“氷姿雪魄”に背のびする……しろねこの日記

仕事の傍ら漢検1級に臨むうち、言葉の向こう側に見える様々な世界に思いを馳せるようになった日々を、徒然なるままに綴る日記。

2023年も大晦日です。

2023-12-31 12:04:07 | 日記
実に久しぶりに投稿します。
かつてこちらにおいでいただいていた皆さまは、お変わりないでしょうか。
このブログも、まるで忘れ去られた宇宙船のようにネット上を漂っているイメージで、
しろねこの心の中ではいつも気懸かりではありました。が、今日まで書くに至りませんでした。

漢検受検は、実は毎回続けていますが、勉強はしていない(単純に仕事を優先していて取り組めていない)ので、
得点率は残念ながら、いつも5割です。それでも一応、受検はやめていません。
変なたとえですが、
たとえば使っていない家屋があるとして、しかしいつでも水道を使えるように元栓を生かしておく、みたいな感覚です。
お金を1円も無駄にしない人からすれば、無意味以上に無駄以外の何ものでもないのですが、
やめるとなると自分の中の何かがすっかりなくなってしまうような気がするので、今はまだこの状態を継続しています。

前回の自分の記事の日付を見ると、母の命日(9月30日)を目前にして、
その年(2022年)の暮れから年明け(2023年)にかけては、
一番不安が募ってゆく始まりの時期だったなあ、と回想されます。
何が不安だったかというと、母の生前は、母がどんなに不調でも(母は病気で亡くなりました)、
しろねこはいい歳をして母の介護もろくにせず、読書でも手芸でも仕事でも何でも没頭して取り組めていたのですが、
母が亡くなった途端、徐々にいろいろなことが、思うようにできなくなっていってしまったのです。
仕事はお陰様で、これまで休むことなく続けてこられましたが、一時は上司から不調を気づかれるほどでした。
母亡き後程なくして、ある巡り合わせで個人の人間関係にも大きく転機があり、詳細はここには書かないのですが、
自分が今後生きていく上で、非常に大きく世界観を変えるほどの変化でした。
その変化にはメリットとデメリットがあり、
本当にその変化を受け入れてよかったのかどうかは死ぬまで答えは分からないかもしれませんが、
昨年2022年は、その長い過渡期で、自分の中でいろいろな葛藤がありました。
ひとつ漢字に関して言えば、自分の言葉の使い方や、自分の知っている漢語を誰にどこまで使って話すかについて、
一度こだわりを捨てて、意識的に白紙に戻すようにする必要が生じ、
正直言って、ほぼ漢字や活字の読書とは縁のないところに軸を置いた生活をしていましたが(仕事は別です)、
その代わり、それまで見向きもしなかった様々な事柄に注意を向けるようになり、
人間的には成長できたところも大きかったのではないかと思います。

2022年夏以降は、前回の記事にもある通り、健康管理に留意して体質改善を行い、
今は体重や体質のみならず、体形も改善されつつありますが、
勿論肉体的なことだけでなく、まだまだ自分で磨くべき、鍛えるべきところが山積み状態です。
そもそも昨年度は、どういうわけか過去最高に仕事が大変で、
今だから言えますが自分の副担任に過去最高に恵まれず
(県でも不評の人が1年だけ赴任して、数名の同僚の旦那さん達がその評判を知っていたほど)、
自分のクラスが常に心配で、一日も休まず、自分の休みの日もどこかの時間帯で必ず出勤し、
担当している時間割も、放課後(17時以降)が特に、過去最高にすし詰め状態でした。
ぼうっとする時間が人間には必要って本当なんだな、と、勤続19年目で初めて実感したくらい大変でした。
それでも職場で何人かの理解者がいてくれたのと、元々好きな仕事なので耐えられましたが、
そこにいろいろなスランプも重なり、思うように自分の仕事が果たせないこともあり、
不安が大きかったのか、去年は親友に宛てて手紙を書く回数がものすごく多かったなあと、
今年の暮れを迎える今になって改めて思います。
それが証拠に、今年度は昨年度より仕事にゆとりがあるのに、
親友には書きたいと思うまま手紙を書かずに過ぎてしまうことがよくありました。
(その代わり、夏の休暇には、暫く会っていない親しい人との再会を、複数果たしたりもしましたが。)

