JA6VQA 日々新たに

趣味のアマチュア無線で海外との交信や写真などを中心に、日々感じることを書き綴ってみます。
 

瀧廉太郎の命日

2023-06-29 22:02:38 | 徒然
 夜になってにわか雨が降りましたが、日中は曇っており、気温は30度ほどでした。
 
 今日はの滝廉太郎の命日、没後120年のメモリアル・コンサートに行ってきまし
た。
 このコンサートも7回目でした。
 今日はどちらも大分市出身のテノール紀野 洋孝、ピアノ伴奏平山 麻美のコン
サートで、たっぷり廉太郎のことを勉強しました。
 わずか23年しか生きなかった廉太郎ですが、明治の西洋を学ぼうとしていた
時代、音楽の世界も明治政府の指導で洋楽を取り入れることに必死だった時代、
申し子のように出現したのが廉太郎でした。
 政府命令でドイツ留学を3年延期して、完成させた幼稚園唱歌で、それまでの
西洋楽の替え歌に過ぎなかった難しい音楽に子供たちが歌える西洋音楽を完成さ
せて、ドイツ留学に船出しております。
 平山さんがちょっと面白い話をしていて感動しました。
 それは廉太郎はピアノ曲を2つ残しておりますが、メヌエットの出だしの部分を
ゆっくり弾くと聞いたことのあるメロディになるというのです。実際に弾くのを
聞くと、有名な荒城の月の出だしになるのでした。
 ということはすでに、あのメロディは荒城の月を作曲するより前に、彼のなかに
秘めていたということになる。と解説しておりました。
 廉太郎はドイツの演奏会に行って風邪をひき、当時の最先端のドイツ医学でも
直せなかった結核にかかり、帰国命令で当時両親が住んでいた大分市に帰ってき
ました。
 小学生のころ住んでいたところが、廉太郎の亡くなったところの傍で、中学校
には廉太郎の近しい親戚の先生がいたのを思い出します。
 今度の日曜日には廉太郎が上京する前に住んでいた竹田市で、記念コンサートが
ある予定です。
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