「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

晩夏な風景

2006-08-17 14:06:35 | 遠野
 夏の花の代表といえば、向日葵(ひまわり)・・・ジリジリと焼き付ける日差しと青い空、そして入道雲なんかがあれば、モロ真夏といった風景・・・。
 しかし、何故かお盆前後の残暑厳しい折のイメージが自分にはあります。


土淵町界隈のヒマワリ・・・曇っているので季節感がイマイチか・・・笑

 ひまわり娘・・唄 伊藤 咲子

     阿久 悠 作詞 Shuki Levy 作曲

誰のために咲いたの それはあなたのためよ
白い夏の陽ざしをあびて こんなにひらいたの
恋の夢を求めて 回るひまわりの花
そしていつも見つめてくれる
あなた太陽みたい


涙なんか知らない いつでもほほえみを
そんな君が好きだと あなたはささやく
もしもいつかあなたが 顔を見せなくなれば
きっと枯れてしまうのでしょう
そんなひまわりの花

 誰のために咲いたの、それは貴方のためよ・・クッー・・一度くらい言われてみたい・・・汗。

 
 遠野の晩夏といえば・・・・



 お盆前後から刈り取り盛んの葉タバコ



 刈り取られた葉タバコは乾燥のため、画像のように・・・・

 幼い頃、我家でも葉タバコを生産しておりましたが、小屋はもちろん、自宅の居間まで、天井に葉タバコを吊るして乾燥させておりました・・微かな記憶。

 ところで、葉タバコは遠野の主要作物、しかし昨今の嫌煙、禁煙の煽りを受けて買い取り価格も下落傾向、しかし煙草そのものは値上がり・・・このままで葉タバコ産業は立ち行かなくなるのでは・・・・という私は禁煙を決意するも、一ヶ月の頑張りで遂に断念・・・喫煙は病気なのかな?・・・それともただの意志の弱い人間なのかな・・・汗・・・いずれまた禁煙に挑戦してみたいと思ってます・・・大汗

 そして遠野の今時期といえば・・・・



 国内生産高トップ、遠野産ホップ・・・説明はいらないものと思います。



 10月末には某メーカーから恒例の遠野産ホップを使用したビールが今年も発売されます。

 間もなく今月末から9月にかけて収穫されますが、台風に遭わないことを祈ります。

 
 紅毬花号・・・・


 ホップ畑や果樹園なんかでよく見かける農機具ですが・・・・
 その名を「ステレオスプレーヤー」・・なんのこっちゃ・・・要するに乗用薬剤噴霧機といったとろですかね。



 
 晩夏といいますか、お盆過ぎの松崎町駒木周辺界隈の風景でした。 
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夢花火・・過ぎ行く夏

2006-08-15 21:21:29 | 遠野
 第16回、恒例の遠野納涼夢花火が15日開催、過ぎ行く夏の夜空に大輪の華を咲かせ、詰め掛けた遠野市民、帰省された方々、観光客を魅了したものと思います。





 4年連続の花火大会警備、今年はなんとかその任から解放され、家族で花火を楽しむことができました。
 警備の時は、花火のほぼ真下、特等席ながら首は疲れるし、降り注ぐ火の粉、破片の行方に目を凝らし、場合によっては注意を呼びかけたり、背負った水嚢で消したりと・・・少しだけ大変でもありましたが、今年は気楽なものです・・・笑



 遠野の花火はなんといっても盆地に響き渡る大音響にあると思います。
 花火の音がこだまする様は足の底から頭の天辺まで痺れます・・・汗

 短い遠野の夏を惜しむかのように今年も花火大会は終了いたしました。
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盂蘭盆・お墓参り

2006-08-14 12:31:38 | 福泉寺・伝承等
 お盆・・・盆と正月が一緒に来た・・・というように忙しく賑やかなことを、そう表現しますが、確かにそれなりに用向きも多い、初盆のお宅へ行ったり、お客さんが来たり、さらに普段の倍以上の買物をしたりと、確かに家事用務の中では慌しい部類にはいるかもしれません。

