赤旗まつり恒例の行事となっている不破さんの「科学の目」講座の今回のテーマは「『科学の目で』で『日本の戦争』を考える」でした。
不破さんの「日本の戦争論」はいままでも語られたことがありました。 直接、会場で聞けませんでしたが、「しんぶん赤旗」4日付に要点が掲載されました。
「『歴代の自民党政権は『戦争の性格は歴史家が決める』で逃げてきました。 しかし、日本の戦争の性格の判定は簡単明瞭。 武力で領土拡大をはかるのが侵略戦争です。 その尺度で見たらどうでしょうか」
不破さんは続けて、「1931年から45年までの15年戦争がどう始まったかを①『満州事変』(31年~)②日中戦争(37年~)③太平洋戦争(41年~)の3段階に沿って語り、それらがまぎれもない侵略戦争であったこと、政府・軍部の公式文書そのものが侵略戦争の実態をあからさまに示している」と強調しました。
私が、注目させられたのは、日本の戦争指導部体制について解明した次の点です。
「日本の戦争指導は世界に例がのない異常な体制によって行われました。 開戦の決定には首相が参加するものの、戦争の方針は天皇と軍首脳部がすべてを決める。 天皇が絶対的権限をもっていましたが、作戦を立てるのは軍首脳部。 しかし、実際の作戦の立案と実行は作戦参謀が勝手に決める。 陸軍と海軍は反目し合う。 結局、戦争の全期間、全局を指導した人物は誰もいませんでした」
不破さんは、「日中戦争と真珠湾攻撃の決定を事例にこのことを語り、『戦争の全体に戦略的責任を負った指導者は誰もいなかった。 アメリカにはルーズベルト、イギリスにはチャーチル、ソ連にはスターリン、ドイツにはヒトラーがいたが、第2次世界大戦をたたかった主要国家でこんな国は日本だけでした。 いまあげた3段階でも、まともな展望を持って始めた戦争は一つもありませんでした」
そうした、戦争で、兵士たちはどんな戦争をさせられたのか、と問いかけ次のように語りました。
アジア・太平洋の各地域での戦死者数を記した地図を示し、「日本軍人の戦没者230万人のうち少なくとも半数以上が餓死者だったとの研究」を紹介しました。
その例として、「ガダルカナル島の戦闘では制海権・制空権もない島へわずかな食料だけを持たせて兵士3万人を送り込んだ結果、兵火による戦死者は5千人に対し、餓死者は1万5千人に上りました。 しかし、軍中央は何の反省もせず、同じ失敗を繰り返しました」
その戦争指導部によって国民はどういう扱いを受けたかについて語りかけました。
「戦争の最後の1年間、戦争の見通しは完全になくなり、国土が戦場となる事態を前に、日本の戦争指導部の頭にあったのは『国体(天皇絶対の体制)護持』だけでした。 45年初めの時点で戦争終結を決断していたら、本土空襲も沖縄戦も原爆投下も『満州』の悲劇もありませんでした。 『戦争指導部に、国民の受ける苦難への思いはまったくなかったのです」
不破さんは、「講座」の最後に次のように安倍首相とその政権を批判し、退陣を求める国民的大義を訴えました。
「このような日本の戦争にまともに向き合うとしないのが自民党政府の伝統的体質でした」と指摘し、不破さんは、「その自民党の中で90年代に日本の戦争は正義の戦争だったと主張する異質な流れが頭をもたげ、その中心に常に安倍晋三氏がいたことを指摘し、『まさに日本版ネオナチ』だと批判し、こうした侵略戦争を是とする異質な潮流が政権と自民党を乗っ取ったのが安倍政権だ」と語りました。
不破さんは、「安倍首相がくつがえそうとしているのは憲法9条と日本の戦後史だけでなく、ファシズムと軍国主義の侵略戦争の断罪の上にきずかれた世界の戦後秩序だと警鐘をならし、『このウルトラ右翼勢力の政治支配を一日も早く終わせることが、今日、日本の未来のためにも、アジアと世界のためにも、日本国民が果たすべき重大な責務があります」と呼びかけました。