伊藤ファミリーBLOG

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【今日の聖句】 2017/05/24

2017-05-24 06:15:02 | 今日の聖句
詩篇 37:4
「主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。」

キリスト者の喜びの源は、自分が神様の目にどのように映っているか?にあります。正直者が馬鹿を見るこの世の不条理に心を乱されることなく、義人の祈りに必ず答えてくださる主を見上げて喜びに満たされ、ますます御霊の実を結ぶ信仰生活に励む私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.37.4.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/05/23

2017-05-23 07:40:57 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 12:1-5
『そこでヨブは答えて言った、 「まことに、あなたがたのみ、人である、知恵はあなたがたと共に死ぬであろう。 しかしわたしも、あなたがたと同様に悟りをもつ。わたしはあなたがたに劣らない。だれがこのような事を知らないだろうか。 わたしは神に呼ばわって、聞かれた者であるのに、その友の物笑いとなっている。正しく全き人は物笑いとなる。 安らかな者の思いには、不幸な者に対する侮りがあって、足のすべる者を待っている。」』

激しい言葉を浴びせかけてヨブを責めたゾパルに対し、ヨブは、あなたの言い分は誰でも知っている当たり前のことで、人の命のようにやがて廃れゆく人間的な知恵に過ぎない、と答えました。試練の中にあるヨブが嘆きながら求めているのは人の知恵を越えた永遠の真理であるのに、友人たちは自分の知恵をひけらかすばかりで何の慰めにもならない、自分が今、平安であることを誇り、悩みの中にいる人を蔑んでいるのだと語りました。

私たちも時折、恵まれた環境に置かれていることに感謝する心を忘れ、あたかも自分は善人だから神様に祝福されているのだと思い違いしてしまいがちな弱さがあります。私たちクリスチャンが備えるべき品性は、泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜ぶ愛と憐れみの心です。今、悲しんでいる友がいるならば、そっと寄り添って心を一つにし、自分が受けている恵みを分かち合い、慰め励ます者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/job.12.1-5.ja1955

*****

ヨブ記 12:10-16
「すべての生き物の命、およびすべての人の息は彼の手のうちにある。 口が食物を味わうように、耳は言葉をわきまえないであろうか。 老いた者には知恵があり、命の長い者には悟りがある。 知恵と力は神と共にあり、深慮と悟りも彼のものである。 彼が破壊すれば、再び建てることができない。彼が人を閉じ込めれば、開き出すことができない。 彼が水を止めれば、それはかれ、彼が水を出せば、地をくつがえす。 力と深き知恵は彼と共にあり、惑わされる者も惑わす者も彼のものである。」

人が長く生きれば経験値も上がり、知恵と悟りを得ることはあっても、決して人の限界を超えることはできません。この世の歴史を越え、人知の到底及ばないほど深遠なまことの知恵と力は、サタンでさえも恐れ従う他ない天の父なる神様にしかありません。

ヨブはすべてのいのちを握っておられる神様を見上げ、御言葉をわきまえる耳を持つことを望みました。いつかは廃れる人生訓や処世術に頼ることなく、歴史を越えて真実であり続ける神様の御言葉に秘められた真理を深く味わう舌を持ち、心の耳を素直に開いて神様の摂理を聞き分ける知恵を備えさせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.12.10-16.ja1955

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ヨブ記 12:17-25
「彼は議士たちを裸にして連れ行き、さばきびとらを愚かにし、 王たちのきずなを解き、彼らの腰に腰帯を巻き、 祭司たちを裸にして連れ行き、力ある者を滅ぼし、 みずから頼む者たちの言葉を奪い、長老たちの分別を取り去り、 君たちの上に侮りを注ぎ、強い者たちの帯を解き、 暗やみの中から隠れた事どもをあらわし、暗黒を光に引き出し、 国々を大きくし、またこれを滅ぼし、国々を広くし、また捕え行き、 地の民の長たちの悟りを奪い、彼らを道なき荒野にさまよわせ、 光なき暗やみに手探りさせ、酔うた者のようによろめかせる。」

たといこの世の成功者たちが幅を利かせていたとしても、神様の手に掛かれば、政治を司る議員たちも、犯罪を裁く裁判官も、この世を支配する王も、人の道を説く祭司たちも、人々を教え諭す立場にある長老たちも、支配階層、特権階級と呼ばれる人々は皆たちどころに滅ぼされて力を失い、人の知らないところで隠れて行われていた悪事は暴かれ、滅ぼされてしまうとヨブは語りました。

