Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

何とか着いたけれども・・(ヴィソカー・ウ・プジーブラミェ )

2009-10-31 23:59:45 | チェコ
今日はお友達のうちで宴会!
久々に昼間のみしてよっぱらたkおばちゃん。
万聖説がえりのお兄ちゃんにはぐされて・・世の中捨てたもんじゃない・・と思っております。単純だね。

○7月3日(金)

ドボルザークの故郷で・・お宅の気分を味わった後には約110キロの移動です。
時間にしては・・今回は高速にのらないからね。2時間近くかかるのかしら・・
途中でリオ君にお食事させてあげないといけないしね。

次の目的地はHPの地図がこんなものしかないんです。


なんとなく分かるような・・わからないような・・

ということで住所を入力して進んだつもりです。

途中で日本ではきっと高速と呼ぶような道路を走りました。で途中でちゃんとリオ君に燃料補給をしてあげました。

もうそろそろ目的地・・と思ったところで『目的右です』というナビ様のお声が・・でもkおばちゃんが想像していたような場所ではありません。
もちろん『正解』の場所も知らないのですが・・心の叫びで『違う!』『違う!』と叫んでいます。

しばしリオ君の車内で佇むkおばちゃん。
しかし、ここでボーーとしていてもしかたがありません。とりあえず・・

もう一路ナビ様をセットしなおしました。するとお告げが・・・

どうやら違う目的地も検索してくださったみたいで・・ルート案内をし始めました。
もう、これに従うしかありません。でもおかしいな・・条件歯おんなじだと思うんだけどな・・

で、ご託宣にしたがって走った結果、それらしい場所にたどりつきました。
それが冒頭の画像です。
一番最初に辿り着いた場所は、田舎の住宅地だったんですよ。

後でもう一度検証してみたら

こんな離れてました。

ちなみに、最初に辿り着いたのはBの地点。で次に辿り着いたのはAの地点です。
『南方面』ということはあっていましたけど・・それだけでした。

さあ、予約の時間に・・間に合うか!!と必死にダッシュっするkおばちゃんでした。
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ドヴォルザークの原点(ネラホゼヴェス)

2009-10-30 23:59:46 | チェコ
今日は実質上の月末。
ご用で銀行にでかけるが・・これもガラガラ。世の中お金がうごいていないんでしょうかね?

ここのところマスコミがお騒ぎあそばしてる、○婚詐△師の話題で昨晩は盛り上がった。いえ、いかようにしたら殿方をその気にさせられるか、kおばちゃんに足りないものをきっと持っているんでしょうね・・というお話です。

○7月3日(金)

一通りドボルザークの生家の見学を一通り終えたkおばちゃん。受付にもどりました。
さて・・お土産の物色ですが・・ここでkおばちゃんが購入したのは『ルサルカRusalka』というオペラのCDです。
このオペラはその昔プラハでみたことがあります。日本では・・見たことありません。
kおばちゃんのためにお部屋を空けてくださったので、もうさっさとおいとましましょう。でもその前に・・おトイレをお借りしました。
ただし・・この建物の外の別棟にちゃんとありました。


さあ、おいとまします。

そういえば軒下についているレリーフは・・ドヴォルザークさんですね。


そしてこの生家のお隣は公園のようになっています。そこに佇んでらっやるのは


ドヴォルザーク氏Antonín Dvořákさんです。

どこに書いてあったか・・忘れてしまいましたが、確かこの姿は彼の交響曲だい9番の2楽章の冒頭を降り始めるところ・・をとらえたとあった気がします。
時間があったら・・もう一度探してみますけど・・

この公園の向こう側には、最初kおばちゃんが入ろうかと思っていたレストランというかカフェなんかがあります。
このパラソルのとこです。

そういえば、ドヴォルザーク氏の実家も宿屋だったのでと父親はそういうレストランでチターなんかを演奏していた・・ってどっかにこれも書いてあったような機が・・します。(すみませんこんな記憶ばかりです)

そして反対側の向こうには最初にkおばちゃんが眼にしたおがそびえています。


このお城はロブコヴィツ(Lobkovic)家が16世紀から18世紀にかけて収集したルーベンス、ベラスケス、ブリューゲルなどの絵画が展示されているそうですが・・今回はパスです。

そしてこのお城もリトミシュルのお城にもあったスグラフィット技法ですね。

そのほかにはドヴォルザーク氏が幼いころにバイオリンの演奏をしたことがあるという
聖アンドリュー教会KOSTEL SV. ONDŘEJEも生家のまん前にあります。

閉まっているようで時間もないkおばちゃんは外観参拝です。

その教会の裏の方に線路があります。

丁度電車が止まっていますね。

ということは・・・もうすぐ近づいてくるんでしょうね。と張り込んで?いると
やってきました。

鉄ちゃんで有名だったドヴォルザーク・・彼の原点はこのあたりの線路にあったのではないか・・なんて思ったkおばちゃんです。

あら、でももう2時半!たいへん!もう一箇所いきたいころがあるのよね・・
とそそくさとネラホゼヴェスNelahozevesをあとにしたkおばちゃんです。

さ・・またまた辿り着きますかね。

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ドボルザークの生家(ネラホゼヴェス)

2009-10-29 19:34:14 | チェコ
今日は一日ばたばたと・・

夕べはちょっと、お食事にお呼ばれしたのだが、あてにしていたレストランが予約をいれようとしても電話が出ない・・と言われてしまった。
うーーん。今ひとつ場所がなあ・・と思っていたところだったので、閉店しちゃったのかな??
飲食業界もきつそうだモンね。

kおばちゃんが帰る道すがらは、最近は特に『居酒屋』系の呼び込みが激しいこと。
極普通の居酒屋さんでも、昔のマッサージ系の呼びこみのような激しさ。
それだけに競争がきついんでしょうね。

○7月3日(金)

さてさて、kおばちゃんが探していた建物はこれ


画像を大きくすると
です。

ほらこれと一緒でしょ?


ここはネラホゼヴェスNelahozevesという人口1300人ほどのプラハから35キロほど離れた場所です。

で、ここになんでkおばちゃんが来たかったかというと、実はここはドボルサークAntonín Dvořákの生まれた村なんですって。
そして彼の生家は現在公開されていると聞いていたんです。

だから4日前に一生懸命探したのですが・・辿り付けませんでした。
今日は・・ちゃんと到着しました。やっと・・ですけどね。
ほら『Antonín Dvořák』の文字があります。

しかし人影がありません。誰も訪問しにこないのかしらね?

