Reflections

時のかけらたち

Perfect Days , Koji Yakusho

2024-02-29 23:59:31 | movie

2月25日

 

12月18日のメモ

ベンダース監督もみんなスタッフもそうですけど、「この平山さんみたいな生き方、いいな、うらやましいな」って言うんですね。

 彼独特のゆったりした時間の流れと、自分の好きな仕事を一生懸命やって、お風呂に入ったり、ちょっとお酒を飲んだりして。
自分でその瞬間、瞬間をこう、満足して、最後は好きな本を読んで眠りにつく。とてもその満足することを知っている男で。

 だから本当に自分に与えられたものに満足できるっていうことは、どれだけ豊かな人生かっていうのが、みんながうらやましい
と思うとこなんじゃないでしょうかね。(トークセッションで)

昨年、役所広司さんのインタビューを見てから、ずっと見たかった映画「パーフェクト・デイズ」。
その時のメモを残していました。こういう生き方を見ていると私の友人と何か似ていると思ったからでした。今は仕事は
していなく、世の中との関係をすべて断ち切って、お酒は飲まなくなって物欲も全くないのですが、毎日好きな本を読み、
音楽を聴いたりして一人閉じこもって暮らしていますが、何か満ち足りていて。「幸福なラザロ」にも似ていると思いました。
「彼は何も欲しがらない」というところが。

やっとこの映画を見に行くことができました。雨が降る寒い午後。家の近くの小さな映画館で。

毎日同じことが繰り返えされる暮らしだけど、同じ日はないとゆっくりと話が滑り出します。

外国人が撮るとこんなにも東京が美しいのかと思いました。
東京の美しさ、スカイツリーの写真のカットがとても美しかった。

安藤忠雄が設計したトイレもあるのかななんて思いながら、東京のトイレ事情のすばらしさにもびっくり。

隈研吾、安藤忠雄らが生み出す、アート作品のような渋谷区の公共トイレ

主人公の淡々と繰り返される日々の中にもささやかな人々との接触があり、取り囲む人たちも少しずつ見えてきます。
彼が一番密に身近にあるのが自然です。

エンドロールのあと?にだったか浮かび上がる文字 こもれび

こもれびの揺らぎの下で毎日お弁当を食べながら、フィルムカメラに収めて行く・・・
小さな盆栽のように植物を育てる喜び。

木、自然、失われゆくもの

ヴェンダースの淡々とした語り口と私たちの世代がよく聞いた曲が流れて・・・

命の根源、夢、そしてはかなくつながって行く人々
人との関係の不思議さをふと思う映画でした。

最後のNew Lifeという曲が良かった。早朝の車の中を流れるカセットテープも。

生きることの悲しみとよろこびと
最後の役所広司の泣き笑いがこの映画のすべてかも。

ヴィム・ベンダースも小津のファンであるというのが感じられる映画でした。
でもこの映画は役所広司なしには成り立たないと思いました。

 

データ

解説
「パリ、テキサス」「ベルリン・天使の詩」などで知られるドイツの名匠ビム・ベンダースが、役所広司を主演に迎え、
東京・渋谷を舞台にトイレの清掃員の男が送る日々の小さな揺らぎを描いたドラマ。2023年・第76回カンヌ国際映画祭
コンペティション部門で、役所が日本人俳優としては「誰も知らない」の柳楽優弥以来19年ぶり2人目となる男優賞を受賞した。

東京・渋谷でトイレの清掃員として働く平山。淡々とした同じ毎日を繰り返しているようにみえるが、彼にとって日々は
常に新鮮な小さな喜びに満ちている。昔から聴き続けている音楽と、休日のたびに買う古本の文庫を読むことが楽しみであり
人生は風に揺れる木のようでもあった。そして木が好きな平山は、いつも小さなフィルムカメラを持ち歩き、自身を重ねるかの
ように木々の写真を撮っていた。そんなある日、思いがけない再会を果たしたことをきっかけに、彼の過去に少しずつ光が当たっていく。

東京・渋谷区内17カ所の公共トイレを、世界的な建築家やクリエイターが改修する「THE TOKYO TOILET プロジェクト」に賛同した
ベンダースが、東京、渋谷の街、そして同プロジェクトで改修された公共トイレを舞台に描いた。共演に新人・中野有紗のほか
田中泯、柄本時生、石川さゆり、三浦友和ら。カンヌ国際映画祭では男優賞とあわせ、キリスト教関連の団体から、人間の内面を
豊かに描いた作品に贈られるエキュメニカル審査員賞も受賞。また、第96回アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされた。

2023年製作/124分/G/日本
配給:ビターズ・エンド
劇場公開日:2023年12月22日

スタッフ
監督・脚本 ビム・ベンダース 
脚本 高崎卓馬
製作 柳井康治
エグゼクティブプロデューサー 役所広司
撮影 フランツ・ラスティグ
美術 桑島十和子

キャスト
平山正木  役所広司

タカシ   柄本時生
アヤ   アオイヤマダ
ニコ   中野有紗
ケイコ   麻生祐未
ママ    石川さゆり
ホームレス 田中 泯
友山    三浦友和 
                映画.com より

 

 

ISETANの建物もどこかレトロ・・小学校の頃から変わらない・・
映画でも失われたレトロなもの・・ カセット・テープや、フィルムカメラ、ほうきでの掃除・・
等出ていました。

 

