経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

真・企業の論理試案1-2

2006年09月11日 | Weblog
これまでの「企業論理」にたいし、消費者中心主義を提唱している。それは爾来、両者が対立構図上に存在するからだ。択一になれば、企業は後者を捨て、前者を採る。これは自明の理。

 そこで、対立しない企業論理を考えてみたくなった。

試案だし、まだ思いつきのレベルだが。

真・企業の論理として、1に「我が身、企業中心の論理では事業も自分も人も幸せにはなれない」を挙げたい。

人の幸せを心底から念じ、そのための営み行動することで成り立つのが企業の本質と考えるからである。だから消費者の幸せと喜びに思考と行動の基準を置きさえすれば事業は健やかに伸びていけるのである。

 それを自らの生き延びのために、事業の命綱にも等しい消費者を、裏切り、だまし、不安に陥れて、自らの企業の生命を自ら絶つ浅はかさは、まさに癌細胞そのままである。

 もとより消費者を裏切り、消費者に害悪を加える企業は不必要な存在だから、さっさと静かに自滅すればよい。

 だが新聞紙上を毎日のごとく登場している企業の不祥事に内包される因は、断定していい。決して特殊・固有、希有のものではない。大なり小なり濃淡はあっても、組織に内包されている共通のものであるといっていい。

 否、人間が元来内包している哀しい性ともいえる。だからひとつ間違えば誰しもやらかしかねない魅惑あふれる誘惑に見える。それはこうした囁き(ささやき)から始まる。「もし露見しなければ、会社も自分もまるまる得ではないか」。

 事実、たぶん露見しなかったら、彼ないし彼女のその行為は、その組織にしたら「勲章モノ」であったはずだ。ガン細胞の組織でも、ガンバル細胞がリーダーになれるのだろうから。

 しかし、1にこの「もし露見しなければ」という片面だけを頼りに、「もし露見したら」というもう一面を行動する際に考慮に入れなかったこと。2に、今回だけは運良く(?)露見せずとも、成功体験は繰り返され拡大化するのが常だから、その露見の確率は右肩上がりで高くなる。つまり、

1に、最初から経営者なりの資質、能力が欠除している、といわざるを得ない。

2に、冒頭に触れた事業の本質、すなわち「事業はお客に役に立って何ぼ、お客に支持されて存立できる」という根本が理解できていない。

 人間として、経営者とか管理者としての資質と常識ができないのである。真企業の論理として、ここで「美しい企業は存続し、醜い企業は死滅する」を挙げておきたい。(続く)