Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

エルベに沿って

2015-11-30 18:26:15 | ドイツ
ぐっと冷え込んだ感のあった土日。
特にお約束のご用はなにもなかっただけに家のことで大忙し・・っていうかいままでほったらかしすぎ。
で、あっちこっち草臥れがでまくり。

先週はついに玄関扉が外れた!!
帰宅して鍵を差し込んで開けたら、あららら・・なんか変。
で、おまけに玄関の電灯のスイッチが壊れたまま。これは何時からだったか・・暑い頃だとおもったけれど。
最初は事情がわからずあせったのだが、懐中電灯で照らして見ると、ヒンジのねじが外れてる。
あちゃーーー!

とりあえず休みになるまで身動きがとれないので、裏口からの出入り。
土曜日に明るい所でみたらねじが転がっていたけど足りない。
それにそろそろ玄関のスイッチをちゃんとしないと・・ということで元祖DIYにしぶしぶ出かけた。
この元祖は駅から超繁華街を抜けてかなきゃいけないのでどうしても億劫になってしまう。

折りしも土曜の夕方。スクランブル交差点は外国人の観光客(最近何が面白いのかここをわざわざ見にきてる)もいて大混雑。
そこを抜けた繁華街は・・・昔の面影はかけらもなく歩きにくいだけ。
お年寄りには近寄りたくない町になっちゃいましたね。

●2014年10月6日(月)

さて、今日は移動日。昨日ついたばかりなのにね。
なんせ今回の旅行は早く航空券をおさえてしまっただけに、目ぼしい演奏会がベルリンでないので移動しようと言う予定です。

で、立てた計画が・・・ 08:46にベルリン中央駅Berlin Hbfを出発する列車に乗るというもの。
ネットで切符は購入済み。

朝ごはんはいつものようにたっぷりと頂きました。


お宿から中央駅まではタクシーで行けば10分もかからないんじゃないかなとは思いつつ、8時を過ぎた頃にタクシーを呼んでもらいました。
乗り込んでしばらく走って何気なくポケット手を突っ込むと部屋の鍵が!!!
あわてて引き返して投げるように鍵を置き、再びタクシーに。

十分に余裕をもって出たはずが・・今日は月曜日。
朝の通勤ラッシュに巻きこまれました。時間はじりじりと過ぎてゆきます。
運転手さんもkおばちゃんの殺気を感じたのか、努力はしてくれましたがなんせ渋滞にはまってしまっていましたからね。にっちもさっちもいきません。

駅に到着したのは発車の2分前。
タクシー料金を到着する前に丸めた数字で(チップ混み)で握り締め、降ろしてもらった荷物を引っ手繰るように駅構内を疾走。

ホーム番号を横目で確認しながらエスカレーターで到着した時は、車掌さんがじりじりと乗車終了の合図を出すのを待っていた瞬間でした。

丁度おりたところにいた車掌さんにこの号車はどこ?と聞くと後ろの方との答え。そっちへ向おうとするとkおばちゃんに「ここから乗りなさい!」とご指導。そうです、kおばちゃんが荷物を引っ張り揚げて乗ったトタン発車のホイッスルです。

あーー間に合った!神様!仏様!みなみな様ありがとう!!です。
これに乗れなかったら今日の予定は破綻するのであります。それに早割りで買ったので予定の列車以外に乗れません。

3日後にはベルリンに舞い戻ってくるのですが、今回は今日とは違う新しいお宿を開拓しました。ということで荷物を預けられないし・・と大荷物での移動であせりまくりました。

なんとか自分の席に辿り着いた時には・・疲労困憊していました。


無事ドレスデンの駅到着ですが、ここでは降りません。


kおばちゃんは2人掛けの席の通路側に座っていたのですが、窓の外を眺めていたら・・お隣に座ってらした男性が『席を変わってあげようか?よく見えるよ』と言って下さったので交換しました。
かれは電源がほしくて窓側に座ってらしたようですが、コードが通路側でも届くので問題ないようでした。

ドレスデンを過ぎると列車はエルベ川沿いに走ります。

えーとこのアタリかな??


そうそう、ここここ!あ、柱がじゃま。


とさしかかったのは、ザクセンスイス Saxon Switzerland。2009年に訪問したことがありましたね。
その時渡ったバスタイの砦橋と思われるものが見えました。

ここを過ぎたらそろそろあそこが見えるはず・・と思ったとたん、


車窓をさえぎるものが・・貨物列車です。


チェコからの列車です。新車満載!


シュコダŠkodaです。自動車王国ドイツもチェコ製の車を輸入するのでしょうか?それともハンブルグまで行って船積みされるんでしょうかね。


ようやく抜けたところで見えました!



バート・シャンダウBad Schandau。懐かしい町並みです。


たった1泊でしたけどね。そうそう、あの塔のある建物は教会St.Johanniskircheで中心部。


で、その右側は・・トスカーナテルメIl Ristorante Toskana。塩分濃度の非常に濃い浴槽があってぷかぷか浮いたんだっけ・・なんて思い出しました。


丁度エルベ川下りの遊覧船も通り過ぎて行きました。

しばらくはエルベ川沿いに走る列車。


確かこのアタリは平行して走る道路と列車の線路の国境の場所が違うのよね・・なんて思いながら車窓をながめてました。
2009年に車でチェコ入りしたときは国境を越えたところのスタンドでヴィニエットを購入して・・なんて思い出しながらね。
あの時もそうでしたが、現在は通貨は違えどもユーロ圏なので通関手続きがないので物流もスイスイですね。

そうそう、車で走っていた時には全然気がつかないというか見えなかったのですが、対岸の列車の窓から見てあらまあ・・と思った光景はこちら。


これはザクセンスイス Saxon Switzerlandと呼ばれていたところではありません。
バート・シャンダウの町を過ぎて少し行ったところの景色です。対岸からみるとここにも切り立った岩がみえました。

チェコ領内に入っても・・似たような景色がありました。


そんな景色とは違う景色が開けてきました。町が近いのですね。


左に見えるのがジェチン城Zámek v Děčíně
エルベ川とプローチェニツェ川Ploucniceの合流地点にあるこの町は古くから交易で栄えていたようです。

そう言えば、以前車で通過した時に意外と大きな町でびっくりした記憶があったのを思い出しました。
立ち寄って見たいなとは思いましたが、通過です。


さて、もう少しですね。
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閉店法の狭間で(ベルリン)

2015-11-27 18:12:12 | ドイツ
今日も寒い。けれども太陽が昼間お顔をみせてくれたので気持ち暖か・・
そろそろ本格的な冬支度をしなきゃなと思っているkおばちゃんです。

