レビ記 8:1-5
『主はまたモーセに言われた、 「あなたはアロンとその子たち、およびその衣服、注ぎ油、罪祭の雄牛、雄羊二頭、種入れぬパン一かごを取り、 また全会衆を会見の幕屋の入口に集めなさい」。 モーセは主が命じられたようにした。そして会衆は会見の幕屋の入口に集まった。 そこでモーセは会衆にむかって言った、「これは主があなたがたにせよと命じられたことである」。』
モーセはイスラエル全会衆を会見の幕屋の前に集め、神様とすべての民との前でアロンとその子たちを祭司職とする任職式を執り行いました。人の罪を赦していただくために様々な祭儀をもって神様にとりなす祭司は、神様と人々とから公式に認められなければなかったからです。
新約の時代において、クリスチャンは世の罪を神様の御前にとりなす祭司に匹敵する使命を帯びています。私たちもまた神様と人々から神の僕と認められるようなきよい存在でありたいと願います。
http://bible.com/81/lev.8.1-5.ja1955
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レビ記 8:6-9
「そしてモーセはアロンとその子たちを連れてきて、水で彼らを洗い清め、 アロンに服を着させ、帯をしめさせ、衣をまとわせ、エポデを着けさせ、エポデの帯をしめさせ、それをもってエポデを身に結いつけ、 また胸当を着けさせ、その胸当にウリムとトンミムを入れ、 その頭に帽子をかぶらせ、その帽子の前に金の板、すなわち聖なる冠をつけさせた。主がモーセに命じられたとおりである。」
モーセは神様から示された通りに祭司の任職式を行いました。この後の箇所に記された任職式の手順は、ことごとく「主がモーセに命じられたとおりである」と締めくくられています。すべてのことを神様の命じられた通りに行うことが、神の僕たる者に相応しいことです。なぜなら任職式や様々な祭儀の手順の一つ一つに、神様の御心と知恵と恵みが秘められているからです。
神様の御言葉通りに生きることは、時に面倒くさいことがあります。少しくらい省いてもよいのではないかと思うこともあるでしょう。しかし人間の側の都合で神様の定めを守らないならば、それではせっかくの神様の恵みは台無しになってしまいます。神様の愛と憐れみ、知恵と祝福を余すことなくこの身に受けるために、御言葉を忠実に守り行う私たちでありますように。
http://bible.com/81/lev.8.6-9.ja1955
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レビ記 8:33-36
『「あなたがたはその任職祭の終る日まで七日の間、会見の幕屋の入口から出てはならない。あなたがたの任職は七日を要するからである。 きょう行ったように、あなたがたのために、あがないをせよ、と主はお命じになった。 あなたがたは会見の幕屋の入口に七日の間、日夜とどまり、主の仰せを守って、死ぬことのないようにしなければならない。わたしはそのように命じられたからである」。 アロンとその子たちは主がモーセによってお命じになったことを、ことごとく行った。』
祭司の任職式は7日間にわたって執り行われ、その間アロンとその子たちは会見の幕屋の入口の中に留まり続けました。7は聖書では完全を表す数字です。罪に汚れた人間が罪購われ、神様の御前にきよい者として覚えられるためには、神様の命じられた通りに、完全に、徹底して、きよめの儀式を行い続ける必要があったのです。
私たちもまた神様の御前にきよい者となるためには、罪を断ち切り、罪から完全に隔絶されて神様の御前に留まり続け、徹底して御言葉を守り行うことが必要とされます。罪をきよめることができるのは、自分の努力ではなく、実に神様の恵みによるものです。この世の誘惑や罪の惑わしを自らの意志で断ち切り、神様の御前に進み出てきよめを求める私たちでありますように。
http://bible.com/81/lev.8.33-36.ja1955
『主はまたモーセに言われた、 「あなたはアロンとその子たち、およびその衣服、注ぎ油、罪祭の雄牛、雄羊二頭、種入れぬパン一かごを取り、 また全会衆を会見の幕屋の入口に集めなさい」。 モーセは主が命じられたようにした。そして会衆は会見の幕屋の入口に集まった。 そこでモーセは会衆にむかって言った、「これは主があなたがたにせよと命じられたことである」。』
モーセはイスラエル全会衆を会見の幕屋の前に集め、神様とすべての民との前でアロンとその子たちを祭司職とする任職式を執り行いました。人の罪を赦していただくために様々な祭儀をもって神様にとりなす祭司は、神様と人々とから公式に認められなければなかったからです。
新約の時代において、クリスチャンは世の罪を神様の御前にとりなす祭司に匹敵する使命を帯びています。私たちもまた神様と人々から神の僕と認められるようなきよい存在でありたいと願います。
http://bible.com/81/lev.8.1-5.ja1955
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レビ記 8:6-9
「そしてモーセはアロンとその子たちを連れてきて、水で彼らを洗い清め、 アロンに服を着させ、帯をしめさせ、衣をまとわせ、エポデを着けさせ、エポデの帯をしめさせ、それをもってエポデを身に結いつけ、 また胸当を着けさせ、その胸当にウリムとトンミムを入れ、 その頭に帽子をかぶらせ、その帽子の前に金の板、すなわち聖なる冠をつけさせた。主がモーセに命じられたとおりである。」
モーセは神様から示された通りに祭司の任職式を行いました。この後の箇所に記された任職式の手順は、ことごとく「主がモーセに命じられたとおりである」と締めくくられています。すべてのことを神様の命じられた通りに行うことが、神の僕たる者に相応しいことです。なぜなら任職式や様々な祭儀の手順の一つ一つに、神様の御心と知恵と恵みが秘められているからです。
神様の御言葉通りに生きることは、時に面倒くさいことがあります。少しくらい省いてもよいのではないかと思うこともあるでしょう。しかし人間の側の都合で神様の定めを守らないならば、それではせっかくの神様の恵みは台無しになってしまいます。神様の愛と憐れみ、知恵と祝福を余すことなくこの身に受けるために、御言葉を忠実に守り行う私たちでありますように。
http://bible.com/81/lev.8.6-9.ja1955
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レビ記 8:33-36
『「あなたがたはその任職祭の終る日まで七日の間、会見の幕屋の入口から出てはならない。あなたがたの任職は七日を要するからである。 きょう行ったように、あなたがたのために、あがないをせよ、と主はお命じになった。 あなたがたは会見の幕屋の入口に七日の間、日夜とどまり、主の仰せを守って、死ぬことのないようにしなければならない。わたしはそのように命じられたからである」。 アロンとその子たちは主がモーセによってお命じになったことを、ことごとく行った。』
祭司の任職式は7日間にわたって執り行われ、その間アロンとその子たちは会見の幕屋の入口の中に留まり続けました。7は聖書では完全を表す数字です。罪に汚れた人間が罪購われ、神様の御前にきよい者として覚えられるためには、神様の命じられた通りに、完全に、徹底して、きよめの儀式を行い続ける必要があったのです。
私たちもまた神様の御前にきよい者となるためには、罪を断ち切り、罪から完全に隔絶されて神様の御前に留まり続け、徹底して御言葉を守り行うことが必要とされます。罪をきよめることができるのは、自分の努力ではなく、実に神様の恵みによるものです。この世の誘惑や罪の惑わしを自らの意志で断ち切り、神様の御前に進み出てきよめを求める私たちでありますように。
http://bible.com/81/lev.8.33-36.ja1955