ドアーも閉まってますね。

あら!脇にベルを鳴らせとありますね。

早速鳴らして見ました。
すると他のドアーから(多聞ニ階に続いている)からオバサンがひとり降りてきました。
kおばちゃんが内部を見学したい旨伝えると・・さっきのドアーの鍵を開けてくれました。

玄関の脇には受付があり、そこで入場料を支払ます。
するとkおばちちゃんの言語を確認して、解説シートを貸し出してくれます。
内部は自分で見学するようです。



現在見学できるのは1階の4つの部屋のみ。いずれにしても近年手が入れられているので生まれた当初の姿のままではありません。
ドボルザーク自身も晩年は何回か訪れているようでその時は鳴り物入り・・のごききょうだったそうです。


それにこの建物はプラハにあるドボルサーク博物館の分室のようなあつかいで、収蔵品も殆ど価値のあるものはプラハの博物館に行ってしまっているようで、数点しか本人に直接関係あるものはないようです。上の画像の居間においてある安楽椅子はドボルザークのお気に入りだったとか。



居間と次の間を結ぶドアーの上にスーク(Josef Suk)の文字が・・彼が贈ったドアーと書いてあった記憶があります。



スーク自身もドボルザークの家系だそうで、下の家系図の四角で囲んである一番左にある赤文字がドボルザークの名前で、その2段下四角のまたしたの赤いも文字はヴァイオリンで有名なスーク氏のものだそうです。



片隅にはドボルサーク氏今日像がありました。

その他にはこんな展示も・・


鉄ちゃん(鉄道マニア)だったドボルザークのためでしょうか。当時の汽車の解説です。


あと、ケースの一番下にある羽ペンはドボルザーク自身が使用していたものだとか。



暫定歌劇場?という翻訳になってしまいますが、歌劇場のメンバー表の中心はスメタナ氏ですが、ドボルザーク氏自身も入っているので描かれています。

あとは、ドボルザーク曲の名演のレコードジャケットやCDジャケットなどのコレクション。


アポロ11号でしたっけ?最初に月面着陸をしたのは。
そのときに船内に流れていのは、彼の交響曲9番の2楽章『新世界』だったようなので、それに関連するような記事もてんじしてありました。

これで一通り見学はおしまいです。

ドボルザーク Dvořákという姓はこのあたりではよくあった苗字だったようです。
彼の祖父の時代にはここで肉屋を営んでいたようですが、彼の父の時代には宿屋として改装され、彼はここで1841年9月8日に8人兄弟の長男として生まれたそうです。
1855年に引っ越すまで約14年間住んでいたようでね。



この窓からの景色も眺めたんでしょうかね。
なんて思いながら受付に戻ったkおばちゃんです。
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やっと辿り着いた目的地!(ネラホゼヴェス)

2009-10-28 23:59:03 | チェコ
今日はちょっと考えさせられるメールが届いた。

昔のお仲間からなのだが、ここのところ何年もご無沙汰していたのだが・・突然メールが入っていた。
最初に思ったのは・・彼のアドレスがウイルスにやられて勝手におくりつけてきたのかな・・ということ。

でも、内容を読んで・・これは・・とおもってしまったのだ。

彼は学校を出てマスコミ業界に就職したのだが、もう少しジャーナリズムを勉強したいといって留学に出て、あちらで就職・・それっきり帰国した話をきかなかった。
だから、かの地でがんばっている・・と思っていたのだけれど、今日来たメールではかの地ではない場所に本拠をうつしているとこのこと。
で、メール発信のきっかけは、『ある仕事を請け負ったのでアフリカの某所で活動するけれども、本拠に地も時々帰るので、お会いしましょう』というような内容なのだが・・お会いしましょうという言葉とは裏腹に『これで連絡できなくなるかも』的覚悟が感じられたのだ。

今度本拠を移すといっている地名には有名な紛争地帯がはいっていた。だから、なんだか今生の別れを一応知り合いに送っておこう・・・という風に解釈してしまったのだ。

まあ、kおばちゃんの妄想であってほしいのだけれども・・とにかくお返事には『ご安全をお祈りします』しか書けなかった。

平和ボケ日本に生息して、それでも毒を吐いて生きている自分自身がなんだか情けなく思ってしましました。
とにかく・・無事に過ごしてくれることを祈るのみです。

○7月3日(金)

朝の散歩を終えて、さあ、チェックアウトです。
お支払いのときの値段表示は全てユーロです。それだけここが『外国人相手』のばしょなんですね。
カードで支払おうと思ったら『コロナの決済になりますけどいいですか?』と聞かれてしました。
kおばちゃん的にはどっちだって両替手数料のことを考えたら・・おんなじなんですけど、手持ちの現金がなくなるほうがいやなので、カードで支払いました。



お部屋では無線ランが繋がりにくかったこともあって、ロビーに来たらバンバン繋がるので、チェックアウト後もしばらくロビーですごしメールのチェックなど・・

最後に思い出に絵葉書を購入しようとしたら・・お兄さんただでくださいました。
こんなエルベ川の滝と、

冬のコルコノシェの風景でした。

さあ、ほんとに腰をあげないとね。

リオ君と出発です。しばらくはエルベ川沿いにはしります。


ものすごい水量だとおもいました。ざーざーざーと流れています。
その治水工事と思われるような工事もしておりダンプがけっこう走ってます。


kおばちゃんも、ちょっぴり危険な目にあいそうになりました。


これから向かうところは、大体150キロほど離れたところです。でも、そこは今日の一番目の目的地に過ぎません。

そして9月18日のブログに書いた・・辿り着けなかった場所なんです。
そうです、再チャレンジです。さて、今日は辿り着けるか・・


この前も、大体そばまでは行っているはずなんですが・・
そこはこちらからだとヴァルタバ川の向こう側にあたります。ですからどこかで橋を渡るはず


なのですが、ナビ様の案内してくれた上の画像のおくには橋がたしかにあるのですが・・
通行止めのようです。

どうも、、老朽化が激しいようにみうけられます。

4日前にさまよったので、今回はネットでもう少し情報を集めたつもりです。
それによると『ネラホゼヴェスNelahozeves』という駅のそば・・ということなので何とか駅まで・・迷いに迷ってたどりつきました。


で、次の情報は教会があって、お城が近所にあるはず・・ののですが、なーーんにもありません。おかしいな??また間違えたのかな・・

もうこうなったら線路に沿って走るしかありません。だって、線路のそばという情報もありましたから。
で、結局4日前に迷って引き返した場所までまたきてしまいました。
今回も『どうしよう』と思ったのですが、先まで勇気をもって・・進んでみました。

あら!これこれ。お城があった!


と感激したのもつかのま・・そのあたりに・・見つりません。
おかしいな・・リオ君とともにうろうろ・・

小さな町というか集落でもカフェというか食堂のようなものが目に付きました。
お昼を過ぎたあたりだったので、しょうがない!?お昼でも頂いて聞いてみよう。
しかし、リオ君は駐車場に入れておかなきゃ・・お城の下に駐車場はあったっけ。

とリオ君をとりあえずお城の駐車にいれて・・歩きはじめてふとみると・・


向こうになんかみたことのある建物が・・近づいてみたのが冒頭の画像です。
でもなあ・・と疑問に思いながらとおりを渡ってみると・・



そうそう!この建よ!kおばちゃんの探していたのは!!と発見です!

kおばちゃんは建物のまん前をリオ君で通過していたので全然気がつきませんでした。『灯台下暗し』ですね。

とりあえず、再挑戦で辿り着けたことに感謝しながら・・建物を眺めたkおばちゃんです。

そういえば、この建物のそばの駅は『Nelahozeves zamek』という名前でした。
まったく!!!情報が怪しいんだから!と下調べの悪かったことを棚に上げたkおばちゃんでした。

ああ、よかった!
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朝のお散歩(コルコノシェ)