映画館の前からバスで帰宅。どこにも寄らない・・

家の近くでいい香りと思ったら、沈丁花の香りが・・

雨に濡れてきれいだった。

 

Feb.25  2024  Shinjuku

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ドリアン助川 ・・・Durian Sukegawa

2024-02-28 22:39:58 | people

2月の2回の旅行の間にドリアン助川の見逃し配信をNHK+で見ました。(2月8日)
なぜかというと友人が自分はドリアン助川と重なる部分があると話していたので、どういう生き方をした人なのかと
興味を持ちました。以前映画の「あん」の話をしたことがあって、いい映画だったと二人で意見があったこともあり。

積極的感受
初回放送日: 2024年2月2日

2019年に放送した「こころの時代~宗教・人生~ 積極的感受」を、一部再編集してお伝えします。 90年代後半
ロックバンド「叫ぶ詩人の会」のボーカルや、中高生向けの深夜ラジオのDJとして人気を博したドリアン助川。
2013年に発表した小説「あん」はフランスやドイツなどで翻訳、映画化もされ、カンヌ国際映画祭で高い評価を
受けた。生産性や効率が重視される現代、ドリアンは「積極的感受」という生き方を提案する。人は何のために生きるのか
新宿・ゴールデン街の酒場で対話を重ねた。

ところがこの番組を2019年に見ていて、2019年2月3日のブログに感想を書いていました。
途中から見ていたのでドリアン助川の現在に至るまでについては今回初めて知ったと思います。松尾芭蕉についても
あまり記憶は残っていませんでした。

助川氏は若いころいろいろなものに手を出しでもものにならず、自分の心にふたをしてしまったが、感じるという
最低限の才能だけは持っていたと語っていました。

40代の半ばにこの世から消えたいと思ったことが何回もあるというところが友人が共感を持ったところだと思うけれど
私は厭世的な感覚ではなく、存在が肉体を離れたような感覚というところに共感を持ちました。北海道の自然の中を
一人で歩いていた時に、まるで自分が風にでもなったかのように飛んでいるように歩いているような感覚でした。
自分というものは無になっていたような・・・
ドリアン助川は多摩川べりで太陽が沈むのを見ていたときに、太陽との距離がなくなって、太陽になったような感覚と
その奇跡のような気付きについて語っていました。

積極的感受については芭蕉を例として話していました。芭蕉は今私が住んでいる所の近くでも治水工事にかかわったり
していた人ですが、生産はしていなくて大自然と受けとめる人だったと。自分をアンテナのようにして、宇宙と対話した人。

ドリアン助川の言葉で「対話は続いて行くから価値がある」という言葉は深いと思いました。

この世というものはおもしろすぎて、刺激的過ぎて、美しすぎて、ときに醜くすぎて・・
生きている間そこと不可分。そこを離れて生きて行くことはできない。

自然界とかこの世をあたえてくれているものはおもしろい。それを見るために生まれてきた。


私は友人も存在について深く考えてきた人だと思います。その内側に抱えて来たものの大きさを感じずにはいられません。

 



とても面白そうな本を見つけたので、図書館に予約してみました。


生産性と感じることの大切さについては、聖書のマリアとマルタの話を思い出しました。

山上の垂訓も最近思い出される言葉です。

イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。
そこで、イエスは口を開き、教えられた。
「心の貧しい人々は、幸いである、
  天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、
  その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、
  その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、
  その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、
  その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、
  その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、
  その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、
  天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは
幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように
迫害されたのである。」
(マタイによる福音書 5章1―12節)

こころの貧しいものの解釈が難しいけれど・・・
時に逆説的な表現もあるけれど、対極を経験しないと本当の意味がわからなかったりすることもある。

 

こころの時代のこの回の感想はたくさんネットに上がっていました。

ドリアン助川 積極的感受 
【感想】Eテレ こころの時代~宗教・人生~ ドリアン助川さん「積極的感受」

 

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三田村ファミリーの歴史をたどる展覧会 ・・・ exhibition of the Mitamura family

2024-02-27 23:59:29 | art

2月26日

明治/大正/昭和/平成/令和

江戸蒔絵赤塚派三田村の漆藝家としての家訓は、同じ表現はしてはいけない、というものでした。 先人の努力の結晶
である技法は受け継ぎつつも、一目で作者がわかる作品を発表しなさいということです。 それぞれが自分を模索する中で
漆以外の美と技法も学んできました。 明治から続く三田村家4代、5人が創り出す漆藝作品は、受け継がれて来たものと
自らが創始したもの、時代の美意識の違いが合わさり、さまざまな表情をしています。 まさに伝承から創新の結果なのです。
5人の個性が創り出す漆藝の世界を鑑賞していただければ有り難いことです。( 三田村 有純 )

 

富士山の手前の山にも雪が少し積もっていた晴れ渡った月曜日。
中学の同期の三田村君の展覧会に同期生3人と一緒に伺いました。
よくわからないストレスフルな渋谷駅からバスに乗って世田谷区のギャラリーへ。


三田村君のギャラリートークで作品を鑑賞しました。
この部屋に三田村家のすべてがあるとのことでした。



 

三田村自芳 (祖父)

朝顔の葉とコスモスの花・・そして朝顔の種。
命の移ろいを描いています。

三田村秀芳 (父)

