Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

曲がった松(グリフィノ)

2016-08-31 19:03:04 | ポーランド
台風は北の方で大暴れしたようですね。
被害に会われた方、お見舞い申し上げます。

日本は天災のデパートですね。
地震雷火事オヤジ・・と昔は言っていましたけれども、現在は地震雷火事大雨かもしれませんね。




○2015年8月7日(金)

さて、迷い迷って親切なお嬢さんの手助けでやっと辿り着いたのはポーランドのシュチェチンSzczecinaのの郊外というのか近くの町でグリフィノgryfinoと呼ばれる地区です。

実は、ここに世界的に有名な?ものがあるのです。
それは曲がった松の木!のはずなんですけれどね。

入り口と思われる、パイプラインの下をくぐります。


この森のはずなんですけれども・・普通だな・・


どこも曲がってないじゃない・・と思いながらも奥に進んで見ます。


おお!曲がっている!!


更に進むと・・曲がってる!曲がってる!


kおばちゃんの他にも観光客というのか見物人というのかがいました!


とりあえず、GPSのついているカメラで画像を納めました。


まあ、また来る事は無いとは思いますけどね。

それにしても立派に?曲がってますね。


こっちの方向から撮ると・・


曲がっているのはよくわかりませんよね。


でも、横から見ると


こんなに曲がっているんです。

こうやって見るよ欲わかると思いますが、この曲がった松はけして自然に曲がった訳では無いんですよね。


人為的に曲げられている・・ということですね。

でも、押して曲げたわけじゃないでしょうけど・・


林の中に案内板というか説明板がありましたけど・・ポーランド語なのでわかりません。


ここに説明があるのですが・・これによると曲がった松は約80本。樹齢は75年ほど。人為的に曲げられているのはわかるが、『何のために・・』というのは現在は不明だそうです。

船の材料にするために曲げたんじゃないか・・とかソリに利用するために曲げたんじゃないか・・と想像できますが、本とはどうなんでしょうね?

そばに、監視カメラの警告板がありましたけど本当かしらね。


ま、いずれにしても貴重な奇妙なものなので、保護していてほしいですね。

さて、あのパイプラインをまたくぐって道路に出ましょう。


このパイプラインはどこに繋がっているのでしょうね。ここまで車で入ってもいいのね。


このあたりは、kおばちゃんがきっき間違えて行ってしまった発電所以外と、道路から入り込む道の近くにあった住宅以外、反対側には何にも無いところです。


案内板もないのです。

さ、これで今日の寄り道はおしまい!
今晩のお宿のあるベルリンに向いましょう。
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再びフェリーに乗ってポーランド!

2016-08-30 17:41:15 | ポーランド
台風がやってくるそうな。
kおばちゃんの生息している地域ではないけれども、上陸の恐れ!?があるのは、台風がやってきてもいつも勢力が衰えているところ。

しかも日本近海うまれの台風。

なんなんでしょうね?
かなり日本近海が温暖化して熱帯になってしまったということですかね。

大きな被害の無い事を祈ります。



●2015年8月7日(金)

さて、今日はウゼドム島とお別れします。
楽しかった旅行もそろそろ最終章です。

今日も朝ごはんはガッツリ頂きました。


このホテルというか宿泊所は、なんだか宿舎といった雰囲気。
で、管理人というか運営の人も朝しかいないようなのです。用があるときは朝ごはんの時に・・っていうことですね。

精算を済ませて、出発です。

周りに建設中なのは、住宅というよりは別荘と言う感じ。貸し別荘かな?


運営は同じようです。

通りなれた小道を国道?に出ます。


実は、今晩のお宿はベルリンなのですが、その前に寄りたいところがあったので、再びポーランドをめざします。


一昨日、かえって来る時に利用した道路の方が行きに利用したみちよりも断然すいています。

でも、フェリー乗り場に続く道は・・やっぱり渋滞。


それても、一昨日よりは列が短いかな?


さて、乗船します。


今日はんもう『無料』だとわかっているので、ドキドキはしません。無事乗船!


今日も良いお天気です。


今回は先頭じゃないので余裕です。


これだけ川幅があると、橋をかけるのは大変なんだろうな。コスト的にも。


それに、川を上ったり下ったりする船も多そうなので、高さの確保が必要ですよね。


真平らなこのあたりに高い橋をかけるのはさらに大変ですね。レインボーブリッジのようになってしまいますね。

向こう岸が見えてきました。


このフェリーは今日はお休みのようです。


向こう岸に上陸しましたが、反対車線は乗船待ちの車がびっしりです。


気持ち良い並木道を走ります。


ガソリンも入れなきゃね・・と一昨日見かけたスタンドへ


ガソリン満タン!


再び出発です。

フェリーを下りて、100キロほど離れたところがkおばちゃんの第一の目的地です。

ポーランドの列車!


2時間弱で到着・・のはずなんですが・・・実は目的地がよく判っていない。

結構有名・・・だとおもっているんですけれども、近くに来ても表示はありません。

ナビ様によるとこのあたり・・のはずなんだけどな・・


といっても、ナビに入力したのは住所ではありません。
googleさまの地図をみて、このあたり?と思われるところを目的地にしたのです。

丁度駐車場があったので、止めて見ました。ここかな・・


でも、様子がどうもおかしい。
奥にあるゲートにみんな(といってもパラパラとやってくるだけですど)吸い込まれている。
で、念のためにkおばちゃんもそちらに行って見ました。

どうも様子がおかしい。
守衛さんがたっいて、入り口の脇にカードのCDがある。なんだろう??
後でわかったのですが・・ここは発電所でした。
入り口わきの人にkおばちゃんがプリントアウトしてきた地図を見せると、kおばちゃんが今来た方向を指します。

うーーん。わからん・・
この辺りのはず・・なんだけどな。
とりあえず、道端に車を止めて考えました。うーーん。ここまで来てあきらめるか???

なんてちょっと弱気になったときに、目の前にタクシーが止まり、一人の若い女性が下りてきました。
さっきの発電所はオッサンばっかりだったけど・・若い女性なら外国語がわかるかも!!と、あたって砕けることにしました。

彼女は買い物をして家に戻ってきたところのようで、英語は少ししかわからなかったけどkおばちゃんの目的地は知っている・・ということで、荷物を家においたら入り口に続く道を案内してくれる・・ということでした。

あーーー!良かった!地獄に仏?というのは少々オーバーですが気分的にはそんな感じでした。

彼女によると、この小道を入り込むとのこと。


目標物は・・このよ横縞の建物かな・・左の道を進みます。


道沿いにゆくと・・オブジェのようなものが見えてきました。


オブジェだと思っていたのはパイプラインです。


パイプラインをくぐって中にはいります。

こんなところに本当にあるのかしら・・と疑心暗鬼で歩いていると、あ、やっぱりここで良いみたいです。


案内板がありました。
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ヴァイキング文化?(ボリン)

