JA6VQA 日々新たに

趣味のアマチュア無線で海外との交信や写真などを中心に、日々感じることを書き綴ってみます。
 

やっとD64KとQSO そして終戦記念日

2012-08-15 10:15:09 | 日記
今回のD64Kは信号も弱くQSO出来ずに終わるかと思いま
したが、昨夜といいますか、日付が変わって、0013Jに
17mSSBでやっとQSOできました。信号は弱くやっと分かる
程度で、呼ぶ局も少なかったので何とか出来ました。
 その10分後に15mCWでQSO.こちらはえらく強い信号で
した。出来るときはこんなもので、あれほど各バンドで
苦労したのが嘘のようです。
 これで何とか坊主で終わらずに良かったですが、目的
の20mCWと12mSSBをなんとしてもやっておきたいと思いま
す。

 さて今日は67回目の終戦記念日。
 昨日までの曇り空が何処かに行き、暑い夏の日差しが
照り輝いております。

 私は当時は5才。戦争そのものの思い出といえば、疎開
していた今は広島県福山市に合併されておりますが、芦品
郡駅家町の橋の下から見ていた福山市がB29の空襲で真っ
赤に燃え上がった空を眺めていた思い出だけです。
 疎開前に住んでいた広島市横川町の前の道を戦車が列を
成して進んでいたのをかすかに記憶しています。
 いまはセピア色に変色した、自宅の玄関前で陸軍の兵士
に抱かれている自分の写真が1枚残っているのが戦争があ
ったのだという記録をとどめるだけです。

 しかし戦争が終わってから、昭和23年に大分市に落ち
着くまでは3、4回の転居、転校があり、戦後の混乱の中
親は苦労したようです。
 今でも思い出すのが、小倉にいた時に母は食べ物を手に
入れるために近郊の農家に買い出しに出かけていたこと。
 とうもろこしの粉で焼いたひ焼きが喉に支えて、食べに
くかったことなど食べることの思い出だけです。
 何もない不自由な時代に小学校時代を過ごしたわけです
が、親の苦労は並大抵ではなかっただろうと、今はなき
両親に感謝感謝です。

 
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