悪が栄えるのは一時の間であり、最後は必ず神の義が世に現されます。苦難の中でヨブが寄り頼んだ神様の真理を自分のものとして受け止め、目の前の現実に心揺らぐことなく、神様の成し遂げられようとする約束の成就を期待して待ち望む私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.12.17-25.ja1955
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【今日の聖句】 2017/05/23

2017-05-23 06:10:34 | 今日の聖句
エレミヤ書 33:2-3
「地を造られた主、それを形造って堅く立たせられた主、その名を主と名のっておられる者がこう仰せられる、 わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。」

エルサレムが今まさにバビロンに滅ぼされようとしていたそのとき、エレミヤは再びエルサレムが復興する日の幻を垣間見ることができました。たとい目の前の現実は厳しくとも、天地万物を造られた主に信頼して疑わず、聖書の御言葉の中に隠されている神様からの啓示を紐解かせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/jer.33.2-3.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/05/22

2017-05-22 07:58:09 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 11:1-4
『そこでナアマびとゾパルは答えて言った、 「言葉が多ければ、答なしにすまされるだろうか。口の達者な人は義とされるだろうか。 あなたのむなしい言葉は人を沈黙させるだろうか。あなたがあざけるとき、人はあなたを恥じさせないだろうか。 あなたは言う、『わたしの教は正しい、わたしは神の目に潔い』と。」』

ヨブを訪ねた他の2人の友とヨブとのやりとりを聞いていたゾパルは、私には罪がないと語るヨブの言葉そのものが罪であると指摘しました。彼の主張は、声高に自己主張する者、口数の多い者、雄弁に清廉潔白を訴える者が義と認められるならば、この世に正義があるだろうかという倫理観に基づくものです。しかし声を大にしてそう語るゾパル本人がもっと罪深いことに、彼は気付いていません。

私たちが陥りやすい過ちは、人の犯した小さな罪には敏感に気付いても、自分の罪には鈍感であることです。「人のふり見て我がふり直せ」との諺の如く、無責任な評論家を気取ることなく、まず自分自身に罪がないかチェックする習慣を身に付ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.11.1-4.ja1955

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ヨブ記 11:5-9
「どうぞ神が言葉を出し、あなたにむかってくちびるを開き、 知恵の秘密をあなたに示されるように。神はさまざまの知識をもたれるからである。それであなたは知るがよい、神はあなたの罪よりも軽くあなたを罰せられることを。 あなたは神の深い事を窮めることができるか。全能者の限界を窮めることができるか。 それは天よりも高い、あなたは何をなしうるか。それは陰府よりも深い、あなたは何を知りうるか。 その量は地よりも長く、海よりも広い。」

ゾパルがとくとくと語った神様の知恵の深遠さは決して間違いではなく、むしろ正論です。しかしそのような真理はヨブもよくよく知っていたことです。正論を吐いて自分の義を世に示そうとする自己顕示欲もまた、私たちの犯しやすい過ちの一つです。釈迦に説法、孔子に論語、との諺の如く、かえって己の愚かさを広く知らしめて恥をかくことのないよう、語るに遅く、無言の善い行いを通して誉れを得る私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.11.5-9.ja1955

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ヨブ記 11:13-17
「もしあなたが心を正しくするならば、神に向かって手を伸べるであろう。 もしあなたの手に不義があるなら、それを遠く去れ、あなたの天幕に悪を住まわせてはならない。 そうすれば、あなたは恥じることなく顔をあげることができ、堅く立って、恐れることはない。 あなたは苦しみを忘れ、あなたのこれを覚えることは、流れ去った水のようになる。 そしてあなたの命は真昼よりも光り輝き、たとい暗くても朝のようになる。」

心の正しい者は神様に向かって手を伸べ顔を上げることができると語ったゾパルの言葉は、当たり前のことを言っているに過ぎません。本人は大真面目であったとしても、単なる自己主張は端から見ていて滑稽ですが、私たちはこのような愚かさを平気で行っていることの実に多いことを覚えます。厚顔無恥な行為により恥をかくことのないよう、慎みの霊により己を律する私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.11.13-17.ja1955

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ヨブ記 11:18-20
「あなたは望みがあるゆえに安んじ、保護されて安らかにいこうことができる。 あなたは伏してやすみ、あなたを恐れさせるものはない。多くの者はあなたの好意を求めるであろう。 しかし悪しき者の目は衰える。彼らは逃げ場を失い、その望みは息の絶えるにひとしい」。

正しい者には神のご加護があり、希望と平安に満ちた日々を過ごすことができるが、悪しき者は衰え、逃げ場もなく希望も失せてしまうという因果応報の考え方は、実に人間的で浅薄な思想に過ぎず、なぜ正しい人が苦しみに遭わなければならないのか、というヨブの終始一貫した問いかけの答えに全くなっていません。