2016-08-23 19:30:35 | ポーランド
今日は曇天なのに虫暑い。
お昼過ぎにお使いにでかけたのだけれども・・・帰り道についつい入り込むコンビニ。
冷たいものに手を出してしまうのよね。困ったものです。


○2015年8月5日(水)

ボリンWolinのバイキング村?Centrum Słowian i Wikingówスラヴ人とヴァイキングのセンターで楽しんだのですが、そろそろ帰らないとね。
手持ちのズロチも殆ど無いし。

高い所というのは正面の門のなかなんですけれども、バイキング村の外を望むと、こちらは駐車場。


こちらが受け付けというかチケットなどを売っている建物です。


この建物の前にも展示があります。


上から見ていてなんだとうな?とおもって近づいて見ました。

一見すると、なんかの作業道具??と思ったのですが・・とんでもないものでした。


所謂、拷問の道具類です。
これは、人型というか棺おけ型というのか・・この中側には針が仕込んであります。


こちらは針のムシロならぬ針のイス。


こちらは鉄枠のなかに人間をいれて、逃げられ無いようにして水没させる・・と言う道具ではないでしょうか。


他にも多々あったのですが、あんまり趣味のよいものではありませんよね。
でも、これらはバイキング独自のモノという気はしません。
なぜならば、他のヨーロッパの場所で見たことがあるからです。

バイキング=粗暴で荒々しくて怖い・・という偏見があるのかな?なんて思ったりして。

そういえば、さっき敷地のなかにあった一種の拷問道具に子供達はニコニコしながら入ってましたけどね。


さて、こんな物だけではなく、ここボリンで発掘されたバイキング時代のモノの展示もあります。


こういう素朴なものには時代を感じますよね。


さらに、こんな端布でしょうか?織りの模様がどこか懐かしいような。


下はオリジナル、上はそのパターンの復元と言ったところでしょうね。


なんだか、北のアイヌのものに似ているような気もするし、南の沖縄のモノにも似ているような気がしたkおばちゃんです。

お土産にレプリカとアクセサリーなんかも売ってました。

あ、ちなみにここの施設の入場料はこんな値段でした。


さて、そろそろ戻らないと。。
でも、その前に今日使ってしまったズロチを補充しておかないとちょっと心配です。
何時になるかは分かりませんが、またポーランドには期待とは思ってます。もしかするとまた車でということになるかもしれませんが、国境を越えてす高速道路になんか入ったら、料金が払えるかどうか不安ですのでね。

ズロチをキャッシング使用と思い、ナビ様にお伺いをたてたのですが、ご案内くださるのは住宅街の変な一角。
うーーん。CDなんか見当たりません。きっと昔の情報なんでしょうね。

あとは、日ごろの感をたよって、とにかく中央・・セントラル・・と言う表示に従って進み、銀行を見つけました。


まだ、営業時間中でもあったのCDの使い方などをお嬢さんが丁寧に教えて下さって、やっとズロチを手にして安心したkおばちゃんです。

この銀行のあるあたりが、ボリンの中心地でちょっとした商店も集まっています。


丁度おもちかえりの出来るピザやさんが斜め前にあったので、さっそく中に入って見ました。


ピザだとなぁーと思っていたら、丁度ケバブでドゥルムというパンケーキを巻いてあるものがあったので、野菜もたっぷり採れるのでそれをお持ち帰りです。
出来上がるのを待っていたら、他のお客さんが興味深そうにkおばちゃんに近寄って着ました。
「どこの国からきたの?」と聞かれたので「日本ですよ」と答えると、「あらまあ、遠くから!ほら、このおばちゃん日本から来たんですって!」と連れていた子供達に説明していたようですが、小学校になるかならないかのようなお年の子供達。「日本」と聞いてもピンとこないようです。そうですよねー。

そんな楽しいプチ交流をしながらでき上がりを待ちました。


さ、真っ直ぐ帰ろう・・と思ったのですが、ついこんなところにフラフラ・・


懐が暖かくなるとダメですね。
ここポーランドでは酒類の販売は厳重ですね。寒いところはアル中になる確率がたかいといいますからね。


帰りのフェリーも乗船待ちの渋滞です。


船が到着しないと列が進みませんのでこんな風景をぼーと眺めます。


やっと乗船です。


行きは料金がかかるかとひやひやしていたんですけどね。


穏やかな流れですね。はオドラ(オーデル)川を再び渡ります。


さて到着。シフィノ ウィシチェ Świnoujścieの地です。


さて、ここからはナビさまのご託宣に従って進みます。行きと違う道です。


行きの道にあれほどいた、観光客はひとりもみあたらず、行きかう車もまばらです。


それでも、税関の後なんかあるので、昔からの道なんでしょうね。

そうそう、持ってくるのを忘れて、さっきのポーランドのスーパーでも捜して見つからなかったものを入手しようと、心当たりのあるウゼドムのスーパーに向います。

その手前に、前に来た時もありましたが、今年もサーカスが小屋をかけています。


何時見て見たいな・・と思いながら通過です。

捜したいたモノはやっとありました。捜していたのはこれ!


ワインオープナーです。あ、これじゃなくてもいいんですけれど、とにかくワインを開けるものが欲しかったんです。やっと見つけて一安心です。
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最後のズロチ(ボリン)

2016-08-22 17:32:40 | ポーランド
今日は一日中大雨。と強風・・台風だからしかたがないね。
電車もあっちこち止まっているとか。

土日はおかげさまで休養を十分した・・つもり。
なんせ、脱国から帰ってきたのが月曜日。で、火曜日からギョームをしていたのだけれども。。お昼過ぎに何度寝落しそうになったことか。

世間様がお休みなので電話が鳴るのが少ないのもあるのだけれども、脳波停止しかけてる感じ。
夜一生懸命寝てはいるのだけれども、根本的に疲れが取れてないなとは思っていた。
目覚ましも掛けずに寝たら・・ああ、コンナ時間・・と思ったのもあるけれども、食事の後にもたっぷり2度寝。
幸せでございました。


○2015年8月5日(水)

ボリンWolinのバイキング村?Centrum Słowian i Wikingówスラヴ人とヴァイキングのセンターでの見物は続きます。

ちょっと向こうに現実社会もかいまみえます。


ここでは、丁度ワークショップのようなものもあちらこちらでやっていました。

おそろいの帽子・・団体さんですかね。


こちらは、羊毛からフエルトを造っているところだったともいます。


小屋のような建物が沢山ありますが、その中もそれぞれ生活の香りがするようにくふうされていています。


犬が寝そべってたり


食卓の風景


こちらは男どもが何か製作中


このヴァイキング村があるのは、中洲のようなところ。


対岸は、この町の中心地でしょうね。塔がみえます。

そして川のヘリには当時のモノを再現したと思われる船も係留されています。


なんだか小屋をみると登呂遺跡を思い出してしまうkおばちゃんなんですけど。


藁葺きの小屋だけではなく、ちゃんとした?小屋もありますね。


正面に見えるのは入り口の門ですが、その左側の建物、なんだか人が出入りしています。

当時を再現しているのは建物や人間だけでなく、動物も・・


羊も自由にウロウロしてます。


そうそう、さっきの人の出入りが合った建物は食堂?のようなもので、食べ物を売っています。
値段を眺めると・・なんだかkおばちゃんの手持ちのズロチで買えそう!