 とにかく早いものでお盆がやってきている現実、まずはご先祖様の御霊をお迎えするべくお墓参りが第一でもあり、午前中に家族でお墓参りをしてまいりました。


 宮洞家先祖代々のお墓・・・といっても我家のお墓です。
 苗字もございますが、ほとんどは屋号を用いている。



 遠野の町場では、13日に迎え火を焚いて御霊をお迎えする風習がありますが、在郷では・・・というか私の住む松崎町駒木では14日にお墓参り、夕方に墓地にて松火を焚くといったことが多いです。
 13日にお墓に行く方々もおりますが、お墓掃除が主でもあるようです。

 14日午前、お供えをして線香を焚いて家族で手を合わせる・・・もうカラスがやって来て供え物を狙っている。

 地区内の公葬場(共同墓地)をお参りした後は、菩提寺である福泉寺へ・・・


福泉寺歴代住職の墓所・・・・右から初代宥尊師、二代宥然師、地蔵尊、二代和尚奥様、さらに奥に隠れて見づらいですが、初代宥尊和尚の弟子で当地で亡くなられた方々の墓所。

 この場所、福泉寺の開山以前は明治以前の我先祖の埋葬地だったそうで、歴代住職のお墓参りと併せてこの地に花と線香を手向けてお参りしております。 
 私の父の代、ご先祖様の骨の一部は現在のお墓に埋葬し直しております。


我家の歴代ペット達の墓所・・・塔婆は初代とらねこのニャッキのお墓
 本堂の脇の一角は我家のみならず、檀家さんや信徒さん方が飼われていたペット達の埋葬地でもあります。
 共に家族同様に暮した飼猫、飼犬達にも花と線香を手向けてお参りいたしました。
 
午後は菩提寺のご住職さんが檀家廻り、先代住職さんの頃は、我家が一番最後で夕方に我家にて夕食をいただいてお帰りになる慣わしでしたが、最近は我家を皮切りに檀家さん廻りとなっております。




灯篭木・・・とろぎ・とろげ

 新仏がある御宅で3年間立てます。
 画像は赤の垂れ幕?は新仏は女性を表します。(白は男性)・・・駒木から附馬牛にかけて灯篭木を立てている御宅をみると断然白が多い・・・。

 杉木の先端には杉の葉一塊を括り付け、杉木は家より高く立てる、その下には形は色々ありますが、丸い灯篭を取り付け、夜には灯が入れられる。
 また幕にはそれぞれの宗派によって異なりますが「南無阿弥陀仏」(曹洞宗等)・・ちなみに我家や近所の御宅では「南無大師遍照金剛」の文字が入れられている。(真言宗)・・・画像は我家の隣の御宅


 おまけ・・・・

 混雑する前にと、買物に朝9時前に出かけましたが、見覚えのある軽トラックが・・・・中には座敷童子が・・・・失礼、男の子がおりました。
 ストーカーと間違われてもいけませんので、お声はかけませんでした。
 弁天様が乗り込んで家路につかれたようです。

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不来方の誓い

2006-08-13 11:29:22 | その他
 歴史関連サイトを開設して5年、その当初からお世話になり、また度々お会いして親交を重ねて参りましたお二人の研究者と久々に盛岡で会うことができ、懇親を深めて参りました。(8/12)


本日の宴会場は盛岡駅東口・・・画像は開運橋

 少しポツリポツリ・・と雨が降り出して来ましたが、それほど強くは降らなかった。(連日の雷雨で大雨洪水警報が発令されたりもしたそうですが、この日は大丈夫であった)


 盛岡もここ最近大きく風景が変わりつつあり、盛岡駅西口や南方面も開発が進み高層マンションや道路が知らないうちに出来ております。

 さて、待ち合わせ場所の盛岡駅内の書店で合流後、駅前の居酒屋へ・・・二軒はしご・・・汗


 二軒目の居酒屋さんで発見した「遠野の山女一夜干し」・・・結構流通しているんだと感心いたしましたし、割と評判も良いという・・・。


 〆は盛岡での定番・・「盛岡冷麺」


 盛岡駅前

 夜10時、それぞれ新幹線、在来線の最終でお二人はご帰宅、二人を見送った後、ひとり盛岡の夜に吸い込まれるよう足は大通り方面へ・・・・大汗
 この日は私ひとり一泊いたしました・・・汗