真の解決は、この世の根底に脈々と流れる神様の摂理を知ることの他にありません。私たちには生ける神様の御言葉である聖書が与えられていることを感謝し、この福音の真理を人々に広く宣べ伝える者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/job.11.18-20.ja1955
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【今日の聖句】 2017/05/22

2017-05-22 06:40:26 | 今日の聖句
詩篇 100:5
「主は恵みふかく、そのいつくしみはかぎりなく、そのまことはよろず代に及ぶからである。」

たとい私たちが不真実であっても、主は歴史のはじめから世の終わりまで真実を尽くしてくださるお方です。昨日も今日もいつまでも変わることなく恵み深く慈しみ豊かであられる神様に感謝を捧げ、心から主の御名をほめたたえる私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.100.5.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/05/21

2017-05-21 06:40:02 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 10:1-2, 6-7
「わたしは自分の命をいとう。わたしは自分の嘆きを包まず言いあらわし、わが魂の苦しみによって語ろう。 わたしは神に申そう、わたしを罪ある者とされないように。なぜわたしと争われるかを知らせてほしい。

あなたはなにゆえわたしのとがを尋ね、わたしの罪を調べられるのか。 あなたはわたしの罪のないことを知っておられる。またあなたの手から救い出しうる者はない。」

特に思い当たる罪もないのに突然にして幸福な生活を奪われ重い皮膚病に全身を冒されたヨブは、あまりの悲しみと苦しみに耐えかねて、何故自分がこのような目に遭わなければならないのか教えてくださいと、魂の底から叫びます。神様、あなたは私が罪など犯していないことをよくご存じでしょう、私を救い出すことができるのは神様の他にいないのですと信仰告白し、神様に解決を求めました。

私たちが苦しみに遭うとき、自分自身に問題解決を求めてしまいやすいものですが、全能者なる神様にすべてを委ね、主よ何故ですかと心の叫びを申し上げて、解決の糸口を神様に求めさせていただくことのできるさいわいに与りたいと願います。

http://bible.com/81/job.10.1-2,6-7.ja1955

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ヨブ記 10:8-9
「あなたの手はわたしをかたどり、わたしを作った。ところが今あなたはかえって、わたしを滅ぼされる。 どうぞ覚えてください、あなたは土くれをもってわたしを作られた事を。ところが、わたしをちりに返そうとされるのか。」

神様が土から最初の人アダムを造られたように、私自身を形作られたのは神様、あなたであるのに、どうして私を滅ぼして元の土に返そうとするのですか、とヨブは問いかけました。私たちは神様の手による作品なのですから、自分の思い通りに人生を送るのではなく、どのような用いられ方をするのか、陶器師なる主にすべてを委ねなければなりません。

http://bible.com/81/job.10.8-9.ja1955

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ヨブ記 10:14-15, 17
「わたしがもし罪を犯せば、あなたはわたしに目をつけて、わたしを罪から解き放されない。 わたしがもし悪ければわたしはわざわいだ。たといわたしが正しくても、わたしは頭を上げることができない。わたしは恥に満ち、悩みを見ているからだ。

あなたは証人を入れ替えてわたしを攻め、わたしにむかってあなたの怒りを増し、新たに軍勢を出してわたしを攻められる。」

もし私が罪を犯していたのならば、自分では正しいと思っていても神様の御前に頭を上げることなどできるはずもなく、災いだと告白します。友人たちから入れ替わり立ち替わり責められたヨブは、自分は彼らがでっち上げた無実の罪で神様から責められているのではないかと苦悩を打ち明けます。ヨブの友人たちのように人を裁くならば、私たちは神様の御前に冤罪を作り出し、自ら偽証人となってしまいますから、決してそのようなことのないよう注意しなければなりません。

http://bible.com/81/job.10.14-15,17.ja1955

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ヨブ記 10:18-20
「なにゆえあなたはわたしを胎から出されたか、わたしは息絶えて目に見られることなく、 胎から墓に運ばれて、初めからなかった者のようであったなら、よかったのに。 わたしの命の日はいくばくもないではないか。どうぞ、しばしわたしを離れて、少しく慰めを得させられるように。」

主が与え、主が取られたのだと信仰告白したヨブでさえ、自分の人生の意義を見失ってしまうと、いっそこの世に生まれてこなければよかったのに、と思うようになってしまいます。しかし死ねばすべて問題解決するわけではありません。死は絶望であって、決して慰めではありません。真の慰めは神様を見上げて生きる希望の中にあります。

http://bible.com/81/job.10.18-20.ja1955
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【今日の聖句】 2017/05/21

