台風接近の雨模様の夜。今年は開花が遅れていた月下美人が一斉に咲きました。
むせ返る様な芳香を放っていましたが、花の命は短くて、朝になるともうみんな頭を下げて眠っていました。
台風接近の雨模様の夜。今年は開花が遅れていた月下美人が一斉に咲きました。
むせ返る様な芳香を放っていましたが、花の命は短くて、朝になるともうみんな頭を下げて眠っていました。
ようやくタカサゴユリが咲きました。
よそのお家ではとっくに咲いているのに今年はもう咲かないのかと思っていたら、夕方、水やりをしていると咲いているのを見つけました。
台湾原産の外来種なので高砂百合。テッポウユリによく似ています。鳥が種子を運んできて自然に根付きますが、何年か経つと消えてしまうようで数が減りました。
カンカン照りの猛暑日が続き、庭の花たちも雨を待ちわびている様子です。
ハナスベリヒユ
園芸店などではポーチュリカと呼ばれています。田んぼの畔に咲くスベリヒユとマツバボタンとの交配種ともいわれますが、日本に入ってきたのは戦後のことのようです。暑さには強いのですが、朝開いて夕方には萎んでしまう短命な花です。
シコンノボタン
ますます元気に咲き誇っています。
ゼラニュウム
蚊取り草ともいわれるように独特の香りで蚊を寄せ付けません。
スイスではあちこちのホテルや民家の窓際に、この花をずらりと並べていました。写真はツェルマットにて。
山友達の丸さんから頂いた貴重なバラが咲きました。
ヤング・リシダスという芳香性のイングリッシュ・ローズです。
シコンノボタン(紫紺野牡丹)
英語でブラジリアン・スパイダー・フラワーと言います。ブラジル原産で長い雄蕊がクモの足に似ています。
マナスル展望トレッキングの時に、よく似た野生のノボタンがたくさん咲いていましたが、こちらは雄蕊がそれほど長くないそうです。
ムクゲ(木槿)
シコンノボタンもムクゲも一日花ですが、次々と別の花が咲き続けます。
「道のべの 木槿は馬に くはれけり」 松尾芭蕉
「それがしも 其の日暮らしぞ 花木槿」 小林一茶
ベニバナヤマシャクヤク ボタン科キンポウゲ属
和名はヤマシャクヤクに似て淡紅色の花をつけることから来ています。朝露に濡れた可憐な花を写しました。
花弁の中の様子がよく分かるように上から撮った一枚です(2011.06.24)。
花柱の先が伸びてクルリと曲がっているのが、下のヤマシャクヤクとの違いです。
ヤマシャクヤク(青葉山 03.05.06)
このように開きかけた花も風情があります。ある時期、この花を見たさにせっせと観音峰に通いました。
観音峰(1347m)
大峰山系にあるこの山の名は後村上天皇が観音の夢告げで難を逃れたことに由来します。南朝の後醍醐天皇が吉野行宮で崩御のあと、大塔宮護良親王、後村上天皇、長慶天皇らは天川郷を南朝最後の砦として潜行していました。この峰は南朝守護の観音信仰の場所であったといいます。(詳しくはこちらをご覧ください)
山頂は上の写真の無展望ですが、途中の観音峰展望台からは、まさに360度の大展望です。これは東南の眺め。左から大日岳、稲村ヶ岳からバリゴヤ谷の頭に続く岩稜、さらに鉄山、弥山、八経ヶ岳、頂仙岳と大峰の山々が続いています。
この展望地付近に点々とベニバナシャクヤクの花が見られます(2008.06.27)。
(2011.06.24)
ところがシャクヤクの近くで、外来種のジキタリスが繁殖して幅を利かすようになりました。去年は大分、刈り取られて少なくなっていましたが、今年はどんな様子でしょうか?(写真は 2011.06.24 右奥の山が観音峰)
ササユリ 笹百合 ユリ科ユリ属
笹の中に生えていることが多く、葉がササに似ているので花が咲かないとなかなか見つけにくい花です。昔は西日本のどこの山でも良く見かけました。
しかし若い頃はあまり花に興味がなく、デジタル以前は今のようにやたら撮れませんでしたので、一番古い写真は笹ヶ岳で見たこの花です(1995.06.25)。滋賀県信楽にある笹ヶ岳は名前のようにササが多い山です。この時は笹百合を見に行ったのですが、「一日で僅か10輪ほど見ただけだ。ここにも乱獲が及んでいるのだろうか。淋しいことだ」と山日記に書いています。最近は地元の人の手で保護が進められているようですが、果たして花の数は増えているのでしょうか。
あまり人の行かない不遇の山で、思いがけずササユリが迎えてくれることがあります。
