じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

学校の経営戦略

2008-05-21 12:00:25 | 教育
★ 「学校経営」だ、いや「学校運営」だ、「(教員組織は)単層構造」だ、いや「重層構造」だと論議されていた時代は遠い昔になってしまった。

★ 高校生に日本史、幕末の時代の流れを教えていて、尊王だ、佐幕だ、攘夷だ、開国だと論議盛んだったのと似ているなぁと思った。

★ 学者や思想家が空理空論を戦わしている間に、現実が先を行ってしまうのだ。

★ 学者にとっては「言葉」は重要であろうが、そんな論議をしている間に、そんなことはどうでもよくなってしまう。現在は刻々と過去になっていく。

★ 経営戦略という言葉も教育界では嫌われてきた。最近では目にするようになったが、「戦」という言葉を教育界は忌み嫌っていた。先の戦争の記憶があるから感情的に認められなかったのだろうが。

★ 一方において、学校に経営戦略が存在する余地がなかったとも言える。人、モノ、金は学校が自主的に調達、運用できるものではなく(できたとしても相当に制限されていた)、それらを所与の条件として受け入れた上で、経営過程としてそれらを最適化するのがせいぜいの「経営」だった。

★ ところが時代は変わりつつある。都道府県や政令市では「金」をめぐり学校の裁量に委ねるところが増えてきた。学校評議会といった運営形態がそれに拍車をかけているようだ。

★ 次は「人」だ。教員人事をめぐっては都道府県からようやく教育事務所単位まで降りる気配だ。やがては市町村単位や学校単位に人事権が委ねられるかもしれない。

★ 「特色ある学校」とか学校の主体的な経営とかが求められる中、学校がそれぞれの課題に応じてスタッフを編成できることは画期的だ。閉鎖的な教員市場が開放され、教員の質の向上や流動化が促進されるかもしれない。

★ もちろん問題がないわけではない。教員の偏在は医師不足の二の舞になるかも知れない。「経営者」の力量はますます問われるであろう。

★ 課題は山積だが、学校が経営戦略を考える時代が身近に迫っているようだ。

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殺伐たる教育現場

2008-05-21 11:12:18 | 教育
★ 卒塾生が教育実習に行っている。そこでの出来事を報告してくれるのだが、中学生のあまりの荒れように目を丸くしているとか。

★ 昨日は中学2年生の女子が刃物を持って大ゲンカ。どこまで本気のケンカなのかはわからないが、ひとつ間違えば大惨事だ。

★ 陰湿ないじめはあとを絶たず、男の子はというと幼いというか、すぐに切れるし、簡単に暴力を振るう。 

★ 実習生は、「家庭でどんなしつけをしているのか」と憤慨していた。

★ 教員は生徒指導に追われ、授業どころではないという。

★ 今の親の世代はちょうど1980年代の中学生。金八先生が話題になり、中学では校内暴力が吹き荒れていた時代だ。そんなことも影響しているのだろうか。

★ ところで「荒れ」に学年較差があるのは興味深い。「荒れ」には台風の目になる個人や一部集団がおり、その周りで感化された人々が暴風域を形成するようだ。「荒れ」は実に原始的で、人間的な現象だ。感情が理性に優先し、退化が始まる。
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