2017-05-21 05:30:48 | 今日の聖句
コリント人への第一の手紙 6:19-20
「あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。」

キリストの十字架により購われた私たちは、罪の奴隷から解放されると同時に、神の所有とされたのです。この身体わがものと思わず、聖霊を宿す宮に相応しいきよさと品性を備え、自分の欲望のためにではなく神様のために尊く用いていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/1co.6.19-20.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/05/20

2017-05-20 07:10:44 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 9:1-4
『ヨブは答えて言った、 「まことにわたしは、その事のそのとおりであることを知っている。しかし人はどうして神の前に正しくありえようか。 よし彼と争おうとしても、千に一つも答えることができない。 彼は心賢く、力強くあられる。だれが彼にむかい、おのれをかたくなにして、栄えた者があるか。」』

神様は罪のない者を裁かれない正しいお方であると主張するビルダデに対し、そんなことは私もよく知っているとヨブは反論します。更にヨブは、人の正しさは神の義に優ることがないと答えました。だからこそ人は神様に対して言い開きをしても何一つ反論できないのです。

神様に向かい、自分の方が正しいと主張して逆らうことは愚かなことです。しかし世の人々はこの真理に気付かず、自分本位の考え方で自己正当化しようとします。義なる神様の御前に心を頑なにしてこのような過ちを犯すことのないよう、主の御前に遜ることを学ばせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.9.1-4.ja1955

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ヨブ記 9:10, 12, 14-15
「彼が大いなる事をされることは測りがたく、不思議な事をされることは数知れない。

見よ、彼が奪い去られるのに、だれが彼をはばむことができるか。だれが彼にむかって『あなたは何をするのか』と言うことができるか。

どうしてわたしは彼に答え、言葉を選んで、彼と議論することができよう。 たといわたしは正しくても答えることができない。わたしを責められる者にあわれみを請わなければならない。」

神様のなさる御業はまことに不思議で、人知をはるかに越えた奇跡をも、いとも簡単に成し遂げられます。私たち人間には神様のなさることを止める力などありません。ですから私たちは自分に試練や苦しみが降りかかっても、神様のなさるすべてのことをそのまま受け入れ、自らの正義を主張することなく、主の憐れみを乞い求めるしかありません。

どうして私がこんな目に遭わなければならないのか?と思うのは、自分には何の非もないと自己主張している証拠です。自分には理解できなくとも、納得できなくとも、神様のなさることには間違いがないと信じてありのまま受け入れ、この苦難を乗り越える力を与えてくださいと神様の憐れみを乞い求めさせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.9.10,12,14-15.ja1955

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ヨブ記 9:20-22
「たといわたしは正しくても、わたしの口はわたしを罪ある者とする。たといわたしは罪がなくても、彼はわたしを曲った者とする。 わたしは罪がない、しかしわたしは自分を知らない。わたしは自分の命をいとう。 皆同一である。それゆえ、わたしは言う、『彼は罪のない者と、悪しき者とを共に滅ぼされるのだ』と。」

神様から撃たれたヨブに何かしら罪があるはずだと責め立てる友人たちに対し、ヨブは自分の身の潔白を訴えますが、同時に、たとい自分では正しいと思っていても、自分の知らない罪に気付くことはできないと、自らの無知を告白します。何の罪のない者が故なく悪しき者と共に滅ぼされるのは、自分の罪に気付かないからです。

神様がいるならばどうして災害や戦争などで多くの人々が死ななければならないのか、といって神様を信じようとしない人々がいますが、そもそもそのような考え方自体が神様を認めようとしない罪、自分が正しくて神様が間違っていると反抗する罪なのです。これが単なるヒューマニズムの限界です。天地万物を統べ治められるまことの神様を知る私たちは、このような人間的な考え方に陥ることのないように注意しなければなりません。

http://bible.com/81/job.9.20-22.ja1955

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ヨブ記 9:28-29, 32-35
「わたしはわがもろもろの苦しみを恐れる。あなたがわたしを罪なき者とされないことをわたしは知っているからだ。 わたしは罪ある者とされている。どうして、いたずらに労する必要があるか。

神はわたしのように人ではないゆえ、わたしは彼に答えることができない。われわれは共にさばきに臨むことができない。 われわれの間には、われわれふたりの上に手を置くべき仲裁者がない。 どうか彼がそのつえをわたしから取り離し、その怒りをもって、わたしを恐れさせられないように。 そうすれば、わたしは語って、彼を恐れることはない。わたしはみずからそのような者ではないからだ。」

