“氷姿雪魄”に背のびする……しろねこの日記

仕事の傍ら漢検1級に臨むうち、言葉の向こう側に見える様々な世界に思いを馳せるようになった日々を、徒然なるままに綴る日記。

漢検R1-1 の受検と近況

2019-06-23 19:46:04 | 日記
もう7日前のことになりますが、6月16日(日)に、漢検R1-1を受検してきました。
ここ数年はリピーターでありながら合格はなく、仕事や読書と睡眠(1日平均4〜5時間)優先で開き直って受検しているので、結果はゆるやかな忘却曲線の証明のようになってしまっていますが、それでもリアルタイムで問題を解く機会をまだ持てているのは、自分としては有難いと思っています。
自己採点は一昨日しました。北叟笑むの「叟」と須臾の「臾」の下を、一応別画にしながらもくっついたように書いてしまったので、4点加算されなければ130点、されれば134点の見込みです。

一 音読み15/20・訓読み7/10
二 書き取り30〜32/40
三 語選択書き取り8/10
四 四字熟語書き取り14/20・意味と読み4/10
五 熟字訓・当て字8/10
六 熟語の読み・一字訓読み6/10
七 対義語4/10・類義語6/10
八 故事・諺6/20
九 文章題書き取り14〜16/20・読み8/10

今回は、標準解答の開示の仕方に変更があったようです。受検後の試験監督さんからの説明で分かりました。
これまでは、受検日から約1週間後に、標準解答が新しい問題とともに封書で送られてきていましたが、今回からは、検定日から約5日後にWeb上で公開されるようになったということです。また、紙媒体での解答は、約40日後に送られてくる検定結果に同封されてくるということで、問題は再度は配られないので(欠席者は送られてくる)、本番で解いた問題はとっておくよう、監督さんからお話がありました。
漢検協会としては郵送の二度手間がなくなって、負担が減ったのではないかと思います。

しろねこにとっては今回は前日(土)が休みの週というレアな機会で、いくつかの分野は少し落ち着いて過去問の記憶の修復ができました。ですがそれまでが慌ただしかったのと、GWから1ヶ月近く、原因不明の気管支炎だったため、仕事を休まないのがやっとで、トータルで見るといつもどおりの準備不足な状態でした(それにすっかり慣れてしまっているのは、よくないですが…)。

個人的に、試験問題で「戛戛」が出題されたのが、好きな語だったので嬉しかったです。
当て字・熟字訓「火魚」の読みは正直分かりませんでしたが、記憶の残像を頼りにやっつけで書いたら、偶々当たりました。難しい熟字訓の暗記は、語呂合わせも勿論あるのですが、しろねこの場合、漢字の並びの視覚的な記憶と、読みのひらがな表記の視覚的記憶を、単にセットで覚えているものも多くて、そうなると記憶の仕方に根拠がないので、いつも検定前に記憶の焼き直しをしています。
他方、書き取りでは「愧赧」の「赧」をど忘れしてしまい、翌日になって、生活する動作の中で思い出す始末でした。「顔が赤くなったり・・・」という漢字の意味の連想だけは浮かぶのに、字形が試験時間内には浮かばないのです。でも、思い出していたとしてもちょっと記憶が曖昧なところがあって、右側を「服」の右側のように書いてしまっていたかもしれないので、どっちみち加点には至らなかったようにも思います。
対義語・類義語や故事成語・諺は、気管支炎で辞書を持ち歩く体力がなく、勉強が全く進まなかったので、難しくて手が出ませんでした。その他のジャンルでも、もう少し準備できていれば8〜9割とれたところが、今は4〜7割に下がってきています。答え合わせしてみると、なるほどなとは思うものが多いですが、ノートに整理するなどの復習もまだできてはいません。この文章も、受検当日から一週間携帯に入力し溜めてきたものです。

しろねこの会場では、1級の部屋の人数は22名でした。しろねこはいつも、最後の方の番号になるように狙って出願していますが、今回はそれが叶っただけでなく、隣がいなくて一人壁際だったので、気も楽でした。会場も自分の母校の大学という、これまでにもよく経験している会場だったので、これで勉強が万端なら言うことないベストな環境でした。

受検後はそのまま職場に寄り、その後図書館に寄り、更に買い置きしていた定期購読の雑誌を読み捌き、明日の授業の準備をしてばったり寝ました。小雨が一日中、降ったり止んだりしていました。

