“氷姿雪魄”に背のびする……しろねこの日記

仕事の傍ら漢検1級に臨むうち、言葉の向こう側に見える様々な世界に思いを馳せるようになった日々を、徒然なるままに綴る日記。

昨年の奈良国立博物館での思い出②

2015-09-06 08:04:18 | 日記
【前の記事からの続きです。】
そもそも、しろねこが青銅器館でなぜそんなに慌てたのかというと、渡り廊下で繋がる「なら仏像館」でゆっくりしすぎて、青銅器館に渡るのが遅く、見る時間が殆ど残されていなかったから、でした。
見学時間は1時間強あったのですが、それほど館内見取り図を意識しないまま、
ついつい最初に入ったなら仏像館で、仏像やお面などの展示説明を丁寧に読んでしまったり、素材の温もりや比重のようなものをじっくり味わって眺めてしまったり、各々の展示品に凝らされた技巧に見入ってしまったりして、
一部の建物は改修工事中だったこともあり、敷地内を渡り歩くという発想もないまま、
青銅器館に渡ったのは、見学時間終了まであと約15分、というところだったのです。

青銅器館に足を踏み入れた途端、夥しい数のコレクションとともに、各々の青銅器の名前と説明を記した数々のプレートが、私の目に飛び込んできました。というより、夥しい数のコレクションとプレートに“取り囲まれた”と言ったほうが、より正しいかもしれません。
とにかく入ったとき、
「なんでもっと早く青銅器館を見に来なかったのか」という後悔と(それでも、なら仏像館自体は、やはりじっくり見ておいてよかったですが)、
「やっぱり私はこの(=青銅器の)世界が好きなんだ」という気持ちとが、同時に湧き起ってきました。

大学時代、中国文学専攻の友人が「買ってしまった」と嬉しそうに貸してくれた、当時で20000円くらいする大判・カラー刷りの中国古代青銅器にまつわる本の頁を、一枚一枚捲っていたときもそうでしたが、
この、すべてが落ち着く感じ、各々の存在への意味づけのユニークさ、当時の空気の密度の濃さみたいなものがひしひしと伝わってくるのは、いったい何なんだろうと、
その感覚を噛み締めずにはいられないのです。

青銅器館の二階に上がると、そこにはさらに展示場があり、ショーケースの奥に展示案内のボランティアの方がお一人いらっしゃいました。
とはいえ、もう殆ど見学時間が残されていない!
「--あの、こちらの展示の目録とか資料とかって、何かありますか?」

なら仏像館では4、5人のボランティアの方々が、「観賞をたのしむ基礎知識」と題して、仏像の種類や用語や印相(いんそう)が説明された資料を無料提供してくださっていたので、青銅器館でも同様のイメージを抱いて尋ねた私に、
これなら売店に売っていますが、と教えていただいたのが、目の前に見本として置いてあった、『坂本コレクション 中国古代青銅器』(奈良国立博物館 編)というA5版の冊子でした。私の残り時間を知る筈もないその方は、展示されたコレクションの由来や規模について、また売店について、私に分かりやすく教えてくださいました。

御礼を述べた私はやむを得ず青銅器館を出て、売店への木造の階段を名残惜しく覗き込みながら、後ろ髪引かれる思いで、なら仏像館を通り抜け、瞬く間に奈良国立博物館を後にしたのでした。

【③へ続く。】

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