Podpłomyk(パン)、kielbasa(ソーセージ)と言う意味らしいのですが、この時は知りませんでした。タダみんな頼んでいるのを同じようにという自主性のなさです。

それにパンだったら一番安いのでね。

手持ちは10ズロチzlotyだけ。多聞250円位でしょうか?


消費税が外税でも大丈夫・・なんちゃってね。

古式ゆかしくつくってらっしゃるようで、手でこねて延ばして焼きます。


お客さんに大人気なようで、次から次に売れてしまって、しばし出来上がり待ち!


とかいいながら、何故か完成品の画像が無い・・・
勢いあまって直ぐ食べちゃったんでしょうね。

こちらはお高い?kielbasa(ソーセージ)ですね。


これは、どこでも屋台で見かけるやつ・・ですね。

ここは野外の作業小屋の再現のようです。


あと、このような・・・チャンバラごっこの場所も。


男どもは大人も子どもも熱心に戦いにふけっておりました。

こちらのコーナーはちびっ子に大人気!


ヴァイキングの文字のようです。


この文字で自分の名前を書いてもらおう・・ということでしょう。


ここは神様を祭っていると言うのか、祭事を行う場所のようです。


ちょっと高くなった塀の周りから眺めてみました。


なんだかとっても楽しい体験をした気分です。
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ヴァイキングの隠れ家(ボリン)

2016-08-19 19:50:27 | ポーランド
なんだかんだで、8月も半分以上過ぎてしまってあせってます。

年々体力の衰えは実感。
今年もちょっくら脱国してきましたが、帰ってからの妙な睡魔との闘いがきついです。
ああ、昔はこんなことなかったのに・・
時差ぼけにしては変な時間に睡魔がおそってくるのであります。

とっとと書いておかないと忘れますね。確実に。

ということで去年の旅の続きであります。


○2015年8月5日(水)

ポーランドに入ってからフェリーにのって川?を渡りフェリーを降りてからは約30分位の場所なんですが・・そういえば途中でガソリンを入れたかな?
なんせポーランドの方が安いんじゃないかとおもっていたからね。

幹線道路を抜けて・・ナビさまのお導きにしたがいます。


ただ、このお導きは、kおばちゃんが適当に入力しているので(住所もわかっていなかったし)本当に辿り着けるのか、はたまたそんな場所が本当にあるのか・・も疑問でしたが・・なんとなく正しい!と思われる建物が現れました。

kおばちゃんが到着したのはボリンWolinという町です。ボリンと発音するのかどうかも・・わかりませんけどね。
で、なんでこんなところにやって来たのか・・それはここにヴァイキング村があるらしいからです。
kおばちゃんの趣味はgoogleさまの地図やサテライトを眺めることですが、それに付随する画像を眺めるもの好きなのです。

で、今回の旅の計画をしている時に、偶然目にしたのは・・ヴァイキンヴカッコウをした人物?が移ってるものです。
で、色々と検索をしたら、どうもここボリンはヴァイキングと関係があるような・・そして先週ヴァイキング祭りをしたばかりだということがわかってきました。

先週だから、まだ祭りの残骸で残ってるんじゃないか・・と淡い期待をだいてやってきたのですが・・なんだかそんな建物が見えてきたのです。

やっばりバイキング村がありました。Centrum Słowian i Wikingówスラヴ人とヴァイキングのセンター
脇に駐車場があったので車を止めて・・センターと思しき建物に入りました。
この時点でkおばちゃん不安でいっぱいです。だってポーランドのお金を殆ど持っていないんですから。
入場券が必要だったら堂なのかな?クレジット出来るのか心配になったのです。
窓口で尋ねると、ユーロ現金払いもOKとのこと。ああよかった。

全体はコンナ感じでのようです。


なんだかこの地図をみて日本の登呂遺跡を思い出してしまいました。なんでだろう??

あちらが入り口のようです。


こちらが入場券です。


こちらの女性がチケットもぎり嬢。


カメラを向けて画像をとってもいいか時いたらメガネをはずしました。
ま、ヴァイキングの時代にはメガネはないかもね。

中に入ると・・色々な建物があります。


なにか作業をする小屋でしょうかね。


一つ一つはそれほど大きくありません。




が、当時の生活が再現されている感じです。


外側にもね。


ポーランドにヴァイキング??とお思いでしょうけど、バルト海に面しているこの地域。
さっきkおばちゃんが渡った川のように、内陸部に水路がひらけており、ここなどは、丁度バルト海からすると島の裏側に当たる部分。
ヴァイキングにとっては丁度良い隠れ家的な場所なんでしょう。

実際1000年頃に、ここボリンにヴァイキングは入植していたようです。

この地域は川の中洲にあたるようなぶぶんなのですが、一般社会との境目はこのような囲いがあります。


建物の前に、なんだか衣装を着た人達がいました。


カメラを向けて撮ってもいいかときいたら・・


あわててポーズをとってくれました。

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フェリーに乗ります(シフィノ ウィシチェ)

2016-08-04 18:05:21 | ポーランド
暑い夏になってしまった8月。
ま、暑くないと困るんですけどね。

そういえば、熊本の雨が7月は散々報道されていて、今年は多いのかと思ったら、地元の人に言わせると少ないとのこと。
そういえば、地震の前は熊本のお天気なんか全国放送でやってなかったから、実体は知らなかったのねと思ったりした。

思い込みはよくありませんね。

そうそう、明日からまたちょっと足を伸ばしてきますので・・しばらく書き込めないかな。
まったく牛歩の旅の記録です。



●2015年8月5日(水)

夕べはコンサートの後は真っ直ぐ帰って、就寝でした。
今朝は・・最初は朝食を食べない予約だったのですが、チェックインのだんかいでメンドウになってお願いしてしまいましたので、しっかり頂きました。
ドイツの朝ごはんをしっかり食べると夕方までお腹が空かなかったりするのですよね。

そうそう、今回の旅で初めて連泊です。荷物をまとめなくて良いから楽チン。

で、今日はどうしようかな。。と考えたのですが、お天気は今ひとつの予報。
ここウゼドム島での過ごし方はやっぱり『海』がメインなんですけどね。お天気悪いんじゃ・・と足もあることだし、遠出をすることにしました。

