“氷姿雪魄”に背のびする……しろねこの日記

仕事の傍ら漢検1級に臨むうち、言葉の向こう側に見える様々な世界に思いを馳せるようになった日々を、徒然なるままに綴る日記。

茂木さんと羽生さんが語る、“挑戦する”ということ。

2016-03-31 18:44:48 | 日記
こんばんは。

本日は、漢検1級を長く勉強していて浮かんでくる考えや、約6000の1級配当漢字の中に見出だせる性質と、非常に共通したことが書いてあるのでは、としろねこが感じた本をご紹介します。
しろねこは所謂“自己啓発本”と呼ばれる類の本を、「生徒に何かにつけ話をするときの抽斗に」と読むことが少くないのですが、本書は結構自分のために、自宅近くのコンビニで見つけ、半月ほど前に手に取りました。


『「ほら、あれだよ、あれ」がなくなる本 物忘れしない脳の作り方』
(茂木健一郎・羽生善治、徳間書店、2015年12月31日初版、2016年2月10日3刷)


本書の大枠の構成は、
第1部 老いない脳の作り方 (茂木さん)
第2部 棋士の脳の使い方 (羽生さん)
第3部 将棋脳を読み解く (茂木さん×羽生さん)
おわりに (羽生さん・茂木さん)
となっています。

本書は、表題から自ずと察せられるとおり、脳のアンチエイジングをテーマとしています。「ほら、あれだよ、あれ」は、最近しろねこにも職場で僅かに増えてきている現象のように思います。「そんなこと度忘れするか!?」というようなことが咄嗟に出てこないのには、自分でも唖然としてしまいます。ですがそういう記憶の問題は、本書によると「新しいことに挑戦する」ということと密接な関係があるようです。つまり、たとえば漢検1級や、それに匹敵する漢字の奥深さに様々角度を変えて触れ続けるということも、十分に本書のテーマと密接に関わってくるということで、読み進めるうちに、本書の内容が、1級リピーターとしての自己点検の材料にもなり、またそれとは異なる新たな局面で漢字や言葉と関わってゆく在り方をも模索する助けになる、ということが分かりました。
以下、本書の構成に沿って、しろねこが肝要だと思われたことをいくつか箇条書きで拾い上げておきます。表現はしろねこ流にまとめている部分も多々あります。


第1部
・「生きる」ということ = 脳はその人がチャレンジできるギリギリのものに挑戦しているときが、楽しい。
・ドーパミンはちょっと意外なことがあると出る。子どもはサプライズの連続。
・子どもの脳が素晴らしい。大人の脳は不完全な子どもの脳で、大人は不完全な子どもだとされている。
・人間は、「安全基地」が10あると、10の挑戦ができる。
・人間にとっての、安全基地を作っているものは、人との「絆」。
・頑張るためには、成功したときを考えるよりも、いざ失敗した時でも大丈夫なように心構えしておくことが大切。
・挑戦すること ⇒ 脳科学的に見て、アンチエイジングに繋がる。そのために絆を深める。
・笑いによって、不安が前向きのエネルギーに変わる。
・自分の欠点やダメなところを隠している人は、他人の欠点やダメなところを攻撃して、自分を守ろうとする。
・他人の変化した(伸びた)瞬間を見逃さないことで、その人の力が本当に伸びる。
・人間は劣等感を持つと、挑戦できなくなる。この程度でいいやと思ったり、人のことを羨んだり妬んだりすると、挑戦できない。
・時々、自分の昔のことを思い出してみると、脳の中の記憶がだんだん整理されて、過去を育てることができる。
・劣等感 = 自分のありのままを受け入れることができずに、他人のようになりたいと思うところから生まれる。
・みんなが今のありのままで幸せだが、強いて言うなら、自分の安全基地を与えてくれるような人との絆があると、幸せになるということがわかっている。


