強風に雨、遠野地方には気象警報は発令されなかったものの、災害警戒本部が設置され、しかも一部地域では被害も発生、停電もあったとかで、昨日7日はたいへんな一日となりました。
さて、本日のエントリーは灯り・・・
中高と自転車通学、今時期からは陽も短く、帰宅する頃は辺りは真っ暗、そんな中安心するのは、所々に設置している街灯、俗にいわれる防犯灯ってやつですね。 概ね100メートルに一基という間隔ながらも、もちろん場所によっては何百メートルもないところもある、近くに集落やら家がなければ防犯灯もないといった感じ、私は男ですからまだ良いのですが、女子生徒にとってはどれだけ心強いものなのか・・・と思います。
我家向かいの防犯灯
そしてある程度安心できたのが、商店や個人で設置の自動販売機、これが結構明るい、昔は電気も販売機もない時代、しかも懐中電灯もない時代、夜は怖かっただろうと想像されます。
ちなみに松崎町駒木に電気が灯ったのは大正10年といわれております。
まだ電気を目にして百年経ってないんですが、松崎から電線をひいてきて、電柱は駒木、海上、矢崎の各地区から供出とのことで、電気工夫三名が泊り込みで作業にあたったそうですが、供出された電柱用の木は栗木、人々も色々と情報を仕入れて腐食し辛く、丈夫だと理由で栗木としたとのことですが、工夫は栗の木はダメと受け付けてくれなかったそうです。
理由は杉木の方が工事が楽だったからといわれますが、電気工夫達は巡査(警察官)の次に我々は偉いんだという態度が見られ、好かれなかったそうですが、それでも当時は先端技術者で、重宝されたそうです。
さて、本日のエントリーは灯り・・・
中高と自転車通学、今時期からは陽も短く、帰宅する頃は辺りは真っ暗、そんな中安心するのは、所々に設置している街灯、俗にいわれる防犯灯ってやつですね。 概ね100メートルに一基という間隔ながらも、もちろん場所によっては何百メートルもないところもある、近くに集落やら家がなければ防犯灯もないといった感じ、私は男ですからまだ良いのですが、女子生徒にとってはどれだけ心強いものなのか・・・と思います。
我家向かいの防犯灯
そしてある程度安心できたのが、商店や個人で設置の自動販売機、これが結構明るい、昔は電気も販売機もない時代、しかも懐中電灯もない時代、夜は怖かっただろうと想像されます。
ちなみに松崎町駒木に電気が灯ったのは大正10年といわれております。
まだ電気を目にして百年経ってないんですが、松崎から電線をひいてきて、電柱は駒木、海上、矢崎の各地区から供出とのことで、電気工夫三名が泊り込みで作業にあたったそうですが、供出された電柱用の木は栗木、人々も色々と情報を仕入れて腐食し辛く、丈夫だと理由で栗木としたとのことですが、工夫は栗の木はダメと受け付けてくれなかったそうです。
理由は杉木の方が工事が楽だったからといわれますが、電気工夫達は巡査(警察官)の次に我々は偉いんだという態度が見られ、好かれなかったそうですが、それでも当時は先端技術者で、重宝されたそうです。
これは遠野物語拾遺に入れるべきエピソードかな、と思いました。
この手の内容は歴史書にも残らないし、現代史(郷土史)にも残りにくいと思います。
ここは是非とらねこさんのお力で駒木物語を!(汗)
ちょうど遠野物語拾遺での第42話、駒木が出てくる明神様を祀る池を探しているところでした。
古老の話す場所はどうも胡散臭い、本日辺り探訪してみようと考えておりましたが、たぶん見つからないと思います・・・汗
早池峰の古道跡の続きやら、原風景の駒木のご紹介もまだまだですので、冗談抜きで駒木物語拾遺、サイトの題材にも十分と考えますので取り組んでみたいと思います。
いつか謎の松雲寺伝説、妻の神奥深くに眠る伝説、共に解き明かしましょう・・・笑