大正から昭和にかけてのモダンなデザインの画風の作品です。
多くのデザインも手掛け、今でも私たちの身近な商品にも使われています。
昔はグラフック・デザイナーもいなくて、工芸家等が依頼されてデザインしていたと
後から1階のパッケージの前で奥様に伺いました。

 

 

三田村有純

三田村君のテーマは天と地とその間の水(龍)・・
いつも壮大な宇宙観の作品です。

三田村雨龍 (長男)

木彫の分野でも活躍されている雨龍さんの新しい感覚の漆工芸のオブジェ。
自芳氏のまいた種がここまで飛んで芽を出しました。

三田村有芳(次男)

りんごを時間軸の変化ともに。
中国精華大学で学び金属工芸をベースとして15年間中国で研鑽を積まれたとのこと。

 

祖父から息子さんたちの作品が一堂に会していました。
祖父がまいた種がはじけてひ孫までつながった三田村家4代がそれぞれ古い技法を学びながら
新しいものを追求していった結果です。

隣にはお孫さんの作品もあり、三田村家5代が繋がっていました。

古いものを守るだけでは滅びてしまうという祖父の教えを守り、それぞれが独自の世界を作り上げ見事なものでした。
祖父に当たる三田村自芳氏の生命に対する表現が素晴らしく、牧野富太郎の植物画のようでもあり、小動物が必ずいたり、
新しい命が生まれることを予期する、自らは滅びゆく姿などただ美しい蒔絵でない宇宙や自然を感じさせる作品でした。

自然に対する思いはひ孫の代までしっかりと伝わっていました。

 

三田村君はペルシャ絨毯の研究者でもありました。



ウィリアム・モリス研究のことは知っていましたが・・

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さなアリも描かれています。


テントウムシも

 

三田村君の春の雨が感じられる漆の絵も素敵です。















木の実をイメージしたペンダントトップ




水分を芽に与えるさまを表現したお芋








昼と夜、遠近を描いたもの。 時間と空間の変化を一枚の絵に込めています。
私は月の光かと思ったけど・・・





 

 

 


どれが明治時代か大正か、昭和か楽しみながら見ました。

三田村君が戦争中紙にくるんで防空壕の下に隠して作品を守ってきたと話していましたが、文化財を守ってきた
三田村家は女性が支えてきたからこそ存在したと語っていました。👏

その奥様からもたくさん説明をお聞きして、漆の世界がより分かるようになりました。
縄文時代から受け継がれてきた日本の伝統工芸。抗菌・防火作用もあるのに、使い捨ての物に変わっていく時代。
大切に守って行きたい文化だと改めて思いました。

 

Feb. 26  2024  Setagaya

 

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中学校の同期会で---みんなで年取れば怖くない ・・・ junior high school reunion of the same grade

2024-02-25 23:59:38 | old familiar faces

2月20日

コロナで延期されていた中学の同期会に行きました。

 

 



新宿駅がパーッとしていました。
「自分の世界に、まだない場所へ」

 

この日は気温差が激しいこの頃のうちのまるで5月のような気温の日でした。
今は雪が降りそうなくらい凍える日々なのに。

和服も仰々しいかなと思ったけど着ていく洋服もなく、最初の予定に戻して和服にしました。

 

N中学校3期生同期会
11:30~14:00 新宿中村屋 8F Granna

中学校の第3回同期会、出席は緊急入院をしたI君がいたり、当日忘れていた人もまた1名いたり
突然出席を依頼されて出席したT君がいたり、いろいろありましたが、18名の参加で、楽しい集いとなりました。

何よりもうれしかったのは中学卒業以来初めて会えた友がいたことでした。中学で同級生で高校で同窓生のF君は
海外生活も多く、なかなかタイミングが合わなくて・・ 60年ぶりだから、顔の骨格で判明したのだけど(笑)
話しているうち昔の顔が浮かんできました。

各テーブルでは話も弾んで楽しい時間でした。



日本藝術院賞を受賞された三田村君は蒔絵の家に生まれてその伝統を守り、また新しいものにも
挑戦して精力的に活躍されていて、第1回目の同期会を立ち上げた時も大変お世話になった同期です。

今度小川町のアトリエにもずっと行きたいと思っていたので、忙しくない時にその周りの風景も
すてきな所なので尋ねたいとお願いしてみました。とにかく忙しい方なので時間があればなのですが。

今回の同期会で参加人数も少ないし、今後のことが危ぶまれましたが、一欅庵の持ち主のT君が、これからの
会場を提供していただけるお申し出があり、会場を固定して、メールかラインで連絡しあえる範囲で
会う気軽な会にしようということになりました。未来につながったので嬉しかったです。

今回の幹事さんたちありがとうございました。最初に立ち上げたものとしては大変嬉しいことです。

 

終わった後も、椿珈琲店でおしゃべりは続きました。
久しぶりに会った友達からは夜中までLINEのやり取りが続きました。

みんなで白髪になってみんなで年取って、年取ることが恐くなくなります。みんなで渡れば恐くないです。
一緒に学んだ友達には不思議な連帯感があります。

 

漆工芸の伝統を繋いでいる三田村君一家の展覧会の案内。ずっと行こうと思っていたのですが、
間に合ったので、ギリギリですが明日行ってみる予定です。

 


今日の装い:

和服はこれが最後と飛び降りたひとめぼれの久米島紬。
帯は何回も登場の秀や。帯締めはとみひろの紫貝で染めたドット模様。


 