 深円さん(東京都)と湊丸さん(八戸市) 

 歴史という分野をインターネットを通じて本格的に始めて5年、その当初に出会い、遠野、盛岡、八戸そして関東と実際にもお会いして色々と意見や情報を交換、さらに城館跡等の史跡探訪を通じて親睦と交流を図って参りました深円さん(本名I用氏)と湊丸さん(本名I田氏)、私の我ままといいますか、お互いの路線の食い違いやらそれぞれ置かれた環境の変化等もあって、少し疎遠になりかけていた昨今、私の我ままから端を発し、危うくかけがえのない仲間といいますか、大事にしてきたものを失うところでした。

 3人の中では年長である私、その馬鹿さ加減やら心の狭さがその要因でもありますが、この事態をお二人は笑ってやり過ごしてくださいました。
 こうして久々に3人で会うことができる幸せ、自分の愚かさを反省しつつ、新たにまたより以上のお付き合いが出来ること、ほんとにありがたいと思っております。

 今回、盛岡といいますか、不来方(こずかた)の都で、路線の方向性が若干異なるものも存在いたしますが、その根底は同じということ、何よりも北奥羽の歴史が好きだ、興味があるということ、これが一番であることを再確認いたしました。

 私の場合はお二人の力もお借りしながら闇の遠野の歴史を紐解いていく、これに尽きるものと考えております。

 今回の集まり、たいへんうれしくありがたかったです。

 今後共よろしくお願いします。
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星屑の街

2006-08-10 20:20:06 | 遠野
星屑の町・・・・昭和37年

 作詩 東条寿三郎  作曲 安部芳明  唄 三橋美智也


1 両手をまわして 帰ろう
      揺れながら
       涙の中を たったひとりで
        やさしかった 夢にはぐれず
         瞼をとじて 帰ろう
          まだ遠い 赤いともしび

 2 指笛吹いて 帰ろう
      揺れながら
       星屑わけて 街をはなれて
        忘れない 花のかずかず
         瞼をとじて 帰ろう
          思い出の 道をひとすじ

 3 両手をまわして 帰ろう
      揺れながら
       道の中を たったひとりで





一部画像を加工してますが・・・・

 歌謡曲・・・星屑の町
 遠野市において広報無線での夕方6時のチャイムは三橋美智也さんが歌ってヒットした「星屑の町」が市内に流れている。
 何故に星屑の町なのか・・・昭和37年の曲、私は幼児だったためか、この曲を知らない、またほとんど聴いた記憶もないのですが、今はすっかり耳も慣れ、チャイムがなると夕方6時か・・・となんとなく思う昨今です。


田舎といえどバイパスの国道沿いはそれなりに交通量もあって明るい・・。

 昭和30年代、作詞家東条寿三郎氏は遠野を訪れ、星屑が夜空に散りばめられた遠野の夜をみて、星屑の町を作詞したといいます、東条氏が晩年関係者に語ったことから、星屑の町は遠野がモデルだったということで、チャイムに星屑の町が使われている。

(ちなみに東条氏は星降る街角も作詞されている・・・
「星の降る夜は 貴方とふたりで お・・おお・・お踊ろうよ・・チュルチュ・チュルチュ、チュルチュルッチュ・・・笑」)


 一部画像を加工してますが・・・・曇っていたため星がほとんど見えず・・・冬の時期が星屑の町に相応しい夜空がみえるかもしれません。
 無論、晴れた夜、満天の星、まだまだ健在だろうと思います。
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「ここでいいです」

2006-08-09 17:02:40 | その他
 連日の真夏日が一転、台風の影響なのか午前中から曇り空、時折の霧雨、気温も過ごしやすい・・・・。

 さて、お盆まであと少しといったところで、ちょっと涼しくなる内容・・・。

 「ここでいいです」

 昭和50年代後半、市内の某野球スポーツ少年団が海岸のチームと交流試合をするため、土曜日の昼下がり、マイクロバスを借りて三陸沿岸の某市に出かけたそうです。
 
 バスの運転は父兄の方が運転していく手筈が、その方はどうしても抜けられない所用があったため、ある方にお願いして代理としてバスの運転をして某市まで子供達を送って行ったそうです。
 頼まれた方は午後子供達を練習会場のグランドへ届けるも、夕方に宿泊する民宿まで送って行くことでもあったので、練習風景を見学したりバスで昼寝をしたりして時間を潰し、夕方6時頃に子供達を民宿に送ると、翌朝に正規の運転手さんである父兄の方が、こちらに来るということで、バスは一端遠野へ帰る手筈でもあり、その方は笛吹峠越えの道を辿り遠野へ帰ることにしたそうです。