行き先は・・隣の国、ポーランドです。
ウゼドム島は国境があります。で、その向こうはポーランドのシフィノ ウィシチェ Świnoujścieという町になります。

以前2011年の8月に訪問した時も向ったのですが、そのときは苦い?思い出が会ったので今回はリベンジの意味もあります。

まづは国境に向います。


ちょっと渋滞していますね。

で、ふと前の車をみると・・屋根の上に『TAXI』の文字が・・


しかもポーランドナンバーです。
ここはまだ、ドイツです。ということは、ポーランドからお客を乗せてドイツまでやってきたということでしょうね。

確かに、物凄く近くなんですが、鉄道網がドイツ国内の方が便利なのでしょう。
Ahlbeck Bahnhofまでだったらすぐそこ・・ですからね。

で、ポーランドの方が物価が安い!だから宿泊費も安く済む!ということでしょうから、あちらで過ごしたほうが経済的なわけですよね。

でも、タクシーが国境を越えてやってくるとは思いませんでした。

このアタリがドイツの端っこになります。


ここから先は緩衝地帯。
でも、国境は開いたままですからね。

ポーランド領に入りました。


ポーランドの交通ルールがいろいろと書いてアリマス。


実は、kおばちゃんのお宿から次ぎの目的地に行くにはこちらの道じゃないほうは早いのですが、実はポーランの現金をほんの少ししかもってないので、この先のことを考えると少しキャッシングをして置いたほうがよいとおもい、わざわざ繁華街?というか中心地の方を目指したのですが・・銀行が探し当てられませんでした。

しょうがないのでわずかの現金でしのごう・・ということで目的地に向うルートに修正しました。

こちらも渋滞中。ここに並ぶしかないのかな。


実はここシフィノ ウィシチェ Świnoujścieはオドラ(オーデル)川の河口にあります。


町をこの川が2分しているのですが、橋がかかっていません。
向こう岸に渡るにはフェリーを利用しなきゃいけないのです。
前回の旅行の時は地元民しか利用できないフェリーしか無いのかと思って、向こう側に渡るのをあきらめたのですが、もう一つフェリーがあることを後で知りました。

で、フェリーに乗ろうと順番待ちしていたのです。

で、ここで心配だったのはフェリーの料金。
有料なのか無料なのか・・はたまた有料だったらイクラなのか・・kおばちゃんの手持ちでまにあうのか。。とドキドキしながら待ちます。

ようやくkおばちゃん達の番になったようで、次ぎの船に乗ります。



さっきの道路のレーンで、乗用車はなんとなく右に一列に並んでるな。。トラックは並んでないし、左のレーンをさっさと行っちゃうなとおもってたら、列が違ったのですね。

無事格納されました・・が・・


料金の徴収はありませんでした。

つまり・・タダ!ということですね。

かなり川幅が広いですよね。ここに橋をかけるのは大変かも。


ところで・・kおばちゃんとっては大問題が発生!


な、なんと先頭車両になってしまったのです。
どうやって降りれば良いんだ?どっちへ行けば良いんだ???

車はどんどん格納されて行きます。
さっきの、営業車たちは優先乗船?のようで、ある程度乗り込んだら、営業車を乗せて、その空いたスペースにまた乗用車を詰め込んで行く・・ということのようです。


生活の知恵といったところですかね。


さて、出航!


でものんびりはしてられませんね。

先頭車両になっちゃったので、スタンバッテないとね。


しかも、向こう岸に着いたら、kおばちゃん側が一番最初に開いちゃった!


こりゃ大変!

でも、なんとかなりました。

あとは目的地までナビ様に従って・・真っ直ぐ進みます。
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さよならポーランド・・再び

2014-05-14 19:00:46 | ポーランド
昨日はとある集まりにピンチヒッターで・・
色々と考えさせられた。

政治はお金をかけちゃいけない・・と言われるけれども、実際にはお金がかかる。
何故お金がかかるか・・・それは、日本では選挙活動がボランティアじゃなくてプロの手にかかっているからだと思うのよね。

宣伝カーで手を降る、名前を連呼する・・これをしなくなれば良いかと言うとそうでも無いと思う。

選挙民にいかに認識してもらえるかが問題なんでしょうね。
TVに取り上げてもらえば・・というイメージ作戦も重要なこと。
それにはお金をばら撒くか、悪いニュースでもよいから取り上げてもらえるか・・

知名度がなければ選挙に勝てない。
知らない人に投票しない。自分から政治に興味をもって、政策を分析して・・なんて考えがないし、めんどくさいと思っている選挙民が多いのが問題なんだろうなって思った。

要は、選挙にお金がかかるのは・・・選挙民が悪いんだってこと。

お金のかからない選挙にするには、私達が考えを変えないとダメって事でしょうね。

なんとなーーく考えちゃった昨日でした。

○10月9日(水)

ゲルリッツGörlitzの観光を終えてズゴジェレツZgorzelecのお宿に再び戻ったkおばちゃん。
荷物はもうフォード君に積んであるので、出発すればよいだけなのですが・・
これから向うところは、さっきの観光で立ち寄ったインフォメーションに置いてあったパンフレットを見て決めたところだから、ナビさまに目的地を入力しなければいけないのです。

で、それをゴソゴソしていたら・・お隣の車も運転手が一度戻ってきて、書類を持って・・再び何処かへ消えてしまいました。

そういえば、ここにフォード君を止めるときに、レセプションのお嬢さんに『端っこは家主の文だから止めないでね』と言われたけれど・・・家主とやらは一度もお姿を見ませんでした。

まあ、いいや・・とりあえず出発です。

でも、出発して直ぐに・・あ!っと思って途中停車。

それは・・お土産用のお菓子を入手しようと思っていたのだけれども、スーパーに寄っていないということ思い出したのです。
物価の安いポーランドでお土産を入手しようと思っていたのです。

一軒それらしいところに寄ったのですがどうも違うみたい。

で、ちょっと走ったらここは!と思うところを発見。それがここです。


この天道虫マークは見覚えがアリマス。2012年にŁęknicaウェンクニツァで入ったお店と一緒のマークです。

このアタリは住宅街・・労働者の・・といった雰囲気の場所です。


無事にお土産物などをゲット。ユーロも使えます。ただし、お釣りはズロチです。で、レシートにきちんと載ってます。


再び出発です。

すぐに、目の前に大きなショッピングモールの建物がみえてきました。


どうも、Zgorzelec-Plazaというところのようです。

このアタリは景気が良いのね。安い労働力で仕上げて、ドイツ国内に直ぐ運べる・・といったところでしょうかね。

あとは、ナビさまのご託宣に従って走るだけです。


で、途中でおや???と思ったkおばちゃんです。


だって・・この景色・・見た事がアリマス。



2012-05-15のブログに書いたところです。トゥロー発電所 Elektrownia Turów。

原発かと思っていたのですが・・違ったところです。
直ぐ側の褐炭Lignite、brown coalの炭鉱の鉱石をつかって電力にして入るところだったともいます。

じゃなきゃ・・


こんなに間近にはしっちゃったらねぇ。


直ぐ脇に国境が走っているのですが・・なかなか越えられません。


この橋を渡ったら・・なんて思っても違います。


この橋は、川のような流れも渡りますが、鉄道線路を渡るのが主な目的の橋。つまり下には線路があるようです。


国境沿いにはしるしかありません。


そういえば、以前この発電所に向う道路は大工事中で砂埃もうもうでしたが、現在はあっという間に通過してしまい、あとで思い出したくらいです。

バスにもすれ違いました。


もうすぐ国境・・という場所にさしかかりました。



相変らず、ちょっとした販売所が建っています。


それにガソリンスタンドも。そういえば、ナビさまの指示を間違えて、ガソリンスタンドの構内を通過してしまい、お店の人が唖然としてました。

ごめんなさい。

あの橋を渡れば・・



はい、こんにちはドイツでございます。


心なしか、町並みが落ち着いています。


ツィッタウZittauの街中を走ります。


ひたすらナビさまのご託宣に従って・・到着したのはこのあたり。


丁度駐車場があったので止めて見ました。

たぶん・・このあたりのはずなんだけどな・・
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対岸からの眺め(ズゴジェレツ)