やっとのことでkおばちゃんのところにもマイ番号が届くそうで・・郵便屋さんも大変な事で・・でもタダで配る訳じゃないでしょうから、黒猫さんなんかに比べたら収入が上がることでしょう。

気がつけばもうすぐ12月・・ああ今年も無駄に生きてしまった・・

○2014年10月5日(日)

Allied Museum連合軍博物館の見学をやっと切り上げたkおばちゃんです。
さて・・お次は・・とりあえずあそこに行って見ましょう。

駅に向って歩いていたら、随分区雑なアンテナが建っている建物がありました。


何の建物だろうと思ったら、どうやらアメリカ大使館の領事部の建物らしいです。
このあたりダーレムBerlin-Dahlemはちょっとスノッブな感じの町なのかしら。その向い側にあるショッピングセンターも覗いたけれども、有機だバイオだという食品がいっぱいありました。


さて、kおばちゃんが地下鉄にのって向った先はこちらです。


ベルリンのデパートKDWです。

そうそう、さっきのショッピングセンターもそうですが、ここKDWも実は今日は営業しております。
今日は日曜日。本来だったら閉店法と呼ばれる法律で縛られている関係で、ドイツの小売業は営業しちゃいけないんですよね。
しかし、それじゃあまりにも不便だということで、一部改正されて、年に数回は日曜日の営業も認められるようになったということです。

で、その『年に数回』の1日が今日にあたるのです。なんとなくkおばちゃんは事前にその事を知っていたので、休日のデパートはどんなものかしら・・ということで眺めに来たのであります。

で、その結果は・・・日本の休日のデパートとあまりにも違ってました。
お客が殆ど・・・・・・いない!!
そして、売り場の売り子少ない、けれども手もち無沙汰。
ショッピングはレクレーションという感じの日本とはまったく違いました。

そもそも閉店法なる法律は国民のために設けられたものときいています。
ま、第一はキリスト教の安息日に仕事をするな・・というのもあるでしょうけれども、労働者の『休む権利』を保護する為と、街中の小売の労働環境を守るため一斉に休む・・ときいていました。

そのスタイルも2006年のワールドカップ開催を期に、改定され24時間営業も(営業可能時間も決められていたとか)認められるようになったけれども、長年培われた生活スタイルをそうやすやすと変える事の出来ないドイツ人ということのようです。

上の階のイートインのスペースに行っても、閉まっている(営業してない)お店が殆ど。
でもkおばちゃんのお気に入りの肉屋のレストランはやってました。


遅めの昼というか早目の夕食というか・・食べてしまいましょう。


こんなものを食べたのだけれども・・何だったかな?俵場の者はハッシュドポテトだったと思います。
このお店も暇そうでした。
ただ、私の横で食事をしていた青年は・・・とっても具合が悪そう(といっても風邪かな。ときどき咳き込む)だったけれどぺろりとステーキを平らげてました。

この休日営業って何時まで続くのかな・・と思ったkおばちゃんです。

KDBから地下鉄の駅を見下ろしてみました。Wittenbergplatz駅です。


食事の後は・・・軍資金の調達です。


最近は両替は殆ど利用しません。その分かりカードキャッシング。で、帰国したら速攻に臨時返済です。
キャッシングする時は、なるべく営業中の銀行の店先か、もしくは人目のあるところにしています。
だからこのKDWのマシーンは何回も利用させていただいてます。

食後は一旦お宿に戻って一休みです。
で、再び向ったのは・・こちらです。


フィルハーモニーです。ベルリンフィルの本拠地。
しかしであります、実は本体はお留守であります。お先走って早くチケットを買ってしまって・・シーズンの発表をみたら見事に演奏旅行に出かけるスケジュールだったのです。
まあ、しかたありませんね。

ということで、本日は別のオケの演奏会です。DEUTSCHES SYMPHONIE-ORCHESTER BERLINベルリン・ドイツ交響楽団です。


今日のプログラムはこちら。


前半のこじんまリとした編成はハイドンです。
Joseph Haydn
Symphony No. 103 in E flat major Drumroll

後半は編成も大きくなります。


マーラーの4番でした。
Gustav Mahler
Symphony No. 4 in G major

指揮はTUGAN SOKHIEV氏
ソプラノ独唱はSALLY MATTHEWS女史でした。


響きの美しいホールでの演奏会。どんな団体でもステキです。


バイオリンソロの演奏もステキでしたよ。コンサートマスター!

さ、楽しい演奏会もお終い。
明日は移動しなければいけませんので早く帰りましょ。
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西と東の狭間(ベルリン)

2015-11-26 18:16:24 | ドイツ
すっかりサボリ癖がついてしまって、休みの日に休止じょうたい。
そのうえ、先週は本業も大忙し、趣味も大忙しで責任重大状態だったのです。

まあ、ひと段落着いたと思ったら寒くなってしまって・・ってなんにしたってやる気のでてなかったkおばちゃんです。

心を入れ替えて・・と言う訳には行かないでしょうけど書ける時に書いておかないとね。

○2014年10月5日(日)

Allied Museum連合軍博物館はそれほど広い訳ではありません。
でも集中力のないkおばちゃんは表面をざーーと眺めるだけ。

で、興味をひいたのはこの地図。


ベルリンの西と東の境目をしめすものです。

これやシュパンダウSPANDAUのあたり。


右上のあたりがテーゲル空港Flughafen Tegelかな。

ここは・・あのオペレーション・ゴールド黄金作戦の場所ですね。


そしてこの出っ張ってるところは・・そうポツダムに向うグリニッケあたりです。


2013年の5月に訪れたグリーニッケ橋Glienicker Brückeのあるあたりです。

このあたりはあんまり建物のないのに複雑に東西が分断されてるのね。


地権者の問題でしょうか?グリーブニッツ湖Griebnitzsee駅のあたりのようです。

これはさらに北の方。孔雀の島ファウエン島Pfaueninselあたり


このあたりもとんがってますね。

Schmöckwitzあたりはベリルンの南東部。シェーネ フェルト Schönefeldのご近所です。

そしてこの博物館で一番有名??なのはこの建物かな。


チェックポイント・チャーリーCheckpoint Charlieと呼ばれた、東西ベルリンの国境検問所。
これは初代の『本物』です。現在カノ地にあるのはもちろんレプリカですけどね。

さて、建物の外に出て・・なんだかぼろい建物ですね。


屋外の展示もあります。


左にみえるのが・・イギリス。ヘイスティングスTG 503「キャンディ爆撃機」Airlift-era British Hastings TG 503 “Candy Bomber”