2009-10-27 18:55:45 | チェコ
台風一過、今日は過ごし易い1日。

先日お使いで、郵便局の窓口に行ったときに頂いた粗品に今を感じましたです。
それは、粗品がウエットティシュと使い捨てマスクだったことです。

アメリカのニュースを見ていると、新型インフルエンザの予防接種に積極的でない人が多いような報道が目に付いた。理由は『新しいものでキチント検証されてないから何があるかわからなくて怖い』というようなモノだったとも浮けど、日本と対象的。

日本の場合は『いち早く受けた・・と皆が言っている』的な報道が多いと思うんですけどね。

さてさて・・

●7月3日(金)

朝は爽やかなお目覚め。山の朝は気持ちいもンね。
でも、TV中毒のkおばちゃん。起きてマズするのはTVをつけること。

あらあら我が同胞がお映りあそばしていますね。天野之弥Yukiya Amano氏がIAEA(国際原子力機関)の次期事務局長として選出されたと言うニュースみたいです。


難しい問題を沢山かかえてる時期、ご活躍をお祈りします。

さあ、いちばん関心のあるのはこれ。今日の天気。


うーん。kおばちゃんのコレから向う先はあら、ここと同じ25度で曇りのち晴・・か。
まあまあですね。

明日金曜日は・・うーーん。同じか・・


これは本日の警報ですね。


さあさあ、朝ごはんを食べにゆきましょうね。

さすが朝食会場には他のお客さんもいましたです。


夕べはだれもレストランにいなかったから・・・お客さん他にいないのかとおもってしまいましたよ。
食事の内容は、まあどことも変わらないいわゆるブッフェですが、ドイツほど食材は豊かではありません。

食べて入る途中、ラフな格好のおじさんが入ってきてカウンターでパンとコーヒーを飲んでました。

さて、食後はお部屋に戻らないでちょっくら運動をかねてお散歩に出ましょうね。
なんせ、もうすぐここを出発しなきゃならないのですから。

ホテルをでると、右の上りの方目にはもう既にハイキングに出かける人達が・・それが冒頭の画像です。

こちらは下りの方面ですが・・

こちらもハイカーと思しき人達がもう出ています。完全に出遅れてるkおばちゃんですね。

彼らの後にくっついて行くkおばちゃん。


ここに佇んでらっしゃるのはネポムクの聖ヨハネSv. Jan Nepomucký氏だそうです。14世紀ボヘミアの司祭で聖人だそうです。
ヴァーツラフ4世により拷問を受けヴァルタバ川に投げ入れられたとか。お気の毒に・・

このあたりは15世紀には銅や銀の産出で栄えていたようです。
その後、オーストリア・ボヘミア系の貴族Harrach家が広大な領地として持っていた時期もあったようです。
シュピンドルーフ・ムリーンŠpindlerův Mlýnの町自体は18世紀後半、森林労働者達によってきずかれた町だとか。
あらあら、kおばちゃんの楽器はそもそもその頃なのよね。ラベルに寄ると。
ということは・・まだこの町も生まれたての頃、ここコルコノシェ山地Krkonošeで作られたのね・・なんて感慨深いのです。

エルベ川の所までやってきました。


今日も勢いよくザーザーと流れています。
このエルベ川Labe 全長は1154kmもあるんですが・・昨日行きそびれた源泉はこの橋を渡ったほうの側を上って行かないと行けなかったんですよね。残念!



ここから4日前にいたバート・シャンダウBad schandauをとおり・・ハンブルグの町へと流れて行くんですよね。

そういえば、この町Špindlerův MlýnにはSpindlermühleというドイツ名があるし、 Krkonošeには Riesengebirgeと言うドイツ名もあるし・・Harrach家はもともとはオーストリアの出のようだし・・ドイツ語圏の色濃い地方なのねなんて思いました。

さあ、今日は真っ直ぐ行っても230キロ、3時間以上係る距離を2箇所寄り道をしての移動を計画しているkおばちゃんです。
そろそろ戻りましょうね。

あら、あんなところに幼児向けの遊具がありますね。


そういえば、さっき先を歩いていた家族にも小さな子どもがいましたね。自然の中ノンビリとが良いですね。

道をおうだんしようとしたら止まっている車が目に付きました。


あらーー追突でもしちゃったんでしょうかね。


kおばちゃんも気を付けなきゃね。

ホテルの近所で観光トラムの機動車部分のご出勤に出くわしました。


そういえば『客車』の部分は大型駐車場に放置してあったな・・なんて思い出しました。

時間があったら・・っていつでもこればかりですが・・自然にもっと浸っていたいと思ったkおばちゃんでした。


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木こり風?(コルコノシェ)

2009-10-26 17:41:23 | チェコ
今日から月曜。
今週は一週間が長く感じそうです。
それになんだか急に寒くなった感じが・・・いっきに冬までゆきますかね?

何だか台風も近づいてるとか・・庭の濡れ落ち葉・・掃除がめんどうです。

久々に履いたGパンがきつくてまいりました。これ以上オデブになったら・・着る物ありません。というか売ってないかも・・とほほ。

○7月2日(木)

夕方のリオ君とのお散歩からナビ様のお導きでシュピンドルーフ・ムリーンŠpindlerův Mlýnに戻ろうとしたのだけど・・見事に歩行者専用道路を教えてくださいまして。。バックです。目と鼻の先にあるのに・・

ホテルに戻ったらお腹がペコペコなことに気が付きましたです。考えて見たら・・朝ごはん以来ですからね。
本来は、町を散策してお食事どころを見つける・・と考えていたのですが、思っていた以上に町は小さいし、スキー客目当てのお店が多いのでピザ屋さんなんかはめにつきましたけれど、そう言う気分じゃないkおばちゃんにはぴんときませんでした。

で、割引もあるのでホテルのレストランで頂くことにしました。
8時というのに・・お客さんが誰もいないので少々勇気がいりましたが・・

といいながら食前酒に『シェリー』を頼んだら、けっこう美味しい熟成された物が出て着て大満足してしまいました。
さすが、外国人相手のリゾート地です。メニューも見ないで頼んだのですがキチントバーコーナーから運んで着てくれました。

レストランの外のテーブルでもいただけますが・・寒い!って夏ですけどね。


室内でゆっくり戴きましょう。山の夜は街灯がすくないから真っ暗になってしまいますしね。


あちらにクラシカルなストーブがありますね。

きっとスキーシーズンは大賑わいなんでしょうね。

で、結局でシェリーはブランデーのようにかなり芳醇だったので・・食後にも少し戴こう・・とチビりチビリ・・
その変わりビールを戴きます。

このビールはGambrinusというところのビールだったとおもいます。

ここのボーイさんはほんとに『ボーイ』と呼ぶのにふさわしいまだ少年のあどけなさがあるような感じの男の子です。
でも、ビールの泡も上手に立ってますね。

オーダーはまずはこれ

このあたり『コルコノシェ風スープ』。汁民族日本人のkおばちゃんならでは?ですかね。
ちょっぴり味が・・塩辛かったです。でも色々な具在が入っていました。
この前までデンマークにいた友人が『スープは貧乏人の食事だよ』と教えてくれたのですが、まさに『労働者の味』ですね。労働者kおばちゃんにはぴったりでした。