裁判では自分一人で自ら罪のないことを立証することはできません。ヨブの罪をあれこれ指摘する友たちに対し、ヨブは自らの身の潔白を立証してくれる仲裁者がいてくれたらよいのに、そうすれば私は神様の前に立って正々堂々と無罪を主張できるのにと嘆きました。

ヨブの嘆きは、私たちには不要です。なぜなら私たちには最高の弁護者であられる主イエス様が共にいてくださるからです。そして神様の御前に無罪を主張するだけでなく、サタンが私たちの知らない証拠をもって責め立てても、イエス様ご自身がその身代わりに十字架についたのだと、最後の切り札となる完全な証拠を提示して弁護してくださいますから、私たちは何者も恐れる必要はありません。このイエス様の御臨在に心から感謝し、どんな試練や迫害をも耐え忍ぶ力とさせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.9.28-29,32-35.ja1955
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【今日の聖句】 2017/05/20

2017-05-20 06:05:07 | 今日の聖句
ヨハネによる福音書 8:12
『イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。』

世の光として来られたイエス様は、夜の闇を切り裂く太陽のようにこの世を明るく照らします。この主イエス様に従って光の中を歩み、再び罪に陥ることなく、永遠のいのちの輝きを放たせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/jhn.8.12.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/05/19

2017-05-19 07:50:54 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 8:1-2
『時にシュヒびとビルダデが答えて言った、 「いつまであなたは、そのような事を言うのか。あなたの口の言葉は荒い風ではないか。」』

エリパズの言葉に反論し、自分には罪がないと主張するヨブに、もう2人目の友ビルダデが口を開き、更に激しい言葉でヨブに反論しました。近年ネット上で頻発する「炎上」のように、売り言葉に買い言葉のような形で議論をエスカレートさせることは、実に愚かな過ちです。虚しい論戦に時間と労力を無駄遣いすることなく、本質的に価値のある神の摂理を尋ね求めることに注力する私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.8.1-2.ja1955

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ヨブ記 8:3-7
「神は公義を曲げられるであろうか。全能者は正義を曲げられるであろうか。 あなたの子たちが彼に罪を犯したので、彼らをそのとがの手に渡されたのだ。 あなたがもし神に求め、全能者に祈るならば、 あなたがもし清く、正しくあるならば、彼は必ずあなたのために立って、あなたの正しいすみかを栄えさせられる。 あなたの初めは小さくあっても、あなたの終りは非常に大きくなるであろう。」

ビルダデの主張は、正義を行われる神様に間違いなどないのだから災いを受けたヨブの息子たちに何らかの罪があったはずである、だから神に祈り求めなさい、そうすればあなたはきよく正しくあって祝福を受けるだろう、ということです。しかしヨブが今まで子どもたちのために毎年欠かさずしてきたこと、すなわち、もしかしたら誰かが罪を犯してしまったかもしれないと案じて、一人一人のために燔祭を捧げてきたことを知っているならば、ビルダデの主張こそ何の根拠もない決め付けに過ぎないことは明白です。

私たちは時折、事実や経過を詳しく調べもせず、現状や結果だけを見て、見当違いな判断を下してしまい易いものです。そのような過ちを犯してしまわぬよう、人の視点ではなく神様の視点に立って事実関係を慎重に見極め、主の御心に適う公明正大な価値基準で物事を判断する習慣を身に付けさせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/job.8.3-7.ja1955

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ヨブ記 8:8-10
「先の代の人に問うてみよ、先祖たちの尋ねきわめた事を学べ。 われわれはただ、きのうからあった者で、何も知らない、われわれの世にある日は、影のようなものである。 彼らはあなたに教え、あなたに語り、その悟りから言葉を出さないであろうか。」

ビルダデのもう一つの間違いは、過去の先人たちの経験に頼る前例主義であったことです。確かに過去の歴史から学び、同じ失敗を繰り返さないようにすることは大切なことですが、それがすべて正しいとは限りません。イエス様が最も忌み嫌われたことは、神様の戒めを差し置いて人の教えと過去の習慣で人々をがんじがらめに縛り付けていた律法学者やパリサイ人たちの教えでした。まさにビルダデはパリサイ人たちと同じことをヨブに要求していたのです。

私たちも聖書を単なる歴史書、人生訓として読むならば、ビルダデやパリサイ人たちと同じになってしまいます。神様のなさることは、人と状況に応じてダイナミックに変化しますから、都度、神様の御心を尋ね求め、歴史の始めから終わりまで一貫して変わらない真理を追究する姿勢を保つことが肝要です。

http://bible.com/81/job.8.8-10.ja1955

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ヨブ記 8:13-14, 16-19
「すべて神を忘れる者の道はこのとおりだ。神を信じない者の望みは滅びる。 その頼むところは断たれ、その寄るところは、くもの巣のようだ。

