお!美しいお城が・・


ここは、このあたりで一番高い丘の上のようです。


ゴルプ・ドブジンGolub–Dobrzyń城は、14世紀の初めに建てられたドイツ騎士守備要塞だそうです。その後何回も破壊と再建を繰り返し、最終的にアンナヴァーサ姫の宮殿として、ルネッサンス様式となったそうです。

現在、中は博物館として開放されているようですが・・・時間がありません。


外観参拝でおしまいです。


まあ、お城は外から眺めるだけでも価値があるように思えますからね。

あそこに見える小屋・・から先が有料のようです。


なんとなく十字軍の城塞をイメージした作りになっていますね。


どうも、この場所も人気の遠足の地らしく、バスで子供たちがやってきます。


さて、登ってきた小道を下って本来の目的地に向いましょう。


坂を下りきったところで、再びバスとで会いました。
こちらのバスは、いかにも普段からのスクールバスと言う感じのバスでした。しかも運転手はこのお城にやってくるのは初めて?と言う感じでキョロキョロしています。

なんとなくノンビリチックで良いなあと思ったkおばちゃんです。

さて、お次ぎ、本来の今日の目的地に向いましょう。久しぶりに高速走行です。

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可愛い看板(トルネ)

2013-11-08 19:10:20 | ポーランド
昨日はちょっと出稼ぎ。

少しボケ始めたkおばちゃん。お仕事の大ポカをやらかしかけて・・なんとかつじつまをあわせられて一安心しております。

発覚したのは一昨日の晩。気がついたときには・・もう遅いよ!ってな感じでした。

まったくもう・・ボケばあさんの仲間入りかいな。
本当にいやになってしまいます。
お仲間のお助けがあったから事なきを得たけど・・これからは気を付けなきゃ。

○5月29日(水)

さて、ざっくりとドイツ騎士団の施設の後を見学したkおばちゃんですが・・時間が余りありませんがもう一度確認して起きたいところがあって向います。

目的地に向う途中目についたのが・・こんな看板。


何の看板かわかります?ま、下に書いてある字を読めば一目量前ですけどね。

実はこれは、あの大手ハンバーガーチェーン店の看板です。ほら!


何でこの絵柄なのか・・ちと疑問ですけれどね。
トルネでマクドナルドを捜すときは・・この看板を目印にどうぞ・・


さて、目的地に近づいてきました。ほら、通りの名前が。。


どうやら、目指す先はあそこのようです。


そう、ここはこの町の有名人コペルニクス氏の生家です。


ニコラウス・コペルニクス(Nicolaus Copernicus)ポーランド語名は ミコワイ・コペルニク Mikołaj Kopernikは皆さんご存知の天文学者。
彼は同時にカソリックの神父でもあったようです。1473年にここトルン生まれました。

彼の生家は当時、銅を商ことにより裕福だったそうです。しかし10歳の時に父の死により、叔父に育てられクラクフの大学で学んでいたそうです。
そこで、天文学と出会い、研究の末、当時主流であった『天動説』を覆す『地動説』を検証したようですが、キリスト教世界にも身を置いていた彼は、その死後まで『天球の回転についてNicolai Copernici Torinensis De revolutionibus orbium coelestium, Libri VI』の出版を許さなかったと言われています。

その、コペルニクスの生家Dom Mikołaja Kopernikaがトルンに残されている・・それがここだそうです。

いかにも、裕福な商人の館・・という感じですね。


現在はコペルニクスの博物館として開放されているようです。


入り口はこちらですね。


残念ながらkおばちゃんは中は見学しておりません。開館時間はご覧の通りです。


kおばちゃん同様、外観の拝観のみ・・というツアーの方々もいらっしゃるようです。


で、この館の前にぶら下がっていたのがこの看板です。


コペルニクスさんが、地球を指で回している・・というように見えませんか?

さ、楽しかった観光もお終いにしましょう。今日もご予定てんこ盛です。
一旦お宿に戻って・・チェックアウトです。

旧市街の外側なのでモダンな建物なのですが・・


ここのドアーが替わっていました。テンキー付です。


チェックインの時に、暗証番号をもらいます。で、ここで打ち込む・・と言う形式です。キーがありません。
これだと、無くす心配はありませんね。

さ、そろそろチェックアウトして、ドライブの出発です。
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兵どもの夢、再び(トルン)

2013-11-05 20:50:18 | ポーランド
久しぶりの3連休・・のはずが結構忙しかったのであります。
突然のメールで遠方の友だちからのお誘いがあったりしてね。でも、お会いできて楽しかったです。

お天気も今ひとつの感じでしたけれど、結果的には十分休んだようなきにはなりました。

さあ今週も頑張るか・・


●5月29日(水)

夕べはさっくりと寝てしまいました。余り記憶はありません。
で、朝食つきだったので食べに行ったのですが・・ちょっと寂しい感じ。コンチネンタルに毛の生えたような感じでした。ま、しょうがないかな。

で、荷物をまとめて一旦車に積み込んで・・観光に出かける事にしました。そう、車は置いたまま。
だって徒歩観光の方が断然便利な町ですからね。

商都市として大繁栄してゆくトルンはポーランド北部でドイツ騎士団が勢力を強めていった時代とも重なるようです。

ドイツ騎士団 Deutscher Ordenはローマ・カトリック教会の公認した騎士修道会の一つで、ドイツ人の聖母マリア騎士修道会Ordo domus Sanctae Mariae Theutonicorum Ierosolimitanorumチュートン騎士団でも知られる。
所謂十字軍の流れをくむ団体だとkおばちゃんは理解しています。違うかな?

本来は12世紀後半のパレスチナで聖地巡礼者の保護を目的として設立されたが、イスラム教徒に根拠地を奪われて以降は、1226年バルト海南岸のクルムラントを異教徒から防衛するためにポーランド貴族に招聘されたのがきっかけで、後のプロイセン王国の建国に繋る活動をおこなったようですね。

で、ここトルンもご多分に漏れず、ドイツ騎士団の支配となりその管理能力により繁栄していたそうですが、時は流れ経済活動で力をもつようになった市民たちはその支配から抜け出そうとしたようです。

詳しくはここにあるとおもいますが・・全部読んでません。


そんなドイツ騎士団の施設も、1454年にトルン市民の蜂起によってほとんど破壊されましたそうです。現在はの時の一部が残っています。どうやら1966年以降発掘ほごされているようですけど?違うかしら。

ま、どうせここへきなたらば・・と兵どもの夢の後を見に来ました。


夏草が生い茂り・・まさに夢の後です。


季節ガラでしょうか。遠足の学生さん達の姿が多いです。


取り立てて感慨もないkおばちゃんなので、詳しくは見学しませんでした。


それにしても気になったのは・・側で売られていたお土産物・・とでもいうのでしょうか?武器のおもちゃです。


子供達に人気があるのでしょうね。朝早いのに大量に補給していました。

それにしても、この武器って騎士団のものじゃないでしょうか?つまり市民の蜂起により追い出されてしまった・・ということは、子供達は騎士団にあこがれてるのかしらね。
自国を支配したよそ者のはずなんですけど・・・

まあ、カッコいいのは騎士団のほうなのかな?
なんて複雑な事を考えたのでありました。

さて、街中にもどりましょうかね。
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