職場の行事の関係で、23日の土曜日は、42㎞ほど歩きました。翌日は関節痛で、今もまだ歩き方がぎこちないのですが、昼間は天気もよかったのでリハビリも兼ねて外出しました。
学年によって、歩く距離は48㎞だったり28㎞だったりもするのですが、しろねこの担当学年は42㎞と選択肢が決まっています。
ここ2年間は本部を統括していてブランクがあったので、久々の歩行は心配でしたが、今年度しろねこと担任・副担任を組んでいる新人のRさん(職場の卒業生で、しろねこはお姉さんを教えたことがある)と、なんとか歩き切りました!
最高気温が31℃の炎天下だったこともあり、またデスクワークが多忙で練習なしのぶっつけ本番だったこともあり、涼しい曇天時のようにノンストップとはいかず、足の裏も痛くて、途中一度給水所で長めの休憩をとったので、朝8時前出発で着いたのは17時半。
道ごとに保護者の皆様がついて、日影の無いなか長時間安全を確保してくださいます。用意していただいた冷たいタオルや氷、Rさんのご両親が途中で渡してくださった凍った飲み物には、ほんとうに助けられました。
この行事の目的は、一度組んだペアを決して見捨てないことや、将来のリーダーシップに相応しいメンタルの強さの育成などが挙げられるのですが、長く苦しい(しかし何故か楽しくてハイになる)歩行の道のりを、大きな目標を見据えた勉学の過程に準えたりすることも多いです。
ところが不思議なことに、しろねこ自身はこれまで10年以上もこの行事に従事していながら、実は昨年まで一度も、自分の漢字学習にこの行事の歩行を準えたことがありませんでした。いや、もしかするとあったのかもしれませんが、今年ほどはっきり自覚的に自らの漢字学習とこの行事を関連づけて実感したことは無かったのです。そしてそのこと自体に、今回改めて思い至りました。
なんとも迂闊なことですが、これまでは多分、純粋に職場の名物行事として、歩くことを(または巡回や本部統括することを)毎年心底楽しみにしていた、ということだったのだと思います。
そして私の拙い漢字学習も今になって、漸くこの行事に準えられるほどの年月を経た、ということなのかもしれません。
また、このブログを通して皆様との出会いもありましたので、やっと他者との関係の中での自分を、行事の中の自分と一致させるに至ったのかもしれません。
私自身、最近自分の中の矛盾や頑なさが以前よりは(一時的にせよ)減っているようなので、自分と向き合わざるを得ない長距離歩行と、自分なりには投げ捨てないで続けてきた漢字学習を、同一視する視野が開けてきたのかもしれません。
さらに、この道程にはチェックポイントが10あるのですが、それがア行からワ行まで十行ある辞書とも同じように思えてきたので、自分でも意外な気持ちでした。ただ、これは音読みで配列されている漢検漢和辞典を使っていればこそでしょうか。
それぞれのチェックポイントの間の距離はまちまちで、一番長いところだと8㎞もあり、これは半ばを過ぎた後にそこに差し掛かるので、未だか未だかととてもつらいのです。それが、辞典のカ行やサ行の間のように思われてきたのですから、おかしなものです。または、部首での配列でいうならば、“さんずい”か“きへん”のところのようなものかもしれません。入ったばかりのときは、ほんとうに途方もない気持ちになって項垂れるものの、決して避けては通れないところ――その峠みたいなものを越えないと、何事も向こう側は、見えてこないのでしょうね。
今しろねこは教育実習生の指導もしていて、これから彼も“峠”に差し掛かってきそうなので、確り自力で峠を越えたと実感できるように、できるだけのサポートをしたいと思います。
同時に自分の面倒も、もっと確り見ないといけないなあ、と日々覚束ないながらも気持ちを建て直し続けるしろねこなのでした。
学年によって、歩く距離は48㎞だったり28㎞だったりもするのですが、しろねこの担当学年は42㎞と選択肢が決まっています。
ここ2年間は本部を統括していてブランクがあったので、久々の歩行は心配でしたが、今年度しろねこと担任・副担任を組んでいる新人のRさん(職場の卒業生で、しろねこはお姉さんを教えたことがある)と、なんとか歩き切りました!
最高気温が31℃の炎天下だったこともあり、またデスクワークが多忙で練習なしのぶっつけ本番だったこともあり、涼しい曇天時のようにノンストップとはいかず、足の裏も痛くて、途中一度給水所で長めの休憩をとったので、朝8時前出発で着いたのは17時半。
道ごとに保護者の皆様がついて、日影の無いなか長時間安全を確保してくださいます。用意していただいた冷たいタオルや氷、Rさんのご両親が途中で渡してくださった凍った飲み物には、ほんとうに助けられました。
この行事の目的は、一度組んだペアを決して見捨てないことや、将来のリーダーシップに相応しいメンタルの強さの育成などが挙げられるのですが、長く苦しい(しかし何故か楽しくてハイになる)歩行の道のりを、大きな目標を見据えた勉学の過程に準えたりすることも多いです。
ところが不思議なことに、しろねこ自身はこれまで10年以上もこの行事に従事していながら、実は昨年まで一度も、自分の漢字学習にこの行事の歩行を準えたことがありませんでした。いや、もしかするとあったのかもしれませんが、今年ほどはっきり自覚的に自らの漢字学習とこの行事を関連づけて実感したことは無かったのです。そしてそのこと自体に、今回改めて思い至りました。
なんとも迂闊なことですが、これまでは多分、純粋に職場の名物行事として、歩くことを(または巡回や本部統括することを)毎年心底楽しみにしていた、ということだったのだと思います。
そして私の拙い漢字学習も今になって、漸くこの行事に準えられるほどの年月を経た、ということなのかもしれません。
また、このブログを通して皆様との出会いもありましたので、やっと他者との関係の中での自分を、行事の中の自分と一致させるに至ったのかもしれません。
私自身、最近自分の中の矛盾や頑なさが以前よりは(一時的にせよ)減っているようなので、自分と向き合わざるを得ない長距離歩行と、自分なりには投げ捨てないで続けてきた漢字学習を、同一視する視野が開けてきたのかもしれません。
さらに、この道程にはチェックポイントが10あるのですが、それがア行からワ行まで十行ある辞書とも同じように思えてきたので、自分でも意外な気持ちでした。ただ、これは音読みで配列されている漢検漢和辞典を使っていればこそでしょうか。
それぞれのチェックポイントの間の距離はまちまちで、一番長いところだと8㎞もあり、これは半ばを過ぎた後にそこに差し掛かるので、未だか未だかととてもつらいのです。それが、辞典のカ行やサ行の間のように思われてきたのですから、おかしなものです。または、部首での配列でいうならば、“さんずい”か“きへん”のところのようなものかもしれません。入ったばかりのときは、ほんとうに途方もない気持ちになって項垂れるものの、決して避けては通れないところ――その峠みたいなものを越えないと、何事も向こう側は、見えてこないのでしょうね。
今しろねこは教育実習生の指導もしていて、これから彼も“峠”に差し掛かってきそうなので、確り自力で峠を越えたと実感できるように、できるだけのサポートをしたいと思います。
同時に自分の面倒も、もっと確り見ないといけないなあ、と日々覚束ないながらも気持ちを建て直し続けるしろねこなのでした。