 バスが少し町場らしき住宅が割りと多い地域を過ぎた辺りで、浴衣姿の女性が道端に佇んでいるのが目視されたそうです。
 歳の頃なら20代後半か?運転手さんは、すけべ根性といいますか、確かに下心みたいな感情はあったが、どうこうしようとか、そんな考えはなかったといってますが、バスを止めて声をかけてみたそうです。

 すると女性は途中まで乗せてもらえますか・・・と言ったそうですから、運転手さんは喜んで、わざわざバスのドアまで親切に開けてその女性を乗せたそうです。

 女性はドアの真後の席に座ったそうですが、運転手さんの話には「はい」の返事と頷くだけだったそうです。

 さしたる会話も成立せず、バスが20分ほど走った辺り、峠前の最後の集落近くの家屋が一軒もない辺りで女性は「ここでいいです」と言ったそうです。
 バスを静かに止め、集落まではまだ一道ありそうだが、ほんとにここで良いのか、今一度聞きなおしたそうですが、「ここでいいです」の返事、運転手さんはドアを開けてあげると、一礼してバスから降りる女性、そして女性はその場から後方へ静かに歩いて行ったのも確認しているようです。



灯篭木(とろぎ)・・・・新佛のあるお宅で三年間立てる慣わしである。お盆には灯篭に灯が入る。
灯篭木に関してのエントリーは13日か14日予定




 もう少し面白い話でもすれば良かったかな・・・なんて思いながら、笛吹峠の難所を無事にクリア、辺りもヘッドライトを点灯しなければならないほど、かなり暗くなり始めていたそうですが、峠を下って青笹の大草里の集落へ入って間もなく、ふっと気になりルームミラーを覗きますと・・・・後ろから「ここでいいです」のか細い声・・・身体中の血が逆流するといいますか、体毛という体毛全てが逆立つ、血の気がひける・・・とにかく恐怖というか、表しようがない感覚、さらにもう一度「ここでいいです」の声・・・ルームミラー越しに先ほど降ろしたはずの浴衣姿の女性がドアの前に立っていた・・・・白く透き通って見えたそうで、次の瞬間、バスの後部で白く輝くものがバスから飛び出たように感じ女性の姿は消えていたそうです。
 
 「ギャー・・」声にならぬも心ではそう叫んでいたそうです・・・・。

 後はなりふり構わずアクセルを強く踏みつけ猛スピードで軍治屋商店まで飛ばして来たそうですが、辺りの明かりを見るとかなり安堵したとのことです。
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マリンブルー

2006-08-07 16:37:40 | その他
君のハートはマリンブルー・・・・1984年

       杉山清貴&オメガトライブ 


 季節外れの BUSが1台
  すれちがう 海が見える道
   ダッシュボードに 顔を沈めて
    君は泣き出してしまったね
     危険な恋に 走ったあとで
      疲れた君は 帰るのさ
       僕の胸に
    I WANNA HOLD YOU AGAIN
     抱きしめるたび 崩れそうだよ
      さびしさを乗せた肩
       I WANNA HOLD YOU AGAIN
        君の涙が かわく所は
         僕の腕の中 いまでも

 杉山清貴とオメガトライブ、特に杉山清貴といえば夏の歌、しかも海がつきものといった印象があります。
 「君のハートはマリンブルー」大好きな曲で、夏の終わりといいますか初秋の頃、季節はずれの海を思い起こします。
 「季節はずれのブスが一台・・・」BUSをバスといわないでブスと歌いたくなる、近頃のブス(たいへん失礼な言い方ではありますが・・)は「人」とは数えないで「台」と数えるのか・・・汗・・・とカラオケで歌う度に思ったものです。

 (失礼な表現があったこと、お詫び申し上げます。)