逆光になってしまいました。

右側はベルリンの壁の一部と監視塔。


そして片隅には列車も。


フランス軍の列車の食堂車だそうでう。

そして画像に納めませんでしたが、室内にあったあのチェックポイント・チャーリーCheckpoint Charlieの最後のたてものが展示されています。

これだけ眺められて、無料とはね。
まあ、冷戦時代をあるいみまだ引きずっているのかもしれませんね。

敷地内にはこんな碑も。


ベルリンの人々に捧げます・・でしょうかね。

さて、そろそろ・・お次に移動しましょうか。バス停がそばにありましたが・・う~ん。イマイチですね。
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オペレーション・ゴールド・・失敗!?(ベルリン)

2015-11-17 19:21:56 | ドイツ
日数がたつにつれて、平常心をもどしつつあろうおパリ。
みなさんの平静さに救われます。

事件当日、顔本で繋がっているフランス女史のプロフィールが瞳の中に三色国旗。そしてその瞳からの涙をみて、心が大変いたみました。

暴力でないも変わらない。それは多聞彼らにも判っている。
でも、なぜ彼らはしに急ぐのか・・私にはその動機がわからない。

ただただ、人間と言う強欲な生物が右往左往してるだけにみえてしまいます。

今、昨年のことも・・平和は時代のはなしじゃないからかな。このごろ涙もろいkおばちゃんです。

○2014年10月5日(日)

Allied Museum連合軍博物館の展示はそんなにいっぱいあるわけではないけれども、興味をもってみています。

そのひとつは・・こちらの構造物。


土管・・ではありませんが似たようなものです。
そういえば、関係ないけどkおばちゃんお子ちゃまのころ、土管で生活したくてしょうがなかったのよね。
近くの空き地に土管が積み上げられていないか・・チェックしてはいたんだけれども、子どもが入れるような大きな土管がなくてがっかりだったのよね。

この土管の正体は・・地下トンネルです。
でも、これは実物だったかどうか忘れてますが、立ち入れないということは本物だったのでしょう。

Operation Goldというとかっこよく聞こえるけど、日本名は黄金作戦(おうごんさくせん)または金工作。何だか金細工みたいな名前ですね。
ベルリンにあったソビエト軍本部の陸上通信線通信を傍受する為にソビエトの支配する地帯にトンネルを掘アメリカ中央情報局(CIA)とイギリス情報局秘密情報部(SIS)による共同作戦のことだそうです。

ベルリンの南西にあたるんでしょうかこのあたり


拡大するとこのあたりだそうです。


で、現在のgoogleさまの地図によるとこのあたり。


新しくできるはず・・のブランデンブルグ空港、現在のシェーネフェルドFlughafen Berlin-Schönefeldの直ぐそばですね。

1954年の9月ころから縦掘りの建設をはじめて・・翌年1955年の2月には完成したようです。


もちろん、目標もなく掘ったわけではなく、そのそばに通信ケーブルがあるというのがわかっていたからのようですが、その情報は何処からもたらされたか・・
そうです。この時代は『スパイ(エージェント)』の活躍していた時代です。
このスパイは両刃の刃でもあったんですよね。

つまり・・2重スパイというのが存在していて、実はこのトンネルの計画はソ連に情報が筒抜けだったようです。
しかし、ソ連は建設を黙認・・完成させて運用を1年ちかくさせていたようです。

1956年4月21日ソビエトと東ドイツの兵士の突入によりこのトンネルの存在は白日の元に晒され、「国際法規範の違反」あるいは「ギャング行為」と世論を騒がせることになったそうです。

発見された当時の新聞だと思います。


このトンネルの存在をソ連に知らせていた2重スパイとはジョージ・ブレイクGeorge Blakeというイギリスの外交官の職にあった男です。ソ連KGBの中佐でもあったそうです。


彼はこのトンネルの計画のみならず、東ドイツにに潜伏していた40名もの西側スパイの情報をていきょうしていたとのこと。

しかしこの情報もソ連側には温存されていたようで、1961年3月ブレイクが2重スパイの罪で逮捕されたあとになって、ソ連のKGBは、東欧諸国内のイギリスのスパイ(エージェント)網を壊滅、東ドイツに潜伏していた40人のスパイ(エージェント)が逮捕又は殺害されたようです。

それを伝える報道・・だったと。


なんとも非情な時代だったんですね。

しかもこのブレイク、逮捕されたあと禁固42年を言い渡されたのですが、5年後脱走。まんまとソ連に逃げ込んで・・・現在も生存しているのかは判りませんが、2007年には勲章を受章、2012年には新聞のインタビューもうけていたそうです。
現在(2015年)生存していたら93歳ですって。

トンネルの機密あつかいは2007まで続いていたようです。


まるで映画のようなお話・・というか映画が出来てしまう展示でした。
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分断のはじまり(ベルリン)

2015-11-16 20:23:42 | ドイツ
13日の金曜日・・・この日を狙ったのか、パリで痛ましい殺戮がありました。
つい1ヶ月前、パリにいたkおばちゃん。
今年の一月にも痛ましい殺戮はあったけれども、それは思想的に狙われた感があったような気がします。
でも、今回のは完全なる無作為。人の集まるところ、そして入り易いところを選んだのでしょう。

行動をおこす輩は『退路』を考えていない、所謂体当たり作戦。
その昔の我が国の特攻隊と同じ。一緒にするな・・と言われればそうなのですが、思考は同じだと思っている。
自爆犯は私利私欲のために行動しているとは思っていない。自分達の信条がひたすら正しいのだと信じ込んでいるのです。

だから怖いのです。行動は読めません。

世界中で悲しみにくれている時に、『なんでパリの事件だけ悲しむんだ!』なんて声を上げる輩もいます。
もちろん殺戮はどこででも、起こっています。

でも、身近に感じる場所で起こった悲惨な出来事に哀悼の意を表現する事を批判する神経がkおばちゃんには判りません。
悲しい時は悲しいのです。
その悲しみを忘れず、解決への路を考える事こそが大事なんじゃないでしょうか。

自爆犯だってある意味では無駄に命をつかっているんです。
こんなバカなことをするのは人間だけでしょうね。

動物は、他人を支配しようとか考えを変えさせようとかは思わない。
生きるか死ぬか・・この選択肢しかないのでしょうから。

文明が文化がどんなに発達したと言われても、こんなおろかなことを繰り返す人間の根性をかえることはできないんでしょうね。

○2014年10月5日(日)

kおばちゃんがやってきたやってきたのはAllied Museum連合軍博物館は、それこそ第二次世界大戦敗戦後にこの地を統治した連合国にかんする博物館です。
現在はどこが運営しているんでしょうね?入場無料ですから。

中に入ってまず目に付いたのはこの手作り感あふれる国旗です。


1945年5月8日ドイツは連合国に敗戦します。
1945年6月5日にはベルリン宣言Berlin Declarationにより、ドイツは連合国の支配下にはいるわけです。