そしてメインは豚の足のゼリー煮。たしか木こり風と書いてあった気が・・


ザワークラウトともにチェコ名物クネドリーキも添えられています。

けっこう幸せな気分に・・お腹がおちつくとなりますね。

で、締めはデザート

チェリーサンデーを戴きました。
そういえば、デザートメニューはカフェメニューでしたね。
ああお腹いっぱい!ご馳走様でした。

食事が終わりお支払をしようとしたら、『お部屋に付けておきます』と言われてしまいました。
まあ、そうでしょうね。割引もあるから。テーブルチップを払ったかどうか・・記憶にありませんね。

さて少々食べ過ぎましたね。

少しお散歩でもしましょうかね。と出かけたところで若い男性にニッコリと『ハロー』と声をかけられました。


あら、kおばちゃんも捨てたモンじゃありませんね。ニッコリ笑って『ハロー』と返して・・すれ違って数秒後気が付きました。
あらら、あれはさっきkおばちゃんがチェックインした時にフロントに座っていたお兄さんだは・・ははは・・覚えていてご挨拶していてくれただけなんだっってね。

まったく自意識過剰なkおばちゃんですね。考えて見たら東洋人のオバサンは一人だけなんだから忘れるはずありませんもんね。ああお粗末さまでした。

辺りはすっかり暗くなってきて、ホテルの1階というか地階というのか・・にあるバーからは賑やかな音楽が聞こえてきてます。
ちょっと覗いたけど・・カップルばかり(但し年配者もいましたけど)で、ちょっとkおばちゃんが一人ではいるには場違いですね。

明日も大移動をしなきゃいけないし・・今日は大人しくお部屋で休みましょ・・とすごすごとお部屋に戻りました。

ああ、今日も楽しい1日でした。
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故郷へ・・(コルコノシェ)

2009-10-25 23:51:28 | チェコ
今日もお休み。
さすが夕べ帰ってきたけれど、最終便でも比較的早い時間だったのだが・・疲れましたね。
若いころだったらもう一日今日いっぱいあそぶのだけれど、今はとにかく休養日が必要になってきてるから・・悲しいですね。

ということで、お天気も悪かったので一日家におりました。

○7月2日(木)

コルコノシェ山地Krkonošeのkおばちゃんの目的はひとつは果たされませんでしたが・・もう一つは大丈夫です。
大丈夫というよりは・・いつでもできる・・ということなんですけどね。

そのためにも、さっきの国境のところから降りてきて最初の集落というのあるばしょで、一休みしましょ。


さっきの場所からそんなに走っていないのに、霧はもうすっかり晴れてます。
やっぱりあれは霧じゃなくて雲だったんでしょうかね。

リオ君をバックに・・ロッジ風のホテルが並んでますね。


野の草も花をつけてます。思いっきり深呼吸しましょう。


あの高い山の上にはアンテナのようなものが見えます。


そういえば、googleさまのサテライト地図だとチェコの側はよく見えますが、ポーランド側のこの山地、処どこと画像が加工されていました。
防衛上不都合施設でもあるんでしょうかね。

静かな山々が見渡せます。


そうそう、kおばちゃんがわざわざこんな山の中まで来た理由・・というか第一の目的はこの山の『木』を眺めることだったんです。

実はkおばちゃんはへたの横好きで楽器を弾きます。

現在主に使っている楽器とであったのは・・・ずーーと昔のプラハでした。
そこでお買い上げになったのですが、まだ崩れかけていたとはいえ共産主義の時代のお話です。

そこの楽器屋さんであったのがこの楽器です。


この楽器にははっきりいって『古い』です。満身創痍の感もしてます。
ラベルも2枚貼ってあって、そのうちの1枚は1800年代の年号がかかれていました。
そしてもう一枚には地名が書かれていたのです。

お店の人のそのときの話だと、その地名はチェコの北のポーランドに近いコルコノシェ山地Krkonošeというところで、楽器はそこで作られた・・と聞いたのでした。

だからいつかは楽器の故郷コルコノシュに行ってみたいと思っていたのです。

今回、紆余曲折の末、目的地をチョコと決めたとき、そうだ行ってみよ!!と思ったのですが、音楽祭のスケジュールの関係で本来だったらバード・シャンダウに滞在した翌日に着たかったのですが・・こんなことになってしまいました。

それにしても見事な杉の山ですね。


あのあたりの木もやがては何かになるんでしょうね。

そんな景を眺めて・・一休みしたら・・再び出発です。

日の落ちる前になんとしても帰りつきたいのですから。


途中道路脇の斜面から水が流れ落ちていました。

その水は道の脇を流れてゆきます。

また少し走ると小さな橋がありました。標識の立っているところです。


覗くと結構速い流れがあしました。


また少し走ると行きにも見かけた道にあふれる水の流れがありました。

これも雨・・というよりもどこかから湧き出ている水でしょうかね。

そばにバス停がありました。

kおばちゃんの滞在しているシュピンドルーフ・ムリーンŠpindlerův Mlýnからのバス便ですね。

名前の後ろについているのは・・星の数ですかね。
バス停のそれぞれの名前は宿泊施設のようですもんね。

さらに道を下るとまた橋がありました。

さっきよりも太い流れになっていますね。

これもエルベに合流する流れですね。
かなり急な流れにみえます。それだけ水量があるということですね。

国立公園の入り口まで戻ってきたら・・・


あの遮断機の棒はあがりっぱなし・・しかも監視小屋に保安官はいません。
今日のお仕事は終了しちゃったんですね。

車が入ってゆきます。あーあーもう少し遅い時間だったらあの料金を払わなくて良かったのか・・なんてケチなことを思わず考えてしまいました。

シュピンドルーフ・ムリーンŠpindlerův Mlýnの町に下りてきたkおばちゃんを歓迎してくれたのは・・


この町のホテルの道しるべたち。見事なくらいに自然公園と反対側を向いていますね。

さあ、お宿に戻りましょ。
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辿り着けなったエルベの源泉(コルコノシェ)

2009-10-24 23:59:11 | チェコ
今日も列車三昧。
同宿だった方とお話したら思わず世界は狭いのね・・というか世間は狭いのね・・と盛り上がってしまいました。

おまけに帰りの飛行機を降りたら・・またお会いしました。

○7月2日(木)

コルコノシェ山地Krkonošeの中をさまよう??kおばちゃん。
怪しい人物に遭遇してしまったので退却です。向こうにしてみたらkおばちゃんのほうがよっぽど怪しいですね。

ナビ様に寄るとこの建物の裏あたりで国境になってます。


そういえば、路面の舗装が・・違うなんて思ってしまいました。

この建物の前にも他の方向に続く道があります。そこにはこのような地図がかかってました。


このあたりコルコノシェ山脈はチェコで最高峰といわれるシネシュカ(Sněžka)山よいう雪山の意をもつ1602mの山を含む山脈です。


ここは国立自然公園クルコノシェ(Krkonošský NP)のなかでチェコ最古で4つある公園のなかでも最大規模だそうです。

このシネシュカは、このあたりではないのですが・・

それより気になるのはこの地図に書いてある『NARODOWY』という言葉。つまり『ポーランド国立』という意味ですから・・

ここにkおばちゃんの今晩のお宿の地名です。

やっぱりずれてる・・と思ったkおばちゃん。
実ははるばるこんな山の中まで来た目的の一つは、エルベ川の源泉を見たかったからです。
この地図で左側の『黄色』のしるしがその泉のあるところ。
そして右端の『赤色』の円があるのが・・kおばちゃんの今いる現在地あたりです。
こんなにずれてます。