 マリンブルーではありませんがプールブルー・・・。

 本日は小学校のプール当番、最近プールでの事故や水難事故が話題となっている状況からして、プール当番には細心の注意が必要でもあり、そのつもりでプール当番をいたしました。

 どこで、どの場面で、どのような事故が起るとも限らないも、なんとか無事故でプール当番も終了・・・・小学校でのブール当番は今回が最後、まずは一安心といったところです。





 4コーナーに監視員(当番父兄)4名と教師1人の5人体制、子供達は59名だったようです。
 思わずブールに入りたくなるような、そんな気分を抑えてのプール当番、しかし、安全、安心を保つ、これが重要でもありますからね・・・我慢でした。
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2006-08-06 23:43:43 | ファイヤー
 梅雨明けしたと思ったら連日の真夏日、それでも猛暑といった具合ではない。

 5日は宮守に助っと勤務、翌6日は明番ながら早瀬河原に直行・・・・。
 消防団配備のポンプの性能試験が行なわれ、暑いながらも時折の放水で水幕が出来て細かな水しぶきを浴びる・・これがなんとも心地良いといいますか、気持ちいい・・・。





 涼といった雰囲気だけは味わえるものと思います。
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氷口峠

2006-08-04 17:30:26 | 遠野
 氷口(こおりくち)と書いて「すがぐち」と読みますが、氷(こおり)のことを方言で「すが」と言い、方言がそのまま地名として生かされている地域でもあります。

 また、この遠野市小友町氷口集落では、氷口御祝(すがぐちごいわい)という伝承が江戸時代から継承されている。
 祝儀や上棟式等などのめでたい席で、謡曲などの「御祝歌」を唄う風習で謡曲とまがき歌という異なる歌を、男衆と女衆に分かれて同時に唄うという珍しいものでもあります。

 最近ではメディアでも紹介され、広く知られるようになっておりますが、1990年代シンセサイザー奏者で「姫神」の故星吉昭氏の目にとまり、その希少性が見出されたことが広く知られるきっかけといわれております。

 

氷口からみた小友町鮎貝地区・・・氷口は鮎貝地区の北西に位置する地区。

 ということで、氷口から通勤する部下がおりまして、彼の同級生もまた部下でして、そのふたりが氷口のあるお宅の庭木が十二支の形になっていると言うもので、これはどんなものなのか、一度見てみたいと思い、早速出かけて参りました。


 う~・・ん・・これかな・・・。
 よく見れば動物の形のような・・・・・





 十二支という先入観から、どうしても干支をモチーフにした形として見てしまいましたが、虎は熊か?いやっ犬だと思っているのが実は熊か?、他にも形がわからない庭木が存在しているが、もっと確認できるところまでいけばその全容が明らかになるものと思います・・・・というか、このお宅も職場の後輩の実家ではなかったかな?(上の右端・・猪の顔にみえませんか?)

 ついでに鮎貝まで足を伸ばして・・(僅かな距離ですが・・汗)


鮎貝舘跡を示す標柱

 城館探訪仲間3人で現地探訪をしたことがあるが、城館という雰囲気は感じられるも当時の遺構等、これだっ・・・という確証は得ずにいた舘跡でもありました。
 無論、夏草や木々が生い茂る今時期の探訪は難儀いたしますので、今回は山野に踏み入るということはありませんでしたが・・・・。

 興味深い逸話をひとつ・・・
 
 ここは鮎貝といいますが、その語源なり何故に「鮎貝・あゆかい」と呼ばれているのか・・・・。
 一番年代が新しそうな説でもありますが、ご紹介いたします。

 その昔、文禄の頃と伝えられます(1590年代前半)、遠野郷は遠野孫次郎(阿曽沼広郷)の時代、遠野領主であった阿曽沼氏は天正年間、豊臣秀吉による小田原征伐に参陣しなかった為に改易となるところを南部信直の配下として命脈を残すも、主家筋となった南部氏とは何かと距離を置き、遠野と境を接する気仙、江刺を治める伊達政宗と誼を通じるといったことが多くなったといわれます。

