伊藤ファミリーBLOG

「緑のgoo!」のテンプレートに変えてみました!
(注:コメントスパム・TBスパムは予告なく削除させていただきます)

昨日の失敗から学んだこと

2016-06-20 20:35:36 | クリスチャン
昨日から、ミニ・コンサートで思うように賛美できなかった失敗の原因をいろいろと思い巡らしていました。まだ完全に考えがまとまったわけではないですが、学ばされたことを忘れないうちに書き残しておきたいと思います。


まず、何のために賛美を歌ったのか? 賛美は本来、神様の素晴らしさをほめたたえるための音楽です。では昨日の自分は本当に神様をほめたたえるために賛美を歌ったのだろうか? どこか雑念というか、思い違いというか、目的が違っていなかったか?

たとえば、手に入れたばかりのギターのお披露目というか、自慢したい心がなかったか? あるいは自分にはこんな賜物があるとの自己顕示欲に駆られていなかったか?


あるいは、誰のために賛美を歌ったのだろうか? 神様のため、聞く人たちのため、それとも自己満足のため?

昨日は父の日ということで、一緒に出演した子どもたちは、お父さんに喜んでもらうために一生懸命練習して演奏していました。だから、たとえ多少音を外してしまっても、お父さんにとっては何よりのプレゼントになったはずです。では私の賛美は? 父なる神様に喜んでもらいたい一心で賛美していただろうか?

あがってしまう、というのは人の目を気にしている何よりの証拠。人前で演奏するということで、神様の目よりも人の目を気にしていなかっただろうか?


それから昨日の自分の信仰の状態はどうだっただろうか? 聞く人が聞けば、賛美を聴くだけでその人の信仰状態が手に取るようにわかってしまうことを、私は知っています。昨日の私の賛美は、どのように聞こえていただろうか? 賛美を人前で歌うことで心が占有されてしまい、神様に対する感謝の心で満たされていなかったのではないか?


…などなど、賛美に対する姿勢を今一度吟味する必要があると反省させられています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【COGHCC聖書通読】 2016/06/20

2016-06-20 07:43:59 | 一日一章・聖書通読日記
レビ記 21:1-4
「主はまたモーセに言われた、「アロンの子なる祭司たちに告げて言いなさい、『民のうちの死人のために、身を汚す者があってはならない。 ただし、近親の者、すなわち、父、母、むすこ、娘、兄弟のため、 また彼の近親で、まだ夫のない処女なる姉妹のためには、その身を汚してもよい。 しかし、夫にとついだ姉妹のためには、身を汚してはならない。」

神様はモーセを通してアロンとその子孫に、神様に仕える祭司に要求されるきよさの基準を示されました。祭司は家族以外の死人に触れて汚れてはならないとの教えは、死はアダムの犯した罪が人間にもたらしたものであるという考え方に基づきます。罪に近付いた者は汚れた者と見なされるため、神様の御側近くで奉仕することなどできないという理由です。

それゆえ死はいのちの源であられる神様に相応しくないもの、神様が忌み嫌われる罪の結果と信じられてきました。この教えを忠実に守った祭司の姿が、イエス様が語られたよきサマリヤ人の譬にも出てくるほど徹底されました。これほどまでに神様に仕える者のきよくあるべきことが示されています。私たちもまた神様に仕える僕として罪汚れから遠ざかり、きよい生活を貫く者でありたいと願います。

http://bible.com/81/lev.21.1-4.ja1955

*****

レビ記 21:5-6
「彼らは頭の頂をそってはならない。ひげの両端をそり落してはならない。また身に傷をつけてはならない。 彼らは神に対して聖でなければならない。また神の名を汚してはならない。彼らは主の火祭、すなわち、神の食物をささげる者であるから、聖でなければならない。」

昔から王の給仕役や料理長は、王に最も信頼される者が務めてきました。これは創世記のヨセフ物語やネヘミヤ記にも記されています。同じことが神様に食事を捧げる役目を負った祭司にも要求されたのです。聖なる神様の御側近くに仕える祭司は、最も神様から信頼される者であり、きよい者でなければなりません。

私たちもまた、きよくないままで神様に近付くことのないように、神様の御名を汚すようなことのないように、普段の日常生活の態度から特に注意を払いたいと思います。

http://bible.com/81/lev.21.5-6.ja1955

*****

レビ記 21:7-8
「彼らは遊女や汚れた女をめとってはならない。また夫に出された女をめとってはならない。祭司は神に対して聖なる者だからである。 あなたは彼を聖としなければならない。彼はあなたの神の食物をささげる者だからである。彼はあなたにとって聖なる者でなければならない。あなたがたを聖とする主、すなわち、わたしは聖なる者だからである。」