が・・当初連合国としてひとくくりされていたのははアメリカ合衆国・イギリス・フランスそしててソ連のことを指していたそうです。

ドイツ、及びオーストリアはこの地図のように分割統治されていたんですね。


右上のピンクの部分を統治していたのが・・・ソ連。
当時ベルリンと言う町は、ソ連の統治領にありながらも連合国全体で統治していたようです。

政治的思想の違うソ連が、ポツダム宣言の「ドイツを経済的に一体とみなす」と言う言葉を無視して統括地で土地改革などをおこなっていたこと、そのことに不信感をもった西側諸国アメリカが新通貨ドイツ・マルクを準備し発酵させたことから決定的に分裂。
ソ連のベルリン封鎖へと繋がって言ったと言われているそうです。

その新通貨だったと思います。


悲しい分断の歴史の始まりです。


周りをソ連の支配地に囲まれているベルリン。6月24日の早朝からは物資の搬入の路(鉄道、道路)を封鎖されてしまい陸の孤島になってしまったようです。

そんな陸の孤島と化した西ベルリンに物資を供給するのには航空機を使用することしかできませんでした。


6月26日には早くも空輸作戦が始まったようです。


こんな感じでしょう。

運ぶ先はベルリンにあるテンペルホーフ空港Flughafen Berlin-Tempelhofが主だったようです。ここがベルリン空輸Berliner Luftbrückeの舞台になりました。


但し、ソ連領の(東ドイツ)の上空を飛行しなければなりません。


許可されていたのは3方向のみ。

細かくルートが決められ、また空輸する連合国側も効率よく大量に物資を運ぶ為に、真中の空路はベルリンからの帰りの便専用としていたようです。



この三方向を示すのでしょうか。空輸の舞台となった各地にこの壁のような記念碑があるようです。


そしてその後、東西の分裂は決定的となり1961年8月13日からはにはあの壁が建設されて行ったようです。


ベルリンの壁って『崩壊』のことは記憶に新しいこともあり、よく報道される気がしますが、『出来た経緯』って詳しく知らなかったな・・と思ったkおばちゃんです。
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ちょっと郊外へ(ベルリン)

2015-11-13 23:07:29 | ドイツ
今日も肌寒い。
で、ついに今シーズン初,熱技下着を着用。あったかいなり。
これからは無理するのはやめましょう。

●2014年10月5日(日)

ベルリンの目覚めは・・普通。

で、朝ごはんをがっつりと・・いつものように頂きました。


毎回思いますが・・殆どこれが唯一のまともな食事になる事が多いのです。

さてさて、今晩のご予定はばっちりあるんだけど、他の予定がたっていないのでしたが一生懸命考えてあそこにゆくことに・・と直前の思いつき。

当然、地図なんかありませんから、迷子にならないように事前にPCで調べた物をスマホの画像に納めるという技をつかいます。


お宿を出て、駅に向って歩いていたら・・なんでしょうか?なんかの会場が設営されていました。
今日イベントがあるようです。マラソン?

途中でインタビューを受けている姿も見ましたが・・・マラソンにしちゃ??コスプレマラソン??


疑問に思いながらも通過・・・

後日(いつもですみません)判りました。
これって、よくニュースで見かけていたやつです。ウエイターの徒競走。ここに2016年のサイトがあります。
お盆をもって走るやつです。

見ておけば良かったかも・・と今更後悔。

移動の地下鉄車内で見かけた広告。


東京留学のすすめ・・でしょうか。

辿り着いた駅は、ちょっと田舎風。もちろんベルリン市内です。


こっちの方向か・・


ちょっとスノッブ感のするショッピングセンターがあります。


更に先に進みます。


ああ、郊外!という景色ですね。

途中にあったモニュメント?


Veryl Goodnightという人の作品のようです。The Day the Wall Came Down
ベルリンの壁をモチーフにしたもの。壁の落ちる日??

どうもここのようです。kおばちゃんの目的地。


到着です。


やってきたのはAllied Museum連合軍博物館です。


outpostとは前哨基地と言う意味のようです。つまり先っぽですね。

ありがたいことに、この博物館は『無料』です。


入って見ましょう。
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おめでとう!村上さん(ベルリン)

2015-11-12 17:23:27 | フランス
今日も一日忙しかった。
昨日と違ってちょっと肌さむ。
太陽は出る出るお化け状態だし・・

さ、早く書いちゃわないと・・去年の話しですからね。

○2014年10月4日(土)

さて、おパリの空気を楽しんで・・疲れたkおばちゃん。空港へ戻ります。
Saint-Michel - Notre-Dameの駅からはB線に乗車です。


やってきたのは、北駅からノンストップの便。
丁度良いですね。

車輌も新しいヤツです。


ここで問題発生!
搭乗券は既にもっているので今回はチェックインしないで、手荷物検査だけ受ければよいのですが・・手荷物検査場に向う時に声をかけられました。
そう、その時は一字預りに預けていたキャリーバックと、カメラの入ったバック。それに買ったパンを持っていたのです。
手荷物が多い!とのことなんです。

そこには『この中に入る手荷物』ということで鉄枠のようなものがあり、その中に荷物を入れろ!とのことです。
で、kおばちゃんその中に荷物を入れたら・・・なんとその鉄枠の下は『計り』がついていて重量を計れるようになっているのです。
結果・・・機内手荷物としては重量オーバー!!とレッドカードを受け取ってしまいました。あららら。

そうなんですよね。欧州間のフライトは手荷物制限が厳しい(預け入れ荷物別料金でしっかり稼ぐ)態勢なのです。
しかたがないので、チェックインカウンターに向います。
ここで交渉するkおばちゃん。
チェックインカウンターの女性は『使い料金を・・』と言ってきたのですが、kおばちゃんは『私にはまだ預ける権利があるはず。本来は3個預けられるのに1個しか預けてないのよ。トーキョーから。だからコの荷物は無料のはず!』と粘ったのです。
彼女はどこかに電話をかけて・・多聞上司に仰いだのでしょう・・結局無料でOKということになりました。
で、キャリーバックを預けるのですが、その中からPCを出したり充電器をだしたり・・と結局パンを買った袋に詰め込みました。
だって、本当にコの荷物が到着先の空港で届くか・・信じていないのですから。(一度ありましたよね。不着が)

で、預け直して・・・例の係員の前をニコニコしながら通過です。
今回は彼もOKと言ってます。だよね。

結局、お昼はケーキ以外食べなかったので、がつがつとラウンジで頂きました。


ようやく日も落ちで、kおばちゃんの飛行機の自国です。


長い長い一日ですよね。外は真っ暗です。


あーはやくお宿で休みたい。とか勝手なことを言ってるkおばちゃんです。


短い路線ですが、一応軽食が出ます。


サンドイッチも選べたと思うけど・・多聞ハムチーズだったかな?