『pramen Labe』つまりエルベの源泉と書いてありますね。


エルベ川は1,091kmの距離を流れる川で、その流域はドイツ、チェコのみならず合流する川をみるとポーランド、オーストリアも流れていると考えられています。

その『エルベ』の部分の源泉がこのコルコノシェ山地Krkonoše中にあると聞き、どうせ足を伸ばすなら見てみたいとおもったのでしたが・・
あーーあ残念。多分尾根を間違えてるんだと思ってました。

エルベの源泉はこの地図の右の丸ろころですね。


そうそう3日前にいたドイツのバード・シャンダウでもあふれそうに流れていましたね。その大元をたどろうと思ってたのですが・・残念です。

googleさまのサテライトによるとこんなとこだったんですけどね。


残念ですが、今日は午後8時近くです。再挑戦はちょっと危険すぎます。
それに明日も大移動があるので、ちょっと今回は無理ですね。しかたありません。

さっきの地図の掲げてあった道にはこんな文字が書かれています。


『Stop』ですね。それに、もう壊れてしまっているけどゲートもあります。
かつてはここで国境検問がなされていたんでしょうね。

他にはハイカー用の道しるべがありました。


ここまで来たのですから、徒歩でポーランドに入ってみました。


リオ君はチェコに置きっぱなしです。

路面はバリケードの後がまだ残っているので、タイヤでも傷つけたら困るので待っててもらいます。



googleさまによると、さっきkおばちゃんが不審者を見かけたのが右の○のところ。
そして歩いて国境を越えたのは真ん中の波線のところです。


同じくgoogleさまによってもこんなにエルベの源泉とはこんなにずれてるみたいでした。

さあ、暗くならないうちに・・・戻りましょうね。
山の日暮れはあってい間ですからね。こんな山の中で道にまよいたくありません。
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国境を越えて・・(コルコノシェ)

2009-10-23 23:59:10 | チェコ
今日は明太子の町から直接帰るのだが・・明日は土曜。で、季節も最高。
ということでちょっぴり寄り道することに・・
ルートをいろいろ検索していたら・・SLという単語が目に入ってきてしまった。

ということで、SLに乗って・・随分と山奥の温泉まできてしまいました。
で、ネットの環境がないので・・明日まとめてあっぷしますが、残念ながらこのプチ旅行のアップは・・この前の夏の旅行がおわらないと・・ということでいったいいつになるのやら。

○7月2日(木)

kおばちゃんの辿り着いたのはコルコノシェの山のホテルの立ち並んでいる地域のようだった。


でも、まだ道は続いている・・ということでさらにあがるkおばちゃん。

高度が上がってゆくにつれてガスというか霧というか・・あまり視界がきかなくなってきた・。



もうこの時点で、kおばちゃんの本来の目的地は遠のいてしまったのがわかったけれどね。なぜならば、本来の目的地はkおばちゃんのたどっている道の左方向なのだけれど、通過するどの分句点も『進入禁止』の表示があったので進めなかったんですよね。

とにかく○鹿の一つ覚えで、道が続いているうちはリオ君にがんばってもらって上りましょう
霧の中を進みますが・・ナビさまの示しているのは


線の上のリオ君の姿。

さらに進むと看板が・・


うーーんチェコ語じゃない??

霧はさらに深くなり
雨とも霧ともつかないけれど地面には雨のような流れが・・

道しるべがありますけれど


下から2番目にあるのはポーランドの文字。

こんなものがここにあります。

何のマークでしょうかね。

再びナビ様を覗くと・・


そうです。リオ君は線をこえっちゃってます。実は国境を越えてしまっているのです。
kおばちゃん今いるこのコルコノシェは実はポーランドとチェコにまたがる地方なんです。

で、さらにリオ君を進めて見ましょ。先に何か見えます。


石造りの山小屋のような感じですが・・営業しているかどうかは・・不明ですが、


車が1台止まっています。


ナンバープレートは見難いですがPLの文字が左端にみえます。

あと、この建物の影からぬーーーと、見るからに何日も山をふらついているような感じの男の人があわられぎょっとしました。

それにこの建物の向こうがわは・・道がみけれれませんでした。

風に流されて霧が少し晴れましたがこんな風景が


樹木もまばらな感じです。


また霧が深くなってきました。


道が分かるうちに引き返しましょ。
ここまでくれば、大丈夫一安心です。

この建物の裏から急に道が悪くなり・・さっきのロッジに繋がっていたんです。

霧がかかってなかったらどんなけしきだったんでしょうね?
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とっさの・・・×つき・・(コルコノシェ)

2009-10-22 23:43:18 | チェコ
昨日今日と・・出稼ぎに来ています。

それとは全然別個の話として・・・いつも楽しく読ませていただいていたブログに異変が起きてしまいました。

いつかは、こんな日がくるかも・・とは思っていました。
かわいいワンコの出てくるブログだったのですが、集合住宅での飼育の問題があることはなんとなく分かっていたのですが、ちょっと悲しいですね。

動物といえでも一つの命。と同時に人間のわがままによって左右されてしまう悲しい命でもあります。
kおばちゃんも動物大好きですけど、自分が無責任なことがわかっているので飼育できないでいます。

なんと表現したらよいのか分かりませんが・・一方通行の片思いだった男の子が突然引っ越してしまったような・・そんな寂しさがあります。

いつかどこかでまためぐり合いたいな・・と思ってます。

○7月3日(木)

リトミシュルからはるばる・・・たどり着いたのシュピンドルーフ・ムリーンŠpindlerův Mlýnというコルコノシェ山地Krkonošeとうい町というか集落です。
まったくなんでこんなところまで・・と思いますよね。
たぶん・・ほとんど日本では無名の地だと思います。
でも・・・kおばちゃんにとっては長年の憧れの地だったんですよ。まあ、その理由はそのうちに・・ね。

この町は実はスキーリゾートとしては有名で、昔からドイツ人なんかは遊びにきていたようで、国際的なホテル(有名どころではありませんが)はきちんとあります。
夏場はハイキングやトレッキングのメッカになっているそうです。

さっそくkおばちゃんは予約していたホテルに・・ナビ様のお導きで一直線です。


このホテルは通年営業で、SPAも併設されてます。それに・・料金が安いですよ。夏場は・・ね。

お部屋はツインのシングルユースですが、こちらの人の感覚だとちょっと狭いでしょうね。

長期滞在を考えているのか、お部屋にはTVのほかにCDコンポもありました。インターネットも使えます。


飾り枕もカントリーチック


さてさて、ホテルに到着したのは6時前ころ・・お夕食を頂くのもちょと早い・・かといってSPAに入るのは午後8時までなのに・・1日料金がかかる・・けちなkおばちゃん的にはもったいない・・ということで、ちょとお散歩をすることにししました。
お散歩といっても、リオ君と一緒ですけど・・・