祭司は結婚に対しても厳格な規定を設けられました。なぜなら結婚によって家系が決まるからです。神の民であるイスラエルは結婚において民族のアイデンティティーを堅く守り、更に祭司はイスラエル民族の中でも最も厳格な家系を保ちました。それは祭司はアロンの家系に基づく世襲制であり、結婚においても神様の御前に汚れることのないようにとの意図です。神の民とされた私たちもまた、結婚において信仰のアイデンティティーを保つことを大切にしたいと思います。

http://bible.com/81/lev.21.7-8.ja1955

*****

レビ記 21:9
「祭司の娘である者が、淫行をなして、その身を汚すならば、その父を汚すのであるから、彼女を火で焼かなければならない。」

これは祭司たちにとって最も厳格な教えです。祭司は子どもの教育においても責任を持たなければなりませんでした。自分の子どもを火に焼いて捧げてはならないとおっしゃった愛なる神様が、姦淫の罪に汚れた娘を焼き捨てなさいと命じられたのは、いかに祭司がきよくあるべきこと、家系において一点の汚れもないようにきよさを保たなければならないことを教えたものです。

私たちも心の中に罪汚れがないか、罪と妥協する心がないか、今一度点検し、罪と汚れから無縁のきよさを保つ者でありたいと願います。

http://bible.com/81/lev.21.9.ja1955

*****

レビ記 21:10-12
「その兄弟のうち、頭に注ぎ油を注がれ、職に任ぜられて、その衣服をつけ、大祭司となった者は、その髪の毛を乱してはならない。またその衣服を裂いてはならない。 死人のところに、はいってはならない。また父のためにも母のためにも身を汚してはならない。 また聖所から出てはならない。神の聖所を汚してはならない。その神の注ぎ油による聖別が、彼の上にあるからである。わたしは主である。」

祭司の中でも大祭司として任命された者は、いと聖なる神様の最も御側近くに仕える大祭司にふさわしく行動し、たとい自分の両親といえども死人に触れて汚れてはならないと戒められました。神様のきよさと、この世の罪汚れとは、隔ての幕によって完全に分断されなければなりませんでした。それほどまでに神様は聖なるお方であり、また大祭司が仕える至聖所もいかに聖なるものであるかがわかります。

レビ記20章からのテーマは聖別です。私たちも主イエスの十字架によって、きよい者としてこの世から分断されました。いと聖なる神様に仕える者の一人として自らを聖別し、きよさを保つ者でありたいと願います。

http://bible.com/81/lev.21.10-12.ja1955

*****

レビ記 21:16-17
「主はまたモーセに言われた、 「アロンに告げて言いなさい、『あなたの代々の子孫で、だれでも身にきずのある者は近寄って、神の食物をささげてはならない。」

ここから先は、身体障害書に対する差別と思われるような記述が続くと見なされるかもしれません。しかし聖書の本質は差別ではなく区別です。神様に仕える職業としての職能条件であり、決して身体障害者を門前払いする意図ではないことを読み違えてはなりません。

http://bible.com/81/lev.21.16-17.ja1955

*****

レビ記 21:21-23
「すべて祭司アロンの子孫のうち、身にきずのある者は近寄って、主の火祭をささげてはならない。彼は身にきずがあるから、神の食物をささげるために、近寄ってはならない。 彼は神の食物の聖なる物も、最も聖なる物も食べることができる。 ただし、垂幕に近づいてはならない。また祭壇に近寄ってはならない。身にきずがあるからである。彼はわたしの聖所を汚してはならない。わたしはそれを聖別する主である』」。

先ほど祭司の職能に対する要件だと説明しましたが、神様は身体障害者を差別されてはいないことは、この箇所から明らかにわかります。祭司職は代々世襲制でしたから、遺伝的に、あるいは後天的に身体障害者となる可能性があります。しかし神様は、祭司としての職業に就かなくても、その食物すなわち生活の糧は用意してくださる愛と憐れみに富んだお方です。当時は現代よりも身体障害者に対する差別が激しかったことを考えると、これは本当に驚くべき慈愛の心です。私たちは神様の御心を字面だけで表面的に判断してはなりません。

http://bible.com/81/lev.21.21-23.ja1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【今日の聖句】 2016/06/20

2016-06-20 06:38:59 | 今日の聖句
歴代志上 16:34
「主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。」

恵みと慈しみに富む神様に感謝することこそ、私たちが神様に対して表すことのできる最上級の捧げものです。心の底から神様に感謝し、思いの限りを尽くして主の御名を讃美する私たちでありますように。

http://bible.com/81/1ch.16.34.ja1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする