見もの・読みもの日記

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2018年11月@関西:天理参考館、東大寺ミュージアム、興福寺

2018-11-13 23:58:25 | 行ったもの(美術館・見仏)
天理大学附属天理参考館 第83回企画展『華麗なるササン王朝-正倉院宝物の源流-』(2018年9月26日~11月26日)

 月曜に京都で仕事があったので週末から関西入り。土日2日間で見仏&展覧会めぐりをして来た。初日は東京からまっすぐ天理へ。正倉院宝物にもゆかりのササン朝文化を特集する企画展を見てきた。ササン朝ペルシア(226-651)は、3世紀から7世紀半ばまで約400年間、現在のイランとイラクの大部分を支配していた帝国である。壁の年表を見ながら、中国でいうと魏晋南北朝から唐の初めに当たることを理解する。ゾロアスター教(拝火教)を国教としており、ササン朝の銀コインには、表面に権力者の顔、裏面に拝火壇と神官を描いたものが見られる(ちょうど、ローマ帝国の貨幣に関する本を読んでいたので、基本的に図像のルールが同じなのが興味深かった)。

 正倉院宝物『白瑠璃碗(はくるりのわん)』はササン朝のカットガラス碗である。天理参考館はよく似た出土品のガラス碗を所蔵している。大小さまざま5つくらいあって驚いた。なお『白瑠璃碗』と同一セットと思われるガラス碗が安閑天皇陵から出土し、今は東博にあるとか、上賀茂神社や沖ノ島でも断片が採取されているとか、井上靖に『玉碗記』という小説があるとか、新しい知識を仕入れた。『白瑠璃碗』のような円形切子厚手碗は、ササン朝の中心都市よりもカスピ海南西岸地方で多数出土しているというのも面白い。

 ササン朝には優美な工芸美術のイメージしかなかったが、ごつい鉄剣や鉄兜も展示されていて少し驚いた。ササン朝はイスラム軍に敗れて滅亡する。最後の皇帝の王子ペローズは唐に亡命し、再起を期したが果たせなかった。これは小説になるなあ。もうなっているのかしら。そして、王子だけではなく、ササン朝の滅亡によって多くの難民が唐に逃れたことから、長安ではペルシアブームが起きた。なるほど面白い。確かにソグド人などの商人が運んだ文物もあったろうけれど、そもそも人間自身が大量に移動していたと考えるほうが、ペルシアブームの説明がつく。その余波が日本に及んだわけである。なお唐の銀器はササン系銀器、特にソグド系銀器の多大な影響を受けているが、同時に「影響を与えてもいる」のだそうだ。文明の交渉は、いつも双方向が基本なのだな。

 展示品99点は全て同館の所蔵品なので、常設展と同様、撮影自由。写真はソグド人俑(白胎加彩胡人)である。大きな荷物を背負って、行商の道行だろうか。



東大寺ミュージアム 特集展示『東大寺と正倉院』(2018年10月17日~11月20日)他

 午後1時過ぎに奈良市内着。半年ほど閉館していた東大寺ミュージアムが、9月15日にリニューアルオープンしたというニュースを思い出して行ってみる。入場してすぐの部屋で、東大寺の歴史を紹介した映像を楽しめるようになった。おそらく『東大寺大仏縁起絵巻』などの画像を使ったもの。英語字幕がついているのはよい試みだと思う。中に入って、久しぶりに日光菩薩・月光菩薩様にお参りする。この二菩薩に向き合うと、どうしても三月堂の不空羂索観音がまぶたに浮かぶ。もと四月堂の千手観音立像もいいのだけれど。

法相宗大本山 興福寺

 そして興福寺へ。お目当ては、まず北円堂の秋期特別公開(10月20日~11月11日)。無著・世親菩薩立像をじっくり拝観する。北円堂の四天王立像(平安時代)はずんぐりむっくりで手足が短く、中国風の甲冑姿なのに足元が草鞋(?)なのもいて笑える。貰ったリーフレットも妙に「ユーモラスな姿」を強調していた。あれ?四天王を入れ替える話もあったような?と思ったら、昨年の東博『運慶』展のときは、無著・世親菩薩立像の周囲を、南円堂の荒ぶる四天王像(運慶作の可能性)が囲んだのだったな。

 次に中金堂を初拝観。黒い瓦、朱の柱、白壁、緑の連子窓が美しい。思っていたより落ち着いた配色に感じた。金色の鴟尾そして風鐸が、夕日にキラキラ輝いている。あーでも中金堂と前庭は、このままずっと柵に囲まれた状態(拝観料を払わないと入れない)になるのかな。開放的な興福寺を覚えている身にはちょっと残念だ。





 中金堂の本尊は金色に輝く釈迦如来坐像(江戸時代)。全く記憶にない仏像だが、伝統ある興福寺本尊で、平成30年の再建にあわせて修理されたとのことでピカピカである。左右に薬王・薬上菩薩立像(鎌倉時代)。あと広い須弥壇の四隅に四天王像が立つ。リーフレットに「かつて南円堂に安置されていた四天王像」という説明があり、いや「かつて」って、ついこの間までじゃないの!とツッコミたくなる。手前の増長天と持国天はいいのだが、後方の広目天と多聞天が遠い。遠すぎる。南円堂では間近に見ることができたのに、これからこの距離を縮められないのかと思うと、とても残念。木造大黒天立像と厨子入り木造吉祥天像(閉扉中)も建物の大きさに合っていない。配置を考え直してほしい。

 拝観を終えて、中金堂の西側のご朱印所の列に並ぶ。「16時45分まで」という貼り紙があったが、16時半頃、並んでいたお客さんを全て建物の中に入れて、カーテンを閉めてしまった。それ以降に来た人には「今日は列が長いので、これでお仕舞いです」と言い渡していた。中に入れた人も、ご朱印は1人1種類にしてもらうなど、言葉はやわらかいが仕切り上手なおじさんがいた。私も「中金堂」だけをいただく。

 さて北円堂のご朱印は、南円堂のご朱印所で扱っているという。もう16時45分を過ぎたので閉まっているかなあと思いながら行ってみると、まだ列があって、特に規制されていない。おそるおそる並んで待つ。結局、17時を過ぎ、17時半を過ぎてもご朱印所を閉めたり、新しく並ぶお客さんを拒む様子はなく、「北円堂」を書いていただくことができた。「遅くまでありがとうございます」と御礼を申しあげたら「いいえ、お待たせして申し訳ありません」と挨拶をいただいた。南円堂の対応は本当に嬉しかったが、これを仕事と考えると、定時に終われるような対応が正しいかもしれないと思い、複雑である。

 17時半からは、中金堂のライトアップが始まった。古典的な音楽に合わせて、くるくると中金堂の色が変わる。品があって美しかった。ああ聖武天皇と光明子にも、あるいは玄宗皇帝と楊貴妃にも、こんな光景を見せてあげたい!









 ずっと見ていたい気持ちを押さえて、夜道を奈良国立博物館(正倉院展の夜間開館)へ向かった。(続く)

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1 コメント

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Unknown (omachi)
2018-11-15 16:37:51
もう読まれましたか、
歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。
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