Feb. 20  2024  Shinjuku

 

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旅行から帰って ・・・days after returning from a trip 

2024-02-24 23:57:57 | a day in the life

2回の京都・名古屋旅行から帰ってからもスケジュールがタイトでした。

2月10日 ベルカント
2月11日 三鷹のひつじ祭り、小金井公園(梅) 
2月12日 自然教育園(セツブンソウ)
2月13日 ボビンレース レッスン
2月14日 茶の湯のお稽古
2月15日 歌舞伎座 「籠釣瓶花街酔醒」
2月18日 イタリア語
2月20日 中学校同期会
2月24日 ベルカントレッスン

楽しかったこと、感動したこと、いろいろあったのでこれからアップしていきたいと思っています。

帰ってからすぐ取り組んだのがボビンレースとベルカントの練習。
頭の中が大混乱で疲れてはバッハを聴いてクールダウンしていました。

ボビンレースと茶の湯とベルカント、どれもまず体で覚えなくてはいけないこと。
ベルカントも新しい歌に入っています。
頭の中がわさわさすることはいいこととベルカントの安藤先生はおっしゃるけど
老人には大変なこと・・

お茶の時間もなかなか覚えられなくて大変だけど、それでもあの小間の中にいると心落ち着くのです。
「松樹千年翠」*の掛け軸でした。

*移ろいやすい世の中にあって、黙とした不変の緑を保ち続ける松。
そんな松の姿に節操と生命力を見出し、寂然として佇む風格を讃えたのが「松樹千年の翠」という禅語

                                     禅の視点 -Life- より

 

 

北村朋幹が指揮に挑戦した時に、家に帰ると小澤征爾さんが亡くなったとのニュース。
私が小澤征爾を初めて聴いたのが、東京カテドラル教会での第九。
その日は当時の皇太子・美智子さまがいらして、教会に真っ赤な絨毯がひかれたことを覚えています。
小澤の指揮で覚えていたのはなんて楽しい第九だったのだろうと思うほど喜びにあふれていたことです。
その数年後の荘厳ミサ曲も小澤征爾だったと思うけど誰のだったか記憶がありません。サイトウ・キネン・フェスティバル
では体調を崩していてファビオ・ルイージが指揮だったので聴きに行きました。
私は小澤というよりその師の齋藤秀雄さんに魅力を感じていたのでした。いつだったか中央線で小澤征爾が
お茶の水から電車に乗ってきて斜め向こうの席に座ったのを覚えています。すごくラフな格好でしたが、もしかして
病院通いだったのでしょうか・・・ 音楽に捧げた一生だったのですね。

いつ聞いたのだったか調べるのに古いノートを探しました。あの頃はノートに鑑賞したものを記録していました。
ピカソのデッサンの表紙のスケッチブックにはチケットをはっていたのですが、残念なことにそのチケットの
スクラップブックは実家が引越しの時、捨ててしまったものでした。今思うととても惜しい。館野泉の
サインが入ったチケットもあったのにね。

1974年に第9 小澤 と記録してあった。
この年はカラヤンやボリショイ・バレエ、ロイヤル・シェイクスピア、エッシェンバッハ、館野泉、ポリーニなど
就職して間もない時期で行きまくっていましたね。昔の自分に出会って、なんだか今とあまり変わらないなと思ったり。
でも結婚してからがすっかりできなくなっていました。何十年も間が抜けて再びと言った感じでしょうか・・
このノートの記録は1984年で終わっていました。

ホセ・カレーラスのロイヤル・オペラを聴きに行ったのが初めてのオペラでしたが、最近ネットで見ていたら
パッパーノ指揮で今年公演があることは知っていたけど、横浜の公演がマチネで安く行けることを知り、どうしても
行きたくなり、ポチっと押してしまいました。安い席からなくなっていてまぁぎりぎり払えるところで。もうオペラは
行けないと思っていましたが、リゴレットは女性にとっては好ましいストーリィではありませんが、パッパーノの集大成
のオペラと言われてはそそられます。ミラノ・スカラ座のライブ・ビューイングではちょっと拒絶感があったので
また確かめたいと思います。

ロイヤル・オペラ公演 リゴレット

 

              

昨日から娘が沖縄旅行に行っていて、のんびり過ごしています。
いると食事の時間とか追われてしまって、最初は気が抜けるかと思ったけれど、快適でした。
まぁ必要としてくれる人がいることは嬉しいことではありますが・・ もう自立していい年。
自分自身で切り開いて行ってほしいです。

気持ちよさげな写真が届きました。彼女にとっても変革の年になるでしょう。

 

朝、榊を変える時に初めて花を見ました。

かわいい花が咲くのですね。特に木の花は咲くことも知らない木が多いです。

今日はベルカントのレッスン。

簡単な朝食を取って、慌てて出かけました。


特に最近の先生の教え方が厳しくて・・もう帰りに珈琲でも飲んで帰らないと気持ちが静まりません。
いつもの専修大学のカフェ、センダイカフェでパンのランチで仲間と頭を冷やしました。

帰りに新宿により、バスで帰りました。これで全部シルバーパスで家まで帰れます。

家の近くの公園の梅が満開でした。


昨日は今シーズン最低の気温で寒かったけれど、今日はお日様も照って、暖かく感じられました。

夕飯は高島屋でお寿司を買って来てしまったので、白菜と豆腐の澄まし汁だけ作って
済ませました。

 