これは柳生の一体山のササユリ。大和高原の北端にあり標高595.1m。昼を近くの山で食べようと、急に思い立って行きました。草の生えた荒れた林道脇に数本咲いていました。藪漕ぎでの二等三角点の山頂に出ると、宝暦13年の銘がある役行者石像がひっそりと迎えてくれました。(2000.06.24)
蓑作山は近江八幡市の北西に位置する瓦屋寺山系の中心的な山。太郎坊山へ縦走した日は朝からの雨に濡れ、しかも人が通らないのか薄暗い林は蜘蛛の巣だらけ。その中で明るい色のササユリに出会うたびに、その清楚な美しさに救われる思いがしました。(2006.06.18)
都会から離れた交通不便な山では、まだまだたくさん咲いているようです。2003年6月、中国山地中央部の泉山(1209m)から星山(1030m)、櫃ヶ山(954m)へと縦走したときに、あちこちでササユリを見ました。これは二日目の6月20日、星山東口(登山口)付近の花です。
六田(吉野)から熊野本宮までの奥駆道の途中でも、6月にはあちこちでササユリに出会いました。これは終着地点の熊野が近くなった七越峠手前、その名もササユリ園地のササユリ。ただ先を急いでいたので、園地内の道を通り過ぎる間に数輪見ただけでした。(2005.06.12)
何年か前、近くでササユリの多い山があることを「あきゆきさん」のHPで教えて頂きました。山頂に巨石があり、若い頃にクライミングの真似事をしたりして遊んだ、河内の交野山です。
紅色の薄いササユリはヤマユリに似ていますが、ヤマユリには花に朱色の斑点が散りばめられているのが相違点です。(2011.06.11)
交野山から白旗池を経て北の国見山に行く途中で何ヶ所かササユリが自生しています。ここも地元の人の努力で次第に数を回復してきています。(2012.06.08)
更に近い地元の山では手軽に二上山で見られます。ここも残念ながら人の多いコースでは数が減ってきています。(2008.06.07)
これは山ではありませんが三輪山麓「三輪の杜」のササユリです。ササユリは三輪山をご神体とする大神神社と所縁の深い花で、十数年前から神域内に「ささゆり園」を作り保護育成されています(今年は6月20日まで公開中)。
大神神社周辺では摂社の狭井神社の鏡池周辺にも植栽されていますが、ここが一番たくさん見られるようです。昨年、三輪山に登拝した帰りに撮影しました。(2012.06.15)
キイシモツケ
バラ科シモツケ属 シモツケは淡紅色ですがこれは白色房状でイワシモツケの一種と考えられています。イワシモツケは本州中部から北の亜高山~高山の蛇紋岩の岩場で見られ、和歌山県北部が西限のようです。特に紀ノ川市の龍門山では群生していて県指定天然記念物になっています。
龍門山(755.9m) 紀ノ川左岸にあり、和歌山の方から見た山容から紀州富士と呼ばれています。1994年と2000年の二度、キイシモツケを見に登りました。
ミカン畑の中の曲がりくねった道を登り、登山口にあたる一本松に着きました。この地名は後ろにある松が由来ですが…
2000年に友人と4人で行ったときには一本松は完全に枯れてしまっていました。左の田代ルートで登ります。
林の中を登っていくと、ぽつぽつとキイシモツケの花が見えだします。途中のチリナシ池の周りも、稜線に出た田代峠の辺りもキイシモツケが満開でした。飯盛山から続く稜線を右に折れて尾根道を行くと…
磁石岩があります。周囲17m、高さ4mの岩に磁石を近づけると、岩の北の方がS極を南がN極を引っ張ります。 つまり岩全体が磁石になっているのです。
一寸降りて登り返すとキイシモツケに囲まれた小台地に頂上三角点があります。
すぐ先に、ここも白い花に囲まれた広い台地に山名板が立っています。正面に和泉山脈が連なり、眼の下に紀ノ川が見えます。ちょうど真北が和泉葛城山になります。
帰りは中央コースを下りました 。蛇紋原という表示の岩鼻から下を覗くと、黒い蛇紋岩の小台地の周りをキイシモツケが取り囲んでいます。コデマリに似たこの可憐な花は、毒性の強い蛇紋岩の土質を好むのだそうです。
更に下っていくと明神岩という大岩があります。
ここからも粉河の町や紀ノ川の流れを美しく見下ろせますが、高さ40mもあり足が竦むようです。近くに蚕繭の貯蔵庫だったという深く暗い風穴があり、楠正成が隠れていたという伝説が残っています。最後は丸太道も混じる七曲りの急坂を下ると、一本松に続く林道に出ました。
この時期、この山ではキイシモツケの他にもヤマアジサイ、カキノハグサ、モチツツジ、ツルデマリ、ノリウツギ、フタリシズカなどの花が咲いていました。