実はこの宿泊場所を選ぶ過程であることに気がついたのです。
最初の目的はコルコノシェ山地Krkonošeのどこかに泊まって見たい・・だけだったのですが、ホテルを検索している途中でこのシュピンドルーフ・ムリーンがウィンターリゾートであることを知ったのです。

で、いろいろ眺めていたら・・・あることに気がつきました。
ある場所が非常に近い・・ということを。ただしそこにたどり着くまでの道のりは・・よくわかりません。たぶん『徒歩』じゃないと辿り着けないかな??という程度のことはわかりましたが、いけるところまで車でアプローチしてみよう・・と思ったしだいです。

ナビ様もその方向の地図は・・かろうじて道が繋がっていました。

で、リオ君とともに再び出発・・したのはよいのですが、集落のはずれで思わぬ事態に遭遇しました。


それは上記の画像のとおりなのですが・・行く先にゲートがあったのです。

あらら・・この先に進んじゃいけないんでしょうか??
リオ君の中で躊躇してても始まらないので・・降りて案内書をのぞきにゆくと・・



この小屋の中からシャパード犬を伴った人物が出てきました。雰囲気的には『保安官』という感じです。

で、kおばちゃんに『どこに行くのですか?』とたずねてきたのです。
kおばちゃんとっさに考えました。行き先がきまってないと入れてもらえないんじゃないか・・と。

ここでkおばちゃんの行動はさっきみたこの看板を思い出しました。

そうだ、あの看板に書いてあった施設の名前を言ってしまおう・・と。
で・・・・『うそ』をついてしまいました。『○×△にゆきたいんですけど』と。

すると彼は『あそこは自然保護地域の域内だから許可証が必要です』と告げられました。あららら・・施設に照会されちゃうのかしら・・それとも名簿でも提出されているのかしら・・

でも、その次に彼が言ったのは『何日間?』ということでした。
で、『たった2日だけなんですけど・・』とまたまたうそをついてしまいました。

彼はおもむろに『車のナンバーは?』と聞いてきたのでkおばちゃんは手に持っていたキー(ナンバーが書いてある)を差し出しました。


で、記入されたのは上の用紙です。これが2枚です。2日分だからね。

2日分100コロナを支払って・・リオ君のところに戻ると・・ゲートを空けてくれ舞いした。

ここから先は自然保護地域なので立ち入るのに料金がかかるんですね。

そういえば、kおばちゃんとのやり取りの間・・・シェパード君はおとなしく保安官君の足元に控えておりました。
思わず『いい子ねーー』となでてあげたくなりましたが・・・ちと怖かったのでやめましたけどね。

無事保護地域の中に入ったkおばちゃん。
後は適当にナビ様の地図も頼りに走りましょう。



結構よい道が続いています・・が、制限速度は30キロですって。

途中で何回か道が分かれていますが・・もう一つの道は細くしかも、進入禁止のマークがついていたりするので、リオ君とはちょっと進めません。
それにあまり冒険を犯したくない・・というか何か万が一のことがあっても世界中でkおばちゃんがこんなところに入り込んでいる・・と認識してもらえませんからね。



そんな分岐点の一つに石碑があるのを見かけました・・・


が、文面ははぎ捉えてしまっていて・・何が書かれていたのかは分かりません。
でも、見事にざっくりと取られているところをみると・・・政治的なことでしょうかね?



その足元にはお水が川のこのようにざーざーと流れ落ちています。

それを見て『ああ、やっぱりそうなのね』と思ったkおばちゃんです。
でも『やっぱり』っていっても何だかよくわかりませんよね?

それは・・・・
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カフカの城のような・・(コルコノシェ)

2009-10-21 23:59:17 | チェコ
今日は移動日。朝から涼しい。

ここのところ忙しいような忙しくないような・・ビミョーーな感じ。

郵○民営化問題。相変わらずのマスゴミ報道。民営化の根本をちっとも報道しないで、誰がトップになったとか誰が辞めたとかの報道ばかり。
何故民営化が叫ばれたかを理解してないんじゃないの??

良い機会だからおさらい報道でもして頂戴よ。

それにしても亀○さんは棚ボタですね。だって党としては選挙で議席を減らしたんでしょ??まあ、連立を組んだ時点で、M党は同でもいいと思ってたんでしょうね郵○門代位は・・

お願いだから、私達の預金を勝手に使うシステムは辞めて頂戴ね・・せめても・・と思ってるkおばちゃんです。

○7月2日(木)

ようやくリトミシュルの観光を終えたkおばちゃん。
お次に向うのは・・ここから130キロほど離れた本日のお宿です。
本来は、チェコに入った第1日目に周るのが一番効率的だったんですけど、この音楽祭の日程を考えたら・・こんなスタイルになっちゃいまいした。

フラデツ・クラーロヴェーHradec Královéの町を過ぎた頃から・・景色は田舎に


この時期にこんな方向に向うのは・・チェコの草原を爆走


kおばちゃんくらいですかね。しばらく走ると景色はちょっと変わってきます。



林の中を走ります。平原からはさよならです。


林をぬけると突然視界が開けました。冒頭の画像です。
もっと実際は視界がぱーーーーっと開けてましたけどね。

で、目に入った入ったのは
この丘の下の教会と・・

こちらのお城という館ですね。


なんとなくこんな景色をみると・・カフカFranz Kafkaの『城Das Schloss』という小説をイメージしてしまいます。

『ある冬の晩、Kは雪深い村の宿屋にたどり着く。彼はこの村の城に雇われた測量士である。Kは、翌朝城を目指して歩いていくが、しかし城へ通じる道を見つけることができず・・・・と延々とたどり着けない・・』というお話。

この土地に雪が降ったら・・・・なんて妄想を膨らませたkおばちゃんです。

そんな妄想をよそに、リオ君はまたちゃんとした道に復活です。


左側にには川の流れが・・そして道沿いにも人間の息吹が・・・


目的地までもう少しです。


もう少し・・


もう少し・・


をを!やっとそれらしくなってきました。


kおばちゃんが今たどってきたコースは多分こんな感じ・・ですかね。kおばちゃんのナビ様の履歴はたどっていませんごgoogleさまのご託宣はコンナ感じでした。



ということで・・kおばちゃんのたどり着いたのはシュピンドルーフ・ムリーンŠpindlerův Mlýnというコルコノシェ山地Krkonošeとうい町というか集落です。

この町の日本語的な呼び名が実はよく分かってなくて、シュピンドラーミューレだったり、スピンドレルフ・ムリンだったりするんですけれど・・一応
は『シュピンドルーフ・ムリーン』になっていました。

でこの町シュピンドルーフ・ムリーンŠpindlerův Mlýnは実はカフカがこの『城』の小説を書き留めたところだったんです。

kおばちゃんの『感』もあながち捨てたもんじゃない・・と思ったkおばちゃんでした。
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スメタナの生家(リトミシュル)

2009-10-20 23:59:39 | チェコ
今日はちょっと暑かったかな?