 また阿曽沼氏の分家である鱒沢氏は、南部氏を後盾に主家である阿曽沼広郷に代わって遠野郷第一の家となる野望があったといわれ、阿曽沼氏と鱒沢氏は度々抗争を繰り広げていたともいわております。

 阿曽沼広郷或いは子の広長は、伊達政宗の力を頼み、それに応じた伊達政宗は家臣で出羽国在の鮎貝志摩守を密かに遠野領へ送ったとも、阿曽沼氏が招聘したとも語られております。
 江刺との境である五輪峠を越え密かに手勢を率いた鮎貝志摩守は鮎貝に舘を築いて、住まいしたことから鮎貝となったとも伝えられますが、文献等資料には一切出てこない内容で地域に僅かに語られる程度でもあるようです。

 鮎貝氏の鮎貝占拠は数年という短い期間だったとも推測されますが、地名との関係、これもまた浪漫といいますか、興味ある内容です。 
 
 話は戻って・・・・
 鮎貝から再び氷口へ戻ると、氷口峠の案内板が・・・・・
 すかさず山猫化してマイカーは悪路を進んでいきますが、草が多く辛うじて二本の車輪掘りが確認できる程度、ほぼ道が隠れて見えない箇所もあり不安に駆られましたが、数分後には・・・・・


 開けた感じの氷口峠頂上に到達・・・・。

 夏の今時期は四輪駆動の軽とか小さい車しか通り抜けできないものと思います。



 峠を下りますと宮守町下鱒沢 遊井名田(ゆいなだ)に出ます。
 鱒沢側は比較的道幅もあって夏でも走行は可能です。



 遊井名田といえば・・・ご覧の説明板のとおりの歴史があります。


 さて、山猫化はある光景を目の当たりにして、今後は少し慎もうと考えておりました・・・・汗・・・しかし、氷口峠という案内板があるということは、鱒沢まで通り抜け可能ですよ・・・との暗示・・・汗・・・ちょっと行ってみよう、もう少し・・・が遂に峠頂上まで・・・・ふと安心いたしました。


酷使した愛車「白濁酒特区すっけ号」・・・帰宅してから春の花見以来の洗車をしてサッパリ・・・・。

 落ち・・・・

 な・・・ななな・・なんだべぇ
 ガ・・ガガガ・・ガビョ~ン



 タイヤに錆びた釘が・・・・涙

 山猫の仲間入りはまだ早く、及びもつかないと思っていたが、山猫さんの本当の意味での仲間入りをした瞬間でもありました・・・・自爆

 
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南蛮味噌

2006-08-02 10:54:39 | 遠野
 今年はまだうだるような暑さを経験していないが、真夏の時期、どうしても食が細くなり、そうめん等喉越しの良いものが食卓に上るといったことが多くなります。
 そんな中、2~3個の南蛮味噌で御飯が進む、遠野地方独自とは思いませんが、南蛮味噌をシソに包んで油であげたもの、厳密にはシソ南蛮味噌揚げとでもいいますか、この時期の食欲不振解消やらビールのつまみに最適かと思います。




我家の畑、南蛮(とうがらし)・・・ボチボチと出始めている。


シソ

 各家庭により作り方は若干相違があると思いますが、大抵は・・・

①青唐辛子を焼いて刻んで味噌に混ぜる。
②味噌に味醂や砂糖を加えて甘みを加える
③唐辛子、砂糖を加えた味噌をシソに包んで油でカラッと揚げる
 こんなところですかね・・・。

 これでは塩分の取りすぎ、かなりしょっぱい。

 我家の隣のはやちね食堂では・・・
 焼いて刻んだ唐辛子を味噌に加えて、酒、砂糖で味を調えながらフライパンで熱する。
 味噌がゆるくできあがるので、しばらく冷蔵庫等で寝かせる・・・半日くらい
 少し硬くなった南蛮味噌をシソで包んで、軽く油を敷いたフライパンでシソの表面がパリっと焼きあがる程度焼き上げる・・・・なそうです。

 南蛮味噌に胡桃を砕いたものを入れたりもします。


 出来上がった南蛮味噌・・・・。

 祖母や父親が作った南蛮味噌はかなり大きく、またしょっぱかった・・・懐かしい味ながら、夏の味といえば南蛮味噌、これも「ごでられねじょ」・・・笑
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