詩篇 39:1-3
『わたしは言った、「舌をもって罪を犯さないために、わたしの道を慎み、悪しき者のわたしの前にある間はわたしの口にくつわをかけよう」と。 わたしは黙して物言わず、むなしく沈黙を守った。しかし、わたしの悩みはさらにひどくなり、 わたしの心はわたしのうちに熱し、思いつづけるほどに火が燃えたので、わたしは舌をもって語った。』
「沈黙は金、雄弁は銀」との諺の如く、愚かな言葉を語るよりは黙して語らぬ方が益です。しかし黙っているうちに必ずしも事が好転するわけでもなく、忍耐の限界を超えてしまうことがあります。そのようなとき、誰か周囲の人々に向かって怒りを爆発させてしまっては元も子もありません。自分の努力では抑えきれない感情を、人にではなく主なる神様に向かって吐露することのできるさいわいに感謝いたします。
http://bible.com/81/psa.39.1-3.ja1955
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詩篇 39:4-6
「主よ、わが終りと、わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせてください。 見よ、あなたはわたしの日をつかのまとされました。わたしの一生はあなたの前では無にひとしいのです。まことに、すべての人はその盛んな時でも息にすぎません。[セラ まことに人は影のように、さまよいます。まことに彼らはむなしい事のために騒ぎまわるのです。彼は積みたくわえるけれども、だれがそれを収めるかを知りません。」
私たちの人生は長いように見えて、人類の歴史から見たらほんの束の間、誤差の範囲に過ぎません。しかし私たちはそのような絶対的なスケールを持っているのではなく、自分という相対的な物差しで物事を捉えがちです。そのようなとき、歴史の始まる以前から確かに存在される神様の視点で私たちは自分を見つめ直すことが肝要です。やがてこの世のいのち尽きるときに、この世の宝はすべて置いて行かなければなりません。たとい悪しき偽り者どもがこの世で幅を利かせたとしても、その繁栄もまた束の間であると知るとき、朽ちず錆びず虫も喰わない永遠の宝を天に積むことのできる私たちはなんとさいわいなことでしょうか。
http://bible.com/81/psa.39.4-6.ja1955
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詩篇 39:7-9, 12-13
「主よ、今わたしは何を待ち望みましょう。わたしの望みはあなたにあります。 わたしをすべてのとがから助け出し、愚かな者にわたしをあざけらせないでください。 わたしは黙して口を開きません。あなたがそれをなされたからです。
…
主よ、わたしの祈を聞き、わたしの叫びに耳を傾け、わたしの涙を見て、もださないでください。わたしはあなたに身を寄せる旅びと、わがすべての先祖たちのように寄留者です。 わたしが去って、うせない前に、み顔をそむけて、わたしを喜ばせてください」。
私たちの望みはこの世にではなく神様にあります。他の何者も待ち望む必要はありません。私たちのすべてをご存じであられる神様が共にいてくださるのですから、私たちはただ黙して語る必要はないのです。人に対して口を開く前に主に向かって祈り、すべての悩みを打ち明けてこの世のものとは異なる平安をいただく私たちでありますように。
http://bible.com/81/psa.39.7-9,12-13.ja1955
『わたしは言った、「舌をもって罪を犯さないために、わたしの道を慎み、悪しき者のわたしの前にある間はわたしの口にくつわをかけよう」と。 わたしは黙して物言わず、むなしく沈黙を守った。しかし、わたしの悩みはさらにひどくなり、 わたしの心はわたしのうちに熱し、思いつづけるほどに火が燃えたので、わたしは舌をもって語った。』
「沈黙は金、雄弁は銀」との諺の如く、愚かな言葉を語るよりは黙して語らぬ方が益です。しかし黙っているうちに必ずしも事が好転するわけでもなく、忍耐の限界を超えてしまうことがあります。そのようなとき、誰か周囲の人々に向かって怒りを爆発させてしまっては元も子もありません。自分の努力では抑えきれない感情を、人にではなく主なる神様に向かって吐露することのできるさいわいに感謝いたします。
http://bible.com/81/psa.39.1-3.ja1955
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詩篇 39:4-6
「主よ、わが終りと、わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせてください。 見よ、あなたはわたしの日をつかのまとされました。わたしの一生はあなたの前では無にひとしいのです。まことに、すべての人はその盛んな時でも息にすぎません。[セラ まことに人は影のように、さまよいます。まことに彼らはむなしい事のために騒ぎまわるのです。彼は積みたくわえるけれども、だれがそれを収めるかを知りません。」
私たちの人生は長いように見えて、人類の歴史から見たらほんの束の間、誤差の範囲に過ぎません。しかし私たちはそのような絶対的なスケールを持っているのではなく、自分という相対的な物差しで物事を捉えがちです。そのようなとき、歴史の始まる以前から確かに存在される神様の視点で私たちは自分を見つめ直すことが肝要です。やがてこの世のいのち尽きるときに、この世の宝はすべて置いて行かなければなりません。たとい悪しき偽り者どもがこの世で幅を利かせたとしても、その繁栄もまた束の間であると知るとき、朽ちず錆びず虫も喰わない永遠の宝を天に積むことのできる私たちはなんとさいわいなことでしょうか。
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詩篇 39:7-9, 12-13
「主よ、今わたしは何を待ち望みましょう。わたしの望みはあなたにあります。 わたしをすべてのとがから助け出し、愚かな者にわたしをあざけらせないでください。 わたしは黙して口を開きません。あなたがそれをなされたからです。
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主よ、わたしの祈を聞き、わたしの叫びに耳を傾け、わたしの涙を見て、もださないでください。わたしはあなたに身を寄せる旅びと、わがすべての先祖たちのように寄留者です。 わたしが去って、うせない前に、み顔をそむけて、わたしを喜ばせてください」。
私たちの望みはこの世にではなく神様にあります。他の何者も待ち望む必要はありません。私たちのすべてをご存じであられる神様が共にいてくださるのですから、私たちはただ黙して語る必要はないのです。人に対して口を開く前に主に向かって祈り、すべての悩みを打ち明けてこの世のものとは異なる平安をいただく私たちでありますように。
http://bible.com/81/psa.39.7-9,12-13.ja1955