伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2017/05/18

2017-05-18 07:55:17 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 7:3-6
「わたしは、むなしい月を持たせられ、悩みの夜を与えられる。 わたしは寝るときに言う、『いつ起きるだろうか』と。しかし夜は長く、暁までころびまわる。 わたしの肉はうじと土くれとをまとい、わたしの皮は固まっては、またくずれる。 わたしの日は機のひよりも速く、望みをもたずに消え去る。」

ヨブの苦しみは昼起きているときだけでなく、夜寝ている間も続きました。悩みの夜は昼よりも長く感じられます。昼夜絶え間なく続く苦しみに耐えかね、ヨブは生きる希望さえ失ってしまいました。そんな今のヨブに本当に必要なものは、慰めと信頼です。しかしヨブの友は彼を一方的に断罪し、更に悩みを増し加えてしまいました。私たちもまた、あら探しするかのように人の罪をあげつらって、独善的に裁いてはいないかと反省させられます。私たちクリスチャンのなすべきことは、自分を愛するように隣人を愛することです。

http://bible.com/81/job.7.3-6.ja1955

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ヨブ記 7:7-11
「記憶せよ、わたしの命は息にすぎないことを。わたしの目は再び幸を見ることがない。 わたしを見る者の目は、かさねてわたしを見ることがなく、あなたがわたしに目を向けられても、わたしはいない。 雲が消えて、なくなるように、陰府に下る者は上がって来ることがない。 彼は再びその家に帰らず、彼の所も、もはや彼を認めない。 それゆえ、わたしはわが口をおさえず、わたしの霊のもだえによって語り、わたしの魂の苦しさによって嘆く。」

神様は人にいのちの息を吹き込まれて、生きる者とされたと創世記にあります。そのことをヨブは思い起こしつつ、息に過ぎないいのちの儚さを感じています。ヨブが今、口を開いて語っているのは、心の底から出てくる魂の叫びです。雲がわき起こっては消えるかのように束の間の夢のような私たちの生涯なのに、人は何故苦しみに遭わなければならないのだろうかと嘆くヨブの問いかけは、すべての人にとって永遠の課題であり、答えはそのとにには見つかりません。

私たちも人生の中で試練を通過させられるとき、生きる目的を見失ってしまい、ヨブと同じ叫びを口にするときがあるでしょう。しかし人の視点からは決して答えは見つかりません。なぜなら人生の目的は、神様の視点に立たなければ到底理解することができないものだからです。私たちの手元に神の御言葉である聖書が与えられ、読むことができることはさいわいです。聖書を通して神様の摂理を知り、泡沫に過ぎないこの世の人生を送る意義と目的を発見させていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.7.7-11.ja1955

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ヨブ記 7:15-19
「それゆえ、わたしは息の止まることを願い、わが骨よりもむしろ死を選ぶ。 わたしは命をいとう。わたしは長く生きることを望まない。わたしに構わないでください。わたしの日は息にすぎないのだから。 人は何者なので、あなたはこれを大きなものとし、これにみ心をとめ、 朝ごとに、これを尋ね、絶え間なく、これを試みられるのか。 いつまで、あなたはわたしに目を離さず、つばをのむまも、わたしを捨てておかれないのか。」

生きる目的を見出せず、喜びも希望も完全に失ってしまったヨブは、神様が息を引き取ってくださることを切望します。人は何者なのでこれを御心に留められるのですか?という神様への問いかけは、喜びのときも、悲しみのときも、感じずにはおられない自然な想いです。人には神様を思う心が与えられており、神様でしか満たすことのできない心の隙間があることの証拠です。この隙間を人の欲望で満たそうとするサタンに奪われてはなりません。ヨブの飢え渇く心が神様に向かっていることはさいわいです。私たちもまたこの世の快楽や栄華、誉れなどで心を満たそうとするのではなく、神様を直接、飢え渇くように慕い求めさせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/job.7.15-19.ja1955

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ヨブ記 7:20-21
「人を監視される者よ、わたしが罪を犯したとて、あなたに何をなしえようか。なにゆえ、わたしをあなたの的とし、わたしをあなたの重荷とされるのか。 なにゆえ、わたしのとがをゆるさず、わたしの不義を除かれないのか。わたしはいま土の中に横たわる。あなたがわたしを尋ねられても、わたしはいないでしょう」。

何の罪も犯していないはずなのに、どうして自分が神様の攻撃の標的にされてしまったのでしょうかと、ヨブの問いかけは神様に向かいます。そして身の潔白を訴えると共に、もし自分が罪を犯したとしても、人は神様に向かって何もすることができない無力な者ですと、ヨブは自分の身の程をよく知っていました。「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」との諺のごとく、人が神様に向かって抵抗することは、全くもって愚かなことです。ですから私たちは、神様に向かって罪を悔い改め、許していただく必要があるのです。

ヨブがかつて、もしかしたら自分の知らないところで罪を犯していたかもしれないと神様に向かって燔祭を捧げることを常としていたように、私たちも常日頃から罪に対して鈍感になることなく、たとい自分の身に覚えがなくとも、きよめを求め、罪の赦しを求め続ける者でありたいと願います。

http://bible.com/81/job.7.20-21.ja1955
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【今日の聖句】 2017/05/18

2017-05-18 06:15:37 | 今日の聖句
箴言 21:3
「正義と公平を行うことは、犠牲にもまさって主に喜ばれる。」

神様はこの地を正しく治めるために人を造られたのですから、正義と公平を行うことは何よりも主に喜ばれることです。神様が造られた素晴らしい世界を御心に適う地としての秩序を保つために、愛と義と平和を実践して、神様から託された使命を果たす私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.21.3.ja1955
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