今週の月曜日の朝、私たちの間を激震が走りました。
体調を崩していた中学校の時からの友達の思いもよらない訃報です。
今年になってから、中高の同級生のI君のバースディ・ライブのことで親しかった友達と連絡を取り合って
いたのですが、Aちゃんから返事がなく、クラスメートも年賀状が来なかったので心配していたと話していて
何か嫌な予感がしました。彼女は一番先に年賀状が届く人で毎年どこか心待ちにしている友人です。今年は
私が毎年新年になってから作る年賀状にだいぶたってから返事が来て、体調のことは何も書いていなかったので
その後気にしていませんでした。それにしてもコンサートのレスがないのでしつこく連絡したら、Aちゃんが
入院中であることをご主人が連絡してくださいました。3月の初めの頃でした。
そろそろ退院かしらと思われる頃にスマホが繋がり、少しの間だけ、お話できて、相変わらずやさしい
かわいい声でご主人が何でもやってくれるのと話していたことが印象に残っていました。
その後退院して、自宅療養な感じがしたので、会いたいけど病状がよくわからないので片田さんの画文集を
送ろうかと思っていたところに、突然の連絡でした。日曜日に葬儀を済ませた後のことでした。
あまりにも突然なことだったので、信じられず、ご冥福を祈るという言葉さえ出ませんでした。
ごく親しかった人にだけお知らせしたら、仲良しだったI君からは中学時代お腹が痛くなるくらい笑って過ごした
彼女との思い出とともに切ないと書かれたメールをいただきました。病気だということも早く知らせなくてはと
思っていたので間に合わなくて申し訳ないと思いました。
ライブをするI君からも驚きのメールが来て、ライブの時に彼女に捧げる曲を弾くから、他の人にも驚かせない
ためにも亡くなったことを連絡しておいてとお願いされました。
Aちゃんのご主人には数年前にはじめてクラス会や同窓会を立ち上げる時、力になってもらったことや、それから
I君の鎌倉の茶室に遊びに行ったり、三田村君の漆工芸を見に何回かギャラリーにご一緒したことをお知らせして
私がカンカンであることを知らせたら、わかってくれたようで細かくいろいろ状況を知らせていただけました。
病名も知らなかったので、重い病気ではないのか心配していました。6月に納骨とお聞きしたので、その前にお線香を
あげに行くことも快く受け入れていただけたので、友人と5月末に伺うことにしました。
私の母もクラスにお母さんみたいな人がいるねと話していたくらい、だれに対してもやさしいAちゃんはだれからも
愛されていました。きゃしゃな細い女の子なのにお母さん的でした。彼女は結婚が早くてお子さんも確か4人育てました。
3人だったかな? 彼女自体は3人兄弟の末っ子で、すぐ上のお姉さんとは文通したりした楽しかった中学時代です。
今年に入って親しかった人を2人も亡くした私です。自分もあと何年生きるかわからないけれど、寂しいことですね。
年を取っていくということは・・
ふちを薄い緑にしたのがよかったかな・・・
16日のボビンレース教室の帰りに寄ったお茶の水の額屋さんでちょうど回りが若草色の写真立てがあったので
入れてみることにしました。
さゝまで買い物をした後、文房堂ギャラリーのカフェでカフェオレを飲んで
小川町の草土舎まで額縁を見に行きました。