無事ベルリンの空港に到着です。


夜遅い便なので、殆どが地元の人のようですね。


心配していましたが、無事荷物全部とご対面できました。
で、ここからバスに乗って・・無事お宿に格納されました。

で、お宿で寝酒を頂きながら、機内でもらった新聞を目にして・・・おやおや・・とびっくりです。


見た事のあるお方が・・村上春樹さんですね。
なんでもドイツの日刊紙ディ・ヴェルトDIE WELTが主催するヴェルト文学賞WELT-Literaturpreisを授賞しということらしいです。

オメデトウございます!
呼び声の高かった・・ノーベル賞はのがしましたけれどもね。

そして長い長いkおばちゃんの一日は終りました。
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ランニングは人ゴミで?!(パリ)

2015-11-11 17:52:32 | フランス
今日は午前中ちょいとお出かけ。
で、マイナンバーの話しなんぞを聞きかじったりして。
この、マイナンバーって管理はどうなるんでしょうね?お金の入ってくるところには通知しておかないといけないみたいだけれど、小さな企業にその管理がしきれるのかなぁ?と不安になったりして。

ま、みなさんがきっちり税金をお払いになればよいだけの話しですよね。

ふと、空を見上げたら飛行船が飛んでました。

○2014年10月4日(土)

ベルサイユを見学し終えたkおばちゃん。
来たルートと逆で、帰ります。

帰りのバス停は・・たぶん反対車線・・とあたりをつけて歩いていたら、いました。バスが。
で、乗車したら・・あらあら来た時の運転手さんです。
あちらもkおばちゃんのことおぼえていたみたいです。ほら、自転車転倒事件でね、思わず声を上げちゃったから。

お互いにニッコリ笑って『ボジュー!』とご挨拶です。
あれから、彼は何往復したのでしょうね?

バス、メトロ、C線と乗り継いで、パリ市内に戻ってきました。今日の切符は、ほら、乗り放題だから途中下車もできます。

以前、ラベルの墓参りのときにメトロと近郊線の乗り継ぎの時に没収サレやしないかひやひやしましたからね。
で、思い切ってB線に乗り換える前に外に出て見ました。

乗換えの駅はSaint-Michel - Notre-Dame!

ということで、ノートルダム大聖堂・・じゃなくてサン・セヴラン教会Eglise Saint-Severin



ノートルダムの対岸のカルチェラタンの入り口にあるんだけど、それにしても・・大混雑。


周りは飲食店が多くて、ここでお昼かわりに何か食べようかなーーとおもっていたのだけれども。

とにかく、人、人・・



丁度通りかかったGeorges Larnicolというチョコレート屋さんも・・人がいっぱい。こりゃだめだ。


なんだか人ごみにつかれたkおばちゃんです。

それでも根性で?このパン屋でお買い物。


活気があって賑やかな地区なんですけど、お一人様がお食事を楽しめる場所ではないかな?


で、こんな混みこみの通りを、なんとマラソンの一段が通過しようとしていました。


おいおい・・・なにもこんな混んだところを走る事ないんじゃないの??


そういえば、数年前の夜、あのグルメ通りのムフタール通りRue Mouffetardも、ウォーキングの集団が歩きぬけていったっけ・・と思い出しました。

そんなこんなで、結局ここでは何も食べないでノートルダム大聖堂を横目でみて、空港に向う事にしました。


プチ・パリの休日はお終いです。
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アントワネットの夢の世界(パリ)

2015-11-10 18:13:21 | フランス
今日は雨。夕べも雨だったのだけれど、ちょいボケのkおばちゃん。
夕べはいつもの儀式を忘れて出かけてしまってショック。あれだけ気をつけてるのに。

そうそう、kおばちゃんの愛用のデジカメは古いS社製。わざわざアフリカに行く前にネットで中古を買い直したほど。
手軽で薄いのが気に入ってるのだけれど、それの記録媒体はメモリースティック。で、これがもう殆ど量販されなくなってしまった。
メーカー品じゃないのが安かったのだけれどもそこのSD社は製造をやめてしまったようで、もともとの製造もとのS社も記録媒体をMCに変えつつあるだって。
まるでVHSのような騒ぎ。

そうそう、宝くじが当たったら欲しいカメラがあるんだけれど、店頭で見かけた事がない。P社のものでネット価格で10万以上はするんだけど、スマホの機能がついているのだ。
つまり、スマホのカメラじゃなくてカメラにスマホがついているというもの。先日友人が持っているのをみて、うらやましかったのだ。暗闇とかでもよく映る。
ただ、レンズがズゥィーーンと出てくるのがなんなんだけれども、日本じゃはやらないのかな。日本製なんだけどね。

kおばちゃんのスマホも3年経つとそろそろ草臥れてきたので考え中。

○2014年10月4日(土)

ベルサイユの宮殿をさっりと見学し終えた??kおばちゃん。
今回の目玉・・というか目的に向います。

さて、宮殿の裏というか庭に出て・・・歩く・・ことは辞めました。へタレですから。

で、プチトランに乗ります。


あそこの小屋で乗車券を買って、列に並びます。
ハイシーズンなので続々とトランはやって来てフル回転。まあ、多少は待ちます。30分は並ばなかったと思いますけど。(忘れてます)

プチトランに乗って・・庭園内をゆっくりと走ります。
ただ、驚いたのは、一般車輌が公園内を走っている・・というか駐車しているものがあります。
ここに書いてアリマスが、一応乗りいれ出来るようですが、障害者だけでしょうか?立派な車が乗り入れていたので、有料で一般人も止められるのかな?とは思いますが不明です。
料金はここによると7.5ユーロだったみたいです。ちょっと高いな・・と思った記憶があります。

それと、ゴルフ場なんかにある電気カートの貸し出しもあったのだけれども、1台幾らの設定35ユーロくらいだったかな??
一人ではとっても割高になると思って辞めておいたのであります。

さて、プチトランに乗ってやってきたのは、宮殿の庭の奥にあるプチ・トリアノンPetit Trianonと呼ばれる地区です。
もともとはルイ15世の愛人だったポンパドゥール夫人のために作られた宮殿だったそうですが、その後16世のお妃、ベルバラで有名なあのマリー・アントワネットのために、彼女の好きなように改装された宮殿と、地区となったとのことです。

ここのお庭はアントワネット好みに、イギリス庭園風に自然に『見える』ように改造されているのです。
あの、シンメトリー大好きなベルサイユのフランス庭園とは大違いなのです。

