卍の城物語

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津軽観音巡礼第二十五番 松倉観音堂

2009-03-02 01:02:59 | 神社・仏閣
津軽三十三観音霊場第二十五番札所の松倉観音堂へ、行ってはいません。行けませんでした。
代わりに「元光寺」に行く。

松倉観音堂は、梵珠山に連なる松倉山の頂上にある。一般的な巡礼コースとして、国道7号線から101号線に乗り換え、板柳方面へ向かう小路に反れ、そこから前田野目に向かって走り松倉山へ。車で行けるのは駐車場がある所まで。そこから徒歩で20分ほどで着く、らしい・・・。
遂に、冬の観音巡礼の限界を知ってしまった。途中の前田野目辺りまで行けたのだが、そこからは積雪の為、車では無理だった。もともと砂利道らしく、除雪もほとんどしてなかった。残念ながら断腸の思いで引き返した・・・。
過去、十七番札所の春日内観音堂への道のりも積雪でなんとか辿り着けたが、さすがにこの松倉観音堂はどうやっても無理だった。歩いても行けるだろうが、標高が低いが一応雪山登山になるため、素人の自分には危険過ぎるので遠慮しておいた。あくまでカジュアルに巡礼するというコンセプトにも反する。
では二十五番はパスするのか?
いや、納経所である元光寺には、松倉観音のうつしである観音石像があるのだ。
元光寺は松倉山に向かう途中に、101号線から一本外れたコカコーラの工場の近くにある。
松倉山登山が過酷である為、健康・身体に問題がある人、時間に余裕のない人の為に、うつし観音石像が立てられているのである。

元光寺は結構大きい新しい風な立派な寺である。境内の高台には目的の、うつし十一面観音石像が聳え立つ。
観音石像を拝んだ後は折角なので元光寺の中も参拝した。

この辺り一帯は、大釈迦、梵珠山、釣鐘堂山など、仏教に関わる地名が多い。それらの由来と、松倉観音堂の歴史を紐解いてみる。

奈良時代、道昭上人が釈迦如来、普賢菩薩、文殊菩薩を現在の梵珠山に泰安する。梵珠は文殊菩薩の文殊から名付けられた。そして鬼門封じの為に釈迦如来を安置した場所から大釈迦と名付けられた。
801年、坂上田村麻呂によって観音堂が創建。
1210年、金光上人が入山し、十一面観音を安置し、信仰の霊山とする。
明治の大悪法・神仏分離令によって本尊は上納させられる。
その後、霊場として復活し、馬頭観音像が安置される。

霊験あらたかなこの地だが、地名とはうって代わってラブホテルの多いこと!!だが半分以上廃墟と化している。どうでもいい情報だが、巡礼する人はかなり気になることであろうかと思う。

さて、今は県民の森としてハイキングや登山、キャンプ場として人気があるそうだが、梵珠山といったらやはり「火の玉探検」である。
火の玉探検は、旧暦の7月9日から10日の未明に掛けて、火の玉が現れるという怪奇現象を体験するものである。
私が小学6年生頃だったか、友人が家族と火の玉を見に行くというので、その時ちょうど遊んでいた友人何人かと一緒に連れて行ってもらった。
火の玉など半信半疑で、取り合えず友人と楽しく遊んでいた。そしてそろそろ火の玉が出るであろうとの時間になり、多くの観光客とともに火の玉の出現を待ちわびていた。
時間だけがただ流れ、真っ暗な空間をただ眺め、本当に現れるかどうか定かでもない得体の知れないものをただひたすら待っていた。深夜の為に子どもの私は眠たくてうつらうつらしていた、その時!!目の前が一瞬眩やかに光る炎が目の前の空中を通り過ぎたのだ!!あれが、あれこそが火の玉であった。
毎年火の玉探検ツアーが開催去れている様だが、実際の所、ツアーの参加者達はほとんど火の玉を観測出来ていないそうである。そう思えば貴重な体験をしたもんだ。
その火の玉が現れる場所が、お釈迦様の墓の上なのであるが、何故こんな青森の山に釈迦の墓があるのかは疑問だが、火の玉は釈迦の墓に高僧の霊が帰って来る時の後光なのだという事だ。

話は反れたが、松倉観音堂には行けず無念であった。頂上からの眺望は絶景であるらしい。冬に巡礼するのが間違いなのであるが、それも北国津軽の観音巡礼だから致し方なしと受け止める。

最後に松倉観音堂のご詠歌
~あな尊と 導き給え 観世音 誓いをここに 松倉の宮~

住所・青森市浪岡大釈迦字山田199-3(元光寺)
電話・0172-62-3382

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