こちらは昨晩の夕食

鮭を野菜と一緒に蒸したのですが、久しぶりにおいしかったです。人参と新玉ねぎ、セロリと一緒に
白ワインとバターを入れて蒸し煮。この野菜の組み合わせが甘くてとてもおいしいのです。ロマネスコは一つ買うと
量がたくさんあるので何日も利用しています。ちぢみほうれん草も甘さが増しておいしいです。
一人だったのでパンとワインでのんびりと。

昨日の昼食は夕食分の鮭を少し取って、鮭とマッシュルームのレモンクリームパスタにしました。

なんだか同じ素材でしつこそうなものが続いてしまいました。

 

夕方は今年の熊野古道の伊勢路や京都トレイルの相談をしたりして、魅力の尽きない熊野です。

 

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北村朋幹@しらかわホールと名古屋巡り-5・・concert of Tomoki Kitamura with Nagoya Philharmonic Orchestra & Nagoya walk-5

2024-02-23 23:01:05 | wonderland

コンサートの感動に浸っていて、新幹線は少し遅くして7時半くらいで取っていました。
どこかでお茶でもゆっくり飲もうかと思っても、近辺にお店がなく、名古屋駅に行くか少し離れたところどちらにする?
と聞かれて混んでいない場所の方がいいと言ったら、中村の豊国神社のエリアに案内してくれました。昔あった
お店はもうなくなっているみたいで、このエリアを歩いてみました。

この辺は秀吉、加藤清正の生誕地で、歌舞伎の中村勘三郎の生誕地も近い歴史的な場所でした。

 

豊国神社

明治時代の神仏分離・廃仏毀釈の流れの中、明治18年に豊臣秀吉公を祀る神社として豊臣秀吉公の生誕地、尾張中村
(現・名古屋市中村区)に地元住民の強い意志で創設されました。

 

 

 

 

 

 

 中村公園内にある「初代中村勘三郎生誕像」

記念像は台座を含め高さ2.8メートル。今年2月の歌舞伎座では勘九郎が、江戸歌舞伎発祥のいわれを描いた
『猿若江戸の初櫓』を踊りましたが、初代勘三郎の銅像は、まさに猿若舞の躍動感あふれる一瞬をとらえたもの。
2017.5月 歌舞伎美人より

たまたま、この約1週間後に「十八世中村勘三郎十三回忌追善 猿若祭二月大歌舞伎」を歌舞伎座に見に行く予定でした。

 

 

京三条河原で秀次の遺児(4男1女)及び側室・侍女らおよそ29名が処刑され荒れ果てた塚を角倉了以が
きれいにして手厚く弔った話を京都に行ったときに知ったり、甲斐荘楠音が最後まで手元に置いていた
「畜生塚」のことが思い出され、秀吉を祀った神社にはお参りする気がありませんでした。
友人は権力者はみな同じだというのだけれど・・・そういえば織田信長だって残虐なことをたくさんしてきました。

 

 

図書館、スポーツセンターや、競輪場などが周りにあって、昔は競艇場もあってそこは埋められているようです。
友人は若い頃に、この地域の整備の事業にかかわっていて、公園から道路までの環境デザインの一部の
仕事をしていたことがわかりました。若い頃遊びに行ったときは街並み保存の仕事にもかかわっていたことを
思い出します。

公園内では子供たちが元気に遊んでいるのが見えました。東京の家の近所では見られない風景でした。
サッカーとか野球のリトル・リーグの練習はしているけど、近くの子供が集まって遊んでいる姿は
見られなくなり、名古屋では公園や、歴史のある建物が活かされていることがうらやましい感じがしました。

中村公園の近くでもレトロな喫茶店もなく、名古屋駅に戻り、駅中の比較的すいているカメダ珈琲店に入り
軽くお腹がすいたのでサンドイッチを頼みました。量が多すぎたので残りを包んでもらって帰りの新幹線の中で
食べました。玉子のホットサンドイッチ結構おいしかったです。

 

贅沢な一日はあっという間に過ぎてしまいました。


Feb. 9  2024   Nagoya

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北村朋幹@しらかわホールと名古屋巡り-4・・concert of Tomoki Kitamura with Nagoya Philharmonic Orchestra & Nagoya walk-4

2024-02-22 23:57:06 | music
しらかわEXP(エクスプレス)マチネ&ソワレ#4 【最終回】
 
2024.2.9 (金) [マチネ]14:30開演 [ソワレ]19:15開演

       ★北村朋幹によるポスト&プレトーク開催!

井住友海上しらかわホール

プログラム

指揮・ピアノ 北村朋幹
名古屋フィルハーモニー交響楽団

▊ モーツァルト:歌劇『魔笛』 K.620 序曲
▊ モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調 K.491
▊ ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調

[マチネ]15:40~ポストトーク

 

今回の名古屋行きはこのためでした。
最後のしらかわホールと北村朋幹の初指揮のためです。
いつかこの人は指揮者を目指しているのではとも思ったこともありましたが、
そうではなかったようです。(ポスト・トークで)



始る前に早くから音合わせをしたりしている楽団員がいました。
若さがあふれるオーケストラでした。

名フィルのツィッターより

 