昨日月曜日、お使いで銀行と郵便局に行ったのだが・・どちらもガラガラ。
先週の金曜日もそうだったけど、世の中のお金が動いていないンじゃないかと思う。

夜の繁華街も閑散・・なのでどのお店も客引きに必死。
不景気風が新政権になってからいっそう吹いている感じがする。

だってどうなるか分からないから・・一段と財布の紐がきつくなってきたみたいですね。
そういうkおばちゃんだって値引きシールの張ってあるもの以外最近買った覚えがありません。およよ・・

○7月2日(木)

リトミシュル城Litomyšlský zámekの見学を終えて・・いよいよ本命をきちんと探さなきゃいけなくなったkおばちゃん。

たしかお城の敷地内に・・というか隣接して・・建っているきいているのだけどね・・ 探しているのはスメタナBedřich Smetana氏の生家Rodný byt Bedřicha Smetanyす。

スメタナ氏はこのリトミシュル城内にあったビール醸造所の醸造技師の息子ととして、1824年3月2日に生をうけた・・と聞いていたのです。

でも城内のどこ・・か分かってなかったkおばちゃん。それらしき建物・・を探すのですが、考えてみたらビール醸造所を探していたんですよね。おばか・・
生家は普通の家でしたね。ということでやっと見つけたのは・・昨日からうろちょろしていたお城の向かい側に建っているインフォメーションなんかの入っていた建物の並びでした。

それが冒頭の画像です。
で、入り口はこんなところにありました。

まったく気がつきませんでした。

内部は・・自由に見学します。ただし、入場料がかかりますけどね。

チケットは2枚あります。

といっても大人は30コロナなので2枚足した金額ですが・・値上げしたからでしょうかね?
でもって、値上げ前の大人のチケットと子供のチケットを足した分が新しい大人の料金?で、前のチケットも利用??なんて思ったkおばちゃんです。

生家そのものは、建物の一部でしかありません。
まあ、再現もの・・でしょうね。

そしてこの同じ建物の中にホテルとして利用できる部屋があります。kおばちゃんが泊まれなかったところです。

kおばちゃんはここで記念にスメタナの作品集のCDをお土産にお買い上げ。
これで、昨日のフクヴァルディで買ったヤナーチェクのCDとともにドライブのお供が出来ました。

スメタナの生家を出ることろに・・お城の方からラッパの音が響いてきました。
なんだろう・・とのこのことまた戻るkおばちゃんです。

お城のオペラ会場はもう明日のセットが組まれています。

ラッパというか金管の音が響いてきたのは3階の部分からです。

ここにいわゆるバンダが陣取っておりました。

これは、明日の晩から始まるスメタナのオペラ『ダリボルDALIBOR』の舞台稽古が始まったようです。

序曲は金管と合唱ですね。

Oliver Dohnányi指揮のオストラバヴァ歌劇場Opera Národního divadla moravskoslezského v Ostravě のプロダクションのようです。

時間があれば聞いてゆきたいのですが・・今日のkおばちゃんのご予定ではだめです。
これから移動しなきゃいけないんですよね。残念!!

スメタナオペラ祭での公演はあしたからですけど・・今日は稽古をしていたんですね。
このダリボルというオペラは日本ではほとんどお目にかかれないんじゃないでしょうかね。うーーん。ほんとに残念です。


バンダに送られ、後ろ髪をたっぷり引かれながらお城を後にします。

入り口のところのグラィーコ(スグラフィット)技法の作品にさよならを告げました。

表に出ると昨晩と同じところにバスが止まっていますが・・・・



昨晩みたプラハのオペラのバスに比べたらかなりくたびれた年代ものですね。
多分・・冷房もなさそうです。
このバスで・・皆さんオストラバヴァからいらしたんですね。
地方格差・・なんでしょうかね。ご苦労様です。

昨日の暗闇を帰った場所も昼間通ると
感じがかなり違いますね。

アロイス・イラーセクAlois Jirásek氏ですかね。チェコの作家だそうです。

ホテルに戻って来たkおばちゃんをリオ君が迎えてくれました。

奥が深いリトミシュルの町でしたが・・・まだまだ滞在したいのですが短い夏休み・・先に進みましょうね。
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世界遺産のお城のはず・・(リトミシュル)

2009-10-19 23:26:21 | チェコ
今日から新しい州の始まり。
昨日のような体が重たいという目覚めじゃなくて良かったんだけどね。

お昼に友達のおっさんがお昼を誘いに来た。ま、この方のお誘いの場合はになか用があるんだけどね。

で・・・数日前に彼の奥様から変なメールが来ていたのだが・・やっと訳が分かった。また喧嘩をしたとか。
原因は?ときくと娘のことだったはずが・・・なぜか本人同士の喧嘩になったとか。
まったく。一人身のkおばちゃんには何のアドヴァイスもできません。
お話をきいてあげるだけ。
ようするに、娘は母親にとって分身だけど・・お父さんは奥さんにとっては他人だもんね。その結びつきは理解できないでしょうね。

お互いに更年期にはいりつつあって精神不安定なのも要因でしょうね。
kおばちゃんははっきり『助けてあげることは出来ないよ・』といいました。
だって当人同士の理解の問題だからね。

○7月2日(木)

さて、芸術干渉の後は・・とりあえず、ここまで来たらきちんとお城をみておかないとね。
リトミシュル城Litomyšlský zámekは1999年12月に世界遺産に登録されているんですって。

さんざんオペラを見に来ていますが・・劇場部分以外は・・トイレにも入っておりませんのでね。

内部はガイドツアーで回ります。


大体1時間ごと・・だったような気がします。

kおばちゃんのツアーの出発まで少し時間があったのでお城の周りを回ってみました。

このオブジェのある入り口からは内部の博物館にはいりましが・・kおばちゃんは入りませんでした。

脇の庭園越しにkおばちゃんの泊まっていたホテルの屋根が見えました。
この町で中途半端に新しい建物で共産主義の香りがします。


後ろに回ってみましょう。


後ろは・・


トラックが2台止まっています。




で、kおばちゃんが気になったのは・・壁の大きな傷・・
丁度トラックの高さなんですけど・・でここはオペラの舞台の裏に当たります。

明日から始まる(今日は休演日)オペラの仕込みが始まっているようです。
明日からはオストラバの歌劇場です。

さあ、時間ですのでツアーのはじまり。。

このお城についての最初の記録は981年の『チェコ年代記 コスマス伝』といわれているそうです。 その後ペルンシュテイン家ブラティスラフが領主になりスペインから嫁いだ妃ララMarii Manrique de Lara のために1568年から14年の歳月を掛けてジョバンニ・バブテスタ・アボスタリスGiovanni Battista Aostalliにより建設されたそうです。

あ、内部は撮影できませんでしたので・・かいつまんで。

見所のひとつ、劇場は1797年に当時の領主ジョージ・ジョゼフ・ワルテンベルグによって作れルネッサンスの劇場としては世界にリトミシュル、チェスキークルムロフ、スェーデンに2つロシアに1の5つだけだそうです。そういえば昨年訪れたスウェーデンのドロットニングホルムの劇場もそうでしたね。
ただし、こちらは大変小型で120席しかないうえに、舞台も小さく・・マリオネット劇場のような感じです。

