“氷姿雪魄”に背のびする……しろねこの日記

仕事の傍ら漢検1級に臨むうち、言葉の向こう側に見える様々な世界に思いを馳せるようになった日々を、徒然なるままに綴る日記。

漸く拝読できた!『7歳から「辞書」を引いて頭をきたえる』

2020-05-24 16:41:12 | 日記
こんにちは。
コロナによる緊急事態宣言が、全国的に解除の方向に向かっています。しろねこの地域では、既に街に人が増えてきていて、お店の営業時間も少しずつ延びてきました。

さて、ずっと気にしながらも、何年も「積ん読」の一冊になっていた(深谷先生、すみません。)、

『7歳から「辞書」を引いて頭をきたえる』深谷圭助(新潮文庫、平成23年11月1日発行)

を、漸くちゃんと最後まで拝読できました。もっとも、本著の内容を実践してこそ、本当の意味で「読んだ」と言えるに違いないのですが…。
本著のように、10歳未満の子どもの教育に関する文章を拝読する度、中高の教員である自分は、「さて今からでも生徒にできることは何だろう?」と考えることになります。しろねこ自身の10歳未満の頃を振り返ってみても、その当時培った、「物事に対する徹底ぶり」みたいなものは、その後の自分の中での基準を支える、財産になっていると思います。

以下、しろねこが拝読していて付箋を付した中から、なるべく具体例を含まないところで感じ入った内容を取り上げてみます。


・辞書をいつも目につくところに出しておく。
・辞書を引いても十分な解説、説明がなされているわけではなく、その説明を手がかりにしながら少しずつ「物事の本質」に近づいていく、その作業自体が、本当の学びとなる。
・子どもが本気で興味や疑問を持ち始めると、学習指導要領で掲げている教育目標よりも、ずっと深い学びを体験する。
・子どもは無鉄砲でチャレンジャー → できたらスゴイということに、素直にのってくる。
・辞書引き学習の習慣が定着 → テーマを与えられたとき、自ら調べることを苦にしない。難解な言葉にも免疫ができていて、そこで得た答えをもとに、さらに深く追求する「学びの型」が身についている。
・国語辞典を国語の授業でしか使わないという指導をしない。
・経験 → 知識だけでなく、知識 → 経験も十分アリ。せっかく、面白く勉強できる辞書や理科事典があるのだから、教師がそれらを有効活用し、子どもの学習意欲を育てることが重要。
・日頃から辞書引き学習を実践し、数多くの漢字に接している → 本に出てきた新しい漢字を予測して読めるようになる。
・読書こそ学ぶうえでの王道。「他を思いやる想像力」を育める。
・親御さんたちが本当の意味での「学び」の大切さに気づかされたとき、成長しようとするわが子を支援するために、家庭環境を見直すようになる。
・付箋紙の選び方、貼り方を子どもに任せると、同じ辞書でも付箋紙の貼り方次第で雰囲気が変わるので、自分のものになっていく喜びを感じられる。
・わからないことに出合ったときに、子どもが「学校で習っていないからできない」と言うのか、「わからないから辞書を引いてみよう」と言うのか、どちらが素晴らしいか。
・語彙が一定の水準に達する → 辞書の内容に関心を持つようになる → 内容自体を吟味するようになる。
・(献立の食材を引くために)国語辞典を引くことを給食中でも認めると、一年生のうちに辞書を引くスピードは格段に速くなり、自らの「知欲」と「食欲」を同時に満たすことができるようになった(=辞書を引くのに夢中になりすぎて食べられないということがなくなった)。
・家でお品書きを書いてみるときに、「メインディッシュ○○」とか「○○産こしひかり」などと、ちょっと大袈裟に書くと面白い。お品書きに使う筆記具で日常の食事が何となく豪華に見えてくるし、食材に関心をもつ会話によって、食卓が精神的に豊かになる。
・子どもにはわかっていない言葉ではなく、わかっている言葉を調べさせたほうが、意味のズレ(わかっているつもりと実際)に気づかせられる。
・一年生の子どもがググッと伸びる時期に、競争心を刺激する → ますます辞書を使うようになる。
・辞書引き学習を率先して実践した子どもたちの辞書を見ると、一年生(六歳児)の持つ語彙数(五千〜六千)を調べた可能性がある(子どものつけた付箋には、通し番号をふることにしてある)。
・明治時代の「牛乳教授」 ← 多少食べにくくても、硬く、かみごたえがあるものを与えることも大切ではないか、という反省に基づいて使われた言葉。
・知識を増やすとともに「問い」を立て、調べた答えを発表、情報交換、議論する機会を与える → 自分の考え方や結論の導き方が一面的だと気づき始め、論理的に考える姿勢が芽生える。
・辞書の説明をもとに、自分の言葉で説明させる練習をする。
・国語辞書を引いてわかりきらないところ → 別の辞典(字典、事典)や図鑑を持っている子どもと一緒に調べていく。
・親子で一緒に、調べてきた言葉を振り返る時間をもつとよい。
・子どもたちを困難に向き合わせるときには、あらかじめ、どのような環境をつくったらよいのかを考え、先を見通したうえで環境構築をすることが大切。
・抽象的な言葉の意味を辞書で調べる → 体験と結びつける → 子どもの認識を広げられる(言葉の意味に触れることなく、本物に触れたり体験をしたりするだけでは日本語力はつかない)。
・一年生の10月の成長力は驚異的。ある意味、植物と同様、4月にまいた種が10月に収穫を迎えるというのは、人間も同じ(←今話題の9月入学になったらどうか?:しろねこ)。
・一年間で行う辞書引き学習を、前半と後半に分ける → 前半……自分の「興味・関心のある領域」や「持ち味」を知る「自分探し」 → 後半……他の子どもたちと異なる「自分の良さ」「個性」「傾向」の確立時期。一年間で学んだこと、成長を問われるのは、後半での学び方にかかっている。
・教師があえてわからず屋を演じると、常識的な物の見方を疑う子どもたちが出てくる → そういう意見を取り上げながら、クラス全体で考える時間をつくっていく → 一人ひとり深く考え始める。
・事典類を購入する際は、すぐに飽きのくる簡単なものではなく、長期間使い続けられる、ある程度の見通しを持って購入する。
・子どもたちには、「ひらがなではなく漢字で書きたい」「書き順もきちんと確認したい」という思いがある。
・日本地図を与えてから、世界地図を与える必要はない。
・「専門家に聞いて終わるのではなく、それを上回ることをして、専門家を驚かせるレベルまでやる」ということを子どもたちに伝える。
・「遊び」と「勉強」を区別しない。
・日本の風土と日本語力の基礎は切り離せない。
・家族の名前、住所など身近な物事が漢字で書ける ← 日本人としてのアイデンティティーにかかわる問題。
・阿辻先生『部首のはなし』、高島俊男先生『漢字と日本人』の紹介。
・「この問題はさらなる疑問を生み出しそうだ」というケース → 質問に対する答えに満足させないように、わざと子どもの学ぶ意欲に火をつけるよう、教師や親が立ち回る必要がある。
・インターネットで調べて、それで終わりという態度は、単に考えることを放棄しているに過ぎない。
・国語字典のように編纂過程で信用度の高いものでも、疑ってみる気持ちが重要。
・教えるということにも、さまざまなレベルがある。わかりやすい授業をすることが、必ずしも、子どもの思考力を高めることにはならない。
・覚えることを少なくして、丁寧に指導しようとしても、結局、子どもが意欲を持って、自らの手により学ぶように仕向けなければ、学力は低下してしまう。
・本当に「小さな子どもに勉強をさせるとかわいそう」なのか? ← そもそも、覚える負担を少なくするという発想自体が、漢字を覚えることは「負担」であるという考えの表れ。
・子どもの教育で欠かせないこと ← 子どもだからこそできること、それを徹底的にさせること。