数日後浜松ACT CITYでのコンサートの写真をKAJIMOTOよりお借りしました。

1曲目の魔笛からの序曲だけ指揮だけでした。あとの二つのピアノコンチェルトが弾き振りでした。
休憩なしで過酷。それに昼夜2回という北村朋幹さんにとっては大変だけど嬉しかったことなの
だろうかと思いました。

北村さんの大ぶりの指揮を見ていたら、小澤征爾をなんとなく思い出していたのですが、東京に戻ったら
逝去されたとのニュースでした。

モーツァルトのピアノコンチェルトもまるで室内楽のようにそれぞれの楽器との対話を楽しんでいました。
N響で夏聞いたときと同じ曲でしたが、ずっと良かったです。とても生き生きしていて。北村さんもオケも
何よりも音楽を楽しんでいました。名古屋フィルの演奏ものびのびとしていてよかったです。

モーツァルトの短調の曲も空から降り注ぐ音楽のようでした。バッハの曲は聴いているとどんどん高い方へ
登っていく感じがするのですが、モーツァルトの曲は自然に天からあふれ出てくるような音楽なのです。
音楽が神からの祝福のように注がれるのです。私も全身で音楽を受け止めました。

ラベルの曲は変化にあふれていて、昔コンサートで聴いたことがあると思うのですが、色とりどりと言った
感じです。美しくもエキサイティングな曲でした。

とにかく音楽を楽しめたコンサートでした。それはポスト・トークでも語られたように1,2回のリハーサルで本番を
向かえるのではなく、指揮者として団員と一緒に時間をかけて作り上げていったからではないかと思いました。
団員の個性も活かされていたと思いました。ソリストはオケにポッと来て加わってあまりオケとは交流がないところを
指揮者として音楽を作り上げていく立場を持ち、それは北村朋樹にとってまたとない素晴らしいものではなかったかと
お話を聞いていて思いました。

ポストトークでまずコンチェルト2曲を1回のコンサートで弾くことはなく、それも指揮者も兼ねて、そしてその興奮が
冷めないうちのトークというのはもう何を言ったらいいかわからないと話す彼でしたが、話もとても興味深かったです。

私の友人は建築をやっていたせいか音響とかそういうところも気になっているようで、今日は上から吊ってある
マイクが4本になっていて舘野泉の時は2本だったと変なところに気が付いたりしていて、私もオケなのに増えるのかなんて
思ったりして・・・今までそういうことには全然気が付かず・・・

また、北村朋幹にとってもしらかわホールは日本の大好きな3つのホールのうちの一つだと語り、クローズしてしまうことを
ほんとうに残念がっていました。このホールにはスピリット(精霊)が宿るとも。この後で浜松市文化振興財団のインタビュー
を読んで3つのホールの残りのうち一つは浜松にあるアクト・シティのホールではないかと想像したりしています。
ムジカノーヴァもきっとお気に入りのホールに違いないけど・・・

私のしらかわホールのラスト・コンサートが終わりました。

ポスト・トークも終わってからも名残を惜しむようにホールの写真を撮っている人が
たくさんいました。



帰りにホールに飾ってある作品を見てからホールを出ました。私は以前気になっていた2階の絵などスマホで
撮って帰りました。


テキスタイルの作品もありました。

 

 

 

インタビューノート ピアニスト 北村朋幹

北村朋幹の弾き振り

 

Feb. 9  2024   Nagoya

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北村朋幹@しらかわホールと名古屋巡り-3・・concert of Tomoki Kitamura with Nagoya Philharmonic Orchestra & Nagoya walk-3

2024-02-21 23:59:22 | wonderland

名古屋で行ってみたかった茶室と庭の一つに興正寺普門園竹翆亭がありました。
行事に合わせてしか中に入ることができないのですが、運よく冬の宝物展が開催され、見ることができることが
わかり、事前に電話で予約を入れました。

 

文化のみち百花百草からまた市役所方面に歩いて戻り、地下鉄名古屋城駅から名城線で八事まで行きました。1時間かからずに
興正寺までつきました。八事駅の裏に広がるのですが、入り口までは回って少し歩きました。一番すてきな庭がある八勝館の
横を通りました。この庭を見るには2万円以上のお弁当や懐石料理付きで申し込まなければならないので以前あきらめたことが
あります。一緒に歩いた友人は建築をやっていたので、ほとんどの庭や茶室は見ていて、ここも若い頃に行ったと話していましたが
興正寺の方は入ったことがないということでした。

興正寺

長い修行の旅のすえ、高野山に至り、弘法大師の五鈷杵を授かった天瑞和尚は1686年(貞享3年)、穏やかな起伏に松が茂り
豊かな水、静寂に満ちた八事の地に密教と戒律の寺の建立を発願しました。真言密教の教学・修行道場として、境内は
西山普門院と東山遍照院に分かれ、東山は女人禁制の修行の場でした。
尾張徳川家二代藩主光友公は天瑞和尚に、六代藩主継友公と七代藩主宗春公は五世の諦忍妙龍和尚にそれぞれ帰依をされ
諸堂建立や多くの宝物のご寄進など力を注がれました。

時が流れ、現在、国の重要文化財に指定されている五重塔建立は、「藩主の寺」から「民衆に開かれた寺」へと変化をとげる
契機ともなり、今なお、多くの参拝者をお迎えしています

八事山興正寺HPより

 

 

 

興正寺の茶室となっている竹翠亭は大正時代に海運王として財を成した日下部久太郎の邸宅を、平成20年(2008)に岐阜市より
現在地に移築されたもので露地も移築当時に作庭されたものである。

