ヨブ記 10:1-2, 6-7
「わたしは自分の命をいとう。わたしは自分の嘆きを包まず言いあらわし、わが魂の苦しみによって語ろう。 わたしは神に申そう、わたしを罪ある者とされないように。なぜわたしと争われるかを知らせてほしい。
…
あなたはなにゆえわたしのとがを尋ね、わたしの罪を調べられるのか。 あなたはわたしの罪のないことを知っておられる。またあなたの手から救い出しうる者はない。」
特に思い当たる罪もないのに突然にして幸福な生活を奪われ重い皮膚病に全身を冒されたヨブは、あまりの悲しみと苦しみに耐えかねて、何故自分がこのような目に遭わなければならないのか教えてくださいと、魂の底から叫びます。神様、あなたは私が罪など犯していないことをよくご存じでしょう、私を救い出すことができるのは神様の他にいないのですと信仰告白し、神様に解決を求めました。
私たちが苦しみに遭うとき、自分自身に問題解決を求めてしまいやすいものですが、全能者なる神様にすべてを委ね、主よ何故ですかと心の叫びを申し上げて、解決の糸口を神様に求めさせていただくことのできるさいわいに与りたいと願います。
http://bible.com/81/job.10.1-2,6-7.ja1955
*****
ヨブ記 10:8-9
「あなたの手はわたしをかたどり、わたしを作った。ところが今あなたはかえって、わたしを滅ぼされる。 どうぞ覚えてください、あなたは土くれをもってわたしを作られた事を。ところが、わたしをちりに返そうとされるのか。」
神様が土から最初の人アダムを造られたように、私自身を形作られたのは神様、あなたであるのに、どうして私を滅ぼして元の土に返そうとするのですか、とヨブは問いかけました。私たちは神様の手による作品なのですから、自分の思い通りに人生を送るのではなく、どのような用いられ方をするのか、陶器師なる主にすべてを委ねなければなりません。
http://bible.com/81/job.10.8-9.ja1955
*****
ヨブ記 10:14-15, 17
「わたしがもし罪を犯せば、あなたはわたしに目をつけて、わたしを罪から解き放されない。 わたしがもし悪ければわたしはわざわいだ。たといわたしが正しくても、わたしは頭を上げることができない。わたしは恥に満ち、悩みを見ているからだ。
…
あなたは証人を入れ替えてわたしを攻め、わたしにむかってあなたの怒りを増し、新たに軍勢を出してわたしを攻められる。」
もし私が罪を犯していたのならば、自分では正しいと思っていても神様の御前に頭を上げることなどできるはずもなく、災いだと告白します。友人たちから入れ替わり立ち替わり責められたヨブは、自分は彼らがでっち上げた無実の罪で神様から責められているのではないかと苦悩を打ち明けます。ヨブの友人たちのように人を裁くならば、私たちは神様の御前に冤罪を作り出し、自ら偽証人となってしまいますから、決してそのようなことのないよう注意しなければなりません。
http://bible.com/81/job.10.14-15,17.ja1955
*****
ヨブ記 10:18-20
「なにゆえあなたはわたしを胎から出されたか、わたしは息絶えて目に見られることなく、 胎から墓に運ばれて、初めからなかった者のようであったなら、よかったのに。 わたしの命の日はいくばくもないではないか。どうぞ、しばしわたしを離れて、少しく慰めを得させられるように。」
主が与え、主が取られたのだと信仰告白したヨブでさえ、自分の人生の意義を見失ってしまうと、いっそこの世に生まれてこなければよかったのに、と思うようになってしまいます。しかし死ねばすべて問題解決するわけではありません。死は絶望であって、決して慰めではありません。真の慰めは神様を見上げて生きる希望の中にあります。
http://bible.com/81/job.10.18-20.ja1955
「わたしは自分の命をいとう。わたしは自分の嘆きを包まず言いあらわし、わが魂の苦しみによって語ろう。 わたしは神に申そう、わたしを罪ある者とされないように。なぜわたしと争われるかを知らせてほしい。
…
あなたはなにゆえわたしのとがを尋ね、わたしの罪を調べられるのか。 あなたはわたしの罪のないことを知っておられる。またあなたの手から救い出しうる者はない。」
特に思い当たる罪もないのに突然にして幸福な生活を奪われ重い皮膚病に全身を冒されたヨブは、あまりの悲しみと苦しみに耐えかねて、何故自分がこのような目に遭わなければならないのか教えてくださいと、魂の底から叫びます。神様、あなたは私が罪など犯していないことをよくご存じでしょう、私を救い出すことができるのは神様の他にいないのですと信仰告白し、神様に解決を求めました。
私たちが苦しみに遭うとき、自分自身に問題解決を求めてしまいやすいものですが、全能者なる神様にすべてを委ね、主よ何故ですかと心の叫びを申し上げて、解決の糸口を神様に求めさせていただくことのできるさいわいに与りたいと願います。
http://bible.com/81/job.10.1-2,6-7.ja1955
*****
ヨブ記 10:8-9
「あなたの手はわたしをかたどり、わたしを作った。ところが今あなたはかえって、わたしを滅ぼされる。 どうぞ覚えてください、あなたは土くれをもってわたしを作られた事を。ところが、わたしをちりに返そうとされるのか。」
神様が土から最初の人アダムを造られたように、私自身を形作られたのは神様、あなたであるのに、どうして私を滅ぼして元の土に返そうとするのですか、とヨブは問いかけました。私たちは神様の手による作品なのですから、自分の思い通りに人生を送るのではなく、どのような用いられ方をするのか、陶器師なる主にすべてを委ねなければなりません。
http://bible.com/81/job.10.8-9.ja1955
*****
ヨブ記 10:14-15, 17
「わたしがもし罪を犯せば、あなたはわたしに目をつけて、わたしを罪から解き放されない。 わたしがもし悪ければわたしはわざわいだ。たといわたしが正しくても、わたしは頭を上げることができない。わたしは恥に満ち、悩みを見ているからだ。
…
あなたは証人を入れ替えてわたしを攻め、わたしにむかってあなたの怒りを増し、新たに軍勢を出してわたしを攻められる。」
もし私が罪を犯していたのならば、自分では正しいと思っていても神様の御前に頭を上げることなどできるはずもなく、災いだと告白します。友人たちから入れ替わり立ち替わり責められたヨブは、自分は彼らがでっち上げた無実の罪で神様から責められているのではないかと苦悩を打ち明けます。ヨブの友人たちのように人を裁くならば、私たちは神様の御前に冤罪を作り出し、自ら偽証人となってしまいますから、決してそのようなことのないよう注意しなければなりません。
http://bible.com/81/job.10.14-15,17.ja1955
*****
ヨブ記 10:18-20
「なにゆえあなたはわたしを胎から出されたか、わたしは息絶えて目に見られることなく、 胎から墓に運ばれて、初めからなかった者のようであったなら、よかったのに。 わたしの命の日はいくばくもないではないか。どうぞ、しばしわたしを離れて、少しく慰めを得させられるように。」
主が与え、主が取られたのだと信仰告白したヨブでさえ、自分の人生の意義を見失ってしまうと、いっそこの世に生まれてこなければよかったのに、と思うようになってしまいます。しかし死ねばすべて問題解決するわけではありません。死は絶望であって、決して慰めではありません。真の慰めは神様を見上げて生きる希望の中にあります。
http://bible.com/81/job.10.18-20.ja1955