2014-04-21 18:50:07 | ポーランド
土日にやっと一つ、区切りが付いたかな。毎年のコトながら・・反省しきりです。

そのときに言われた言葉『最近何だか皆・・死ぬまでに○×△しておきたい』ってばかり言ってるみたいじゃない?
はあ。その通りでございます。困ったことに。

残りの年数を数えると・・たぶん残るであろうね・・なんだか複雑だよな。
後何年元気に動き回れるか。最近先輩方が口々に言っているのでなんとなくkおばちゃんも口にしはじめたかも。

あと、何回○×できるか・・

考えたってしょうがないんですけどね。

●10月9日(水)

さて、夕べはご機嫌サンでお宿に戻って大人しくお休みしたkおばちゃんです。
ズゴジェレツZgorzelecのお宿は静か・・で誰も泊まっていないのかな・・と思ったらいらっしゃいました。ほかのお客さんも。

朝たまたまTVでみかけた番組では、東洋系の演奏家が・・


ごめんなさい。終わりの方で・・何方かわかりませんでした。
特に木管はわからないや・・


て、ことで朝ごはんです。

こんな感じのブッフェスタイル。

で、今日もガッツリなkおばちゃんです。


今日もモリモリ頂きました。

食事のあとは、荷造りをして・・チェックアウトです。
さっさと・・してしまいました。
でも、そのときにお願いしました。フォード君をお昼まで置かせてください・・て。
もちろんOKしてもらえました。

チェックウとして、フォード君に荷物を載せてしまえば・・気が楽なのでね。

で、あとは徒歩で再び観光に出かけます。

昨日も渡った橋を・・再びドイツ側に渡ります。


振り返って、再びポーランド側のズゴジェレツZgorzelec町並み・・っていっても小奇麗になっているのはこのアタリだけ・・って感じですけどね。

そういえば、こんな看板がたってました。


橋の上から・・昨日の鐘の音が聞こえた教会です。


橋を渡ってドイツ川のゲルリッツGörlitzの町に到着です。徒歩・・1分?こちらが夕べ登った道。


今日は・・・こっちの道を行って見ましょうか?


えっちらおっちら登って、やっと教会に到着です。


聖ペトロとパウロの教区教会Die Pfarrkirche St. Peter und Paulだそうです。

ここを登ってきました。


あれが渡ってきた橋です。ナイセ川Neißeはオーデル川の支流だそうで1298年にはもうこの場所に橋がかかっていたそうです。


しかしながら、1945年5月7日当時敗退して行ったドイツ軍によって爆破され、この橋が2004年に掛けなおされるまで・・町は分断されていたようです。
橋がかかっても、2007年にポーランドがシェンゲン協定に加盟するまでは自由に通行できなかったようですが、今日ではごらんの通りです。

きっと橋のたもとのあのあたりには・・税関でもあったのかしらね。


ポーランド側を臨むと・・なんとなく近代的な建物しか目に入りません。


とりあえず教会の周りを廻って見て・・


入り口は・・あちらね。


そうか・・明日だったらオルガンのコンサートがあったのね。


塔を見上げて・・・後で入りましょ。と思ったkおばちゃんでした。


アッチ見える塔は・・ニコラウスの塔?


歴史を感じさせるけど・・今一・・

こっちの方に行って見ます。
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突然の日本語が・・(ズゴジェレツ)

2014-04-18 18:10:12 | ポーランド
今日は一転、肌寒い。
せっかく直りかけている風邪がぶり返しそうで怖いです。

明日からの週末は・・またお忙しのスケジュールを入れてしまったkおばちゃん。
あーゆっくり寝るのはゴールデンウイークか?

○10月8日(火)

ドイツ側のゲルリッツGorlitzから再びポーランド側のズゴジェレツZgorzelecに戻ってきたkおばちゃん。
橋の上から眺めたあのあたりに・・向って見ることにしました。


こちらポーランド側のズゴジェレツの町は、どもう観光名所がないのか町全体が暗いのです。
唯一明かりが点っていたのはあのあたしかわからなかったのです。

明かりの正体は・・やはり飲食店でした。数件が軒を連ねている・・というか営業しているようでどれにしようか・・と迷った上?一つのお店に入る事にしました。

しかし・・平日の夜だと言うのに結構満席です。あらら・・

kおばちゃんのすがるような・・『一人なんですけど・・』という問に、ウエイトレスのお嬢さんは『ここで良かったら・・』とカウンターの席を勧められました。

はいはい、ここで結構でございますよ。お一人様ですから・・とOKをすぐにしたkおばちゃんです。

ホントに狭いところなんですけど・・何処でも良いです。まずはビールで喉を潤わせます。


あー人心地つきました。

あ、ちなみにビールのメニューはこんな感じです。


こんな狭いところですけど、kおばちゃんには天国です。


ただし・・レジがまるみえです。


ビールもこのカウンターの中で注ぎますが・・バーテンダーが常駐している訳ではありません。


さて、喉も潤ったところで・・kおばちゃんにとってのメインです。


本来はスターターのサラダですが、こちらのサラダは量が多いし、動物性のたんぱく質もたっぷりはいっていたりするのでkおばちゃんは勝手にメインにしてしまってます。

で、このお料理は・・ポーランドの農家の?チーズを焼いたサラダです。


ビネガーとオリーブオイル塩コショウで頂きました。

で、食事をしている最中です。突然、背後から日本語の会話が聞こえてきました。
え?????こんなところで日本語・・とびっくりして振り向くと・・日本人ビジネスマンが2人入って着ました。
そう、スーツ姿のビジネスマンです。で、ご一緒なのは地元の方でしょうか?男性ですが、この方はスーツを着てらっしゃらなくて、いわゆるジャンパーというか作業上着を着てらっしゃいました。
あ、ビジネスディナーなのでしょうね。

彼らは当然予約したあったようで・・上の階へと案内されてさって行きました。

kおばちゃんは・・ただ通りすがりに彼らの姿を見ただけなのですが・・こんなポーランドの端っこ、というかドイツの端っこで日本語が聞こえきたのでびっくりです。

このあたりに取引のある日本企業があるのでしょうかね?
ま、もっともこの国境沿いの地の利いかして工場が合っても可笑しくはありません。
そう、安いポーランドの労働力をつかってドイツの技術で生産を行うメーカーとかね。

彼らはkおばちゃんのことは認識していなかったと思いますが、あらまあ、こんなところでも頑張ってるのね。日本は!とちょぴり嬉しくなったのでした。

さて、本来のメインはすっ飛ばして・・お次ははずせないデザートです。

これを頂いたのですが・・なんだったかな?