彼は日の前に青々と茂り、その若枝を園にはびこらせ、 その根を石塚にからませ、岩の間に生きていても、 もしその所から取り除かれれば、その所は彼を拒んで言うであろう、『わたしはあなたを見たことがない』と。 見よ、これこそ彼の道の喜びである、そしてほかの者が地から生じるであろう。」

ビルダデは、ヨブの身に起こった様々な災いは、悪しき者たちの束の間の繁栄と裁きのようであり、祝福を奪われ、他の人に与えられ、神様から見捨てられたのだと宣告しました。突然の試練に遭って悩み苦しんでいる人に向かってこのような残酷な言葉を浴びせかけるとは、いかにビルダデが憐れみの心のない冷淡な現実主義者であったかを物語っています。神様の愛と慈しみを知る私たちは、決してビルダデのような愛の冷え切った者になってはなりません。

http://bible.com/81/job.8.13-14,16-19.ja1955

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ヨブ記 8:20-22
「見よ、神は全き人を捨てられない。また悪を行う者の手を支持されない。 彼は笑いをもってあなたの口を満たし、喜びの声をもってあなたのくちびるを満たされる。 あなたを憎む者は恥を着せられ、悪しき者の天幕はなくなる」。

神様の御言葉に聞き従う全き人は神様から見捨てられず、神様に聞き従わない悪しき者は退けられると語ったビルダデの言葉は、決して間違いではありません。しかし善人は喜びと祝福で満たされ、悪人は嫌われ罰を受けるという単なる勧善懲悪の考え方は、神様を知らない者でも誰でも知っている人類共通の概念です。これらはすべて、表面的にしか神様を理解できない者の考え方に過ぎません。ビルダデに欠けていたものは、神様の本質である愛です。神様を心から求めるならば、私たちはその本質である愛を知り、憐れみと慈しみの心を身に付けることができます。

http://bible.com/81/job.8.20-22.ja1955
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【今日の聖句】 2017/05/19

2017-05-19 06:35:12 | 今日の聖句
詩篇 119:9
「若い人はどうしておのが道を清く保つことができるでしょうか。み言葉にしたがって、それを守るよりほかにありません。」

人生経験の少ない若者であっても、御言葉に聞き従って守り行うならば、神様に喜ばれるきよい生涯を送ることができます。人の知恵や経験の寄せ集めに過ぎないこの世の処世術に頼らず、天地万物を統べ治められる神様の御言葉なる聖書を人生の規範として実践する私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.119.9.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/05/18

2017-05-18 07:55:17 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 7:3-6
「わたしは、むなしい月を持たせられ、悩みの夜を与えられる。 わたしは寝るときに言う、『いつ起きるだろうか』と。しかし夜は長く、暁までころびまわる。 わたしの肉はうじと土くれとをまとい、わたしの皮は固まっては、またくずれる。 わたしの日は機のひよりも速く、望みをもたずに消え去る。」

ヨブの苦しみは昼起きているときだけでなく、夜寝ている間も続きました。悩みの夜は昼よりも長く感じられます。昼夜絶え間なく続く苦しみに耐えかね、ヨブは生きる希望さえ失ってしまいました。そんな今のヨブに本当に必要なものは、慰めと信頼です。しかしヨブの友は彼を一方的に断罪し、更に悩みを増し加えてしまいました。私たちもまた、あら探しするかのように人の罪をあげつらって、独善的に裁いてはいないかと反省させられます。私たちクリスチャンのなすべきことは、自分を愛するように隣人を愛することです。

http://bible.com/81/job.7.3-6.ja1955

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ヨブ記 7:7-11
「記憶せよ、わたしの命は息にすぎないことを。わたしの目は再び幸を見ることがない。 わたしを見る者の目は、かさねてわたしを見ることがなく、あなたがわたしに目を向けられても、わたしはいない。 雲が消えて、なくなるように、陰府に下る者は上がって来ることがない。 彼は再びその家に帰らず、彼の所も、もはや彼を認めない。 それゆえ、わたしはわが口をおさえず、わたしの霊のもだえによって語り、わたしの魂の苦しさによって嘆く。」

神様は人にいのちの息を吹き込まれて、生きる者とされたと創世記にあります。そのことをヨブは思い起こしつつ、息に過ぎないいのちの儚さを感じています。ヨブが今、口を開いて語っているのは、心の底から出てくる魂の叫びです。雲がわき起こっては消えるかのように束の間の夢のような私たちの生涯なのに、人は何故苦しみに遭わなければならないのだろうかと嘆くヨブの問いかけは、すべての人にとって永遠の課題であり、答えはそのとにには見つかりません。

