ヨブ記 14:1-3, 5-6
「女から生れる人は日が短く、悩みに満ちている。 彼は花のように咲き出て枯れ、影のように飛び去って、とどまらない。 あなたはこのような者にさえ目を開き、あなたの前に引き出して、さばかれるであろうか。
…
その日は定められ、その月の数もあなたと共にあり、あなたがその限りを定めて、越えることのできないようにされたのだから、 彼から目をはなし、手をひいてください。そうすれば彼は雇人のように、その日を楽しむことができるでしょう。」
理由もわからずに試練の中に落ち込んだヨブは、人の人生の空しさを語ります。人のいのちには限りがあって、光陰矢の如し、世界の歴史と比べたらほんの束の間に過ぎません。そのような瞬きのようにわずかな人生でも、神様は見過ごすことなく御前に引き出して裁かれるのですかと神様に問いかけ、こんな取るに足らない人の生涯など見過ごしてください、そうすれば宵越しの金は持たない日雇い労働者のように、明日のことは考えずその日一日を存分に楽しんで生きるでしょうと語りました。
私たちもまたヨブのように、将来に対する漠然とした不安にさいなまれて生きています。この世の空しさを感じるとき、自暴自棄になって、今さえよければと、この世の快楽に溺れて不安から逃れようとする人もいます。しかし神様はそのような人のことも決して忘れることなく、一人一人御心に留めてじっと見つめておられます。たとい束の間の生涯であったとしても、私たちは神様の御許しの内に生かされていることを忘れることなく、自分の人生に込められた神様の御心を尋ね求めて従う者でありたいと願います。
http://bible.com/81/job.14.1-3,5-6.ja1955
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ヨブ記 14:7-13
「木には望みがある。たとい切られてもまた芽をだし、その若枝は絶えることがない。 たといその根が地の中に老い、その幹が土の中に枯れても、 なお水の潤いにあえば芽をふき、若木のように枝を出す。 しかし人は死ねば消えうせる。息が絶えれば、どこにおるか。 水が湖から消え、川がかれて、かわくように、 人は伏して寝、また起きず、天のつきるまで、目ざめず、その眠りからさまされない。 どうぞ、わたしを陰府にかくし、あなたの怒りのやむまで、潜ませ、わたしのために時を定めて、わたしを覚えてください。」
ヨブは人の不条理な人生と対比させて、見た目は枯れてしまった木のようであっても、再び芽を出し葉を茂らせる若枝のような希望を持つことができると羨望のまなざしを傾けました。そして人は一度死んでしまったら再び生き返ることができないと、空しさを覚えて嘆きました。
しかし地中に埋もれた木の根が脈々と流れる地下水脈から水を得るように、いのちの御言葉につながっていれば、私たちもまた枯れた切り株のような現状から再び若枝を吹き、生きる力を得ることができます。目に見える地上の現実に心を奪われることなく、人の目には隠された神様の摂理に目を留めて力を得る私たちでありますように。
http://bible.com/81/job.14.7-13.ja1955
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ヨブ記 14:14-17
「人がもし死ねば、また生きるでしょうか。わたしはわが服役の諸日の間、わが解放の来るまで待つでしょう。 あなたがお呼びになるとき、わたしは答えるでしょう。あなたはみ手のわざを顧みられるでしょう。 その時あなたはわたしの歩みを数え、わたしの罪を見のがされるでしょう。 わたしのとがは袋の中に封じられ、あなたはわたしの罪を塗りかくされるでしょう。」
復活の望みと十字架の福音が知らされていなかった旧約聖書時代の世界観では、人は死ねばそれで終わり、その生き様に従って裁かれるまででした。しかしヨブは、先の章で神と人との間に立つ仲裁者を求めたように、罪の購いと赦しを求めました。これは人の罪を赦すためにやがて来られるキリストを見上げる信仰の告白です。私たちには既にこの福音が知らされているのですから、ヨブのようにこの世の苦難をただ嘆くだけで終わることなく、キリストを見上げて希望を抱き、苦難の日々を乗り越えさせていただいただきたいと願います。
http://bible.com/81/job.14.14-17.ja1955