第2部
・記憶する時に大切なのは、五感を使うこと。
・若い時は、反射的に判断するところが中心になっている。将棋の世界で年齢とともに伸びていくのは、感覚的なところ。何十年も積み重ねていって、なかなか言語化することができないところで、技が磨かれたり進歩していったりということがある。
・ミスを恐れない。また、完璧にしていると思っていても、自分では気付かないミスをしているケースもたくさんあることを知る。
・羽生さんから見て、大山名人の常に印象的なところ:ほとんど考えていないということ。なにかを極めていくとか、うまくなっていくとか、上達していくとかということは、いろいろなことを足していくことだと(羽生さんは)思っていたが、余計なこととか、余分なこととかではなく、本当の、肝心要なところだけパッと見て、パッと判断して手を選ぶことができる。


第3部
・羽生さんが色紙にいつも「玲瓏」と書く ⇒ 明鏡止水に近いような意味で、まっさらな気持ちという意味。あくまでも理想。(こういうお話は、我々の漢字の勉強と直結してきますね!)
・羽生さんのストレスとのつきあい方:忘れる力。考えない時間をもつようにする。勝負で負けたことや、人生の悩みなどのことをずーっと考えてばかりいる状態から抜け出すためには、そのサイクルから抜けることが大事。それは、あまり大胆・過激なことではなくて、ささいなことを変えるくらいでもけっこう変わることはある。
・若い時にそうなかなか切り替えられないのは、細かいことをよく覚えているから。年齢が上がってくるとどうでもいいことをどんどん忘れるから、切り替えやすいはず。
・新しい経験・感性にどれくらい開かれているか:ずっと長くやっていて思うのは、狭く狭くしていくと、どんどん狭くなって、息苦しくなって、楽しさもなくなって、やる気も失って、負のスパイラルに入っていくので、それから逃れるために、広くしていく。= 未知のところを探す。可能性があることはなにかそういうベクトルでいく方法はなにかということは、いつも考えている。リスク・失敗は多いので、毎回全開にはできないが。
・羽生さんは、小学校ではじめて両親の道場の大会に出て、その当時は弱くて15段からはじめたが、小6で奨学生名人戦で優勝するまで、いつもひとりで将棋のことを考えていた。
・人間新しいことに挑戦するときに、絶対過去にあった何かものさしに比較しているはずで、長いものさしをもっていることがすごい大事だと思う:止める時の判断にもなる。その人の持っているものさしが、何に挑戦するかということに非常に大きな影響を与えている。
・羽生さんの「高速道路理論」:方法論として上達するメソッドがだんだんよくなってくることがあるが、最終的にそこから先に行こうとする時には独自のやり方をやらなければならないので、そこで渋滞する。そこから先は違うことをやらなければならない、という難しさはある。
・茂木さん:人間の伸びしろ = まだ誰も行けていない領域があるという実感をどれくらい速く持つかが大事なカギ。
・小堀九段を支えているもの:探究心みたいなもの。
・将棋の世界:実力勝負、ごまかしがきかない ⇒ 一般社会に全部当てはめるのは厳しい。玉虫色:決着をつけないということは、生きていく上でたいへん大事。
・息苦しさ = 情報が増えていることとすごく密接に関係している。
・本当の意味でのグローバル化:誰もが絶対一人一人、比べられない個性があって、まさにお互いが“出会い”で、世界にたった一人の人として、ここにいるわけで、そう考えると人生楽しい。そういう人たちが今までは全然接点を持ち得なかったのが、接点を持ったり、出会ったり、交流をもったり、そういう機会が増えてきている。


