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「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

中沢本堂舘跡

2009-03-31 19:26:54 | 歴史・民俗
 先日、笛吹童子さんと探訪した月山深山宮(八幡社)及びその近在は本堂舘という城舘跡であったという結びでエントリーを閉じておりましたが、早速、再度中沢に足を運んで探訪して参りました。


青笹町中沢地内
深山宮真下の草地から・・・


 いつもの資料に掲載の図面を見ながらの探訪、感覚からすれば八幡社の真下(北西)に広がる草地辺りが館跡と思しき雰囲気であったので、草地と山際の境目付近を探索する。

 図面によれば、かなり残存度良好な空堀が存在することになっているが、なかなか見つけ出すことができない。

 今一度、地形と共に図面を照らし合わせると、かなり下側の平地に残されている雰囲気、今度は市道側の草地下部付近に移動すると・・・・。



 かなり怪しい・・・








 どうやら空堀跡を発見・・・かなり地域の生活空間に近い場所にあって違和感を覚えるも図面に示された位置と合致、また紛れもない堀跡であると確信する。


 それでも前回の深山宮探訪でみた斜面下の段差や空堀跡のことが気になり、そのまま北西側の斜面を八幡社めがけて進む・・・・。



 
 さらに前回以上に周囲の山野も探索するも前回以上の収穫はなかった。






 本堂舘・・・・

 探訪した状況や図面によれば、遠野では珍しい平城ということになります。
 また、築かれた年代は、鎌倉期となりますかね?。
 松崎町駒木の阿曽沼館跡、そして綾織の谷地館は鎌倉時代に築かれた城館であるという・・・まさにその造りに近い雰囲気でもありますが、俗にいう安部時代の名残を残した館跡なのか?・・・ほとんど山城ばかり見てきた小生には新鮮な思いがしております。


 また資料によれば舘主を本堂某と称し、隣接山野(観音森)には観音堂を配し、信仰心の厚い一族であったのではと推測されておりますし、その本堂を守護していたことから「本堂」氏を名乗ったと見解が記されている。

 なるほど・・・根拠が見えそうで見えませんが、そんな雰囲気は十分感じ取れる内容でもあり、前回探訪した深山宮の前身との関連性とか、六角牛山を中心とする信仰との関連等、何かしら民俗分野から導き出せそうな思いはしております・・・が・・・やはり難しい・・・。






 市道側から・・・



 堀に囲まれた下部部分がかつての主郭で屋敷があった場所、そしてその上方の社がある山野は宗教的な儀式の場所か?或いは戦時に籠る意味合いがあった場所なのか?この館もかなり難解な雰囲気でもある。


 
コメント (2)
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