――以上です。
実際にはこれらの内容に、アサガオの栽培や食材にまつわる具体的な実践例がいくつか出てきているので、そこは実際に読んでみてください。結構、大人でも忘れている(もしくはわざわざ知らない)科学的な知識に、子どもたちが辞典(字典、事典)類を通して触れていて、そこから考察を始める例が書かれてあります。
教員としても、漢検リピーターとしても、学ぶヒントがたくさんもらえる一冊であると思います。

後半、小学生で漢検1級に合格した子がいる、という話題が出てきていて、家では親子で冷蔵庫の中にある野菜や肉、魚などの名前を調べて、ラベルに漢字で書いて貼っていた、という紹介がされていました。
すぐに思い浮かぶのは、『三度のメシより漢字が好き!』の笠間さん母娘の存在です。笠間さんはそれより前に中1で最年少記録を立てられていて、ご著書の中では、検定日の約1ヶ月前から身の回りのものすべてを漢字で書き始め、家中の壁に貼るという習慣がある、と書かれてあった記憶があります。そして、それを拝読していて、「1ヶ月前から漢検モードにして間に合うくらいの漢字ライフが、普段から必要なんだ」と当時しろねこが思った記憶も。

しろねこの職場は、明日から学年ごとに週3〜4日生徒の登校日を設け、6月から連日の登校になります。長かった準備期間が、やっと明けるわけです。
しろねこ自身は、オンライン授業(リアルタイムではない)に対応するために、パワーポイントで作成した画面に自分の声を記録して授業を作ることに、この一週間は費やしていました。自分の声を録ること自体は、弁論大会の指導や漢文検定の暗唱対策で慣れているのでよかったのですが、パワーポイントを使っていなかったので、今回勉強になりました。ちょっと覚えるとそれなりに楽しいし、ある意味便利だということも実感できました。

4年連続の中学勤務を経て、今年度、久々に高校勤務に復帰したので、健康を維持しながら、早く忙しさの違いに慣れていきたいです。