じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

重松清「セッちゃん」

2023-06-05 14:10:21 | Weblog

★ 今日、宇治橋商店街界隈は「あがた祭り」で賑わうことだろう。4年ぶりに出店も出るというので、子どもたちを中心に人であふれかえりそうだ。今日の塾は開店休業になるかな。

★ さて、重松清さんの「ビタミンF」(新潮文庫)から「セッちゃん」を読んだ。

★ ある家族。中学2年生になった娘の話によると、クラスにセッちゃんという転校生が入ってきて、みんなに嫌われているという。娘は「いじめ」ではないという。ただ嫌われているだけ。そして「ひとを好きになったり嫌いになったりするのって、個人の自由だもん」という。

★ 物語は父親の視点で進むが、彼は年頃の娘に困惑している。愛しているのは間違いない。でもどう接してよいのかとまどっている。できれば、逃げたい気分でさえある。妻つまり娘の母親もどうしてよいのかわからず、「あなたは逃げている」と夫を責めることしかできない。

★ この夫婦はやがてショッキングな真実を知る。実は「セッちゃん」などという転校生は存在せず、それは娘が作り出したフィクションなのだと。同級生から嫌われ疎まれているのは「セッちゃん」ではなく娘自身だということ。

★ 娘は自分を「セッちゃん」に投影して難局に耐えている。

★ 父親はふと立ち寄った民芸品店で「流し雛(身代わり雛)」を目にし、家族でそれを川に流すシーンで物語は終わる。

☆ 塾生、特に小学4,5年生ぐらいの女子の話を聞いていると、彼女たちの社会の難しさを感じる。同級生の好き嫌いがはっきりし、徒党を組んで露骨に嫌ったりしている。「いじめ」予備軍を思わせる。

☆ 学校としても学年が変わる時期を利用して、クラス替えで改善しようとしているようだが、物語の中で娘が言っているように「ゲンジツ」はなかなか厳しいようだ。

☆ 最近「M3GUN/ミーガン」という映画が話題になっている。子どもの友達になるようにつくられたAIロボット「ミーガン」が暴走する映画のようだ。かつての「チャッキー」を思い起こさせる。

☆ 西洋ではストレスは内に向かわず、外に向かって発散されるのかも知れない。時には銃乱射のような暴力として。

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