何人かの親しい同僚や先輩からは、今年の夏以降、
明らかに今年、しろねこの表情が明るくなった、と言ってもらうことが複数回あったので、
自分ではそれほど自覚がなく、何でもないようにしていても、
やはり見られているところで分かられてしまうものが自分にあったんだな、ど実感しました。

ここまで、このブログの本来の目的である、漢字のお話を一つもできていなくて、
今しろねこができる漢字関係のお話も何もないのですが、
(「円満」という命名をされた洋菓子を地元で先日見つけたのは、自分の中では大ニュースでしたが……円満字さんにいつかお知らせしたいです。因みに円満字さんを意識して2014年に「師匠」と命名した我が家の仙人掌は、今も元気に成長しています。)
2024年は、また新たな側面でも自分の成長を目指しながら、
以前できていたことを少しずつ戻していける年にもしていきたいです。
皆さまにとりましても、来年が実り多き歳となりますように。どうか、よいお年をお迎えください。


















時は流れて、世の中はすっかり秋の風情です

2022-09-25 14:37:58 | 日記
ご無沙汰しています。仕事その他に例年以上に忙殺されていますが、健康は何とか維持しているしろねこです。
今年は高1の担任をしながら高1全部のクラスと高3理系を教え、検定係も継続、入試問題作成担当も例年の仕事量で毎日飛ぶように過ぎています。自分の漢検の振り返りや準備、本当にしたい読書を後回しにしながら、目の前の仕事と目の前の読書と生徒対応と保護者対応をこなしています。大体、3:00起きの22:30就寝という生活です。

夏に入る前、これ以上はもう動きが鈍くて無理、というほど、積年のストレスと単に食べるのが好きなのとですっかり重くなってしまっていた身体を、この7月以降、プロに栄養管理と身体のメンテナンスをしてもらいながらダイエットをして、目標11㎏減の半分まで来ました。お陰で以前の服が着られるようになり、多忙における動きも素早く戻りつつあります。血管年齢も若返りました。でも、痩せるのは目標まで残り半分が難しくて、本当に食事と睡眠とストレスは正直に身体に出るなあ、と痛感しています。でも、明らかに前より生きていて気持ちがよくなりました。
昨年9月末に母が他界して、もうすぐ一周忌ですが、母の病状を何となく思い出しながら過ごしています。ここまで悲しみに沈み切る日は、漠然と想像していた以上に殆どなく、母は私の心の中にいつもいて、まだこの世に生きている私は、自分のこれまでの様々な機能不全と向き合ってはリハビリしてきた、という日々でした。漢字の勉強も、いずれリハビリが必要なほど遠退いていますが、検定受検だけは続けます。

検定関係といえば、しろねこは教員として昨年も今年も、それぞれ別々の、とある検定の実践事例紹介を引き受けるに至り、実は、昨年は冊子で、今年はZoomで教育界に登場しています。特にZoomでは職場内の数名の先生方と協力して登壇したので、準備は大変でしたが、とても楽しいお仕事となりました。冊子のほうは自分一人の原稿で、拙い部分がまだまだあり、もっと覇気が必要だったかな、と反省しています。ここからもさらに、現状に合った生徒への対策を模索して、合格者を輩出していきたいです。

円満字さんのTwitterを追いかけながら、この秋の『學燈』を入手し、『図書』を注文しています。円満字さんの文章をお彼岸の夕暮れ時に拝読する安らぎ、1冊ご本を満喫したのとは違うけれど、ひとときの幸せでした。
今後は高1新カリキュラムの評価と格闘しつつ、もう受験シーズン準備期に突入して志願理由書添削の波が襲ってきていますが、また仕事の間隙を縫って漢字関連の読書が完了したら、こちらに投稿します。


また近日、円満字さんの新刊が発売されます!