庭園に続く道からして・・こんなです。


池もしつらえられています。もちろん噴水なんか・・なかったと思います。


イギリスの田舎のコテージ風な建物もあります。


ご丁寧に、畑までこしらえてあります。


アントワネットにとってはここを散策したり、小屋を覗いたりするのが好きだったのでしょう。

先ほどの宮殿の、衆人環視のお食事から考えたらそうかもしれませんね。こんなところでノンビリと散歩できたらkおばちゃんだって気持ちが健全になると思います。

まして、このような気持ちの良い季節。ここはさぞかしアントワネットにとって心のよりどころになったことでしょう。


農民ごっこなんかしたかもしれませんね。

kおばちゃんがここに最初に来た時はまだこの場所は公開されていなかったようです。2008年に公開ということのようです。

もし、彼女に選択肢があったら・・少領主の奥方として幸せに暮らしたのではないでしょうか。
なんだか庭園をみていてそう思いました。
それにしても、彼女はこの風景の発想をどこから得たのでしょうか?田舎を通過することなんてあったのでしょうか?
彼女に聞いて見たくなりました。

この一角の隅に、イギリス庭園とは雰囲気の違うたてものがあります。


愛の神殿Temple de l'Amourと呼ばれる建物です。

名前の通り、C国のカップルがひっきりなしに写真をとりまくってます。


ギリシャ神話のキューピットがそこいらへンにいるんじゃないでしょうか?

この東屋風な建物の後というかそばには柳の木が植えてあります。
柳の枝越しに戯れあう恋人達・・とかすぐイメージしてしまうkおばちゃんです。ああ、若かったなら・・

気持ち良いアントワネットの夢の世界・・もそろそろ出発しないと。

再びプチトランに乗って、宮殿の方向に戻ります。


宮殿を背にして、庭を望んで見ます。


目の前に広がるのがる壮大な庭園。真中はグラン・カナルと呼ばれる人造の大運河です。
やっぱり巨大な『力』を誇っているかのようですね。どこの宮殿よりも広大で、桁違いなスケールです。
この右はじのほうの奥に、さっきのプチ・トリアノンPetit Trianonがあります。

背後にあるベルサイユ宮殿ももちろん大きいのですが、やはりこの目前の庭と一体になってその『権力』を諸侯に誇示していたのでしょうね。


さ、kおばちゃんのベルサイユ詣で。この位で引き上げましょう。
何と言っても・・・乗り継ぎの時間つぶしですからね。

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国王陛下も大変ね!(パリ)

2015-11-09 17:56:55 | フランス
土曜日にひとつ肩の荷がおりたのだけれども・・だめですね。
日曜日は雨で心も体もどんより・・です。

やらなければいけないことが沢山あるのに何も手をつけていない・・現実。
毎度のことながらですけれどね。


○2014年10月4日(土)

バスにのってやってきたのは、ベルサイユ宮殿Château de Versaillesです。


うわーー出遅れた!
早朝おパリに到着していたにもかかわらずです・・

ルイ14世の騎馬像がお出迎えしてくださいましたが、長蛇の列でございます。


しかも皆さん入場券をもってらっしゃいます。


kおばちゃんも一応ネットで事前購入はしてあったんですが・・気が遠くなりそうです。
でも、今日はベルサイユに行くと決めたので並びます。

それにしてもC国人のマナーの悪い事。同胞をみつけると、横入りは当たり前。で、ついにkおばちゃんも切れました。列を守れ!!と。
だって、どんどん前が膨らんで行くんですから。

もう、こいつらとは2度と会わないだろうから、怖がられたって、変なヤツと思われたってかまいやしません。
同じ東洋人として恥ずかしいです。西洋人にとっては、kおばちゃんだって同じ穴の狢と思われてるにちがいありませんからね。

長蛇の列の元凶は手荷物検査なんですけどね。あれ、なんとかなりませんかね?手ぶらに入るようにするとかね。

入場して・・ガイドを借りた記憶が・・忘れてます。
画像のほうは、デジイチで殆ど撮っていますがPCに落としていない。画素数がでかいので、都か何とかいい訳したりして。
ということでコンデジとスマホに残っている画像だけですが、これはチャペルだったかな。


山の手線並の混雑の鏡の間です。


ベルサイユ宮殿はそれことウン十年も昔の学生時代、冬場に来た事がありますが、たしか鏡の間は工事中だったような・・
がっかりした記憶があります。

この鏡の間の鏡って、当時ガラスの市場をイタリアが独店的に支配していたところ、このルイ14世の肝いりで王立鏡面ガラス製作所をつくってフランス製で仕上げた・・ってどこかで読んだ気がします。そうそう、その会社の日本法人に勤めてる友達に聞いたんだ。
現在もこの会社は350年の歴史を誇るって・・って頑張ってます。

つまり、この鏡の間じたいが、フランスのガラス技術のサンプルルームという展示施設というか。
宮殿という大パビリオンは当時の工業技術、美術を誇るものだったのだと思いますよね。一大パビリオンです。
王様がたが、ゼイタクに作ったわけではなかったのだと思います。

現在だったら言う意味で建てようとしても、ノイズィーマイノリティーとやらの標的にされてしまいますね。

この宮殿のなかで、興味をひいたと言うか何だかなぁーとおもったのはこちらの部屋です。


国王と王妃のお食事のお部屋。
でもなんだか変でしょ?学校給食じゃあるまいし2人ならんでテーブルセットって。

で、実は部屋全体を見回すとこんな按配になってます。


お食事している国王と王妃をギャラリーが取り囲んでいるの図です。

正面のイスには身分の高い貴族、そして脇には低い貴族が腰を掛けながら、国王夫妻のお食事姿を拝見する。
まるで、動物園のパンダ状態ですね。
何と申しましょうか・・

食事の間には、あの有名な最後の王妃、マリー・アントワネットたちの肖像画がかげてありました。


彼女達もこうやって食事をしていたんでしょうかね。

こちらの天井画は修復中。なんだか和紙をはりつけてあるように見えるのは・・気のせい?


