じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

学習指導要領改訂2

2008-02-16 11:38:26 | 教育
★ 今朝の新聞に新しい学習指導要領案の概要がやや詳しく掲載されていた。

★ とりたてて目新しいものはなく、基本的に10年前に回帰するということだろう。教科書も10年前の内容でほぼカバーできそうだ。

★ 学習内容の系統性から見ればこの方が合理的だと思う。例えば、イオンを教えることなく電気分解を教える困難さはなくなる。不等式を導入することによって関数の変域の説明がしやすくなる。

★ 何より「ゆとり」のしわ寄せがいっている高校の学習にゆとりが生まれる。

★ 私は教科書は太くなって大いに結構だと思っている。知識の量は多いほうがよい。問題はそれをどう活用するかである。高校受験や大学受験がどう変わるかである。

★ 今回の改訂で心配される点もいくつかある。理念的に考えれば「改革」に終止符が打たれ過去への回帰に終わったことだ。「ゆとり教育」「新しい学力観」は正体は不明瞭だが、明治以来の旧来の教育に代わる教育のあり方、更に大きく言えばこれからの日本という国家のあり方を標榜するものであった。

★ それが過去への回帰で終わってしまうのなら、当面の安心感は得られても近い将来に行き詰まる可能性がある。

★ 学力格差の問題は更に深刻になるだろう。知識の量が増えれば、その習得量の正規分布の裾野も広がるだろう。格差を是としないならば、対策が必要だ。(格差の是非はまたミニマムエッセンシャルの問題になるなぁ)

★ 教員養成や条件整備で最も遅れているのが外国語教育だ。新しい指導要領案では小学5,6年生からの外国語教育(実際は英語教育)を導入するというが、小学校教員にどれほどの外国語運用能力があるのだろうか。AETを活用するにしてもそのシステムは今のままで良いのか。

★ 小、中、高を通じて外国語はよりオーラルなものが求められているが、大学入試が変わらなければ抜本的な変化は難しい。例えば、従来の入試の「外国語」の代わりにTOEICやTOEFLのスコアを活用するぐらいの改革が求められる。当然、学校の教員にも外国語運用能力が求められ、1つの尺度としてTOEICやTOEFLのスコアが活用されればよい。英検もより実用的になるなら使えるが、英検自体の根本的な改革が必要だろう。

★ 日本の教育をより充実させるためには長期的には学制改革が必要だと思う。就学年齢を下げ、幼稚園の2年間を義務化し、6・4・4・4制が望ましいのではないかと私は考えている。中期的には小中一貫教育の推進であり、現行の小学校、中学校を小中一貫校に改組することが必要であると思う。そのためには1つの中学校と複数の小学校の連携を強めブロック制を導入することから始めてはどうか。

★ 学力格差の問題解決のためには、まずは習熟度別クラス、少人数クラス(学習単位の弾力的運用)を活用することだろう。教員の中には多人数の指導には課題があっても、少人数での指導に向いている人もいると思う。適材適所で運用すれば効果が得られると思う。

★ 学校施設や公民館などの公共施設を利用した地域主体による土曜補習講座も有効だろう。自学自習を主とし、ボランティアを中心に運営されるのが理想だ。報酬の是非、受講料については地域の判断に委ねるべきだろうが、誰でも参加できるというのが大前提であるべきだ。複数のこうした学習会があり生徒や父母が選択できるようにすれば、よりよい内容となるだろう。

★ 教師の多忙については言われて久しい。学校は教育機関にとどまらず福祉機関、苦情相談所の様相ですらある。学校や教員を支援するシステムが必要だ。例えば、スクールカウンセラー、ケースワーカー、医師、児童相談所や警察との連携強化が必要だ。教員が「教育」に専念できる環境づくりが求められる。さしあたりは事務処理の軽減か。

★ 教員の中には「授業」に優れた人、「生徒理解」に優れた人、「マネジメント」に優れた人などがいる。全人的な力量形成は理想だが、それぞれの教員がその得意とする力量をさらに卓越させる研修のありかたも求められる。

★ 諸外国からは日本の「改革」の遅れが懸念されていると聞く。教育における回帰現象は「改革」への逆行を示唆するかもしれない。単なる回帰でないことをいかに示すことができるのか、それが今回の学習指導要領案改訂の明暗を分けるであろう
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