宮応かつゆきの日本改革ブログ

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「スラーリン秘史=第26章」 戦後70年、被爆70年に 戦後史の解明にかかわる ”新たな視点を提起”

2015年03月01日 | 綱領関連

 「スターリン秘史=第26章 コミンフォルム」の最終節は、「スターリンのヨーロッパ戦略の決算表」です。 この節は、戦後の日本、アジア、世界の歴史の展開を検証する上で重要な視点を提起するものになることを予感させられます。

 「トルーマン・ドクトリンとコミンフォルム結成で、世界大戦中の『大連合』体制に双方から公的な終止符が打たれ、スターリンのいう東西『2つの陣営』の対決が世界情勢の中心に押し出されました。 それから2年余り、1940年代から50年代への転換を迎える時点で、スターリンのヨーロッパ戦略の決算表をつくってみると、どういうことになるでしょうか」と不破さんは提起し、次のような2点を指摘しています。

 「第1に、スターリンによる東ヨーロッパ制圧作戦の強行は、アメリカ政府に、議会の承認のもとに、ヨーロッパに乗り出す上で、きわめて都合の良い情勢をつくりだしました。 ヨーロッパの資本主義世界の旗頭だったイギリスに代わって、ヨーロッパでも、アメリカ帝国主義が西側陣営の主役に公然と躍り出てきたのです。 しかも、スターリンの強硬路線は、西側陣営を、『共産主義の侵略阻止』を口実にソ連ブロックに集団的に対抗する体制、すなわち軍事同盟の結成という道に前進させました」~中略~「軍事的対抗ということになると、核兵器開発の問題をふくめて、ソ連側の劣勢はいっそう明白でした」(「前衛」誌3月号230頁)

 「第2に、東側陣営の状況ですが、スターリンが、東ヨーロッパにおけるソ連の支配体制を強化する決定的な柱として打ち出したユーゴスラヴィアのチトー政権打倒作戦は、完全な失敗に終わりました。 あらゆる手段をつくして進めたこの作戦は、東ヨーロッパの内部に、強固な国民的意思をもってソ連の侵略・干渉・強圧から自国の主権と独立を守り、社会主義への自主的な道をきりひらくためにたたかう国家、覇権主義に敵対する国家をつくりだす結果に終わったのでした」(同頁)

 不破さんは、次のように、論を進めます。

 「こういう状況のもとで、もしアメリカが、内外の反共産主義的好戦派の圧力におされて、軍事的対決の道をえらんできたらどうなるか。 いまあげた政治的力関係の決算表にくわえて、軍事力の対比がまず問題になります。 ソ連は、アメリカに追いつこうと、1945年以来、核兵器の開発に全力を注ぎ、49年9月に最初の原爆実験に成功しましたが、アメリカのような遠方の国にそれを届ける長距離の運搬手段はまだ持っていません」(同誌231頁)

 「西ヨーロッパや日本など、ソ連本国を自由に爆撃できる基地を持っているアメリカの戦略的地位と比較すれば、この分野でのソ連の劣勢は明白でした。 どんなことがあっても、東西の対立が米ソ間の世界戦争に発展することは警戒し、防止しなければなりません。 この情勢のもとで、いかなる政治・軍事戦略をもつべきか」(同頁)

 「スターリンは、次第に、世界のヨーロッパ以外の地域にアメリカ帝国主義と戦う新しい戦線を開き、ヨーロッパが東西両陣営の対決の主戦場となっている状態から早くぬけだす可能性はないかと、その探求に注意を向けるようになりました。 これは、いわば第2次大戦中の『第2戦線』にあたるものですが、ただし、この戦線が、米・ソ対決の戦場となったのでは、同じ悩みが引き継がれますから、この『第2戦線』はソ連の軍事的参加なしという条件で開くことが、必須の要件となります。 こういう立場から、スターリンは、1949年以降、アジアでの新たな戦略的探究を試みることになりました」(同231頁)

 


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