「スターリン秘史 巨悪の成立と展開」第10章では、ヒトラー・ドイツとソ連のスターリンが締結した「独ソ不可侵条約」と「秘密追加議定書」が全文掲載されています。
時は1939年8月23日、「ドイツは、独ソ不可侵条約の調印から9日後の9月1日早朝、宣戦の予告もなしにポーランド攻撃を開始しました。 9月3日、イギリスとフランスは、ポーランドに対する保障義務をまもって参戦、第2次世界大戦が現実のものとなりました」(「前衛」220p~221p)
不破さんは、「独ソ不可侵条約」と「秘密追加議定書」の締結にいたる経過や内容を、読者がドキュメンタリー映画をみているようなに解き明かしてくれています。
「条約」や「議定書」の全文は本書を拝読していただきたいと思いますが、特に、「秘密追加議定書」に出てくる地名、地域についても、地図入りで丁寧な解説がされていますので大変わかりやすくなっています。
ドイツとソ連が取り交わした「秘密議定書」とはどんな内容のものだったのでしょうか。
以下、不破さんの「解説」を紹介します。
「強国のあいだの勢力圏分割の秘密条約は、第1次世界大戦に先行した時期にも、帝国主義者の世界ではあたり前のこととしておこなわれてきましたが、2つの大国が、独立国家が6カ国も存在するこれだけの広大な地域を対象に、勢力圏の分割を図る秘密条約を結んだというのは、帝国主義時代の歴史にも先例をみないものです。
-中略ー 実質の内容からいえば、秘密議定書は、不可侵条約の補足でも、『追加』でもなく、本条約で決められた独ソの新しい政治同盟の本質的内容ーー 2つの覇権主義国家、凶悪で貧浴な2人の強盗の政治同盟という性格を、端的に表現したものだったのです」(「前誌]212p)(注:6カ国とは、北からフィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、ルーマニア)
そして、不破さんは、世界史上例のない、ヒトラーとスターリンの「勢力圏分割協定」を厳しく告発した上で、レーニンの下でのソ連が取った領土政策を対比しています。
[1917年の10月革命で革命的社会主義の権力がロシアに打ち立てられた時、新しい権力が外交面でまずおこなった最初の革命的措置が、ツァーリズムが結んだ秘密条約の公表でした。
その措置は、帝国主義の世界全体を震撼させました。 -中略ー 秘密条約を公表したトロツキ―は、、『秘密外交の廃止は、公正で人々に受け入れられる真に民主的な外交政策の第1条件』であると宣言しました。 -中略ー アメリカの歴史家A・J・メイアは、その著書『ウィルソン対レーニン』(1983年、日本語訳 岩波現代選書 Ⅰ、Ⅱ)の中で、秘密条約を公表したソビエト政府の外交行動が、同政府の『領土併合反対』、『民族自決権確立』のよびかけに重なって、イギリスやフランスの戦争目的改定運動を励まし、またアメリカの大統領ウィルソンが発表した14原則にも深い影響を与えたことを~明らかにしています」(「同誌」213p~214p)
そして、「スターリンは、22年前、レーニンが指導した時代に、ソビエト政権によって、終止符がうたれた『秘密条約』外交を、もっとも邪悪な帝国主義者であるヒトラー・ドイツとのあいだで復活させ、多くの他国民の運命を2つの強国が意のままに料理するという邪悪な内容をその秘密条約に盛り込んだのです。 これは、まさしくロシア10月革命が国際政治に刻み込んだ最大の成果を真っ向から否定するものでした」と怒りを感じさせられる言葉で断罪しています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます