■今年の1月2月のブログは、例年にもなく、たくさんの帆船日本丸をブログネタをアップすることができました。
この季節、ボランティアカモメの活動は、ベンディングを除いて、シーズンオフにあたるのです。みなとみらいの帆船日本丸ではと言えば、多くの修理や整備が行われており、本船に上がれれば、話題には事欠かないと思われます。ただ、帆船日本丸は、公開はされておらず、ボランティアとはいえ、用事があったり指導部が認めてくれることがなければ、乗船はできないような気がします。それが、例の帆船日本丸Ⅱ世1/20模型の修復作業手伝いということで、今年はできたのでした。
■その修復作業も終わりました。
2月末にあった「ボランティア感謝会」終了後、山本キャプテンが修復メンバーを連れ、飲み行きました。残念ながら全員参加とは行かず、航海訓練所や日章旗を作ってくれた女性のみ、不参加。ボランティアで中心的に活躍した画伯さんの、奥さんも参加しての「打ち上げ」と相なったのです。
【「ボランティア感謝会」でも紹介された。】
■作業後のいつもの「晩酌セット」は、横浜飯店でした。
ただこの晩酌セットは平日のみで、この日は日曜日とあって、その晩酌セットがありません。そこで予定場所変更。一度だけ行ったことのある、横浜飯店近くの寿司屋?さんに行き、やはり「晩酌セット」を頼んでの飲み会でした。ここに「獺祭(だっさい)」が置いてあるという事で、ご馳走してくださったのでした。この席で、山本キャプテンより「この修復作業メンバーは解散・・・・・」との宣言がありました。
【打ち上げ風景。一部、顔出し不可の人がいるので、こんな写真で、複数の人の目をかくしました。でも、ボランティアカモメなら、誰か判ってしまいますネ。】
■あれから1週間経っただけなんですけど、何か、とても寂しい思いをしています。
作業の延べ日数は、土日祝日を除いて、約2か月かかったようです。私が参加したのは、1月に入ってからの6日間だけでした。修復作業をしているとは、知らなかったのです。昨年12月に、ボランティアを引退した画伯さんと会い、「こんなことをやっているんだよ・・・・・」と話しを聞かされ、参加したい旨、伝えたのでした。
■作業も正月休みに入るということで、年明けからとなったのでした。
仕事を持っている関係から、平日のみの修復作業には、なかなか参加できなかったのです。何度か書いているように、画伯さんが、私のために日曜日に出てくれたのです。
【飯田船長が、修復メンバーだけにくれた地ビール「感謝」。写真は大きなビンに見えますが、実物は小瓶です。】
■数少ない参加を通して、作業をしながら写真を撮っていました。
写真を撮る・・・・なんて、本船での作業では、絶対にできない事です。もちろん、模型修復作業をバカにしていたわけではありません。
1.8mの脚立を梯子(はしご)にしての、高所作業もあります。私の職場では、2m以上作業はヘルメット着用、安全ベルト装着が義務付けられています。
■今、準備を進めています。
そんな貴重な写真を使って、PC音痴、アナログおじんの私ですが、短編のフォトムービーを作ろうとしています。写真をスライドにするだけではつまらない・・・・と思って。初体験です。うまくいくといいのですが・・・・・
この季節、ボランティアカモメの活動は、ベンディングを除いて、シーズンオフにあたるのです。みなとみらいの帆船日本丸ではと言えば、多くの修理や整備が行われており、本船に上がれれば、話題には事欠かないと思われます。ただ、帆船日本丸は、公開はされておらず、ボランティアとはいえ、用事があったり指導部が認めてくれることがなければ、乗船はできないような気がします。それが、例の帆船日本丸Ⅱ世1/20模型の修復作業手伝いということで、今年はできたのでした。
■その修復作業も終わりました。
2月末にあった「ボランティア感謝会」終了後、山本キャプテンが修復メンバーを連れ、飲み行きました。残念ながら全員参加とは行かず、航海訓練所や日章旗を作ってくれた女性のみ、不参加。ボランティアで中心的に活躍した画伯さんの、奥さんも参加しての「打ち上げ」と相なったのです。
【「ボランティア感謝会」でも紹介された。】
■作業後のいつもの「晩酌セット」は、横浜飯店でした。
ただこの晩酌セットは平日のみで、この日は日曜日とあって、その晩酌セットがありません。そこで予定場所変更。一度だけ行ったことのある、横浜飯店近くの寿司屋?さんに行き、やはり「晩酌セット」を頼んでの飲み会でした。ここに「獺祭(だっさい)」が置いてあるという事で、ご馳走してくださったのでした。この席で、山本キャプテンより「この修復作業メンバーは解散・・・・・」との宣言がありました。
【打ち上げ風景。一部、顔出し不可の人がいるので、こんな写真で、複数の人の目をかくしました。でも、ボランティアカモメなら、誰か判ってしまいますネ。】
■あれから1週間経っただけなんですけど、何か、とても寂しい思いをしています。
作業の延べ日数は、土日祝日を除いて、約2か月かかったようです。私が参加したのは、1月に入ってからの6日間だけでした。修復作業をしているとは、知らなかったのです。昨年12月に、ボランティアを引退した画伯さんと会い、「こんなことをやっているんだよ・・・・・」と話しを聞かされ、参加したい旨、伝えたのでした。
■作業も正月休みに入るということで、年明けからとなったのでした。
仕事を持っている関係から、平日のみの修復作業には、なかなか参加できなかったのです。何度か書いているように、画伯さんが、私のために日曜日に出てくれたのです。
【飯田船長が、修復メンバーだけにくれた地ビール「感謝」。写真は大きなビンに見えますが、実物は小瓶です。】
■数少ない参加を通して、作業をしながら写真を撮っていました。
写真を撮る・・・・なんて、本船での作業では、絶対にできない事です。もちろん、模型修復作業をバカにしていたわけではありません。
1.8mの脚立を梯子(はしご)にしての、高所作業もあります。私の職場では、2m以上作業はヘルメット着用、安全ベルト装着が義務付けられています。
■今、準備を進めています。
そんな貴重な写真を使って、PC音痴、アナログおじんの私ですが、短編のフォトムービーを作ろうとしています。写真をスライドにするだけではつまらない・・・・と思って。初体験です。うまくいくといいのですが・・・・・