「女から生れる人は日が短く、悩みに満ちている。 彼は花のように咲き出て枯れ、影のように飛び去って、とどまらない。 あなたはこのような者にさえ目を開き、あなたの前に引き出して、さばかれるであろうか。
…
その日は定められ、その月の数もあなたと共にあり、あなたがその限りを定めて、越えることのできないようにされたのだから、 彼から目をはなし、手をひいてください。そうすれば彼は雇人のように、その日を楽しむことができるでしょう。」
理由もわからずに試練の中に落ち込んだヨブは、人の人生の空しさを語ります。人のいのちには限りがあって、光陰矢の如し、世界の歴史と比べたらほんの束の間に過ぎません。そのような瞬きのようにわずかな人生でも、神様は見過ごすことなく御前に引き出して裁かれるのですかと神様に問いかけ、こんな取るに足らない人の生涯など見過ごしてください、そうすれば宵越しの金は持たない日雇い労働者のように、明日のことは考えずその日一日を存分に楽しんで生きるでしょうと語りました。
私たちもまたヨブのように、将来に対する漠然とした不安にさいなまれて生きています。この世の空しさを感じるとき、自暴自棄になって、今さえよければと、この世の快楽に溺れて不安から逃れようとする人もいます。しかし神様はそのような人のことも決して忘れることなく、一人一人御心に留めてじっと見つめておられます。たとい束の間の生涯であったとしても、私たちは神様の御許しの内に生かされていることを忘れることなく、自分の人生に込められた神様の御心を尋ね求めて従う者でありたいと願います。
http://bible.com/81/job.14.1-3,5-6.ja1955
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ヨブ記 14:7-13
「木には望みがある。たとい切られてもまた芽をだし、その若枝は絶えることがない。 たといその根が地の中に老い、その幹が土の中に枯れても、 なお水の潤いにあえば芽をふき、若木のように枝を出す。 しかし人は死ねば消えうせる。息が絶えれば、どこにおるか。 水が湖から消え、川がかれて、かわくように、 人は伏して寝、また起きず、天のつきるまで、目ざめず、その眠りからさまされない。 どうぞ、わたしを陰府にかくし、あなたの怒りのやむまで、潜ませ、わたしのために時を定めて、わたしを覚えてください。」
ヨブは人の不条理な人生と対比させて、見た目は枯れてしまった木のようであっても、再び芽を出し葉を茂らせる若枝のような希望を持つことができると羨望のまなざしを傾けました。そして人は一度死んでしまったら再び生き返ることができないと、空しさを覚えて嘆きました。
しかし地中に埋もれた木の根が脈々と流れる地下水脈から水を得るように、いのちの御言葉につながっていれば、私たちもまた枯れた切り株のような現状から再び若枝を吹き、生きる力を得ることができます。目に見える地上の現実に心を奪われることなく、人の目には隠された神様の摂理に目を留めて力を得る私たちでありますように。
http://bible.com/81/job.14.7-13.ja1955
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ヨブ記 14:14-17
「人がもし死ねば、また生きるでしょうか。わたしはわが服役の諸日の間、わが解放の来るまで待つでしょう。 あなたがお呼びになるとき、わたしは答えるでしょう。あなたはみ手のわざを顧みられるでしょう。 その時あなたはわたしの歩みを数え、わたしの罪を見のがされるでしょう。 わたしのとがは袋の中に封じられ、あなたはわたしの罪を塗りかくされるでしょう。」
復活の望みと十字架の福音が知らされていなかった旧約聖書時代の世界観では、人は死ねばそれで終わり、その生き様に従って裁かれるまででした。しかしヨブは、先の章で神と人との間に立つ仲裁者を求めたように、罪の購いと赦しを求めました。これは人の罪を赦すためにやがて来られるキリストを見上げる信仰の告白です。私たちには既にこの福音が知らされているのですから、ヨブのようにこの世の苦難をただ嘆くだけで終わることなく、キリストを見上げて希望を抱き、苦難の日々を乗り越えさせていただいただきたいと願います。
http://bible.com/81/job.14.14-17.ja1955