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日々のあれこれ

 

不動院の紅葉

2020-12-01 | お出かけ

もう12月だけど、暖かいうちにあちこち出かけて、旅行の代わりとします。

不動院は、昨日の安楽寺から2キロくらい北西、太田川の本流沿いにあります。

バス停不動院前で下ります。こちら広島市東区。あちら合併前は安佐南区。このあたりまで来ると広島市も郊外の感じになってきます。

橋はR54の祇園新橋。上がアストラムラインの線路。

駅の中を通って向こうへ渡ります。

100mくらいで山門に。以前は周り水田だったそうですが、今は家が建っています。

金堂は国宝です。

不動院金堂(ふどういんこんどう)(国宝) | 歴史・文化 | 観光 | 広島の観光スポット | 広島の観光情報ならひろたび (hiroshima-navi.or.jp)

お寺は仏像から、平安時代にはあったと考えられています。甲斐武田氏から分かれた安芸武田氏の菩提寺として栄えるも、戦乱の中で荒廃。戦国末期、安国寺恵瓊が再興し、禅宗から真言宗に変わって今に至ります。金堂は山口から移築したとも言われているようで、解体して船で海を渡り、川をさかのぼったのでしょうか。

建物細部。

まだ紅葉が残っています。

平日、参拝するのは私一人。もう一人墓掃除する人がいました。

太子堂前。太子堂は市内から逃れてきた原爆の被災者を収容したそうで。

どこへ行っても被爆の記憶のある広島です。

冬のひだまり。

裏に神社あり。

赤い鳥居に赤いモミジ。

金堂。背後から。

墓地へ上がってみます。

古い墓石。

川を渡った武田山の頂上に、武田氏の銀山城はありました。

今も遺構がよく残っています。毛利氏が中国地方を平定する過程で、他の地方大名と同じく、安芸武田氏も滅ぼされます。

アストラムラインが走っています。市中心部と郊外を結びます。

墓地から金堂と山門を見る。

紅葉もそろそろ終わり。

帰りはバス停二つ歩きます。

毎日、なるだけ歩きたいものです。

洋品店の店先でアクリルたわしを買いました。

ガーター編み?

もう長いこと、棒針編みしていません。このまま、せずに終わりそうです。

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クリスマスグッズを出す

2020-12-01 | インテリア

12月になりました。暖かい師走です。

午前中、今年の納税準備スタート。年取ったので何でも早め早めに。

掃除のついでにあちこちに突っ込んでいたもの、少しずつ出す。

貰い物の壁掛け。刳り貫いてアップリケ。手が込んでいます。

ドイツ製の小さなマット。

2012年11月、ハイデルベルクの日本人経営の土産物店で買う。

姑様へお土産で渡したけど、着なくなった服の中に紛れ込んでいたので、持って帰った。

9.5ユーロ。この時対円は106円くらい。

で、日本でも同じものたくさん売っていた。がっくり。

布のリースひっかけて、これもクリスマス。

マグカップ。絵付けのお稽古で作った。

内側。

友達に貰ったツリーのぬいぐるみ。

ティーポット。ポットは検品落ちを売る店で380円だった。

何がいけないかって?

持ち手と注ぎ口が微妙にずれていて、一直線になっていません。

でも使うのは全然支障がないので、3個買って作品作りました。

楽しい絵付け~

こちらは一年中出している。壁の小さなクリスマス飾り。

やれやれ、午後から出かけていて、日暮れが早いので急いで帰りました。

ティーマットにしてお茶します。寒くなるとココアの気分。

器は昨年の西条酒祭りで買ったもの。自分用に、冬、ホッとしたい時に出します。


BS3見ていたら、中国奥地のお正月の準備。日本とそっくりなのでびっくりした。

木をくりぬいた臼で餅つき。

杵は日本のとそっくり。

黒砂糖を中に入れて丸めて食べる。

中国奥地の人も、私たちと同じことしている。なんか嬉しかった。

我ら温帯モンスーンの稲作民族。

今年の年末にはパン焼き機でお餅作る予定です。ウサギ餅作って孫にやる。

ウサギ餅って・・・今度練習してみます。

 

