じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

学校評価

2006-06-17 11:21:19 | 教育
★ 最近、学校評価が注目されている。学校評価自体はそんなに新しい考え方ではないが、近年、学校選択の自由化や学校への市場原理の導入など競争原理が導入されるにつれて、その学校が優れているのかが問われるようになってきた。

★ 学校評価は本来、自らの学校の状況を把握し、それを学校改善への手立てとして行われるものであろう。経営過程をPlan-Do-See(Check)と考えるなら、経営体としてSeeにあたる評価が行われることは当然のことである。ただ、誰が何をどのように評価するのかが非常に曖昧であった。特に企業の営業成績と違って、学校(教職員や子どもたちの営み)によって子どもたちに付加される価値の量や質を数値化することが極めて困難であるといった、「教育」という営み特有の評価の難しさがあった。そもそも単位学校が経営体として成り立っているのかと問われることさえあった。今日では組織として小さく、また単位学校あるいはその長たる校長の権限は極めて限られたものになってるが、組織である以上経営体であるとみなされている。

★ 評価と言うとどうしても、学力テストの結果とか大学への進学者数、ブランド大学への合格者数(合格率)など数字として表しやすいものが取り上げられるが、それはあくまでも一つの尺度に過ぎないし、「教育」という広範な営みから考えれば、そのほんの一端を評価しているに過ぎない。ましてそれが学校の成果なのか生徒個人の努力によるものかも不明瞭である。有名国立大学に数多くの合格者を出す高校といわゆる底辺校で文字通り生徒と日々格闘している高校でどちらが教育力があるかと問われても、それは何を尺度とするかによって評価の分かれるところだろう。学校評価の難しさはそのような点にもある。

★ そうした難しさを認識した上で、数値に一喜一憂せず、学校を改善するために行われる学校評価は必要であろう。学校評価をより戦略的に学校経営診断更には学校経営改善(治療)へと発展させることも必要である。評価をしてもその改善策がないならば、血液検査をして異常ですよと言われて放置されるのと同じで、治療できないのなら気に病むだけの検査などしない方がましだと思える。

★ 評価→診断→改善(治療)といったノウハウを蓄積、標準化すること、そして学校経営改善をアドバイスできる「学校経営診断士」あるいは「学校経営改善士」とも言うべき人材を育成して欲しいものだ。
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大学全入時代

2006-06-17 01:11:28 | 教育
★ 大学募集定員が大学への入学を希望する人数を上回ると言う大学全入時代が間近に迫っている。大学の間では生き残りをかけた壮絶な生徒争奪戦が繰り広げられ、既に「勝ち組」「負け組」が決まりつつある。これからは倒産する大学も珍しくはなくなるだろう。

★ 最近、私立高校が学習塾を対象とした説明会を開く機会が増えた。かつては学習塾など歯牙にもかけなかったような学校まで今では「学習塾様」といった待遇である。この傾向は私立高校に限らず、公立高校にも見られる。公立高校も学区が次第に拡大され、こちらも統廃合されないように特色を出そうと必死な努力が重ねられている。「営業」など考えたこともなく「殿様商売」をされていた先生方が今では学習塾回りをされていたりする。さながら教材屋さんである。学習塾のオーナーとしては祭り上げられたようでこそばさも感じるが、学習塾業界同様、「学校」も競争が激しくなり大変だなぁと同情もする。

★ ところで、大学全入時代と言ってもそれは18歳人口をもとにした数字であろう。日本の場合、大学への進学者は高校を卒業する現役生と卒業後1~2年の浪人生が大部分を占める。アメリカのコミュニティスクールなどでは、年齢にかかわりなく学びたい人が学びたいときに学べる環境があるように聞いたが、日本の大学でも社会人をもっと受け入れるように努力をすればよいのではないか。そのためには入学システムの見直しが必要だろうし、学習意欲のある社会人がもっと気軽に大学に入れるようにしてもらいたいものである。そうすれば国民の学習ニーズも満たされるし、大学も経営的に安定できるのではないか。

★ いずれにしても、時代にそぐわない大学、経営努力をしない大学が淘汰されるのは仕方のないことであろう。ただ大衆に迎合するだけの大学もどうかと思ったりもするけど、大学院が充実してきた今日、大学は大衆化し、かつてのアカデミズムは大学院に委ねればよいのかも知れないね。
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