2022-07-12 06:01:04 | 日記
6月に続き、円満字さんの新刊が発行されます。楽しみ!!

明後日 7月14日(木)発売
『漢字が日本語になるまで 院読み・訓読みはなぜ生まれたのか?』(筑摩書房)

しろねこは例のごとく予約注文していますが、当日は取りに行けないかも・・・
(と言いながら前回6月はやはり1本早い電車で帰って閉店5分前に滑り込んだ笑)

6月の漢検は有無を言わせない多忙ゆえ、また長期記憶だけで勝負し、やはり50%の正答率でしたが、
諺での出題「ハクギョクロウ(「白玉楼」)中の人と化す」については、
これを解答できたのは完全に、かつて円満字さんの記事を追いかけまくっていたお陰です。
草森紳一氏亡き後、氏の蔵書整理、『李賀:垂翅の客』出版に尽力した円満字さんの記録を
2015~2016年頃、閲覧し続けた私は、円満字さんの本に対する活動に本当に感動したのでした。
草森氏にまつわる「白玉楼中の人」というHPは、検索でもかかりにくいHPであり、
さらにそのページ内でも注意しないと円満字さんの言葉は見つけづらいのですが、
まだご存じない方で、ご興味のある方は探してみてください。

円満字さんの新刊発行 6月9日に延期

2022-05-11 19:45:52 | 日記
こんばんは。
前回の記事に書いた件ですが、
今日、円満字さんの新刊を予約注文している書店から電話があり、
6月9日に発売が延期になる旨が留守電に入っていました。
6月上旬、しろねこの職場は行事目白押しで、6日7日には東京の大学を見に行く研修会があり、8日9日には本校のスポーツ大会があります。その日の夜に書店で受け取れれば良いですが、仕事の関係上もしかすると、翌10日(土)の夜まで受け取れないかもしれません。
新刊のまえがきとあとがきに、どのくらい円満字さんの思いが載せられることになるのか、楽しみです。
少し待ち遠しくてすぐ読めないのが寂しいですが、夏目友人帳ニャンコ先生マスキングテープBOX(12種類+特典マステ付き)と夏目友人帳の新刊があるので、耐えられます。

ところで3月の上旬に、遂にガラケーからスマホに変えました。
職場での友人である先生はiPhoneを強く推したのですが、しろねこは悩んだ結果、AndroidのGalaxyにしました。
3日も経つと慣れてきて、今は快適です。でも、漢字の分野については、使いこなせていません。
漢字については、いま暫くは紙ベースで頑張ります。
眼が疲労しているので、今日はこの辺で。
取り急ぎ、お知らせまで。







円満字さんの新刊発行が間近!

2022-05-08 13:15:47 | 日記
こんにちは。
長い間ご無沙汰しておりました。今日は母の日ですね。
しろねこは、昨年9月末に亡くなった母の埋葬を漸く3月末に済ませ、お陰様で無事に新年度のスタートを切っています。

長らく記事のアップを控えていましたが、円満字二郎氏の新刊発行が近くなったので、これは書かなくては!とお知らせします。
『マンがでわかる漢字の使い分け図鑑』、5月12日発売予定です。昨年の『難読漢字の奥義書』以来で、どのような本なのかとても楽しみです。
もともと、hontoサイトからの通知メールでは4月の発行予定で案内されていたようですが、今年3月に書店で調べてもらったところ、5月の発行ということでした。あと1週間弱で、書店で受け取れると思うと、わくわくします。

現在は高校1年生の担任をしています。担任は4年ぶりになります。授業数は副担任だった昨年度より増え、受験生も掛け持ちで持っているので、多忙は変わっていません。でも、張り合いはあります。

