卍の城物語

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津軽観音巡礼第十四番 弘誓寺観音堂

2009-01-20 23:10:27 | 神社・仏閣
津軽三十三霊場カジュアル巡礼第十四番札所の弘誓寺観音堂へ行く。

国道339号線を北上。金木から中泊町へ。
中泊町といえば、旧中里町と旧小泊村が合併して誕生したが、中里と小泊の間の市浦が五所川原市と合併してしまった為、中泊町は飛び地合併になってしまった。
そんな旧中里町へ入り、尾別という集落へ。右手に鳥居と小高い丘が見えると、そこが今回の目的地である。

観音堂は小高い丘の頂上にあるが、麓には神明宮の社殿がある。
前日の大雪の為、道路から参道の階段まではずっと雪藪・・・。ブーツで来たのが間違いだった。ブーツの中に雪が入りまくって冷たくなってもどうでもよくなってきて、ただひたすら雪中行軍する。階段はそんなきついわけでもないが、何せ雪深いから大変だ。

やっとこさ頂上へ。観音堂までの参道は松や楢の木々の根が土からせり出している。
観音堂には千手観世音菩薩が本尊として祀られている。
丘の中腹には、丘を一周出来る参道があり、三十三観音石像が安置されている。

かつての尾別観音は、尾別川の上流の滝の麓に観音山解脱院として存在していた。
1648年に現在地に移遷し観音堂が再建。その後飛竜宮へ改称。
明治の大悪法・神仏分離令によって、観音堂は神明宮に変わり、本尊は弘前の最勝院に移遷されてしまう。

さらにこの地の観音堂の歴史は続き、僧の海野戒淳(後の円海)が尽力している。
明治34年、観音像三千三百体制作の為に全国行脚中の戒淳がこの地を訪れ、観音堂の事情を知って、最勝院から本尊を取り戻す。
更に戒淳は、この地の観音堂再建に尽力しようとしたが、戦争に召集され、この地を去る。しかし住民達の力によって観音堂は再建出来た。三十三石像も円海の描いた画像から刻んで造られたという。
昭和4年に戒淳は円海に改名し、尾別へ帰ってくる。もともと解脱院にあった釈迦如来像を本尊に寺を築こうとしたが、それも叶わぬうちにまたこの地を後にする。
しかし戦火を逃れて円海はまた尾別に舞い戻る。そして昭和28年に解脱院弘誓寺を創建した。
昭和31年に円海は80歳で没する。

頂上の境内からは岩木山や、日本海と十三湖が眺望出来る。なかなか気持ちの良いものである。
帰りも雪に埋れながらこの地を後にする。

最後に弘誓寺観音堂のご詠歌
万代を 祈り祈りて いまここに 千手の誓い たのもしのみや

住所・中泊町尾別胡桃谷198

※無人仏堂です

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2 コメント

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津軽三十三霊場 (Hocke)
2009-01-21 09:45:53
始めまして、私は群馬県在住ですが、
津軽には20年通っています(正月岳温泉近くに)
津軽三十三ヶ所巡りは数年前から始め、半分強
終わりました。
返信する
無類の霊場好き吉田栄作 (マーズれい郎)
2009-01-23 03:49:42
Hockeさんコメントありがとうございます。

群馬から毎年少しずつ巡礼してるとはすごいですね!
自分も現在、三十三霊場の半分くらい訪れましたが、冬の間に全て巡礼するつもりですので、参考にしてもらえたら有り難い次第です。

これからも当ブログをよろしくおねがいします。
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