二週間ほど山はもちろん、汗もかけない一「身」上の都合で自宅謹慎の日々を過ごしております。
昔の写真をアナログ、デジタル構わず引っ張り出して見ていたところ、他の月に比べて6月の山行は少ないことに気付きました。
若い頃は夏山に備えて、毎週のボッカ訓練、岩登りトレーニングなどに励んでいます。現役職業人中も長い休みが取れず近くの山行が多く、定年退職後も雨のせいにして前後の5月、7月ほど遠出はしていません。
それでも、この時期ならでは見られぬ花がたくさんあることに気付きました。しばらくは花を中心にした山の想い出をご覧ください。
唯一といっていい6月の遠出山行は1997年、ミヤマキリシマの「くじゅう連山」でした。95年に定年退職して、やっとこの時期にも遠方の山に行けるようになりました。東北地方も梅雨入りした6月9日、雨を覚悟で大阪南港発のフェリーに乗り、10日朝、別府港から大分道を走って10時前に標高1,100mの長者原に車を置きました。
林道から登山道に入ります。最初の登りから勾配がゆるむと、笹原の中にミヤマキリシマの可愛い花が少しずつ現れてきました。
硫黄山から押し出した溶岩で出来たような谷に降り、黄色のペンキ印が付けられた大きな岩を辿って行きます。
硫黄山と三俣山のコルにあたる「すがもり越」から北千里浜の砂原に下り、草付の急坂を「久住分れ」へ登って東へ。
石のゴロゴロした急斜面を登り、中岳との分岐で右へ折れて更に登り、一等三角点のある久住山頂上(1786.9m)に着きました。
山頂からの眺望。天狗ヶ城、中岳、稲星山、遠くに大船山。この時期にしては恵まれた展望を肴に、長者原で仕入れた缶ビールで乾杯して昼食(13:10~14:00)。
午後は火口湖の御池湖畔を通って、大きな岩の間をよじ登る豪快な道を中岳(1791m)へ。頂上からは、ミヤマキリシマでピンクに染まった平治岳(ひじだけ)から大船山に続く山並みが美しく望めました。稲星山のコルから法華院温泉に下る頃から雨が降り出し、次第に本降りになり傘をさして温泉に着きました(16:20)。
雨の音や大きなイビキで浅い眠りのうちに朝を迎えると、幸い雨は止んでいました。7時の朝食を大急ぎで済ませて7時半出発。〽四面山なる坊ヶツル…を抜けて、平治岳との分岐から右へ大船山を目指します。
1時間で見晴らしの利く五合目に着きました。三俣山の左肩に紫色の阿蘇山がくっきりと見えます。右手には雲海に浮かぶ由布岳、さらに北部の山々が。
急坂のジグザグを繰り返して火口壁の段原(だんばる)に登り着くと、思わず歓声を挙げる光景が待っていました。左には北大船山のピーク、正面には米窪の凹地を隔てて黒岳へのなだらかな稜線、右へ大船への道が続いています。その山肌の至る所がピンクの絨毯で覆われているのです。
大船山頂上(1787.1m)からの展望は期待以上でした。久住連山の眺めはもとより、南東の傾山、南の祖母山、南西の阿蘇五岳、北の英彦山、北東の由布岳、鶴見岳と九州の主な山が見渡せました。平治岳方面のピンクの稜線が鮮やかです。
北大船山から黒岳の稜線。遠く由布岳が見えます。
大戸越に下りました。前の山は平治岳。
最後のピーク・平治岳(1642.8m)へは一方通行の急坂の登りで、11時半に着いた頂上は人で埋まっていました。
船の時間も心配で5分で別の道を下りましたが、期待にたがわぬ展望でした。(左から久住、硫黄、三俣山)。大戸越で昼食後、2時間半ノンストップで歩いて少し疲れを感じる頃、長者原の広々とした風景の中に飛び出しました。
久住連山の四つの峰に登り、すばらしい展望と花に出会えて、最高に幸せだった二日間の山旅でした。
朝から庭に空梅雨の暑い陽射しが降り注いでいます。ナンテンの花が咲きました。
南天 南天研究所のBLOGによると、和名は漢名「南天燭」の簡略化で、その実が赤い燈火に似るためだそうです。しかし「南の天の」説明はありません。
昔から「難転」つまり「災いを転じて福となす」と、縁起の良い植物とされていました。子供の頃、トイレが家の外にあったときは手水鉢の横に植えられていました。その理由は「年寄りが転んだときつかまるため」や「水がないとき葉で手を洗う」??という知識もこのBLOGで得ました。こんな研究所があるのかと、よく見ると常盤薬品工業の文字が…あの有名な「南天のど飴」の会社のBLOGでした。
角川の俳句歳時記で、こんな句を見つけました。
「花南天実るかたちをして重し」 長谷川かな女
この花が全て赤い実を付けると本当に重そうに見えますが、悪いヒヨドリが来てどんどん数を減らしてしまいます。