見もの・読みもの日記

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間違いを正す/ジョブ型雇用社会とは何か(濱口桂一郎)

2021-10-20 16:51:33 | 読んだもの(書籍)

〇濱口桂一郎『ジョブ型雇用社会とは何か:正社員体制の矛盾と転機』(岩波新書) 岩波書店 2021.9

 著者は12年前の著書『新しい労働社会』(岩波新書、2009)で「ジョブ型」「メンバーシップ型」という雇用の類型を紹介したことで知られている。私はこの本は読んでいないが、『働く女子の運命』(文春新書、2015)を読んで、いろいろ納得した。そうしたら、最近、ネット記事で「ジョブ型」という文字が妙に目につくようになった。本書によれば、経団連が『2020年版 経営労働政策特別委員会報告』で大々的にジョブ型を打ち出したためだ。ところが、2020年に流行したジョブ型は「私の提示した概念とは似ても似つかぬもの」「間違いだらけのジョブ型」だったという。笑ってはいけないが、苦笑してしまった。そこで、世の中の間違いを正すため、あらためてジョブ型とメンバーシップ型について説明したのが本書である。

 端的に、職務(ジョブ)の記述があり、そのジョブを遂行できる人を当てはめ、定められた賃金を払うのがジョブ型雇用である。大部分のジョブは成果主義ではない。(アメリカを除き)解雇自由でもない。実はメンバーシップ型よりも古いシステムである。ここまでは私も理解できるのだが、現実の日本社会とのかかわりは、かなりややこしい話になる。

 まず、日本の雇用システムはメンバーシップ型であるが、日本の労働法制(実定法)は欧米のジョブ型に基づいているという解説にびっくりした。法制度のことは全く分からないが、そんなものが運用可能なのか。2008年に労働契約法が施行されるまで、法と実態の隙間は、判例の積み重ねで埋められてきたという。

 それから、ジョブ型雇用を実現する肝は採用である。採用可否の判断基準は、ジョブを遂行する能力の有無「だけ」でなければならないのだが、いま、ジョブ型をもてはやしている人の中に、その覚悟のある人がどれだけいるか。確かに、自分の体験を振り返っても、メンバーシップ型の採用では、候補者がその時点で持っているスキルよりも、採用後、組織の中で円滑な人間関係、相互信頼を築けるかどうかを重視する。その基準を捨てるよう迫られるのは、かなり辛い。

 一方、ジョブとヒトのマッチングには、職務が記述されていなければならない。少なくとも中途採用市場において、労働省は熱心に職務分析に取り組んできた。しかし、キャリアマトリックスやジョブ・カード事業は、民主党政権下の事業仕分けで廃止されてしまった。「事業仕分けに関わるような人々は大企業正社員型のメンバーシップの中で育てられてきた人が多いでしょうから」「社会の上層部になればなるほどジョブ型感覚が希薄になる」と著者は冷たく指摘している。

 雇用システムと教育システムは密接に絡み合っており、本田由紀氏は、日本の教育システムの最大の問題点をその職業的レリバンス(意義)の欠如に求めているが、普通高校も大学も職業教育には後ろ向きである。大学が、エリート教育時代のアカデミズム幻想にとらわれているという批判は首肯できるが、かと言って、今の文科省が進めようとする大学改革・入試改革が、将来にわたって有効な職業的レリバンスを生み出せるかどうかには、疑問を感じる。

 1990年代以降、日本型雇用モデルの矛盾が噴出する中で、低スキルジョブの非正規労働に落ち込む若者と並び、顕在化している問題が、正社員になってもまともなOJTを受けられず、膨大な作業に追いまくられ、スキルを獲得できずに中高年になった高給社員「働かないおじさん」である。これは、けっこう深刻で根深い問題だと思う。

 日本の賃金制度は、「能力」(スキルではない)は上がることはあっても下がることはないという前提でできている。また、日本の正社員文化では、会社は社員にできる仕事を見つけてあてがうものと考えられている。恐ろしい倒錯だが、私もそういうシステムの中で働いてきた。2020年以来のジョブ型ブームが目指すものは、成果主義によって中高年の不当な高給を是正することにあり、雇用システム全体のジョブ化を求めているわけではない、という著者の洞察が腑に落ちる。

 このほか、同一労働同一賃金問題、児童手当や配偶者手当、労働時間と残業代、安全配慮とプライバシー、女性活躍、障害者雇用、外国人労働者、労働組合など、多様な問題が丁寧に論じられている。どの問題も「労働者の権利」とか「財政健全化」とか、単一の価値観から脊髄反射的に結論を出してはいけないということを教えられた。

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