おわりに
・羽生さんから見た茂木さん:脳科学において全方向的なアプローチで取り組んでいる。森羅万象を味わい尽くして探求されている姿勢に(羽生さんが)畏怖の念をもつ。 ⇒ 羽生さん:将棋の棋士としてオールラウンドプレーヤーになりたいが、限りなく不可能に近い。最終的には物理的な制約を受けてしまう。
・多様性を知る大切さは相手の立場に立って相手の価値観を知る機会が増えることを意味している。ただ、いろいろなものがあるのではなく、すべての理解が深まるという意味で有効なのではないか。(→漢字をたくさん勉強する意味にも繋がるのでは?)
・予想外、意外な反応が返ってくる面白さは多様性を知った先にあるとも思っている。
・脳を若く保つ上で最も大切なことの一つ:自分の個性と向き合い、それを知ること。
・欠点は、補えば良い。長所は、伸ばせば良い。ともすれば「他人と同じに」ということが大切であるが、人と違う長所は、思い切り伸ばせば良い。そのためには、人と違うということを、恐れてはならない。
・人間の脳の成長は、オープンエンドであり、終わりがない。どこまで行っても、完成形ということがない。だから、一生突き詰めていったとしても、これで終わり、これでいい、ということは本来ない。どんなことでもいい、自分の趣味の世界を、とことん突き詰めて、伸ばし、楽しむことで、自然と脳の回路を強くすることができ、結果としてアンチエイジングに結びつけることができる。
・人間を魅力的にするのは、欠点と長所のメリハリの利いたありさまである。そのように考えれば、生きることがずいぶんと楽になるし、また自由になるのではないかと思う。どこかに正解があると思っている人生は、堅苦しい。ましてや、正解が一つだと思っていたら、息苦しい。そのような狭い世界にいては、脳が、いきいきと伸びる、その余地が失われてしまう。


――いかがですか?
結構、1級リピーターが抱く感覚と近いものが少なからずあるのではないでしょうか。劣等感のこと、「安全基地」、過去を育てるということや幸福について、記憶と五感、年齢がいってこそ伸びる感覚的なこと、長いものさし、「ひとりで」考えること、まだ誰も行けていない領域、探究心、オールラウンドプレーヤー(漢字についても、その歴史背景や関連事項が膨大にありますよね)、人と違うということを恐れない、オープンエンド、等々。
漢検1級、持っていれば「すごいね~」と色々な意味で言われながらも、「なんのために受けるの?」「受けて得するの?」と疑問を発する人が少なくありませんが、生涯学習として目標を更新しながら漢検1級或いはそれと同等の次元での関わりを繋いでゆく大いなるヒントを、本書から見出せるのではないかと思います。是非お手に取ってご覧ください。茂木さんと羽生さんのやわらかな話し言葉での文体でリラックスしながら、ご自身の漢検チャレンジや、漢字に限らずお仕事の進展に当てはめて自己のあり方を考察できそうです。

予想外に備えて

2016-03-30 12:27:32 | 日記
桜の開花を楽しみに待つ時期となりました。朝晩気をつければ、着るものを1枚減らしても風邪を引かなそうな日も多いです。

しろねこの職場では先日次年度の人事が発表され、送別会も済み、生徒は1週間余りの休みですが、職員は片付けと引き継ぎに追われて出勤しています。毎度のことですが、しろねこは何かの時のために何でも紙で残しておく癖と、前の仕事の残骸を捨て切らないまま次の仕事にかかってしまう癖があり、机上が紙の山で、半日ほど巨大シュレッダーのお世話になってから次の作業に入ることになります。

1週間ほど前になりますが、しろねこへの内示があり、予想外にも今の配置から全く違った先へ異動しなければならないことを知りました。この度は職場全体の人事の大きな動きがあり、しろねこにとっては2年後あたりに来るであろう異動が、いきなり降ってきてしまったのです。
校長から聞かされた学年を聞き間違いではないか確認するためと、自分に信じ込ませるためと、2度聞き返してしまいました。1日で何とか立ち直りましたが、内示があった朝に限ってすぐに授業が3時間連続で入っており、これまで中2からずっと一緒だった彼らと離れることを思うと、その日はつらくて顔を見たくありませんでした。それだけでなく、この1年間、彼らが2、3年生になる姿を想像しながら手塩にかけてきた高入生のクラスも、もう自分で見ていくことがかなわないのです。俄には信じられませんでした。昨日までそこに立っていた巨木が、今日見たら無惨にバッサリと切られていたような心境です。