1年生を担当できたお陰で、以前ご紹介した、円満字さんの文章が載っている、東京書籍の新課程の教科書を使用できることになりました!
昨年6月16日の記事でご紹介した教科書を、最終的にしろねこら国語科で検討した結果、採用にしたのでした(私の独断での好みによるものではありません。でも、国語科仲間には、私の思い入れのある筆者が載っていることは、秘密にしています)。そのうち生徒と読んだときに、漢字に対して生徒が目からウロコの感覚になってくれるとうれしいなあ、と願っています。

漢検1級ですが、2月も受けました。勉強は手につかず、昨年秋が100点切り、2月は100点を少し超えたという結果でした。
今度も申し込んでいますが、申し込みが多忙で遅れて、地元での会場は定員締め切りとなり、他県での受検になっています。この多忙ぶりでは、また受けるだけになるかもしれません。

母が亡くなってから、様々な変化がありました。10月は何とかなった体調を、いろいろあって11月に崩し、仕事を休むことはありませんでしたが、体調が回復したのは2月くらいからでした。疲労のせいか夢一つ見なかったのですが、1月末に母の夢を見て(普通に元気でした)、だんだん回復し、母の埋葬についても決めることができました。
母の戒名は、母から見て祖母に当たる人が信仰し、それ以降実家の宗派になったところに基づいて決めたかったのですが、実家の遠さや親族の墓じまいなどの関係で、悩んだ結果、頼れる人の紹介で、しろねこの居住地域の墓地にある、永代供養塔に埋葬してもらいました。
戒名はそこに因んだ宗派で決めてもらいましたが、いただいた名前がとてもよく、頼んでよかったと思いました。まだまだ家の後始末も残っていますが、供養が一歩進んだように思えて、ほっとしています。

母が亡くなったとほぼ同時に、ご縁があって、半分保護者になってもらったような感覚で親しくなった年配の方がいるのですが、その人には多方面で尊敬できるところがあり、母の価値観とも酷似しているところがあって、子ひとりになった自分を見直す機会を、この半年あまりで沢山与えてもらいました。しっかりとした人格と信念があり、お仕事ではとても成功していて、他者からの信頼が厚く、同性にも好かれている人です。中卒で学校教育の型にはまっていないので、私は商業高卒の母からしばしば指摘されていた、大卒特有の実用性から遠い、形式的な思考回路による自分の至らなさを、再三その人から教えられることになりました。

このブログでのテーマに関することで言えば、自分の言葉への向き合い方や言葉の使い方、そこに現れている人格的な面を、かなり反省させられました。母に言われていた時にはどうしても従えなかったけれど、注意する人がいなくなったと思ってそれを放置しそうになるどころか、意味が分かっていなかったところを、他人に指摘されることでちゃんと直そうと本気で思わせてもらって、その人にも、その人に出会えたことにも、とても感謝しています。
職業的にはスキルアップの面で今まで通り勉強を続けるけれど、もっと哲学的な面、仏教的な面、詩的な面、人の情のようなもの、自分に足りないものが伝えられてこその言葉なんだろうと思います。それに伴い、人の話の聴き方も、もっと向上したいと、今は考えています。さらに、ジェンダーレスの時代ではありますが、女性としての人格ももっと磨かないといけないな、と、この歳(40代半ば)になって思えるようになりました。

そう思って、コミュニケーションの本や、より女性を磨く本を探してみると、それらが著者や読者から見て、自分のため寄りのものと、相手のため寄りのものに分かれていることに気づきました。このことは、この歳で恥ずかしいですが、私にとっては大きな発見でした。これまでは自分が読みたいかどうかだけで、その場にある本の中から求めていることに最も近い内容のものを買うだけで、読んだ結果、そこからもたらされた効果で相手が満足してくれることも増えるだろう、という程度の大雑把な感覚でした。でも今は、変わりたい自分が自己満足で終わらないか、読んで自分がスッキリするのではなく、ちゃんと相手のためになっていて、相手のニーズに合うように変われるか、ということを優先して本を選ぶようになったので、よりターゲットを絞って本を決められるようになりました。

言葉の力をもっとしっかり捉えられるように、勉強を続けていきます。