「重要文化財級だった…という数寄屋風建築は意匠も素晴らしいし中庭の苔庭も美しい。写真を見る限り元の邸宅の庭を復元はせず
(元の邸宅には“虎の児渡し”のようなまた別の枯山水があったっぽい)、移築した2008年に新たに作庭されたものですが、
『建仁寺潮音庭』のような感じで良いし、茶室の軒下の瓦の使い方とかも現代風でこれはこれでかっこいい。」  おにわさんより

 

 

中門から見える大きな大仏にびっくり。




 

建物の中から普門園が見えましたが、外に出てエレベーターで上がって上から入ってくださいと
言われました。

 

桜の花が咲いていました。 四季桜と竹翆亭の受付の方からお聞きしました。


 

このカーブを回った所が竹翆亭の入り口です。

 

 

冬の宝物展が始まったばかり。でも中は春でした。

 

 春花鶯歌  森村宜稲
                           Morimura Yoshine  明治4年(1871)~昭和13年(1938)


 

 

 八ッ橋図四方盆

                          伊勢物語第九段八つ橋の場面が元になっているが
                          人物は描かれず燕子花と端の一部が表現されている

   松蒔絵硯箱

 

 花鳥文堆黒盆

                          尾張藩二代藩主徳川光友公寄進 中国宋・元代(13C~14C)のもの

素晴らしい作品です。堆黒という漆の技法初めて認識しました。

 堆朱香合
                          尾張藩二代藩主徳川光友公寄進 牡丹あるいは芍薬、椿が彫られている

 

他には誰もいない室内。荷物を置いてゆっくり回りました。

 

 八事山製茶之図 大家米年
                          一昔前まではお茶は自家製で、興正寺でも昭和初期まで近所総出で
                          製茶が行われていたとのこと

 

 

 

雲龍玉角香炉
玉は中国で古来より珍重されてきた宝石とされる石で、白玉や翡翠をさします。これはその玉でつくられた香炉で
上面に雲龍が刻まれています。

 宝尽紋錦袋物
 

 

 

 大原女 森村宜稲

 

 

 

 

 

 

 

廊下で繋がる茶室方面に向かいました。

 

 

 

 

 

 

 

 厳島之図 柳田樵谷

雪の厳島神社がすてきでした。

また受付のあった部屋の方に戻ってみたけど、友人を見失ってしまいました。
ここからクルクル回って、受付の方に捜索願出そうかと思っていたと話して聞いたら、下の回廊の方で後姿を
見ましたと言われてそちらの方ににも回ったり・・ 

写真も同じところもクルクル回っていいるかもしれません。

 

 

 

 

茶室を再び捜索。

 

回廊の方で尋ね人をみつけたと言われて普門園の回廊を見たり・・

 

 

行き止まりを戻ったり・・・
結局かくれんぼ状態・・

友人はこの先の二つの建物に行っていたことが後からわかりました。
茶室や蔵みたいなものがあったみたい・・

 

再び茶室を一緒に見ました。

 

 

 

 

1時近くになったので、竹翆亭の外のあずまやでピクニック・ランチ

 

チャパタサンドとサラダカップとラタトィユ、残っていたピクルスを詰めて・・

 

帰りのエスカレーターの中から・・・

八事からしらかわホールのある伏見までは鶴舞線で15分くらいで、近い場所です。

 

それにしても想像以上に見ごたえのある素晴らしい宝物と建築でした。たった5日間の展示とはもったいない。

 

Feb. 9   2024   Nagoya

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北村朋幹@しらかわホールと名古屋巡り-2・・concert of Tomoki Kitamura with Nagoya Philharmonic Orchestra & Nagoya walk-2

2024-02-20 23:57:22 | wonderland

百花百草

ここはもともと、鉄鋼や機械などを扱う独立系商社であった岡谷鋼機の創業家・岡谷家の邸宅でした。長く空き家と
なっていましたが、名古屋市が「文化のみち」を散策する最の休憩をとる場所として建物の利用を岡谷家に相談し
岡谷家が快諾したとされています。「文化のみち」の他の建物は名古屋市が取得していますが、百花百草は
現在も岡谷家が所有しています。

お茶を飲みながら庭園を楽しむひとときを

かつての母屋跡に建てられたホールでは、セルフサービスでお茶やコーヒーをいただくことができます。
窓の外に目をやれば、庭園の草花が目を楽しませてくれます。ここには「百花百草図屏風」に描かれた草花は約90種。
うち70種あまりがこの庭園に植えられています。

                                               Aichi Now より

前回行ったときはまさか日曜が休みとは思わず、チェック漏れでがっかりしたところです。
今回是非行ってみたいと思いました。名古屋市のものではなく私邸なので日曜が休みだったのですね。オープンは
水曜から土曜日まで。

 

江戸時代は武家屋敷が並んでいたエリアにある住宅は大正9年(1920年)に建てられたもの。

苔の美しい日本庭園(前庭/北庭)とフラワーガーデンと2つのお庭があり、北庭はかの重森三玲に師事した現代の作庭家
野村勘治(野村庭園研究所)監修/フラワーガーデンはGAヤマザキ監修。2007年作庭。

「文化のみち」:名古屋城の東部にはかつて江戸時代には中級武士による武家屋敷街が広がり、明治維新後にはその町割りを
残しながら近代産業の起業家や陶磁器の販売/輸出を営む陶磁器商が集い・住む町へと変化/成長を遂げる。