――しかし、考えてみれば生徒は保護者と職場からの預かりものです。いざとなったら授業の中でいつも、「明日もし何かで私がいなくなっても、これは今日私から習ったこととして覚えておきなさい」と言ってきたのに、その私がいざ本当に立ち去ることになり、こうして少なからず動揺してしまったのですから、笑える話です。
卒業し第一志望校に合格するまで自分の責任だと思って面倒をみる覚悟がいくらあったとしても、“自分の学年だ”と執着してしまった途端、そこには必ず捻れたものが生まれてしまいます。しろねこは今の学年が本当に大好きすぎて、そうなってしまいそうな自分が生まれつつあるのだとしたら、いっそ離れて修行する運命のほうが、彼らにも結果的にはよいのかもしれない、と置かれた状況に納得はするようになりました。あとは年度明け、職員室の机の配置を見て生徒が何を言ってきても、平常心でいる心の準備をすることです。一つひとつの気持ちと訣別していくしかありません。

新しく受け持つ子どもたちに対しても漢字を勉強するストレスを軽減するべく、しろねこもさらに勉強しなくてはなりません。勿論漢字だけでなく職業的なことすべて、基礎から自己点検し、また頑張っていきます。人生何があるか本当に分からないので、そこを考えて何でも自分で観察して、受け身でなく頭と手足と五感をフル稼働していることが大切なんだな、と改めて感じる出来事でした。自分の気が向いてから腰を上げたのでは、世の中遅いこともあるのです。休み明け2日間はまだ元の学年に授業ができるので、彼らにも精神力をつけてもらうために、そのことは伝えて去ろうと思っています。

では、昼休みを終えて職場に戻ります。

27-3の正式な結果( 自己採点との差)

2016-03-21 21:55:25 | 日記
こんばんは。

東京では本日桜の開花宣言があったようですが、東北もすっかり春先らしい毎日です。昔は雪が3月下旬でも思い出したように降ることがありましたが、雪が劇的に少なかった今年は流石にその気配はなさそうです。

2月に行事の引率で5年ぶりにスキーをして、背筋を伸ばしながら繰り返し滑降したのがやはり爽快で、しかしその感覚の記憶も、年度末のいろんなデータ処理でパソコンに向かう毎日で、次第に身体から消えてゆくのが淋しい限り。スキーは楽しいのですが、わざわざ個人でスキー場に行くほどではない者ならではの悩みです。そもそも、外出自体は好きで一日中家に籠ることはまずありませんが、スポーツ目的で行くことはほぼゼロですからね……。

さて、先週届いた27-3の正式な結果です。自己採点より2点足りない166点でした。ずれていた問題は、文章題の書き取り「叱咤」。「七」を「匕」にしてしまっていたかもしれません。


27-3 正式な結果

音読み12点
訓読み9点
書き取り26点
国字10点
語選択書き取り6点
四字熟語書き取り16点
四字熟語意味選択10点
当て字・熟字訓10点
二字熟語・一字訓読み8点
対義語・類義語16点
諺18点
文章題書き取り16点
文章題読み9点

合計166点


まず、音読みはいつも自分が間違ってしまう読みを、やはりいつもの間違いで答えてしまった、という問題が多数ありました。訓読み23「緡」は、あ行の熟字訓でもご縁のある漢字なのに、すっかり抜けていました。

書き取りは、1「ドウヨク」を「獰欲」(正解は「胴欲」)、7「ソウソウ」を「鏗鏗」(正解は「錚錚」)と書いてしまいました。3「フシュウ」と9「ケッケイ(文字)」が分かったのはよかったです。

語選択書き取りは、3「管窺」を「管規」と書いてしまい、訓読み考えなさいよと自分にツッコミたくなります。4「褐寛博」は、「褐」しか分かりませんでした。辞典を浚っていないので、こうなるのは分かっています。

四字熟語は、2「霑体(塗足)」の「霑」を「纒」と書いてしまい、7「(刺字)漫滅」の「漫」を「曼」と書き間違う始末。

熟字訓では、7「鉄刀木」が出たのが嬉しかったです。この木でつくられた、お守りの数珠を持っているので。8「側金盞花」は、私の記憶の中ではちょっと入り組んでいて、恩師に片岡鶴太郎さんの絵が好きな先生がいらっしゃって、その先生に片岡鶴太郎さんの描いた絵の葉書を出そうとお店でよいのを探していたら、福寿草の絵柄があり、その絵柄の雰囲気と元々の福寿草のイメージと、この「側金盞花」の字面のイメージが、いつも重なって意識に浮かび上がってくるのです。

