ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

開創1200年の高野山へ(2015.05.19)

2015-05-21 15:24:45 | 私の関西百山

昨夜からの雨がまだ残っている朝。奈良西大寺発のツァーバスで高野山へ向かいました。
高野山へは子供が小さいときから、近くはJACの記念行事をはじめ高野三山巡りなどで何度も訪れています。昨2014年も同じ時期(しかも一日違い!)に丸さん夫妻と高野三山巡りで歩いたばかりです。
しかし、今回は
「開創1200年を迎える高野山で末広がり八つの体験」という惹句で、初めてツァーで行くことになりました。



さて車窓から大門を見て山上に着くと、さすがは記念の年だけに雨模様なのに大勢の信者や観光客の姿で賑わっていました。
金剛峯寺前の駐車場でバスを降り、まずレインコートを着て傘を差して持明院へ歩きます。由緒のある古いお寺ですが、ここでは四国霊場八十八ヶ所のお砂踏み体験。
   各寺の本尊の前に置かれたお砂を踏むことで、お遍路をするのと同じ功徳を得られると言われています。バス二台の90人の人がずらりと並んでお砂を踏みました。

境内すぐ横の西国三十三ヶ所観音を拝観する頃から小降りになり、レインコートを脱いで門を出ました。
 大門の方に引き返す格好で、金剛三昧院へ歩きます。境内の自由参観で本堂にお参りし、経蔵や四所明神などを見学しました。ここはシャクナゲでも有名なお寺ですが、残念なことに花は既に終わっていて、代わりに本堂の前の黄色のボタンが目を引きました。
 写真は国宝の多宝塔です。お寺のホームページによると高さ約15メートル、屋根の一辺はおよそ9メートル。貞応2(1223)年の建立で、高野山で現在残っている最も古い建立物です。

金剛峯寺へ帰り、平成の大修理法会以来16年ぶりに御開帳の「秘仏ご本尊・弘法大師座像」を拝みました。

広い寺院内を狩野派の襖絵を鑑賞しながら巡っていくと、新別殿の広間(写真)でお菓子のお接待がありました。



さらに巡路を進むと蟠龍庭を眺める回廊に入り、我が国で最大級の石庭を見学しました。白砂の雲海の中で 140個の蒼黒い花崗岩の竜が奥殿を守っているように配置されています。

壇上伽藍へ歩き、金堂で創建1200年で初の御開帳の「伽藍金堂」を拝観しました。次に根本大塔の内陣で、16本の柱に描かれた堂本印象の16大菩薩と本尊・大日如来を拝みます。この頃には青空も出て来て暑くなりました。



バスで一の橋に移動して、宝善院で金剛山最古の庭園を鑑賞しました。



クマガイソウが咲いていました。



道を隔てた赤松院で住職のユーモアあふれる法話を聞き、秘仏・羊年守り本尊を見学したあと、精進料理の昼食を頂いたときは14時になっていまし
た。

食後、重文の掛け軸や寺宝・左甚五郎の木彫りの虎を見て、中の橋駐車場から奥ノ院へ。

ベテランの女性現地ガイドの説明で、数百年を越える杉の大樹とともに古くは歴史に名の残る諸大名、新しくは良く知る企業まで20万基といわれる墓碑や供養塔が並ぶ参道を歩き、新しく教えられることも多々ありました。

御廟橋を渡ると人間世界を離れた霊域に入ります。燈籠堂に登って回廊を巡って御廟にお詣りしたあと、空海・弘法大師が入定している窟屋のある地下へ初めて下りました。間近でお大師さんに手を合わせお願いをし、「南無大師遍照金剛」と三度唱えました。お大師さんは今もここで瞑想を続けられているので、毎日二回、維那という職名の二人の僧が御供所から食事を届けています。

その御供所(台所)と味見をする「嘗試(あみ)地蔵」の前を初めて通りました。

最後に中の橋からバスで女人堂へ。もともと女人禁制の高野山には七つの入山口のそれぞれに女人堂があり、ここから先に入れない女性が真言を唱えながら籠ったのですが、現在は弁天岳への登り口にある、このお堂だけが残っています。

これで、巡拝を終えて再びバスに揺られて家路に着きました。万歩計の数字は1万2千を越え、ツァーとはいうものの単なる観光気分では済まされない、有意義な一日でした。



コメントを投稿