今年度は、昨年度まで3年間担当していた生徒たちを卒業させて高校に送り出したと思ったら、また新中3の担当になりました。
久々に担任を外れて、5年前にも担当していた特別活動部の主任に、再びなることに。他方、図書館の書籍注文担当もしており、3年目になりました。殆どが知っている仕事なので、新設の開拓部署より精神的にはストレスが少ないものの、そこに地域の夏祭りに参加する生徒の指導や弁論大会(今の時期は「少年の主張」)出場者の指導など、しろねこの代わりがいない仕事も連日入ってきていて、当然ながら日常的に担当教科の偏差値を上げる対策も続くので、大小さまざまの答案も絶えず見ることに。そのため個人の時間は、どうしても僅かばかり。年齢が増すごとに、睡眠時間を削るにも限界が出てきています。少し寂しいような、自分も年取るんだなあと妙に冷静な気持ちもあります。

今年の年度末は、これまで3年間担当してきた生徒への様々な指導の後始末と引き継ぎに追われ、新年度は委員会・クラブ・学校行事・生徒会執行部のスタート管理に専念していました。勉強方法に色々な切り口があるように、仕事も、様々な切り口があるわけで…同時進行で複数の作業を進めていって、それぞれどこで妥協するかが難しいところです。同僚や後輩への仕事の分担も、タイミングよくしなくてはいけないので、さぼってはいられません。

3月末から4月まで、断続的に喉の調子が悪く、一旦治ったかに見えたのが、4月末から5月末まで、原因不明の気管支炎に発展しました。喉は痛くないのに声ががらがらで呼吸が難しかったり咳が止まらなかったりしていました。こんなに長引いたことはなくて、市販の咳止めで一時嗅覚がなくなったり(飲むのをやめたら4日目で復活したので安堵…)、年休はとらず、管理職の先生方も責任者のしろねこがいないと行事が全部止まるので、「休んでね」とも言えず、「倒れないでね」と声をかけられ続けたりしたのが、笑える思い出といえば思い出かもしれません。因みに、先輩の先生と元同僚(茨城で先生をしている)は喉にポリープができて、休養をとらざるをえないということもあったので、自分も気をつけたいです。
今年度は職場の管理職の移動が大きくあり、メンバーとしては、震災前の顔ぶれをベースにした配置に戻りました。来年度がどうなるか、みんな今年の働きぶりにかかっていて、ある意味、古株の人ほど、ひと昔前の緊張感を忘れるわけにはいかない一年になりそうです。ここ数年、メンタル的にきつくて途中からいなくなってしまう人が、複数の学年複数の科目で出続けているので、残った自分たちが油断せず、平常心で仕事をしていかねばなりません。他方で元気な若手も複数いてくれるので、仕事を教えながら彼らの仕事からも学ぶことは少なくありません。

5月中旬に、ある大きい学校行事を仕切り終え、1週間後に3泊4日で関西研修旅行の引率、その1週間後に5月の行事の保護者慰労会に出て、やっと一息というところで、翌日6/9は急遽、Kanji cafeで誰でも参加できるという案内が出ているのを知って、福島漢字同好会主催の講演会(円満字さんの「平成最後の漢字事件簿」)を拝聴しに行きとんぼ返り、その1週間後に漢検でした。
『人名用漢字の戦後史』『昭和を騒がせた漢字たち 当用漢字の事件簿』『常用漢字の事件簿』を世に出された円満字さんなので、続く平成版のご著書が出されるのも間もなくか、という内容でした。

今週は定期考査対策の仕上げ、問題作成、実施、採点、成績処理がメインなところに塾回りがあり、加えて私の苦手な女子会があります(まず内容以上に「女子会」という言葉が苦手)。女性教員がやや少ない職場なので、仲間意識を深める会を企画する人がいれば自ずと全員参加になり、一応生物学的に女性であるしろねこにもお呼びがかかっているので、Web上の掲示板のコメント欄に一番最後に参加の意思表示を書き込んだのですが、みんなが「テスト頑張ってそれまでに作ります!」とか「こういう機会でもないとなかなか交流を温める機会がないですものね〜」とかコメントする波に、自分は乗れず(乗らず)、ただ、参加でお願いしたい旨を書きました。コメント上で既に交流しているみんなは凄い。みんなのことは嫌いじゃないし、日々小さく助け合っているけれども、こういうときみんなと同じトーンでコメントに色を添えようという気持ちがまったく動かない自分は問題なのかな、とちょっと考えそうになってしまった(←でも結局考えていない)先週でした。
その流れの中で、週末から祭り参加に関する下拵え、夏休み明けの体育祭や弁論大会に向けた流れを作り始めつつ、移動時間に読書して、空けた時間で細々ですが漢字の復習をしていきます。がんばります。