“氷姿雪魄”に背のびする……しろねこの日記

仕事の傍ら漢検1級に臨むうち、言葉の向こう側に見える様々な世界に思いを馳せるようになった日々を、徒然なるままに綴る日記。

円満字さんの新刊発行が間近!

2022-05-08 13:15:47 | 日記
こんにちは。
長い間ご無沙汰しておりました。今日は母の日ですね。
しろねこは、昨年9月末に亡くなった母の埋葬を漸く3月末に済ませ、お陰様で無事に新年度のスタートを切っています。

長らく記事のアップを控えていましたが、円満字二郎氏の新刊発行が近くなったので、これは書かなくては!とお知らせします。
『マンがでわかる漢字の使い分け図鑑』、5月12日発売予定です。昨年の『難読漢字の奥義書』以来で、どのような本なのかとても楽しみです。
もともと、hontoサイトからの通知メールでは4月の発行予定で案内されていたようですが、今年3月に書店で調べてもらったところ、5月の発行ということでした。あと1週間弱で、書店で受け取れると思うと、わくわくします。

現在は高校1年生の担任をしています。担任は4年ぶりになります。授業数は副担任だった昨年度より増え、受験生も掛け持ちで持っているので、多忙は変わっていません。でも、張り合いはあります。

1年生を担当できたお陰で、以前ご紹介した、円満字さんの文章が載っている、東京書籍の新課程の教科書を使用できることになりました!
昨年6月16日の記事でご紹介した教科書を、最終的にしろねこら国語科で検討した結果、採用にしたのでした(私の独断での好みによるものではありません。でも、国語科仲間には、私の思い入れのある筆者が載っていることは、秘密にしています)。そのうち生徒と読んだときに、漢字に対して生徒が目からウロコの感覚になってくれるとうれしいなあ、と願っています。

漢検1級ですが、2月も受けました。勉強は手につかず、昨年秋が100点切り、2月は100点を少し超えたという結果でした。
今度も申し込んでいますが、申し込みが多忙で遅れて、地元での会場は定員締め切りとなり、他県での受検になっています。この多忙ぶりでは、また受けるだけになるかもしれません。

母が亡くなってから、様々な変化がありました。10月は何とかなった体調を、いろいろあって11月に崩し、仕事を休むことはありませんでしたが、体調が回復したのは2月くらいからでした。疲労のせいか夢一つ見なかったのですが、1月末に母の夢を見て(普通に元気でした)、だんだん回復し、母の埋葬についても決めることができました。
母の戒名は、母から見て祖母に当たる人が信仰し、それ以降実家の宗派になったところに基づいて決めたかったのですが、実家の遠さや親族の墓じまいなどの関係で、悩んだ結果、頼れる人の紹介で、しろねこの居住地域の墓地にある、永代供養塔に埋葬してもらいました。
戒名はそこに因んだ宗派で決めてもらいましたが、いただいた名前がとてもよく、頼んでよかったと思いました。まだまだ家の後始末も残っていますが、供養が一歩進んだように思えて、ほっとしています。

母が亡くなったとほぼ同時に、ご縁があって、半分保護者になってもらったような感覚で親しくなった年配の方がいるのですが、その人には多方面で尊敬できるところがあり、母の価値観とも酷似しているところがあって、子ひとりになった自分を見直す機会を、この半年あまりで沢山与えてもらいました。しっかりとした人格と信念があり、お仕事ではとても成功していて、他者からの信頼が厚く、同性にも好かれている人です。中卒で学校教育の型にはまっていないので、私は商業高卒の母からしばしば指摘されていた、大卒特有の実用性から遠い、形式的な思考回路による自分の至らなさを、再三その人から教えられることになりました。

このブログでのテーマに関することで言えば、自分の言葉への向き合い方や言葉の使い方、そこに現れている人格的な面を、かなり反省させられました。母に言われていた時にはどうしても従えなかったけれど、注意する人がいなくなったと思ってそれを放置しそうになるどころか、意味が分かっていなかったところを、他人に指摘されることでちゃんと直そうと本気で思わせてもらって、その人にも、その人に出会えたことにも、とても感謝しています。
職業的にはスキルアップの面で今まで通り勉強を続けるけれど、もっと哲学的な面、仏教的な面、詩的な面、人の情のようなもの、自分に足りないものが伝えられてこその言葉なんだろうと思います。それに伴い、人の話の聴き方も、もっと向上したいと、今は考えています。さらに、ジェンダーレスの時代ではありますが、女性としての人格ももっと磨かないといけないな、と、この歳(40代半ば)になって思えるようになりました。

そう思って、コミュニケーションの本や、より女性を磨く本を探してみると、それらが著者や読者から見て、自分のため寄りのものと、相手のため寄りのものに分かれていることに気づきました。このことは、この歳で恥ずかしいですが、私にとっては大きな発見でした。これまでは自分が読みたいかどうかだけで、その場にある本の中から求めていることに最も近い内容のものを買うだけで、読んだ結果、そこからもたらされた効果で相手が満足してくれることも増えるだろう、という程度の大雑把な感覚でした。でも今は、変わりたい自分が自己満足で終わらないか、読んで自分がスッキリするのではなく、ちゃんと相手のためになっていて、相手のニーズに合うように変われるか、ということを優先して本を選ぶようになったので、よりターゲットを絞って本を決められるようになりました。

言葉の力をもっとしっかり捉えられるように、勉強を続けていきます。



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