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牛田、安楽寺の大イチョウと工兵橋辺り

2020-11-30 | お出かけ

本日、肌寒いけど、いいお天気です。冬はそこまで。寒くなる前に追い立てられるように街を徘徊します。

牛田の安楽寺、大イチョウです。葉はほとんど散っていました。

落ち葉掃除の奉仕をする人がいます。

境内から。山門の屋根を幹が貫いています。

イチョウが先、山門は後から。

被爆樹。このお寺の前までは原爆で焼失したそうです。

本堂の屋根は爆風で、少し後ろに傾いているそうです。

また外側の柱は表面が焦げたと聞きました。

火災に強いイチョウがお寺を守ったと言われています。

生命力。


続いて工兵橋まで歩きます。

手前、白いのが工兵橋。後ろは新工兵橋とアストラムラインの高架。

新工兵橋の上から工兵橋と京橋川を見る。

工兵橋は市内で唯一の(たぶん)、吊橋です。街中にあるのが珍しいのではと思います。

説明版。

原爆投下の日、「横川には行かれんどうーー牛田へ逃げえーーー」と避難民を誘導していた兵士ありとの証言を、以前聞きました。

たぶん、橋げたの向きが爆風の走る方向と同じで、しかも軽くて揺れる構造が力を受け流しやすく、損傷が少なかったのではと思います。

人と自転車だけ。車は通れません。

この付近は自然がいっぱいで、いつ来ても癒されます。

マガモのつがい。

遊歩道はサクラ多数。

水浴びするカラス。

泳げずに浅瀬を歩いている。

ムクの実を食べるハト。

アシは水質浄化をするとのこと。

マガモたち。

この時は流れに逆らって泳ぎ、しばらくしたら流れに乗って下流へ移動していた。

楽チン、楽チン。

ツバキがもう咲いている。

カモ多数。


そろそろ冬ですね。家を出たのが12時半、自転車とバスで。帰りは途中で買い物して3時。

手軽なおでかけでした。

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母の紬と八寸名古屋帯

2020-11-30 | きもの

11月もいよいよ最終日、さすがに肌寒くなってきました。

きょうは母からもらったチェック柄の紬に、八寸の名古屋帯を合わせます。

帯の柄は菊と牡丹?のようです。

芯がなくて、手先も端だけ綴じているだけ。帯は・・・京都か広島で買ったリサイクル品。記憶あいまい。

帯が柔らかくて締めにくかった・・・

着物で近所の用事を済ませて、午後からは牛田へ出かけました。

古い着物たくさん、仕立て直すほどいいものではないし、ほどいて洋服にするのも袋物にするのも面倒だし、こうしてたまに着てみる。

他の人が洋服でも、着て行ってもいいかなあ~

ちょっと躊躇する私。せいぜい普段に着てみましょう。

今や、着物着る人は絶滅危惧種。

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歩く、食べる、話す、笑う。

2020-11-29 | 断想

今はクリスマス。

お正月には飾りを替える。


昨日会った友達、お店の配慮で斜め向かいに座り、お互いマスクなので話が遠い。遠いけど頑張って話をする。

暗い気分になる話はしない。前向きに、今していること、これからしたいことを話す。

まだまだ頑張ってやりたいことしようねと確認。それから10代の時のことを一昨日のことのように話した。同窓生の誰彼のことを。

頭いい人に限って美人なのよね。とひがんだ発言をする私。でもまあ、頭の中身や顔の良しあしも親から受け継いだ資産。限られた資産で生きてきたこの人生、今さら悔やむのはおかしい。私は私なりに。それはこれからも。


私は同世代や少し上の人との付き合いが多いのだけど、皆さんそろそろ、歩きにくい、あまり食べられない、正座しにくい、階段がつらいなど、不調を訴えるようになった。

その話聞くとちょっと寂しくなる。

うちの姑様は2019年の1月まで、エレベーターのないビルの四階に住んでいて、2018年の一月、年で言うと94歳に大腿骨を骨折するまでは、手すりに掴まりながらも、自力で何とか階段を上り下りできていた。

今思うと素晴らしい体力だったと思う。階段使えなくなったら施設に入るしかないと自分でわかっていて、必死だったのだろう。

自立心の旺盛な人なので、私たちの援助も受けつつではあるけれど、一人で暮らしていた。

夫は昨年の一月にぎっくり腰になってからずっと調子が悪い。昨年の五月にはあまりの痛さに歩けなくなり、私は旅行で不在、スタッフに車椅子押してもらって近所の整形外科を受診した。

本人は姑様の家での介護、特に中腰でオシメ替えて腰を傷めたのだと言っている。姑様本人の、家族の恥になるのでしょうか?こんなことは。いえいえ、自分自身への自戒として、書き留めておきたいのです。

私は息子が介護するといっても、断るつもり。一人で暮らせなくなったら住み慣れた家を卒業して、年寄りの寄宿舎に入り、同じ境遇の人と介護受けながら共同生活して最後の時を迎える。それでいいと思っています。

夫は体格がいいし、自分の体力を過信していたのです。しかし、一回ずつは大した負荷がかからなくても、毎日何度も繰り返すのがじわじわとダメージを与えたのだと思います。

そういうことにならないよう、今からしっかりと言っておかないと。認知症になって言えなくなる恐れもあり。

夫は、私が反対しても納得するまでお世話したはずだからもう何も言うことはないのですが、私の息子が介護の結果、不調をずっと抱えて老年を迎えることになったら、母親として悔やんでも悔やみきれない。無理はしないように、美談にしないようにと言い続けるつもり。

私は夫に、介護になるずっと前から、お母さんの介護はあんたがしてね。長男の嫁がしたのでは当たり前すぎて誰も目に入らないし、感動しない。息子がしてこそ世間は感動し、お母さんも喜ぶと言い続けてきましたが、今思えば悪いこと言ったなと後悔しています。

感動するような美談にしてはいけなかったのだと。義理の親なら愚痴も言えるけれど、実の親は黙って受け入れるしかないのだから。

お母さんの介護は専門家に任せて、しっかり話し相手になったりするのが大事って、なんで言えなかったのかと後悔している。

昨日の友達、お見舞いに行った友達のご主人に「頑張ってください」と言っていたけど、それは経験がないから言える言葉。私はとても言えなかった。「体に気を付けて、使える制度は使って少しでも楽に」と言うしかなかった。


話がタイトルとどんどんずれてきたけれど、元に戻すと、昨日の友達も食べるのも歩くのもゆっくりになり、合わせ鏡として自分の年齢も自覚せざるを得なくなったということです。

今日は自転車で外出して、以前ほど体の機転が利かなくなり、ちょっと危ない思いもしました。危ないと思えばもう自転車から降りて危険をやり過ごす。そうしたいと思います。

少しの距離でも歩く。三食バランスよく食べる。(食べられないという感覚が私にはわかりにくく、常に食べ過ぎ気味。反省)。誰とでも仲良く、楽しい話で盛り上がると、まあ年寄りの心得としては王道の数々を今日は強く思いました。

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