幸運にも戦災被害を逃れたこの一帯は現在の名古屋市の町並み保存地区『白壁・主税・橦木町並み保存地区』に指定。
武家屋敷時代の面影を残す塀から近代のレトロ建築が数多く残り、あわせて『徳川園』(徳川美術館)に至るまでの
約3kmの道が市民により「文化のみち」と呼ばれるようになる。

和風建築・坪庭と調和しながら現代的な多目的ホールの設計・施工は竹中工務店。フラワーガーデン監修のさんは
今話題の東京・練馬の『牧野記念庭園』(国登録名勝)や、日本を代表する現代アーティスト・奈良美智さんの個人美術館
『N's Yard』のランドスケープに携わっておられます。そのコンセプトは、元々は岡谷家が所有し現在は徳川美術館が所蔵
している田中訥言筆『百花百草図屏風』)に描かれた草花のうち約70種が植栽。

                                       おにわさん より抜粋

この長い塀の先にあるのが百花百草です。

 

前回は門が閉まっていてショックでした。

 

吊るし雛がたくさん飾ってありました。

門を入るとすぐ邸宅がありました。

 

 

庭は後から見ることにして、中に入りました。
入口を通り抜けてフラワーガーデンに。

 

 

 

蔵の中にもたくさんの吊るし雛。

 

徳川園にある百花百草図屏風の複製画が飾ってありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガーデンを一回りして、多目的ホールで休憩。

セルフ・サービスでお茶とお菓子をいただきました。

 

 

貸し切り状態のコンサートも開かれるホールで。

 

 

 

「特にかっこいいのがお庭の中央に置かれたおにぎりのような形をした手水鉢…!この手水鉢が不思議と“現代の
新たな日本庭園”の雰囲気を醸している」との解説がありました。 (おにわさん)
ちょっと違和感を感じましたが新しい感覚なのですね。
各地から集められた庭石もシャープな感じ。

 

茶室など室内は外から見ることができます。

 


日帰りの旅行は時間があっという間に経ってしまいます。
どうぞ時間よゆっくり経ってとお願いしたくなります。


Feb. 9  2024    Nagoya

 

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北村朋幹@しらかわホールと名古屋巡り-1・・・concert of Tomoki Kitamura with Nagoya Philharmonic Orchestra & Nagoya walk-1

2024-02-19 23:59:39 | wonderland

2月9日

14:30からの名古屋フィルと北村朋幹のコンサートと15:40からの北村朋幹のポスト・トークを
聴きに最後のしらかわホールに向かいました。

いつものようにそれだけではもったいないとその前に文化のみちの前回休園で見ることが
出来なかった百花百草と八事にあるお寺、興正寺の竹翆亭を計画して、前日にサラダとチャパタに
オムレツをはさんでお弁当を作っておいたのを持って行きました。ちょうどお天気も良く
ピクニック日和となりました。

最近、席を富士山が見える二人掛けの窓側を取るようになりました。今までは3人掛けの
窓側を取ると隣に人が来なくてゆったり行けるのでそうしていましたが、最近は晴れたら
富士山が見える側を選んでいます。



品川駅で新幹線構内のスタバの位置がやっとわかり、キャラメル・マキアートのトールサイズを
お供に、窓からの眺めを楽しみました。私はポットに紅茶を入れていたので。
最近は東京駅からよりもやはり乗り替えのない品川駅を利用することが多くなりました。
























今回は白く雪をかぶった輝く富士山を楽しむことができました。

新幹線の改札口で友人がいつものように待っていてくれて、すぐバス乗り場に向かいました。
いつも安いバスと地下鉄の一日乗車券を買っていてくれています。ドニチエコ切符ではなく、ウィークディにも
一日乗車券があり、何回も乗る場合はお得です。

百花百草には少し歩くことにして、名古屋城東・市役所駅で降りることになりました。

バスを降りて歩き始めました。名古屋の中心、官庁街のようなところです。


いつもバスから気になっていた名古屋市役所。

不思議な和洋折衷の建物は
「昭和8年竣工の名古屋市役所、3代目の庁舎。隣接の愛知県庁舎と共に、国の重要文化財に指定されている。
設計にあたり、一般公募の中から平林金吾氏の案が採用された。中央には時計塔がそびえ、名古屋城天守閣を
意識した塔屋の屋上には、四方をにらむシャチが載っている。名古屋城との調和を図ったこだわりのデザインが
随所に見られる。西洋的な建築様式に日本的な要素が取り込まれ、内部の廊下や階段の装飾にも目を見張る貴重な
記念的庁舎建築だ。」
と「じゃらん」に説明がありました。




中に入ってみることにしました。
新しい庁舎の方が中心になっているようですが、ここもまだ普通に使われているとか・・
待合室にも人が少し待っていました。








なんとも重厚で贅沢な市庁舎です。

市庁舎の周りをぐるっと回って、文化のみちの方に行くことにしました。



名古屋城三の丸庭園






前回も歩いた名古屋市政資料館の前です。









カトリック主税町教会が見えてきました。
百花百草はこの少し先です。

 

今回歩いたルートです。
右端には前回歩いた徳川園から東海学園の横を通り、建中寺、車道駅までの道が
確認できました。

 

 

Feb. 9   2024    Nagoya

 

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