詩篇 27:1
「主はわたしの光、わたしの救だ、わたしはだれを恐れよう。主はわたしの命のとりでだ。わたしはだれをおじ恐れよう。」
やがて滅びる肉体を殺しても魂まで滅ぼすことのできない人など、恐るるに足りません。肉体も魂も永遠の滅びに投げ入れる権威のあるお方を恐れるべきです。この世の主権者、まことの王なる主を畏れ敬い、わが光、いのちの砦として寄り頼み、いかなる恐れにも打ち勝つ私たちでありますように。
http://bible.com/81/psa.27.1.ja1955
*****
詩篇 27:2-3
「わたしのあだ、わたしの敵である悪を行う者どもが、襲ってきて、わたしをそしり、わたしを攻めるとき、彼らはつまずき倒れるであろう。 たとい軍勢が陣営を張って、わたしを攻めても、わたしの心は恐れない。たといいくさが起って、わたしを攻めても、なおわたしはみずから頼むところがある。」
たとい全世界が敵となっても、人々から取り囲まれて責め立てられても、自ら寄り頼むことのできるお方がいることは、なんとさいわいでしょうか。しかもそのお方が主であるならば、どれほど心強く頼もしいことでしょうか。私たちは決して一人ではありません。スリヤの軍勢に包囲されたエリシャの従者が、霊の目が開かれて主の軍勢に取り囲まれ守られている状況を見たように、私たちを決して見捨てず、常に共におられる万軍の主に信頼する絶対的な安心感を得る私たちでありますように。
http://bible.com/81/psa.27.2-3.ja1955
*****
詩篇 27:4-6
「わたしは一つの事を主に願った、わたしはそれを求める。わたしの生きるかぎり、主の家に住んで、主のうるわしきを見、その宮で尋ねきわめることを。 それは主が悩みの日に、その仮屋のうちにわたしを潜ませ、その幕屋の奥にわたしを隠し、岩の上にわたしを高く置かれるからである。 今わたしのこうべはわたしをめぐる敵の上に高くあげられる。それゆえ、わたしは主の幕屋で喜びの声をあげて、いけにえをささげ、歌って、主をほめたたえるであろう。」
まことの神を信じる私たちの究極の幸せとは、永遠に主の宮に住まい、主を求めて礼拝し、常に讃美を捧げ、御言葉に秘められた真理を尋ね極めることです。誰にも邪魔されずに主にのみ心を傾けることができるならば、なんとさいわいな日々でしょうか。その願いが叶うのは、やがて天の御国に入れられたときです。この世に住む私たちはその前振れ、先取りの恵みとして、教会で聖徒たちと共に礼拝を捧げ、心を合わせて讃美を捧げる恵みに与っています。私たちの捧げる礼拝が、心からの喜びであるようにと祈り願います。
http://bible.com/81/psa.27.4-6.ja1955
*****
詩篇 27:11, 13-14
「主よ、あなたの道をわたしに教え、わたしのあだのゆえに、わたしを平らかな道に導いてください。
…
わたしは信じます、生ける者の地でわたしは主の恵みを見ることを。 主を待ち望め、強く、かつ雄々しくあれ。主を待ち望め。」
主を待ち望む者は、強く、また雄々しくあって、主が平坦にされた義の王道を、真っ直ぐに歩み続けることができます。この世のあらゆるところに主の恵みを垣間見ることのできるさいわいに感謝し、信仰という盤石な土台の上に、いかなる脅威にも動じない、揺るぎない信仰生活を送らせていただく私たちでありますように。
http://bible.com/81/psa.27.11,13-14.ja1955
「主はわたしの光、わたしの救だ、わたしはだれを恐れよう。主はわたしの命のとりでだ。わたしはだれをおじ恐れよう。」
やがて滅びる肉体を殺しても魂まで滅ぼすことのできない人など、恐るるに足りません。肉体も魂も永遠の滅びに投げ入れる権威のあるお方を恐れるべきです。この世の主権者、まことの王なる主を畏れ敬い、わが光、いのちの砦として寄り頼み、いかなる恐れにも打ち勝つ私たちでありますように。
http://bible.com/81/psa.27.1.ja1955
*****
詩篇 27:2-3
「わたしのあだ、わたしの敵である悪を行う者どもが、襲ってきて、わたしをそしり、わたしを攻めるとき、彼らはつまずき倒れるであろう。 たとい軍勢が陣営を張って、わたしを攻めても、わたしの心は恐れない。たといいくさが起って、わたしを攻めても、なおわたしはみずから頼むところがある。」
たとい全世界が敵となっても、人々から取り囲まれて責め立てられても、自ら寄り頼むことのできるお方がいることは、なんとさいわいでしょうか。しかもそのお方が主であるならば、どれほど心強く頼もしいことでしょうか。私たちは決して一人ではありません。スリヤの軍勢に包囲されたエリシャの従者が、霊の目が開かれて主の軍勢に取り囲まれ守られている状況を見たように、私たちを決して見捨てず、常に共におられる万軍の主に信頼する絶対的な安心感を得る私たちでありますように。
http://bible.com/81/psa.27.2-3.ja1955
*****
詩篇 27:4-6
「わたしは一つの事を主に願った、わたしはそれを求める。わたしの生きるかぎり、主の家に住んで、主のうるわしきを見、その宮で尋ねきわめることを。 それは主が悩みの日に、その仮屋のうちにわたしを潜ませ、その幕屋の奥にわたしを隠し、岩の上にわたしを高く置かれるからである。 今わたしのこうべはわたしをめぐる敵の上に高くあげられる。それゆえ、わたしは主の幕屋で喜びの声をあげて、いけにえをささげ、歌って、主をほめたたえるであろう。」
まことの神を信じる私たちの究極の幸せとは、永遠に主の宮に住まい、主を求めて礼拝し、常に讃美を捧げ、御言葉に秘められた真理を尋ね極めることです。誰にも邪魔されずに主にのみ心を傾けることができるならば、なんとさいわいな日々でしょうか。その願いが叶うのは、やがて天の御国に入れられたときです。この世に住む私たちはその前振れ、先取りの恵みとして、教会で聖徒たちと共に礼拝を捧げ、心を合わせて讃美を捧げる恵みに与っています。私たちの捧げる礼拝が、心からの喜びであるようにと祈り願います。
http://bible.com/81/psa.27.4-6.ja1955
*****
詩篇 27:11, 13-14
「主よ、あなたの道をわたしに教え、わたしのあだのゆえに、わたしを平らかな道に導いてください。
…
わたしは信じます、生ける者の地でわたしは主の恵みを見ることを。 主を待ち望め、強く、かつ雄々しくあれ。主を待ち望め。」
主を待ち望む者は、強く、また雄々しくあって、主が平坦にされた義の王道を、真っ直ぐに歩み続けることができます。この世のあらゆるところに主の恵みを垣間見ることのできるさいわいに感謝し、信仰という盤石な土台の上に、いかなる脅威にも動じない、揺るぎない信仰生活を送らせていただく私たちでありますように。
http://bible.com/81/psa.27.11,13-14.ja1955