“氷姿雪魄”に背のびする……しろねこの日記

仕事の傍ら漢検1級に臨むうち、言葉の向こう側に見える様々な世界に思いを馳せるようになった日々を、徒然なるままに綴る日記。

長い歩行で改めて感じたこと。

2015-05-25 01:04:16 | 日記
職場の行事の関係で、23日の土曜日は、42㎞ほど歩きました。翌日は関節痛で、今もまだ歩き方がぎこちないのですが、昼間は天気もよかったのでリハビリも兼ねて外出しました。

学年によって、歩く距離は48㎞だったり28㎞だったりもするのですが、しろねこの担当学年は42㎞と選択肢が決まっています。

ここ2年間は本部を統括していてブランクがあったので、久々の歩行は心配でしたが、今年度しろねこと担任・副担任を組んでいる新人のRさん(職場の卒業生で、しろねこはお姉さんを教えたことがある)と、なんとか歩き切りました!
最高気温が31℃の炎天下だったこともあり、またデスクワークが多忙で練習なしのぶっつけ本番だったこともあり、涼しい曇天時のようにノンストップとはいかず、足の裏も痛くて、途中一度給水所で長めの休憩をとったので、朝8時前出発で着いたのは17時半。
道ごとに保護者の皆様がついて、日影の無いなか長時間安全を確保してくださいます。用意していただいた冷たいタオルや氷、Rさんのご両親が途中で渡してくださった凍った飲み物には、ほんとうに助けられました。

この行事の目的は、一度組んだペアを決して見捨てないことや、将来のリーダーシップに相応しいメンタルの強さの育成などが挙げられるのですが、長く苦しい(しかし何故か楽しくてハイになる)歩行の道のりを、大きな目標を見据えた勉学の過程に準えたりすることも多いです。
ところが不思議なことに、しろねこ自身はこれまで10年以上もこの行事に従事していながら、実は昨年まで一度も、自分の漢字学習にこの行事の歩行を準えたことがありませんでした。いや、もしかするとあったのかもしれませんが、今年ほどはっきり自覚的に自らの漢字学習とこの行事を関連づけて実感したことは無かったのです。そしてそのこと自体に、今回改めて思い至りました。

なんとも迂闊なことですが、これまでは多分、純粋に職場の名物行事として、歩くことを(または巡回や本部統括することを)毎年心底楽しみにしていた、ということだったのだと思います。
そして私の拙い漢字学習も今になって、漸くこの行事に準えられるほどの年月を経た、ということなのかもしれません。
また、このブログを通して皆様との出会いもありましたので、やっと他者との関係の中での自分を、行事の中の自分と一致させるに至ったのかもしれません。
私自身、最近自分の中の矛盾や頑なさが以前よりは(一時的にせよ)減っているようなので、自分と向き合わざるを得ない長距離歩行と、自分なりには投げ捨てないで続けてきた漢字学習を、同一視する視野が開けてきたのかもしれません。

さらに、この道程にはチェックポイントが10あるのですが、それがア行からワ行まで十行ある辞書とも同じように思えてきたので、自分でも意外な気持ちでした。ただ、これは音読みで配列されている漢検漢和辞典を使っていればこそでしょうか。
それぞれのチェックポイントの間の距離はまちまちで、一番長いところだと8㎞もあり、これは半ばを過ぎた後にそこに差し掛かるので、未だか未だかととてもつらいのです。それが、辞典のカ行やサ行の間のように思われてきたのですから、おかしなものです。または、部首での配列でいうならば、“さんずい”か“きへん”のところのようなものかもしれません。入ったばかりのときは、ほんとうに途方もない気持ちになって項垂れるものの、決して避けては通れないところ――その峠みたいなものを越えないと、何事も向こう側は、見えてこないのでしょうね。


今しろねこは教育実習生の指導もしていて、これから彼も“峠”に差し掛かってきそうなので、確り自力で峠を越えたと実感できるように、できるだけのサポートをしたいと思います。
同時に自分の面倒も、もっと確り見ないといけないなあ、と日々覚束ないながらも気持ちを建て直し続けるしろねこなのでした。