なんだかんだと歩きまわって・・へたれのkおばちゃんはさっそく休憩です。


日本でも有名なケーキ屋さんが入ってました。

で、大好物のこちらを頂いたのであります。


隣のテーブルには同胞の親子がお茶してました。
お話したら、ドイツ在住だそうで、州にもよるけれど今週が学校がお休みだったようで、車で遊びにきているとか。
多聞これがお昼ご飯ね・・とkおばちゃんと同じようなことを言ってらっしゃいました。

小学生男子2人にはベルサイユには興味がないようで、骨折の怪我をしていた弟君はママがケーキの頭(マロン)のところを食べちゃったとエラクすねてましたね。

さ、お休みもお終い。
残りを楽しまないとね。とさよならして、席を立ったのであります。

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自転車!注意!!(パリ)

2015-11-06 18:02:45 | フランス
今日はお鍋を焦がしてしまった。
火にかけていたのを止めた・・・つもりでいたのだけれども、きちんと止まっていなかったみたい。危ない危ない。
お鍋を焦げ付かせただけですんで良かったと思ったほうがよいかもね。

あーあ。ボケボケであります。


●2014年10月4日(土)

金曜日の深夜に出発して、おパリの空港に到着したのは翌土曜日の早朝です。
3時代だったかな。で、なんやかんやしていて4時過ぎて・・ということだったと思いますが、もちろんおパリはまだ夢の中です。

中心部に向う列車も6時近くにならないと動きません。

だからチェックインのお客さんもまだきてません。


このような時は、kおばちゃん出発ロビーで時間をつぶします。
ええ、そのほうがまだ人がいますから。

到着口だと、荷物をひきとったら、さーーっとどこかにみんないなくなってしまいます。
だから、出発ロビーの待合ようのイスのところで時間をつぶしていました。

6時近くになり、そろそろ移動の準備をしないとね。
電車の切符は本来は自動販売機で買えるのですが、カードが使えないことが多かった。(2015年現在は問題なく機械で使えました)
それに、どの切符がkおばちゃんの今日の高度に適しているか・・ということも聞きたかったので窓口で買うことにしていたのです。

6時ちょっと過ぎに窓口担当者が入室、やっと受けが始まりました。

で、kおばちゃんの今日の行程だったら・・と進めらたのはパリ・ビジット Paris Visiteという切符のゾーン1から5というもの。


これだとCDG空港往復と、これか向う場所の往復も含まれてるし、パリ市内はもちろん乗り放題ということです。
面倒臭くなくて良いです。

これが入手した切符です。
名前と、使用する日にちを自分で記入します。


で、切符を入手したので早速電車に乗って移動です。


外はまだ真っ暗です。

目的地に随分早く着いちゃうかな・・とか心配していたのですが、電車に乗っているうちに気が変わりました。
どう変わったかというのは・・実はこのとき、手荷物預かりの利用料金を節約しようかと思って、機内持ち込みにしていた所謂キャリーバックを持っていたのですが、おそらく目的地にはロッカーがない。
で、途中駅の北駅ででも預けようかと思っていたのですが、引き取る時の手間を考えたら・・・やっぱり少々高くても空港の預りに置いておいたほうが安心でラクチン・・と思い始めたのです。

ということで途中、北駅でユーターン。再び空港に戻って荷物を預けて・・なんてことをしたのです。
乗り放題チケットを入手してしまったから考えが途中でぐらついてきたんですけどね。

で、し切りなおしで出発したら、すっかり時間が遅くなってしまいました。

B線からSaint-Michel - Notre-Dameで、C線に乗り換える頃にはすっかりラッシュ時間帯です。

C線はセーヌを渡る時に外を通るのですね。


なんだかおおパリらしからぬ、近代的な景色が広がっていました。


再び地下にもぐって・・Boulainvilliersで乗り換えます。

乗り換えた先はメトロの9号線。名前も違います。


このころにはラッシュも終っている時間。

9号線で終点のPont de Sèvresまで向います。

Pont de Sèvresからはバスに乗りかますが、これもさっきの切符一枚で乗れるので便利便利。

バスは入り口のところがこのような仕切りで別れていて乗車口で渋滞しないようになっています。


この仕切りの中央部に電磁的乗車カードのスキャン機がついていて、カード利用の人はそこにタッチして入りますし、kおばちゃんのように運転手さんに切符を見せる人や、券をかったり機械で印字したりする人などもたもたしている人がいても片方からスイスイ・・とタッチして乗り込めるので人の流れが良かったです。

バスは一番前のお気に入りの席に座る事が出来たました。


Pont de Sèvresの駅を出発したバスは、セーヌ川を渡ります。


このアタリまでくると、郊外という感じですね。

この後バスはD910という道路をひたすら走るのだと思いますが、途中でひやりとした出来事がありました。


この道路、ちゃんと歩道もついているのですが、歩道を子供達の乗った自転車が走っていた時の出来事です。
一番端、車道よりを走っていた自転車がバランスを崩して大きく傾き、倒れ掛かりました。
丁度バスと平行して走っていたのです。思わず『あ!』と声を上げてしまいました。

バスにぶつかると思ったのです。

すんでのところで、自転車の少年は足をついて傾いた自転車を立てました。

ああよかった!ぶつからなかった!!

運転手さんもホッとしています。kおばちゃんと目があいました。
kおばちゃんも思わず『良かったね。』とつぶやきました。

その後、自転車立ちはバスの前を横断して行きました。
前を横断する自転車に向って運転手さんが声をかけました。『大丈夫か?怪我はないか?』
少年は『大丈夫。ごめんなさい。』と謝って通り過ぎて行きました。

なんだかその光景をみていて、ほっこりしたkおばちゃんです。
だって、てっきり運転手さんが『危ないよ!気をつけなさい!!』と怒ると思っていたのです。それが、優しい態度にでたのですから。

なんだか、その光景を見ただけで心が和んだのでアリマス。
でもね、やっぱり自転車は危ないですよね。
kおばちゃんも気をつけなきゃ・・と思ったのでした。

さて、そろそろ目的地が見えてきました。

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ああ、失敗!

2015-11-05 17:46:47 | 日本
秋晴れの気持ち良い日が続いていますね。
さて、いつまで続くやら・・

それにしてもちっとも風邪がよくならないので困ってしまいます。

夕べは近所のライブハウスへ。テンションが上がらずになんとなく乗り遅れた感を。

乗り遅れといえば・・先日電車に乗りこむ時に荷物の一部が挟まれたまま出発。所謂センサーにひっかからない大きさ。
こういう時はどうしたら良いモノやら。
次に扉が開くのは・・・この時は目的地だったから良いのですが、下手するとkおばちゃんのところは1時間半近く空かない場合も想定されるのです。

駅員さんに訴えよう友、最近いないし、車掌さんのところも遠いし、かといって非常ベルを鳴らすものでもないし・・と考えながら乗ってました。
挟まれないようにちゅういしないとね。

さて、次の旅行の記録・・・溜まりに溜まっているけれど、とりあえず『去年』の秋の部をさっさとね。


●2014年10月3日(金)

さてさて、もう2015年現在存在していないコードシェア便での出発です。
2014年には存在していて、kおばちゃんのお得意だったのですよね。2015年の3月末で終ってしまいました。実は8月分を予約していて、その知らせをもらったのが2月くらいだったかな・・ほんと残念でしょうがありませんでした。

金曜日のお仕事をちゃっちゃ片付けて、一旦帰宅。で荷物をもって空港へ羽田はラクチンです・・一番便利なパターンでした。
チェックインは・・他社扱いなので、時間が掛かります。ウエッブチェックインはできなかったのです。
カウンターはチェックイン済みのお客さんがどんどん優先されて行きますので。

でも、一応座席は通路側を指定してとってあったので、あせりませんでしたが、チェックン時に非常口席が空いていると進められました。それもいつもkおばちゃんが好んで座る窓側です。
で、あまり考えずにそちらを指定し直しました。

チェックインも終り、荷物から開放されればラウンジでお食事とお酒にありつきます。


最近はこれのおかげで、がっつかなくて済むようになりました。

でもね、ゲート付近のフードコートも魅力があるんです。


お好み焼きやたこ焼きがあるんですよね。いつか食べたい。

さて、無事搭乗したのですが、ここで気がつきました失敗した!!


