“氷姿雪魄”に背のびする……しろねこの日記

仕事の傍ら漢検1級に臨むうち、言葉の向こう側に見える様々な世界に思いを馳せるようになった日々を、徒然なるままに綴る日記。

「ありえない事」と「めったにない事」

2011-04-24 22:10:54 | 日記
先日『枕草子』の一節で、未だ嘗て目にしたことが無いほど素晴らしい様子の扇の骨のことを、清少納言が

「くらげの骨」

にたとえたことが書かれている文章を、改めて読みました(これは高校古文の問題集などでよく出題される文章です)。
海月には本当は骨が無いので、清少納言は「くらげの骨に匹敵するくらいレアな扇の骨」という意味でそのように表現したのでしょう。

読んでいるうちにしろねこは、ある事柄に対して、それが珍しかったり有り得なかったりすることを比喩的に言う言い回しが気になりだしたので、大雑把に探してみました。

まず四字熟語ですが、ありえないことのたとえとして真先に浮かぶものに
「亀毛兎角」
「烏白馬角」
があります。(勿論これらには和文体での言い回しもあります。)
「亀毛兎角」でいつも思うことは、うちで大事にしているぬいぐるみの亀には毛がびっしり生えているなということです(笑)

冗談はさておき、これらの動物は「亀」も「兎」も「烏」も「馬」も、みな実在するものばかりです。
ところが、「ありえない事」ではなく「めったにない事」をたとえた
「麟角鳳嘴」
の動物は、「麒麟」も「鳳凰」も実在しない想像上の生き物です。
一見「ありえない事」を意味する言葉に当てはまりそうな動物なのに、こうしてみると「めったにない事」を意味する言葉のほうに使われているのが面白いですね。

「ありえない事」「めったにない事」を意味する諺は、よい文脈でもよくない文脈でも出てくるようです。

~ありえない事~
●海の底の白鳥
…ありえないことのたとえ。
●西から日が出る
…絶対にありえないことのたとえ。
●山の芋鰻になる
…起きるはずのないことが起こることのたとえ。思いもよらないほど変化することのたとえ。また、普通の者が急に出世することのたとえ。
≒蕪は鶉となり、山芋は鰻となる
≒雀海中に入って蛤となる
●山の芋で足を衝く
…油断して思わぬ失敗・失策をすること。また大袈裟なこと、ありえないことのたとえ。

~めったにない事~
●千載一遇
…滅多にないよい機会。
●「盲亀(の)浮木」
…仏の教えに出会うことが困難であることのたとえ。また、滅多にないことのたとえ。目の見えない亀が、百年に一度海面に浮かび、たまたまそこに漂う流木の穴に入ろうとするという話から。
●夢に牡丹餅
…都合がよいことばかり続き、夢ではないかと思うくらい幸運であること。また、昔は貴重だった牡丹餅を食べるくらい嬉しい幸運に出くわすという、滅多にないことのたとえ。
●枯れ木に花咲く
…衰えたものが再び勢いを取り戻すこと。また、望んでも実現できないことや、起こるはずのないことが起こるという、滅多にないことのたとえ。
●雨夜の月
…あっても見えないこと。また、想像だけで現実には滅多にないことのたとえ。
●茶柱が立つ
…茶柱が立つのは滅多になく、縁起がよいこと。人に話さず黙っていると、よいことがあるという。


……ほかにも色々あると思いますが、ざっと探すとこんな感じです。
自然現象をもとにしたものから、突拍子もない組み合わせのたとえまで様々でした。

また、よく読んでいくと、「滅多にないことのたとえ」そのものではなく、「滅多にないことから、○○のたとえ」というパターンの説明がある諺もあります。
例えば
●猫の歯に蚤
…ネコが自分の歯で蚤を噛むのは滅多にないことから、稀なことや不確かなことのたとえ。
●姑の涙汁
…姑はとかく嫁を嫌い、嫁に同情して涙を流すことは滅多にないことから、量が少なくわずかなことのたとえ。

など。
このように関連内容で追いかけていくと、もっと沢山ありそうです。


『枕草子』の別の章段では、普通の人なら聞き分けられないような小さい音のことを、

「蚊のまつげの落つる」

という表現で書いています。
蚊には本当は睫毛なんてないのでしょうが、すごく小さい存在である蚊の、そのまた更に小さい睫毛の落ちる音なら、ありえないくらい小さい音なわけで、「くらげの骨」といい、数々の諺といい、当時の人々の斬新な表現力には目を瞠る思いです。

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2 コメント

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古人の表現力 (fuji-moca)
2011-04-28 00:32:12
公園の樹々に緑が蔚然と生い茂り、眩しささえ感じます。
目に青葉、とはよくいったものです。

さて、あまり頻繁にコメントを差し上げるのも、かえってしろねこ様のご負担になるのでは
という思いと、これは是非一言伝えたいという気持ちが綯い交ぜになり、
ただ、躊躇して機を逸してしまうのも惜しいので、結局コメントさせていただくことにしました。
何分、興味を惹かれる分野ゆえ、ご容赦くだい。

ありえない事とめったにない事、面白い分け方ですね!
fuji-mocaの推察ですが、実在する亀や兎はその姿形や生態がはっきりしているから、
甲羅に毛が生えることなどあり得ないと、先人は断言したのかもしれません。
麒麟や鳳凰は、実際に見て観察したわけではないですから、もしかしたら百年に一度くらい、
角や嘴が生えてくるのではなかろうかと思いを馳せて、こういう言葉を遺したのかもしれませんね。

「蚊のまつげの落つる」は存じませんでしたが、
「蚤の眼(まなこ)に蚊の睫」という諺があります。同じように、ごく小さなもののたとえです。
「蚊の脛八割り」は、蚊の細い足を八つに割ったくらい細いことだそうです。
先人の表現力・想像力に頭が下がりますね。

風評被害の件、率直なお気持ちを書いていただき有難うございました。

>早く誰もが、理不尽に怖い思いや、嫌な思いをしなくていいようになってほしいと祈るばかりです。
本当にそのとおりだと思います。
理不尽な現状から解放され、皆様が住み慣れた土地で危惧をいだくことなく落ち着いた暮らしができるよう、
心より祈っています。

それでは、また。
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Re:古人の表現力 (しろねこ)
2011-04-30 06:25:26
fuji-moca様
コメント有難うございます。

>何分、興味を惹かれる分野ゆえ、

とのことで、大変嬉しいです。
またお返事遅くなってしまい申し訳ございません。

fuji-moca様のご推察には、しろねこも同感です。
そしてその「めったにない(貴重な)事」のほうを、立派なめでたい象徴の想像上の動物で表現することで、どちらかというと唖然としてただただ仰天する気持ちが中心の「ありえない事」と区別したのかもしれません。

「蚤の眼(まなこ)に蚊の睫」、「蚊の脛八割り」、いずれも思わず笑みがこぼれてしまうような表現ですね。「蚤」も「蚊」もいわば害虫なのに、思わずとても可愛いイメージで読んでしまいます。
それにしても、何故ほかの数字でなくて「八」つに割くのかとか、何故ほかの虫ではなく「蚤」や「蚊」なのかとか、考えだすときりがありません。
同じ小さい虫でも、例えば「蟻」だと、俗に言う「働き者」という性質の違いのせいか、純粋に小さい意味に直結する諺はすぐには見当たりません。
一見突拍子も無いような表現でも、何かしら道理があると思うと、先人の発想には本当に頭が下がりますね。

では、またコメントお待ち申し上げております。
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