じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

森村誠一「老いる意味」

2021-06-10 22:30:41 | Weblog
★ ここ数日、竹田青嗣さんの「現象学入門」(NHKブックス)、「はじめてのフッサール『現象学の理念』」(講談社現代新書)に挑んだが、どちらも30ページに至らず挫折。

★ 結局は、この世界は自分が思い描いた「思い込み」に過ぎないように思えてきた。まぁ、そうであろうと、そうでなかろうと、時間がたてば空腹になるし、疲れたら睡魔にも襲われる。結局、ローレンツ変換が光速でなければ敢えて考える必要がないように、日常生活を営む限り、現象学など無用と言えば無用なものだ。と負け惜しみを言いたくなった。(また折を見て、再チャレンジ)

★ お口直しに、森村誠一さんの「老いる意味」(中公新書ラクレ)を読んだ。森村さんと言えば、角川映画がイケイケの時代の「人間の証明」「野生の証明」。クィーンの「ボヘミアン・ラブソディ」を聞くと「人間の証明」を思い出すし、「野生の証明」の薬師丸ひろ子さんと高倉健さんは今なお印象深い。

★ 第731部隊を描いた「悪魔の飽食」(光文社)は衝撃的だった。

★ その森村さんも88歳になられたという。この間、老人性のうつや認知症に悩まれたとか。「老いる意味」は、こうした体験を踏まえて書かれた「私ドキュメンタリー」だ。

★ 「生老病死」は決して避けられない。「老」は「病」にも通じるし、やがては死に至る。「死」もまた個人差はあるものの、そう生易しいものではなさそうだ。失われていく気力、体力、それに社会との隔絶をどう受け入れるか。私にとって「孤独死」「孤立死」は他人ごとではない。

★ 現状を受け入れ、寿命のある限りどう生きてゆけば良いのか。参考になった。

★ 「人間は老いれば、病気もするし苦悩もする」しかし、「自分で『終わり』を決めつけてしまわない限り、人は楽しく生きていける。」

★ 「あきらめたら、そこで試合終了」。安西先生(「スラムダンク」)の名言を思い起こした。いつも塾生たちに語っている言葉だ。
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