そして会見のホールは映画『アマデウス』の中で使用。監督のミロシュ・フォアマンからシャンデリアを寄贈されています。

緑の部屋のストーブの上にはアロマテラピーの元祖とでもいうのでしょうか。良い香りのする油の入ったビンをおき、加熱して空気をきれいにしたということです。

青い部屋にはチェコクリスタルの壺や青いガラスの壺がおかれていました。

図書室には1000冊の蔵書のうちチェコ語でかかれたものはたったの2冊だとか。ベルンシィーン家の人がチェコ語は読めなかったためだといわれてるそうです。

アンビールスタイルの特別室にはナポレオンのエジプト探検隊がもたらした動物の足や鳥のあたまのついたアンビースタイルになっています。大きな机には毒薬が入った秘密の引き出しが・・あるそうです。

食堂には主にマイセンの食器がその他フランスのセブールなどもあります。

戦いのホールはそこにあるエウジュヌ・サボイ陸軍元帥の勝利の絵から命名されたとか。にある玉突き台は・・つばを吐くも溜めの物?とか


貴婦人のための音楽特別室のヒーターは日本と中国のモチーフで装飾されている。

男性のための音楽特別室には今は修理中だがとても貴重なオルゴールがあるとのこと。

料理を準備する為の部屋には昇降機がついています。

そのなかで印象的だったのは回廊の装飾
典型的なルネッサンス様式でグラィーコ(スグラフィット)技法で中庭を望む窓には「ミリビウスの橋の戦い」と「ローマのコロセウムの戦い」。「サムソンとデリラ」などのモチーフが見えるはず・・なのですが・・


ご覧のとおり・・オペラの劇場が建っており・・完全には見えません。
かろうじてアップで
こんな感じでございました。

そしてさっきトラックの止まっていた入り口というのは乗馬ホールに続く入り口のようです。
貴族が乗馬したまま入れますね。

ここではチェコとスペインの馬を交配させて新しい品種を飼育していたとか。

それにしても・・世界遺産なのにあんな大傷・・・大丈夫なんでしょうかね?
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アレシュ・ヴェゼリー 氏の作品展(リトミシュル)

2009-10-18 23:14:20 | チェコ
今日は・・体が言うことを聞かない一日。

本当はやりたいことがいっぱいあったのだが、寝ていても背中は痛いし・・でもやる気はでないしね・・
季節は丁度良いのに残念。

来年度の予算のニュースが流れる中、気になるのは『マニフェストに書いてあるか』という与党の言い方。
せめて、『選挙で公約したことですので』とかいえないのかしらね。

マニフェストのなかでも優先順位はやっぱり『選挙』なんでしょう。
公約で『お手当てをあげる』と約束してしまったことにはきちんと税金をつかってお土産を出しておかないと、次の選挙のときには・・寝返られてしまいますからね。

だから根本的に日本の政治は『賄賂』の政治なのよね。
お金をもらわなきゃ支持しないという選挙民の体質そのものがやっぱりアジアなんでしょうね。

○7月2日(木)

さてさて、リトミシュル城までたどり着いたkおばちゃん。ここでは見所いっぱいなのですが・・本命にところがなかなかたどり着けません。


ということで、振り出しのインフォメーションのあった門のところに戻りかけましたが、その建物で目に付いたのは・・何かの展覧会です。

受付にいたお嬢さんはチケットはインフォメーションで売っていると教えてくれました。

チケットは・・なんというか実用的なものでした。(後で画像いれます)

ちょっと大きすぎ?!

ここはアレシュ・ヴェゼリー Aleš Veselý氏の作品展。
彼はČáslav出身のチェコを代表する立体作家だそうです。その作品展がこのリトミシュルの街中で展開されているようでした。

中を拝見しましょう。このようなオブジェが・・

受付のお嬢さんが教えてくれました。これはレプリカというか縮小模型だそうです。

上の画像のなかの岩の右下にいるこれが人間のだそうです。

だからものすごく大きな作品ということですよね。
で、現実的な話・・作品としてはまだ存在していないとのことです。


これも実物にしたらまるで山ですからね。

そんな作品群が沢山。


巨大な鏡のような物体現実においたらどうなんでしょうかね。

このようなエッチング?ドローイグも彼の作品のようです。


こちらはもう作品化されているのかしら。






こちらの作品はまだだそうです。

このピラミッド風の作品の左下に人物が立っていますけれど・・この写真ではぼけていますが『顔』がありました。写真ですけどね。お嬢さんにきいたら・・やっぱり作者本人アレシュ・ヴェゼリー 氏だそうです。やっぱり・・

お二階にも展示スペースがあります。




こちらの作品群は・・これ自身で完結しているものでしょう。

床の張っていないところは針がむき出しで下が見えます。


こんな広告もありました。


台湾のコンピューターメーカーですかね。kおばちゃんも購入をけんとうしたことがあります。

さあ一通り展示は見終わりました。


そういえば、彼の作品は日本にもあるようです。ここにありました。

冒頭の画像の修道院の庭園にあったオブジェもそうですし、スメタナの家にあった

この作品

そしてお城の横にあったこの作品も彼、アレシュ・ヴェゼリー氏のものだったんですね。

面白いものをみせていただきました。

でも、kおばちゃんの本命は・・まだなのよね。

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スグラフィット技法(リトミシュル)

2009-10-17 23:59:42 | チェコ
今日はすっきりしないお天気。
で、kおばちゃんは一ヶ月ぶりにアクアラインを通って・・今日は見通しがわるかたですね。

先週あたりだったら混んでいたのでしょうけれど・・今日は大丈夫。

行きも帰りもスイスイ。

そういえば、今朝番組で例の高速道路無料化のM党のマニフェストを津靴に当たってブレーンになっていたお方のお話を聞きましたが・・・聞いていてむな○ソが悪くなってきた。

二言目にはヨーロッパやアメリカはただ!というけれど、フランスは湯量区間だってあるし、オーストリア、チェコだった有料だよ!
ドイツだったたしかトランクは何らかの形で料金を負担していると聞いている。

kおばちゃん高い料金はいやだけど、補修料金を車に乗らない国民にまで負担させる制度は反対です。
二酸化炭素だって増えるじゃないのね。なんて・・自分のことを棚ですけどね。

あんな発想で無料化を唱えられたらたまったものじゃないと思いましたです。

○7月2日(木)

リトミシュルLitomyšl観光で、kおばちゃんのたどり着いたのはリトミシュル城Litomyšlský zámekです。

この画像の右側の白い建物が、二日間音楽祭のチケットの件でお世話になったインフォメーションです。

その左側にあるのこれがお城に通じる門です。

門の上の部分にはまるで絵のような装飾がありますね。


拡大してみるとこんな感じです。

これはスグラフィット技法という方法で製作されているようです。
この技法はも2色の色違った漆喰を二層に重ね塗りしたものを、後で引掻くなどして下の色の漆喰を出して2色の装飾とする技法だそうです。



この部分もレンガを積んだものではありません。



白い部分が上に塗られていて残っているみたいですね。

よく見るとこんな動物のようなもようだったり・・


二つとして同じ模様はないそうです。

インフォメーションの入っている建物は近年リニューアルされたようですね。
こんな図が片隅にありました。

もう一つあったのはお城の図ですね。

今開催されている音楽祭の舞台を作るにあたっての計画図のようで、世界遺産を傷つけてませんよ・・・といっているみたいです。

さて・・お次は・・



工. 色違いのプラスターを塗り、上層を引っかき、下層の色を出す特殊な仕上げを言う。
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