さっぱり思い出せないのですが・・別の画像をみると・


チョコレートアイスのラズベリークリーム掛けみたいにみえなくもありませんね。

いずれにしても美味しかったから覚えていないんだと思います。
カードで支払って・・お店を去りました。

外から眺めるとこんな感じのお店でした。


はい、ごちそうさまでした。
お宿は直ぐ裏です。


そうそう、備忘録です。
Restauracja Kawiarnia miódmaliny
Przedmieście Nyskie
ul. Daszyńskiego 17


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ゲルリッツをお散歩(ズゴジェレツ)

2014-04-17 17:50:47 | ポーランド
今日は久しぶりに連絡のあった知人とのお昼ごはん。
この知人は・・・財産争いでいまやっきになってる。もてるものは大変ね。

4月に入って初めてのランチで気が付いたのは・・値段は据え置きなんだけど、ランチセットのスープがなくなった。
あらら・・あれが8%分だったのでしょうか?

それにしても、小売店はちゃっかり5%の値上げのような気がする。
だって、本体価格が消費税5%の時の税込み価格ってどうよ。

まったくねえ。調子良いんだから・・と一人でぶつぶつのkおばちゃんです。


○10月8日(火)

さて、ズゴジェレツZgorzelecのお宿に辿り着いたものの・・・ここはレストランなんかついていません。
所謂『ペンション』ですから。

ということで夕食をとりに出かける・・・・ついでにお散歩をして見ようと思ったkおばちゃんです。

で、ついでにドイツ側のゲルリッツGorlitzに足を伸ばして見ようと思いました。
ゲルリッツに行くには川を渡らなければなりません。

丁度・・というか・・それを確認してこのお宿にしたんですけどね・・直ぐ側に橋がかかっています。


橋の上から川を臨んで見ました。
この川はオーデル川。ポーランドではOdraオドラ川です。

以前これより下流のシュチェチン Szczecinに行ったときに観光船でクルーズした事はあります。
あ、いけない。そのときの事はまだ記録してなかった・・・2012年のことでした。
シュチェチンでは物凄く大きな川になっていましたが、その前の年の8月にウェンクニツァŁęknicaで渡ったのはこれとあんまりかわらなかったかな?

そうそう、今回なんでズゴジェレツになんかお宿をとったかというと・・あのときのウェンクニツァで味をしめたのでした。
国境の町ではドイツ側よりもポーランド側の方が物価が安いのでお得ということを。ちゃっかりもののkおばちゃんですからね。

橋の上からポーランド側を撮って見ました。こちらはやっぱりタバコが安いのでしょうか?渡って直ぐのところにはタバコ屋が目立ちます。



ポーランド側の端の袂にはこのよう塔がありました。


渡りきってドイツのゲルリッツに入りました。こんな道しるべが・・


そうそう、さっきも書いたウェンクニツァに泊まったときは目的地は右側の Bad Muskauが目的地だったんですよね。
ここから65キロだそうです。

右側をゆくと・・さっき鐘の音が聞こえた聖ペトロとパウロの教区教会Die Pfarrkirche St. Peter und Paulがあります。


夜に教会にいってもね・・下から拝むだけにして


さっき渡った橋です。歩行者専用。あ、自転車は通ってました。


あちらがポーランド側です。


教会と反対側の右の・・真中の道を登って見ます。川沿いにはめぼしいものがみあたらなからです。


陶器を扱うお店でしょうか?すてきな感じです。




登りながら振り返ると・・ビールセラーでしょうか?


Zur Schwarzen Kunstツア・シュヴァルツェン・クンスト等は楽しげな声が聞こえてきますが・・お一人様には無理かな?

もう少し登って見ます。


こんなセラーも楽しそうなんですけれどね。


坂を上りきると塔が見えてきました。


どうやら旧市庁舎広場のようです。


さっきのお店の雰囲気とは違って・・閑散。です。


その先も道は続いているようですが・・辞めておきましょう。迷ったら帰れなくなってしまう。


ポーランド側のあのあたり・・なにかありそうですね。
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鐘の音は国境を越えて(ズゴジェレツ)

2014-04-16 18:20:04 | ポーランド
良い陽気になっては来たのだが・・昨日、職場での会話で我が庭に生息しているヒメシャガが欲しいという方がいたので今日は持参。
今日の電車はそれほど混んではいなかったけどね。

で、そこでまたやらかしてしまった。
庭をうろついた分、朝時間が遅くなってしまい駅に着いたときについ駆け込みをしてしまったのだが・・そこでまた肉離れ・・
あーあ、やっちゃったよ!ですね。

あれほど自重しなきゃと思っていたのに、喉もと過ぎれば難とやらですね。
しばらくは大人しくしてないと・・

でも、ヒメシャガは無事にお嫁にゆきました。

○10月8日(火)

陶器のお買い物もして、ようやくボレスワヴィエツBolesławiecの町を後にしたkおばちゃんです。

向ったのは今晩のお宿のある町です。
ここ、ボレスワヴィエツBolesławiecに宿泊することも考えたのですが、町が小さいのでさほど観光に時間がかからないだろう・・ということで、別の場所を選びました。

約50キロの移動です。1時間もあれば大丈夫かな?
なんせ、ナビさまを買い換えたので、一発で大丈夫です。

ただし・・最終的にはここ??と思うような場所にありました。

外観からはあまりお宿だということがわからない感じでしたが・・無事到着です。
お宿は坂の途中のような場所に建っていました。で、お玄関が日本で言う2階。そこからさらに階段を上がったところがkおばちゃんのお部屋でした。

お部屋は、あらまあ、紫色の可愛いインテリア。


テーブルにはキャンドルも置いてあります。


窓からの外を眺めると・・あ、あそこを通ってきたのよね。


だんだん暗くなってきちゃった。とりあえず明るいうちに到着できて良かった!


なんて思ってたら、外から教会の鐘の音が響いてきました。6時の鐘のようです。

何処から聞こえてくるのかな??と窓の外をみると・・


あ、あの教会かな??