コードシェアということで、機体がいつもの鶴丸さんとは違います。
で・・・機体の幅が狭い、というか、座席が機体にぴったりとくっついてるのです。
つまり『A』の座席を取ってしまったkおばちゃん、自分自身の幅が広いのを忘れてましが、左側の腕が機体にくっついてしまいます。
いつもだとこんなことはありません。
あーあー、この冷たい機体ぺったりとくっついていなくてはならない??なんて考えたら憂鬱になりました。

その代わり・・といってはナンですが、窓の外が望むことができます。


さて、お食事。こちらは鶴丸さんよりは美味しいかな?最近鶴丸さんも頑張ってますからね。


まあ、美味しいと感じるのは『パン』です。これは文句なく美味しいです。

さて、コードシェア先のおフランスの航空会社は男性の乗務員も多く見かけます。
サービスを終って、ギャレイに集っているのも・・ほら男性が殆どです。


なにやら真面目にお話しています。この航空会社、未だにストライキとかしていますからね。乗務員の権利意識は高いのだと思います。

この便の悪いところは・・・パイロットが頑張っちゃうのか、予定よりも早く目的地の空港についてしまうことです。
案の定、この日も早めに到着です。

この便を好んで選択したのは、乗り継ぎの1日がたっぷりおパリで過ごせるからなんですけどね。
早く着き過ぎると身動きがとれない・・とか文句をいったりするkおばちゃんです。

荷物は目的地までなので受取を待つ必要もないし。。と横目でさっさと出てきてしまったkおばちゃんです。
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ご苦労!フォーカス君(パリ)

2015-11-02 18:27:29 | フランス
土日は良いお天気だったのに、今日は一転寒い。
ああ、こんなことなら昨日洗濯をしておけば良かった。

土日は久しぶりにお仲間と合宿・・・で夜飲みすぎの体たらく。
で、夕べはさっさと寝てしまった。だって体がもたないお年頃ですから。

と言うわけで今朝は快調!とおもいきや・・寒くてエンジンがかかりませんでした。

さて、そろそろ仕上げの旅行記です。って何時のだ?

○2014年8月9日(土)

エペルネの最後のお買い物をすませ・・十分に酔いをさましたところで、出発です。
そう、空港に向います。

実はこの駐車場で、荷物の整理をおこないました。


だってね、レンタカー返却する時はそんな時間はありません。
買い込んだ大事なシャンパンはタオルや着替えに包んで、硬いスーツケースの中に。
そして、パンなどの軟弱なものは・・なるべく手荷物。で、どうでも良いものはやわらかめのバックへ。
今回はシャンパン、ワインがあるのでちょっと気を使います。(本とは預け入れ荷物にしないでくれということなんですけどね)

スーパーの駐車場を出たのが多聞5時過ぎだったと思います。メーターを見ると、あら走行距離がジャストで40900キロです。


CDGまで行きと同じで約130キロ。ナビさまの到着予定時刻は19時少し前になってます。まあ、22時頃の出発だったから大丈夫ね。

ルートは今回もナビ様たより・・で高速をはしりました。これが高速券。


料金所で現金精算ですが、たしか自動だった記憶が。つまりコインを挿入したんだと思います。


こんな感じの2階建の精算機。小銭がないとあせるかも。

空港へ到着する前にガソリンを入れないと・・と検索したガソリンスタンドへ向う途中に通りかかったショッピングセンターAÉROVILLE


どうやら土日も営業していて空港からシャトルバスもでているようなので、時間つぶしにはいいかもね。空港の外れと言った場所です。

なんだかえらくひなびたガソリンスタンドでした。それが何処だったか・・忘れてます。


無事レンタカーを返却。
前に返却した場所とはちがってました。というか時間が時間だからかな?まえは乗り入れるとチェックする人達がだーっと寄ってきた記憶がアリマス。あのときは追突されたので厳しい目でにらまれた。


今回は自ら小屋にいってあそこに置いたから・・と告げ、見てもらいました。


到着は19時過ぎ。やっばり2時間はかかりましたね。

なにはともあれフォーカス君お疲れ様でした。


そう今日距離も41052で152キロ増えました。


あとはチェックイン。この時間帯は便本分の受付を一箇所でやってるので結構混雑してました。


免税の手続きは相変らずの大混雑ですね。


あ、もちろんkおばちゃんには関係無いですけど。

もう、十分にパンも買ってあるのでこちらもパスです。


ラウンジに入って腹ごしらえ。はい、今日は飲むばっかりで食べてませんでした。


シャワールームがあるので利用させてもらいました。その時に前にならでいらした日本人男性、お話を少ししましたがこれからチリに向うそうです。
kおばちゃんが『え?南米なのにフランス経由なんですか?』と聞いたら『こちらの方が航空料金は少々高いけど、アメリカ経由だと入国審査を受けなければ行けないのでそれにものすごく時間がかかるからメンドウなんです。こちら経由だとゆっくりできますから』とのお返事。
なるほどなーーと思ったkおばちゃんです。

私の方は帰国便に乗る前に、汗みどろの体を洗い流したかっただけなんですけどね。お仕事のかたは大変ですね。

搭乗の時間はもう22時過ぎだったかな?もうすっかり真っ暗です。


機内でも食事をしっかり頂いて、よく眠って・・朝ごはん!


しっかり頂いて無事帰国いたしました。

●2014年8月10日(日)

暑い日本に舞い戻ってきて、税関でちゃんとオーバー分のワインを申告。あ、シャンパンは免税扱いのほうにしました。オーバー分を払ってしまえば気分は爽快ですからね。

ばたばただったけど楽しかった夏の旅行。明日からは現実世界がまっています。

―了―


やっと終りました!
でも2014年の秋の部がまだ残っている・・
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