「大和言葉」、それから「漢字文化資料館」

2015-05-06 15:45:22 | 日記
今日2度目の記事です。

前の記事を送信したあと、何気なく勤務地の最寄駅のNEWDAYSの、とっても小さい書籍コーナーを覗いたら、「大和言葉」がキーワードのタイトルの本を2冊発見。


・『これを大和言葉で言えますか?』知的生活研究所(青春文庫)

・『日本の大和言葉を美しく話す -心が通じる和の表現』高橋こうじ氏(東邦出版)


後者はとくにイラストがエヴァーソン朋子さんとあり、同じ東邦出版で以前私が購入した、

『日本の伝統色を愉しむ -季節の彩りを暮らしに』長澤陽子監修

のイラストの方と同じだったせいか、すぐ目に付きました(というか、東邦出版の装丁が目に入り易いのかな…)。

大型書店に不自由しない土地に住んでいる割に、勤務時間上書店が閉店しているときしかそこを通らなかったりすることも普段は多いので、少しだけ乗車時刻より早めに駅に付いたりすると、駅構内のNEWDAYSが開いていれば、その書籍コーナーを眺めます。
NEWDAYSやコンビニエンスストアの書籍コーナーは、狭いしお客さんも限られている分、世の中のブームが凝縮した小宇宙のように思っているところがあるのです。
そんな中に、「大和言葉」が入った本が2冊も!

ひところの「江戸しぐさ」みたいな現象なのでしょうか。
一昔前には、漢字の読み書き(特に読み)に関する「これ読めますか?」のようなタイトルの本が多かったけれど、震災後は、日本語のマナーや話術、心理学系の本が多くなったかなあ、という印象が個人的にはあって、さらに最近はそれもちょっと減ってきて、もっと言葉に限らない、ものごとに対する考え方全体を扱った本が多くなっているかな?と感じていたところでした。

この「大和言葉」の現象がもうちょっと息が長いようなら、そのうち手に取って見てみようかな、と思います。



ところで、職場のPC上では、今年4月1日にフルオープンしたという漢字文化資料館(大修館書店HP別館)に、本日初めて行ってみました。

「読みもの」>「連載記事」や「特別記事」をざっと拝読。

「体感!痛感?中国文化」(森田六朗氏)で、柳絮や城のことを拝読。勉強になります。
そして、自分はいつか中国を訪れることはあるんだろうか?とちょっと考えたりする。

新「漢字Q&A」は、2008年までの「漢字Q&A」<旧版>に続く形で、526番から始まっていました。


…「大和言葉」にせよ、「漢字文化資料館」にせよ、それらの取り扱われ方はこうして少しずつ更新されてゆくのだなあ、と、ちょっと立ち止まって考えた次第です。

検定対策に殆ど関係ない話

2015-05-06 10:24:52 | 日記
こんにちは。
GWも最終日、如何お過ごしでしょうか。27-1対策に励んでいらっしゃる方も多いことでしょう。

しろねこは、漢字に関係ないような、あるような生活を続けつつ、毎日確実に漢字のことを思って生きている、というのが正直なところです。

生徒が自習登校しているので、自分も生活リズムを崩さないように連日登校(?)し、古典文法の質問をパラパラ受けつつ、残務処理とGW明けの準備をゆっくり少しずつして過ごしました。
また数日前に軽い風邪を引き、家に籠ると余計調子が出なくなることも心配だったのです。
いまも勤務地のタリーズにてチャイミルクティーで一服、そろそろ職場に向かいます。

居住地のほうではスタバ常連ですが、タリーズといえば、昨年の暮れから、ひとつ気になる絵本が。
『氷の島とねこ』(張佐和子)。
第11回 タリーズ ピクチャー ブック アワード 特別賞受賞作品だそうです。しろねこは残念ながら購入はできていませんが、ねこ好きな方なら、ねこ独特の無邪気な仕草やシルエットがやさしく描かれた透明水彩画に、きっと心を癒されるに違いありません。機会がありましたら是非ご覧になってみてください。