私たちも人生の中で試練を通過させられるとき、生きる目的を見失ってしまい、ヨブと同じ叫びを口にするときがあるでしょう。しかし人の視点からは決して答えは見つかりません。なぜなら人生の目的は、神様の視点に立たなければ到底理解することができないものだからです。私たちの手元に神の御言葉である聖書が与えられ、読むことができることはさいわいです。聖書を通して神様の摂理を知り、泡沫に過ぎないこの世の人生を送る意義と目的を発見させていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.7.7-11.ja1955

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ヨブ記 7:15-19
「それゆえ、わたしは息の止まることを願い、わが骨よりもむしろ死を選ぶ。 わたしは命をいとう。わたしは長く生きることを望まない。わたしに構わないでください。わたしの日は息にすぎないのだから。 人は何者なので、あなたはこれを大きなものとし、これにみ心をとめ、 朝ごとに、これを尋ね、絶え間なく、これを試みられるのか。 いつまで、あなたはわたしに目を離さず、つばをのむまも、わたしを捨てておかれないのか。」

生きる目的を見出せず、喜びも希望も完全に失ってしまったヨブは、神様が息を引き取ってくださることを切望します。人は何者なのでこれを御心に留められるのですか?という神様への問いかけは、喜びのときも、悲しみのときも、感じずにはおられない自然な想いです。人には神様を思う心が与えられており、神様でしか満たすことのできない心の隙間があることの証拠です。この隙間を人の欲望で満たそうとするサタンに奪われてはなりません。ヨブの飢え渇く心が神様に向かっていることはさいわいです。私たちもまたこの世の快楽や栄華、誉れなどで心を満たそうとするのではなく、神様を直接、飢え渇くように慕い求めさせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/job.7.15-19.ja1955

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ヨブ記 7:20-21
「人を監視される者よ、わたしが罪を犯したとて、あなたに何をなしえようか。なにゆえ、わたしをあなたの的とし、わたしをあなたの重荷とされるのか。 なにゆえ、わたしのとがをゆるさず、わたしの不義を除かれないのか。わたしはいま土の中に横たわる。あなたがわたしを尋ねられても、わたしはいないでしょう」。

何の罪も犯していないはずなのに、どうして自分が神様の攻撃の標的にされてしまったのでしょうかと、ヨブの問いかけは神様に向かいます。そして身の潔白を訴えると共に、もし自分が罪を犯したとしても、人は神様に向かって何もすることができない無力な者ですと、ヨブは自分の身の程をよく知っていました。「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」との諺のごとく、人が神様に向かって抵抗することは、全くもって愚かなことです。ですから私たちは、神様に向かって罪を悔い改め、許していただく必要があるのです。

ヨブがかつて、もしかしたら自分の知らないところで罪を犯していたかもしれないと神様に向かって燔祭を捧げることを常としていたように、私たちも常日頃から罪に対して鈍感になることなく、たとい自分の身に覚えがなくとも、きよめを求め、罪の赦しを求め続ける者でありたいと願います。

http://bible.com/81/job.7.20-21.ja1955
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【今日の聖句】 2017/05/18

2017-05-18 06:15:37 | 今日の聖句
箴言 21:3
「正義と公平を行うことは、犠牲にもまさって主に喜ばれる。」

神様はこの地を正しく治めるために人を造られたのですから、正義と公平を行うことは何よりも主に喜ばれることです。神様が造られた素晴らしい世界を御心に適う地としての秩序を保つために、愛と義と平和を実践して、神様から託された使命を果たす私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.21.3.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/05/17

2017-05-17 08:10:37 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 6:1-4
『ヨブは答えて言った、 「どうかわたしの憤りが正しく量られ、同時にわたしの災も、はかりにかけられるように。 そうすれば、これは海の砂よりも重いに相違ない。それゆえ、わたしの言葉が軽率であったのだ。 全能者の矢が、わたしのうちにあり、わたしの霊はその毒を飲み、神の恐るべき軍勢が、わたしを襲い攻めている。」』

ヨブが災いに遭ったのは何かしら罪があるはずだと責め立てたエリパズにヨブは反論して、自分の受けている苦しみと災いを正しく評価してほしいと訴えます。心から畏れ忠実に仕える神様から責め立てられていることは、筆舌に尽くせないほどの重い苦しみだとヨブは答えます。