あれは・・・そう、国境の向こうの教会のようです。
今日のkおばちゃんの宿泊場所はズゴジェレツZgorzelecというポーランドの町です。
この町は実は1945年までは隣の町一緒の一つの町だったそうです。そしてその名前はゲルリッツと言いました。
ゲルリッツは、大戦以降切り離され、別の国家の町になってしまいました。

ゲルリッツGörlitzは現在はザクセン州のドイツの町です。

以前の町の殆どの部分・・特に文化的な部分はドイツに属しているようです。

だから聞こえてきた鐘もドイツ側のゲルリッツの町にある教会の鐘の音でした。


あちらの教会です。聖ペトロとパウロの教区教会Die Pfarrkirche St. Peter und Paulだと思います。

そろそろ日没。あちらの方向が西ですね。


そして、ドイツ領です。

さて、真っ暗になる前に・・ちょっと散歩に出かけましょうかね。
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陶器の町(ボレスワヴィエツ)

2014-04-15 18:30:10 | ポーランド
やっと、風邪も良くなって来たかな?
いつもの先生曰く、『寝るのが一番の薬なんだけどね・・・』
はい、判っちゃいるけなかなかね。

今週末には大事な御用があるので、それまでには何とかしなきゃとよけいあせるのでありました。

ようやく気分的にも春めいてきたkおばちゃんです。

○10月8日(火)

ボレスワヴィエツBolesławiecの町散策を終えて、フォード君の所に戻ってきたkおばちゃんですが・・あれ??


気になるモノを発見しました。

実は、この町ボレスワヴィエツはあるもので非常に有名な町です。
最近は日本でもブームになって来ているとか。

それは、『陶器』です。
以前から知ってはいたのですが、昨年はこの町を通過した時に、幹線道路沿いにお店を数件見かけていました。
なんでも、わざわざこの町に陶器の買い付けにくる日本女子も少なくないと聞きます。

粗忽物のkおばちゃん。陶器なんぞはもちろん消耗品でこだわりもなんにもないのですが・・それでも一応覗いてみようかという気にはなっていました。
まあ、町に寄らないで通過してしまって、ちょっともったいなかったかな・・と思ったのも訪問の動機でもありました。

で、陶器を見ようと思っていたのですが、さっき向った陶器博物館は・・・改装中。
お店でもと思って、町中にそれらしいものはありませんでした。
まあ、昨年通過した幹線沿いにめぼしはつけてはいたのですが、駐車したフォード君のフロントガラス越しにみえたのは・・紛れもなく陶器のお店でした。

一旦乗りこんだのですが、まだ駐車時間もあるので・・ということで建物の中に入って見る事にしました。

中に入ると、こんな熊がお出迎えです。


残念ながらお店の画像は撮りませんでしたが、ちょっとしたギャラリーショップのようになっていました。

ここボレスワヴィエツの町は、その昔から陶器作りで有名だったようです。
もともとこのあたたりは陶器作りに適した土があったようで、14世紀初頭にはこのシレジア地方で陶器作りがなされていたと言う記録はあるそうです。
このあたりシレジア地方は現在ではポーランドに属していますが、歴史の狭間でドイツになったりしている地域、だから、このアタリの焼き物はまたドイツでもBunzlauerと呼ばれ、このボレスワヴィエツからの移植者たたちによって続いているとか・・

高温で焼かれているためか、耐熱性に優れ台所用品として重宝されており、第2次大戦後は重要な町の産物になって、全世界に出回っているようです。ボレスワビエツ陶器Ceramika bolesławiecka(Boleslawiec Pottery)と言って、特にアメリカ方面で有名なのでしょうか?
最近では日本でもその偽物・・いえポーランド陶器風というのが売られているとかいないとか・・位のブームだそうです。

で、そんなものの一つか二つは買って帰っても良いかな・・程度の目論見で出かけてきたのでありました。この町に。

kおばちゃんのはいったこのギャラリーのようなお店は、ボレスワヴィエツの複数の工房の品をあつかっているようで・・色々なデザインパターンのものがありましが、値段が安いのやら高いのやらわからないのでとりあえず見るだけーにしてしまいました。

後で考えて見たら、ここも中々良かったと思います。お値段も特別安くはありませんが高くもなかった気がします。

次にkおばちゃんが向ったのは・・昨年見かけた地域です。
幹線道路沿い・・といってもね、大した道路ではないのですが、297号という道沿いにみかけたのでした。


夕方5時近かったので大急ぎです。
ここの工場の直営ショップでしょうか・・こちらも魅力がありますが後回しです。


この工場ceramika artystyczna社は比較的大きな物ではないでしょうか?さっきのギャラリーにはもう少し小さな工場の案内がおいてありました。

そしてこの工場の向い側にはいくつか売店が軒を連ねています。


こちらをまず覗いて見ました。


詳しい事は判りませんが、柄のデザインも違いますし、形そのものもお店によって微妙に違っていました。
窯元が違うのかどうか・・は聞きませんでした。

この中でちょっと気に行ったものがあったのでお買い上げのkおばちゃんです。

平日だし、閉店間際なので訪れるお客さんも極わずか・・の一人がkおばちゃんです。


ざっくり見て、再びこちらの工場敷地内にあったお店に戻りました。


こちらでお土産代わりのエッグスタンドを購入・・したのはいいけど、そう言えばまだ誰にも渡してないや・・

陶器の場合はどうやって持ち帰るかが問題ですよね。
もちろんkおばちゃんは送るつもりはありませんので、預け入れ荷物で持ち帰るつもりです。
ですので、お店で箱をもらってその中にクッション代わりのわら半紙のようなものをクッシャっと丸めた紙を詰めてもらって持ち帰りました。

このクシャっと丸めた紙というのが案外良いクッション剤でした。紙質はわら半紙よりももうちょっと腰がある紙で、これを大まかにクシャとするだけなんですけど、箱の中でちっとも陶器が暴れませんでした。

さて、お買い物も終りました。
一路、今晩のお宿に向いましょう。
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町を守る城壁(ボレスワヴィエツ)

2014-04-09 20:45:41 | ポーランド
今日もバタバタと一日。いやになってします。
明日が一つの山場なので・・なんとかなりますように。

ここのところ殆ど買い物に行っていないのでなんなのですが、消費税増税で本体価格の標示がされるようになったのは良いんですが、ちょっと文字が大きく無いですか?税込価格より。
なんだか騙されているような気になっているkおばちゃん

だってね、消費者としては自分のお財布から幾ら出ていくかが問題であって・・本体価格が知りたい訳じゃ無いですからね。
販売側の『値上げじゃありません。税金分だけ叩くなりした・』って言い訳しか聞こえて粉息が致します。

○10月8日(火)

聖母マリアと聖ニコラスの昇天教会Kościół pw Wniebowzięcia NMP i św Mikołajaをぐるりだけ眺めておしまいにしてしまったkおばちゃん。ボレスワヴィエツBolesławiecの町をまだうろつきます。