二字熟語・一字訓読みの間違いは2問とも二字熟語のほうで、(一)音読みのミスと全く同じ状況です。

対義語はみんな正解、類義語は、6「式微」が分からず、9「桑梓」の「梓」を度忘れして、「矢」と書いてしまいました。

諺は5「衆斂」を咄嗟に「収斂」と書いてしまう癖があり、覆轍を踏みました。

文章題書き取りは、最初に挙げた2「叱咤」のほかに、8「方寸」を「抱寸」としてしまいました。また、文章題読みは、最初の「循(したが)って」を「めぐって」と読み誤りました。まだまだ修行不足です。


次年度は、上がってきた職場の年間行事予定と漢検の日程を照らし合わせてみたところ、秋検定が11月に逸れてくれたお陰で致命的にぶつかっている回はなさそうで、このままいけば3回とも当日の受検自体はできそうです。

もうすぐ人事も明らかになり、また新たな苦労もあるのでしょうが、検定に限らず、何とか言葉の力を鍛え続けていきたいです。職業的なニーズに応えるアウトプットの仕方と、漢検のようにマニアックな世界でのアウトプットを、速さも含めて使い分けていきたいなあ、としみじみ感じる今日この頃です。最近、伝えたい方向は頭の中で瞬時にはっきりしているのに、よりよい言葉(言い回し)を頭の中で求める際に、少しだけ返事に時差が生じてしまいがちで、時と場合によっては直さなきゃ、と思っています。答えるより、先に考えてしまうのかも。世の中に合わせるのって、必要ですが時々、少し難しいです。

待ち望んでいた……

2016-03-04 17:06:15 | 日記
こんばんは。

27-3合否結果通知サービスは本日10:00でしたが、見たところ合格していました。因みに自己採点は168点。多少なりとも仕事を言い訳にせず真面目に対策できて、ギリギリでも一応の記憶の持続も確認できて、ひと安心です。全国のリピーターの方々の存在が、やはりどこかで支えになっていますし、自分の受検地の合格人数は関東圏に比べて著しく少ないので、なんとか頑張りたいという思いもあります。とにかく、これまでの過去問の理解をより丁寧に深めつつ、手つかずの漢検漢字辞典・要覧の読み込みも何とか行っていきたいです。

他方、昨年11月から継続していた『部首ときあかし辞典』読み込み1回目が漸く終わり、今後は心に留まったところを付箋を頼りにおさらいしつつ、『漢字ときあかし辞典』にかかりたいと思います。そしてなんと、昨日の円満字さんのブログの更新記事で、この3月18日に『漢字の使い分けときあかし辞典』なるものが発売されるというではありませんか! これは、書店で目にし手に取るのが楽しみなことこの上なしです。とはいえ、まずはもともと心に決めていた『漢字ときあかし辞典』と、その後に読むつもりでいる残り1冊を拝読することにします。ほかの著者の方のご本も同時進行で読んでゆくことを考えると、それらだけで秋か冬までかかりますかね…。
来年度の仕事はおそらく今の学年のまま上がるので、各業務の密度も一層濃くなり、学年行事特有の煩雑さも増します。足をとられないよう仕事そのものにも気をつけながら、ざまざまな角度からの学習時間を意識的に確保していきたいです。

では、終わったばかりの定期考査国語総合の採点にかかることにします! 昨夜までは作問・印刷の連続でした。
今回古典の漢文では、陶潜『桃花源記』を出題できました。思い返してみると、非常用漢字の魅力が自分に無意識に植え付けられたのは、やはり『桃花源記』を高校生の自分が習ったときのように思います。その時もテストのために本文を暗唱しましたが、今現在も複数クラスで繰り返した授業のため、変わらず暗唱できていることがうれしく、懐かしいです。