私たちもまた、自分の受けている苦しみを言い表す言葉が見つからないと感じることがあります。そのような心の嘆き苦しみを誰よりもよく知ってくださるのが聖霊なる神様です。言葉に言い表せない切なるうめきをもって、私たちのことを主の御前に執り成してくださる聖霊様が私たちの内に住んでくださっていることを心から感謝いたします。

http://bible.com/81/job.6.1-4.ja1955

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ヨブ記 6:8-11
「どうかわたしの求めるものが獲られるように。どうか神がわたしの望むものをくださるように。 どうか神がわたしを打ち滅ぼすことをよしとし、み手を伸べてわたしを断たれるように。 そうすれば、わたしはなお慰めを得、激しい苦しみの中にあっても喜ぶであろう。わたしは聖なる者の言葉を否んだことがないからだ。 わたしにどんな力があって、なお待たねばならないのか。わたしにどんな終りがあるので、なお耐え忍ばねばならないのか。」

自分には何の思い当たる節も見あたらないのに神様から災いを受けているヨブは、今まで私は神様に聞き従わなかったことは一度もなかったと証言しました。その上で、この苦しみから逃れることができるように私の命を取ってくださいと神様に願い求めているのです。なぜならたとえ生きることに絶望し、これ以上は耐えられないと思ったとしても、人には主の御許しなしに自分の命を絶つ力など与えられていないからです。

ヨブの求めは決して自殺願望ではありません。人にいのちを与え、また取られるのは神様のみに許された領域のことで、人には自ら命を絶つ権利はないと語るヨブの言葉を、私たちは正しく受け止め、安易に死を求めることなど決してしてはなりません。

http://bible.com/81/job.6.8-11.ja1955

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ヨブ記 6:13-14, 21
「まことに、わたしのうちに助けはなく、救われる望みは、わたしから追いやられた。 その友に対するいつくしみをさし控える者は、全能者を恐れることをすてる。

あなたがたは今わたしにはこのような者となった。あなたがたはわたしの災難を見て恐れた。」

ヨブは再度自分の受けた苦しみを語った上で、ヨブを慰めに来たはずの友人たちから心ない断罪の言葉を浴びせかけられたことを嘆きました。元々は愛から出た好意が、情け容赦ない裁きへとかたちを変えてしまうのは、その愛が単なる人間愛、ヒューマニズムから出たものだからです。

私たちクリスチャンが犯してしまい過ちは、正義ばかりに目が行って、神の愛から目を離してしまうことです。慈しみと憐れみに富む神の愛は、決して人を裁きません。自己中心の正義感に駆り立てられることのないよう、常に神の愛で心を満たされ、唇をきよめていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.6.13-14,21.ja1955

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ヨブ記 6:24-26, 29-30
「わたしに教えよ、そうすればわたしは黙るであろう。わたしの誤っている所をわたしに悟らせよ。 正しい言葉はいかに力のあるものか。しかしあなたがたの戒めは何を戒めるのか。 あなたがたは言葉を戒めうると思うのか。望みの絶えた者の語ることは風のようなものだ。

どうぞ、思いなおせ、まちがってはならない。さらに思いなおせ、わたしの義は、なおわたしのうちにある。 わたしの舌に不義があるか。わたしの口は災をわきまえることができぬであろうか。」

ヨブが災いに遭ったのは罪があるからだと裁いたエリパズの言葉に、私に罪があるならば指摘してみよと問い質し、愛のない正論など何の価値も力もない空論だと反論しました。エリパズはヨブが罪を犯した確たる証拠を持たずに、人間的な因果応報の考え方を持ち込んで、一方的にヨブを断罪したことが誤りの始まりでした。

イエス様は、神の義を振り回して平気で人を裁くパリサイ人や律法学者たちに、人の目から塵を取り除こうとする前に、まず自分の目から梁を取り除けと戒められました。私たちもまた愛で満たされていないと、人を正しく見る目が曇ってしまいます。神の義と共に神の愛と憐れみで心を満たしていただき、人を裁くことなく、慰めとゆるしの言葉を語ることのできるよう整えていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.6.24-26,29-30.ja1955
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【今日の聖句】 2017/05/17

2017-05-17 06:50:33 | 今日の聖句
詩篇 119:10
「わたしは心をつくしてあなたを尋ね求めます。わたしをあなたの戒めから迷い出させないでください。」

汚れた罪人に過ぎない私たちが主の戒めを守ることは決して容易ではなく、聖霊なる神様の助けによらなければ主の守りの御手の内からすぐに迷い出てしまいます。心を尽くして主を尋ね求め、罪の世にあってきよい生涯を保たせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.119.10.ja1955
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