山崎ナオコーラ『この世は二人組ではできあがらない』(新潮文庫)。GW中に職場で休み休み読んだ、漢字に関係ない本です。
ことばや人にかかわる、いくつかのくだりが心に残りました。


【大学を卒業して数年後、小説家になりたい主人公の栞が、大学時代の友人の花ちゃんと久々に二人きりで食事をしているシーンで、栞が次のように言う。前後の会話文や地の文は、かなり割愛。】

「私は今まで、自分の言葉が伝わった、と感じたことがない」
「私は人に理解して欲しいとは思ってなくて……」
「だけど誰だって、自分のことを気に入ってくれている人にそばにいて欲しいもんじゃないの?」

【新卒でパンのメーカーに入社した花ちゃんは、栞の言葉を受けて答える。こちらも前後の会話文や地の文は、かなり割愛。】

「自分に関係なく、他人を好きになる人だっているんじゃないかなあ」
「自分のことを好いていてくれているわけでもなんでもない人たちと、たくさんの言葉を交わすのが、仕事ってものじゃない? 私、今の会社に入って、パンを流通させるために、たくさんの人と話して、相手は私のことを大事な人とは思ってくれていないし、私になんの興味も持っていない人たちばかりだけど、パンを通して、たくさんの会話をいろいろな人と交わしたよ」

【花ちゃんの言葉に耳を傾けていた栞のものごとの捉え方が、ここで少し変わる。前後の会話文や地の文は、相変わらずかなり割愛。】

「なるほど……。まだ見たことのない読者を信頼して書く、ということもできるのかな」


これは150頁を過ぎたあたり。それより前、100頁を過ぎたあたりで、栞のモノローグにこんな一節もあります。


人と人とは、関係がない。誰も、誰かから必要とされていない。必要性がないのに、その人がそこにいるだけで嬉しくなってしまうのが、愛なのではないか。



……この、『この世は二人組ではできあがらない』の主人公は、私とほぼ同年代。共感する感覚は多いです。家庭環境は、この主人公とは大きく違うけれど。

読書について、書こうとするとだいたい職場の入試作成のために大量読みしているときで、ここでとりあげた話が作問対象の候補になりかねないこともあり、書くのを控えてきました。
中学配属の2年間は、義務教育の入試であることもあり、主人公は受験生と同年代のものを探すようにしていて、それがことのほか大変だったけれど、また高校配属に戻ったので、主人公の位相をある程度自由に選べるのは助かります。

川上弘美さん、瀬尾まいこさん、橋本紡さん、山崎ナオコーラさんの小説は好きで、どの方の文章も作問で使わせていただいたことがあります。
川上弘美さんの『センセイの鞄』、三島由紀夫氏の『仮面の告白』など、この一冊のどこから、作問するのか? と一見思われそうな作品から、隙間の一幕をえいやっとお借りして、作問するのも、私の楽しみだったりします。勿論、本文の曲解に繋がるような作問や、表現を損なうような作問は極力避け、抜粋範囲で収拾がつくような作問に徹します。


……最近、いろいろな存在についてとか、なんで相変わらず漢字を勉強したいと思うんだろうとか、自分はあと何年心身ともに健康で生きられるんだろうとか、いま災害か戦争か何かですぐに家を出なければならなかったら、私は大切にしている漢字の本やノートをどうするんだろう、とか、自分は人間として、どうなんだろう、とか、端から見ればしょうもないと思われそうなことをいい大人なのに折ふし考えるようになって、毎日忙しいのは変わらないのですが、頭のなかはかなり減速気味です。


……一ツ橋書店『漢検合格ノート』TEST9 当て字・熟字訓問題を見ていたら、「更格廬」の解答が、「かんがる~」になっていたことに、昨夜改めて気づきました。「~」に、なにか意図があるのか? 単なる誤植なのだろうけれど、あのカンガルー特有のジャンプが、「~」のラインをなぞるようにイメージされてしまうから、たったひとつの記号といえども軽視できないなあ、と思いながら、脳内も減速気味でいられないな、そろそろ私も6月の対策を優先させなければ、と、風に吹かれるしろねこなのでした。