そういえば、この教会の裏にあったこの建物、とっても興味をひきました。


いえ、何が・・と言われるとこまるのですが、この窓の形です。旧東独やチェコでもみかけたのですが・・この窓の形が気になります。


なんだか人の瞼の下にある瞳みたいじゃありませんか?三つ目のお家といったところかしらね。
いつもこのタイプの家を見るたびに思います。

暗くならないうちにもう少し徘徊しないとね。


再びここへ戻ってきました。さてどういしょうか・・


ふと、矢印看板の右側に立っている標示が気になりました。


ちょいと読みにくいかな。通りの名前の下にしろ地の看板がアリ、名称がかいてあります。
『 Muzeum Ceramiki陶器博物館』ですって。

そう、このボレスワヴィエツの町は陶器で有名なんですよね。


こんな看板もあり、期待がふくらいみます。


ところがです・・あら、 Muzeum Ceramiki陶器博物館は工事中。


全面工事中と行ったところでしょうか・


入り口の脇にこんなものが置いてあるので、まあ、場所は町がいなさそうですが・・残念でした。


しかたがない・・・そういえば、こんな地図があったから・・この町をぐるりと囲んでいた・・であろう城壁の一部かこの近くあるようです。


そこへいってみようかしらね。


この左側の石の壁が・・昔の城壁ですね。


お城を守る・・というよりは町を守る壁のようです。
ボレスワヴィエツはの市民は1241年のモンゴルによるポーランドの侵攻のレグニツァの戦いBitwa pod Legnicąに参加したそうです。

そのときから町の城壁は形を取り始めた、1251には完成したようです。その後、1316年には敵対的侵入から町民を守るようにするために、より良い、新たな壁が街を構築したそうです。モンゴル帝国軍の東欧侵攻ですね。

こんな堅牢な城壁をつくっても・・結果的にモンゴル軍は勝ってしまったのですよね。


ちなみに、このレグニツァの戦いBitwa pod Legnicąはドイツ語では「ワールシュタットの戦いSchlacht bei Wahlstatt」と呼ばれることもあるそうで、この Wahlstattは死体の山を意味する言葉だとか・・
それほど残忍で悲惨な戦いだったのでしょうね。

モンゴル軍の脅威から町を守る為につくられた城壁、今は平和な風景の中に溶け込んでます。


こんな感じでね。


現在も利用されているところもすごいですけどね。


さて、フォード君の待っているところの直ぐ側まで出てきてしまいました。


この向い側に人の出入のけっこうある建物があったので入って見ましが・・ショッピングセンターでした。
Galerii Bolesławiec City Centerです。
こちらでおトイレをお借りして・・フォード君のところに戻りましょうかね。
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歴史を感じる教会(ボレスワヴィエツ)

2014-04-08 19:15:29 | ポーランド
今日もティッシュの手放せない一日。
花粉症じゃないのが悲しいね。

そういえば、そろそろXPのサポートがお終いだとか。さて。いつまで使えるかな・・
そんなに重要なものは入っていないんですけどね。それに一応セキュリティサービスには入ってるけど・・

数日前と今日、電源をいれたら、サポート終了のお知らせが画面にでました。
まあ、これで管理されちゃってるっていうことね。

さて、明日はどうなるのかな??


○10月8日(火)

お昼を沢山いただいて、ご機嫌のkおばちゃんです。
さて、お次は・・まだ駐車時間がたっぷり残っていますのでこの、ボレスワヴィエツBolesławiecの町をもう少し散策して見ましょう。

まず目指したのは、さっきの市庁舎・・と同じように高い塔のあった建物です。


こちらです。ちょっと小高い丘?の上に建っていると言う感じです。

市庁舎の方向からだとこんな門をくぐります。


聖母マリアと聖ニコラスの昇天教会Kościół pw Wniebowzięcia NMP i św Mikołajaというようです。

大変由緒正しき歴史のある教会のようです。
13世紀の半ばには現在の教区に存在してたそうですが、フス戦争の時に焼失してしまったとか。
その後再建されて18世紀の半ばまで度々リノベートされたようです。1642年の火災の後はバロック形式で再建され・・リノベートされて現在に至っているのでしょうか?

第2次大戦の戦火にもあっていないようですね。

入り口には2人の聖者がお出迎え。




この入り口をkおばちゃんはくぐりませんでした。


ただぐるりを廻って見ました。


この町の名所のようで、内部の写真が載っています。


こちらが、通常の入り口かな?


礼拝の予定などが書かれていました。


お堂の脇の壁には日時計がありました。


これは割りと新しく、1907年からの物のようです。


なんとなく・・他に人がいないとドアーを開けて見学する元気が出て着ませんでした。


さて、再び町の探検に戻りましょう。
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民芸レストランで一休み(ボレスワヴィエツ)

2014-04-07 19:20:31 | ポーランド
この土日もお忙しいのkおばちゃん。
でも、しっかりお花見もしました。

恒例の、友人宅にて。桜の名所のすぐ近所なんだけれども、いつも花見と称して集まってはいたけれど、ちゃんとお花をみたことはなかったのですが、今回は途中休憩で花見散歩もしてきました。

楽しい宴会でした。


○10月8日(火)

ボレスワヴィエツBolesławiecの中心部を少し散策したkおばちゃん。
そろそろお腹がすいてきました。だって・・2時を過ぎていますから。

市庁舎前広場にはレストランがあります。
どこかで食事を、でもな・・と思っていたら、さっき看板を撮ったお店がきになりました。

ニワトリの看板がかかげてあるのですが・・


レストランと読める文字は掲げてません。何や屋さん?

覗いて見ると、食堂のようです。あ、こっちの方がいいかも・・と入り込みます。

しかし・・オーダーの仕方がわからない・・というかテーブルについても注文をとりに着ません。
どうも観察していると、セルフオーダーのようです。パブと一緒!

とりあえずは・・コーラを頼んで様子をみます。本当はビールが飲みたいのですがフォード君のため我慢です。

お客さんは・・地元っこと言う感じの人ばかり。若者も多いですが、年配者もいます。


内装が・・ちょっと民族的かな?


メニューはどうやら紙にはなっていないようです。
窓際の壁ににはり張り出してある物のみです。しかも・・・ポーランド語。ありゃ・・困った。


困ってボーぜんとメニュー票を眺めていたら・・ご親切な女性客が『お困りですか?』と声をかけてくださいました。
さっそくすがるkおばちゃん。

メニューの内容を教えてもらいます。

で、彼女のお勧めは『七面鳥料理』まあ、看板もそうでしたからね。

まずは。ジュレック Żurekと呼ばれるポーランド版味噌汁。味噌は入っていませんけどね。家庭の味だそうです。



ライ麦を発酵させたもでちょっと酸っぱいです。5月29日にもビドゴシュチでいただきましたね。

そしてメインはこちらです。鳥のクリーム煮といったところですかね。


かなりのボリュームです。


付け合わせの野菜が嬉しいです。
大満足です。こういうローカルなモノをローカルなところで食べたかったのですから。

ところで、このお店は・・なんとも言えないこんな感じの内装です。


それもそのはず、このお店の名前はKurna chataといいます。
chataとは、コテージのことだそうです。煙突の無いコテージといったところでしょうか。つまり・・古民家の一種のようです。

もちろん、市庁舎広場に面して建っているので本物の古民家ではありません。古民家風と言った感じですね。民芸レストランといったところでしょう。

画像はとりませんでしたが、ウエイトレスのおじょうさん達は民族衣装を着ていました。

さて、お腹もいっぱいになったし・・そろそろ越を上げましょう。



ちょっと素敵な食堂でした。

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