じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

民間校長辞任

2006-03-25 10:45:19 | 教育
★ 大阪の高津高校で民間から採用された校長と教職員が対立し、「混乱を避ける」との理由で校長が辞任した。

★ 校長の言動に教職員が反旗を翻したということだが、教職員の要求によって校長が辞任する、あるいは更迭されるといった前例を残したことは、これからの学校運営に大きな波紋を残しそうだ。

★ ここ数年、民間からの校長の採用が増えてきた。これは公務員、中でも専門職の名のもとプライドが高い、言い換えれば頭の固い教職員の牙城である学校に民間的な発想、いわば生産管理による効率化や競争原理を導入し、教職員の意識改革を図ろうというショック療法である。

★ 民間校長については成功例も報告されているが、先の尾道の校長をはじめ、今回の件など全体的な評価は芳しくない。

★ 民間校長の難しさは、文部省対日教組といった対立構造が緩やかになったとはいえ、管理側(行政側)にある校長と教職員との対立の中にあって、極めて同族意識の高い教職員に対し「よそ者」である民間校長がどのように支持を得られるかという点である。

★ 民間の会社なら校長つまり経営の責任者が経営方針の決定権はもとよりそれに基づき、ヒト、モノ、カネをほぼ自由に運用することができる。私立学校においてもある程度の裁量が与えられている。しかし公立学校の場合は、「雇われ校長」であり、校長とはいってもこれは民間の経営者とは雲泥の差がある。校長とは教育行政の末端にあり、長とはつくものの一事業所の長、会社の機構で言えば係長か課長クラスである。

★ 校長をめぐる問題は今始まったものではない。長年教職にあるものにご苦労さんの意味で校長職につかすもの、校長とは名ばかりで閑職で草むしりをしているものなど。しかしそれであっても教職員にとっては校長は自分たちの先輩であるとの一定の認識があった。

★ 公立学校において民間の校長を採用することは一般的には難しい取り組みである。もちろん例外はあるし、それは生かせばよい。民間校長を採用するならいっそ公設民営を実現するか、あるいは教育と経営を分離し、経営の領域、例えば理事会のような組織に民間人を採用するかだろう。しかし今の日本の教育行政制度ではそれほどまでには学校の独立性は認められておらず、教育委員会やその事務局と個々の学校との経営をめぐる関係を整理しておかなくてはならなくなる。

★ 報道に基づく限りではあるが、今回の件でやはり気になったのは、辞任した民間の校長が「進学率」あるいは「進学者数」に目標(これは経営目標なのか、教育目標なのか?)をおいた点である。「ドラゴン桜」ではないが学校の評価つまり校長自身の評価を世に知らす方法としてブランド大学への進学率しか掲げることのできない現実を考えておく必要があろう。

★ いうまでもなく、教育は人をつくる営みであってモノをつくる経営、生産管理とは理念も手法も異なる。教職員のわがままや組合の利害を過度に受け入れていては学校経営は成り立たないが、学校といった特殊な経営体を運営するには特有なノウハウも必要であろう。

★ 民間人の経験や知識を学校に生かすことはこれからも求められるが、それをいかせる条件整備が欠かせない。まずは教職員をどうやって働かせるかである。そこに校長のリーダーシップが問われ、これは民間企業でも同様である。
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