ある爺さんの スナップ写真とボヤキ3

趣味もなく酒も飲めず・・・・・つまらない爺さん生活を、何気ないスナップ写真と、フッと感じたボヤキをアップしています

もうひとつのTV番組

2021-10-15 | *小ネタ
13日のブログで、
「つい最近、ピアノに関係した面白いTV番組を、2つほど見ました」と書きました

「クラシックTV」の事を書いたんですが、今日は2つ目のTV番組です



2つ目のTV番組は、10日(日)に放送された「クラシック音楽館」の「日本のピアノ」


日本人が、どういう経過を経て、ピアノに接し、とり込んで行ったか・・・・という話しをやっていました
江戸末期から明治を経て、大正・・・そして戦後、世界に通じるピアノ音楽家に至る話しなのだった


写真は、NHK+配信「クラシック音楽館」を撮影したものです

ジョン万次郎の乗った漁船が遭難し、アメリカ捕鯨船に救われ、アメリカに渡った話しは有名である
日本人で、初めてピアノに接した人は、実は、ジョン万次郎ではなかったのでした

やはり船の遭難が関係しています
その人は、廻船の船頭・大黒屋光太夫であったっという
北太平洋を漂流、アリューシャン列島に流れつき、ロシア商人に助けられたという
そこから、ロシア帝国首都・サンクトペテルブルグまで行き、外国を学んだ人だった
そこでピアノを知ったのだった


写真は、NHK+配信「クラシック音楽館」を撮影したものです

ジョン万次郎にしろ大黒屋光太夫にしろ、鎖国が続く間は、日本に帰えれなかったのですが
逆に、その時間、大変多くの貴重な経験と勉強ができたのでした
いずれも、江戸末期に、諸外国が日本に急接近した頃、日本に戻れた人たちである



明治時代になり、ピアノを含め、西洋音楽を盛んに取り入れた明治政府

鹿鳴館を作った思想と同じで、江戸時代に結んだ不平等条約を結び直すためには
日本という国が、文化・生活など、世界から遅れていないと、諸外国に知らしめる必要があったからだった
正に「国策」で、一生懸命、真似をしていた時代であったのだろう


写真は、NHK+配信「クラシック音楽館」を撮影したものです

日本人として、初めてピアノ曲が作る事が出来たのは、
明治33年、若くして亡くなった瀧廉太郎であったと言います


そして、時代は進み和風モダンへと続く
才能ある人たちが出てきて、ピアノ交響曲も作れる日本へと変わっていったのだった
明治・大正時代の上流階級社会では、ピアノは持ってみたい楽器として、憧れでもあったという


写真は、NHK+配信「クラシック音楽館」を撮影したものです


私は、最近、とみに江戸末期から明治・大正時代を書いた小説を、好んで読んでいます


NHK大河ドラマは、維新のものとか近代のものは、視聴率が稼げないというジンクスがあるらしいです
私は、とても面白時代だと思っています
いろんなモノだけではなく、いろいろな価値観やら・・・・・大きな過度期を経験した時代です


明治の中央政府は、薩長中心の人たちなんでしょが
その一方で、薩長だけど、うだつの上がらなかった人たちもいたのも事実

幕臣として駿府・徳川に集まった旗本たち、
その一方で、徳川から離れ、東京に残った旗本たちも少なからずいました

多くの農民もいたし、江戸の街には職人もたくさん住んでいました
いずれにせよ、どこの人たちも、実は、貧乏だったのです

そんな中で、お金を持っていたのが、一部の商人たちですが、
時代が変わったと言え、依然、蔑(さげす)まれていました
その中から、現代の財閥たる豪商たちも、出てきた時代です


写真は、NHK+配信「クラシック音楽館」を撮影したものです

これらの人たちが、互いに、融合する事なくいがみ合って、絡みあって、生きて行った時代だったのです
今やっている大河ドラマ「青天を衝け」を見ると、実に面白く見る事ができる私です


NHKTVの「日本のピアノ」は、
ピアノを通して、いかに日本が近代化の道を歩んできたのか・・・・

実に、面白く見れた番組でした・・・・・