レビ記 12:1-3
「主はまたモーセに言われた、 「イスラエルの人々に言いなさい、『女がもし身ごもって男の子を産めば、七日のあいだ汚れる。すなわち、月のさわりの日かずほど汚れるであろう。 八日目にはその子の前の皮に割礼を施さなければならない。」
私たち日本人の感覚では、出産と汚れに何の関係があるのかなかなか理解できませんが、人は生まれながら罪人であると理解するならば、親の罪を子どもに転嫁して新たに罪の子が産まれたために汚れたと理解することができます。そして男の子の場合は7日を経た後の8日目、すなわちその子が産まれてから初めて主に出会うべき日に、主の民として覚えられるしるしに割礼を施します。現在に至るまでこれがイスラエル人の伝統となっています。
私たちは生まれながらの罪人であると深く認識すると共に、そのような汚れた者でも主の御前に覚えられていること、また主の民に加えられるしるしとして心に割礼を受けるべきことを深く噛みしめて、新しいいのちの誕生の神秘に思いを馳せたいと願います。
http://bible.com/81/lev.12.1-3.ja1955
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レビ記 12:4-5
「その女はなお、血の清めに三十三日を経なければならない。その清めの日の満ちるまでは、聖なる物に触れてはならない。また聖なる所にはいってはならない。 もし女の子を産めば、二週間、月のさわりと同じように汚れる。その女はなお、血の清めに六十六日を経なければならない。」
産まれた子が男の子ならば40日、女の子ならば2倍の80日、産婦は汚れたものとして聖なるものに触れてはならないと戒められました。汚れたとか、きよめの期間とか、女性に対する差別と思われがちですが、当時の人々の暮らしや風習に照らし合わせると、これは生活の働き手であった女性たちに産後の休養期間を与えるための神様の深い憐れみとご配慮の表れと捉えるべきです。
私たちは表面的なことで物事を判断しがちですが、物事の本質を見つめるとき、日常の小さなことにも神様の御心を感じ取ることができます。
http://bible.com/81/lev.12.4-5.ja1955
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レビ記 12:6, 8
「男の子または女の子についての清めの日が満ちるとき、女は燔祭のために一歳の小羊、罪祭のために家ばとのひな、あるいは山ばとを、会見の幕屋の入口の、祭司のもとに、携えてこなければならない。
…
もしその女が小羊に手の届かないときは、山ばと二羽か、家ばとのひな二羽かを取って、一つを燔祭、一つを罪祭とし、祭司はその女のために、あがないをしなければならない。こうして女は清まるであろう』」。
産後のきよめの期間が明けた日に、女性たちは主の御前に礼拝して、燔祭と罪祭を捧げるようにと定められました。これは先ほど説明したように、罪の遺伝に対する悔い改めときよめの捧げものと理解することができます。また8節の規定に目を留めると、燔祭として羊を捧げることのできない貧しい人でも、きよめの儀式を行うことができるようにとの神様のご配慮が表されています。
イエス様がお生まれになったとき、母マリヤはきよめの犠牲として、この規定に従って鳩を捧げました。本来罪のない神の御子としてこの世にお生まれになったイエス様も、人の罪を背負って、しかも最も貧しい人の子としてきよめの儀式をされました。イエス様の御降誕に、人の原罪を根本的に解決する神の知恵と信じ受け入れる私たちでありますように。
http://bible.com/81/lev.12.6,8.ja1955
「主はまたモーセに言われた、 「イスラエルの人々に言いなさい、『女がもし身ごもって男の子を産めば、七日のあいだ汚れる。すなわち、月のさわりの日かずほど汚れるであろう。 八日目にはその子の前の皮に割礼を施さなければならない。」
私たち日本人の感覚では、出産と汚れに何の関係があるのかなかなか理解できませんが、人は生まれながら罪人であると理解するならば、親の罪を子どもに転嫁して新たに罪の子が産まれたために汚れたと理解することができます。そして男の子の場合は7日を経た後の8日目、すなわちその子が産まれてから初めて主に出会うべき日に、主の民として覚えられるしるしに割礼を施します。現在に至るまでこれがイスラエル人の伝統となっています。
私たちは生まれながらの罪人であると深く認識すると共に、そのような汚れた者でも主の御前に覚えられていること、また主の民に加えられるしるしとして心に割礼を受けるべきことを深く噛みしめて、新しいいのちの誕生の神秘に思いを馳せたいと願います。
http://bible.com/81/lev.12.1-3.ja1955
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レビ記 12:4-5
「その女はなお、血の清めに三十三日を経なければならない。その清めの日の満ちるまでは、聖なる物に触れてはならない。また聖なる所にはいってはならない。 もし女の子を産めば、二週間、月のさわりと同じように汚れる。その女はなお、血の清めに六十六日を経なければならない。」
産まれた子が男の子ならば40日、女の子ならば2倍の80日、産婦は汚れたものとして聖なるものに触れてはならないと戒められました。汚れたとか、きよめの期間とか、女性に対する差別と思われがちですが、当時の人々の暮らしや風習に照らし合わせると、これは生活の働き手であった女性たちに産後の休養期間を与えるための神様の深い憐れみとご配慮の表れと捉えるべきです。
私たちは表面的なことで物事を判断しがちですが、物事の本質を見つめるとき、日常の小さなことにも神様の御心を感じ取ることができます。
http://bible.com/81/lev.12.4-5.ja1955
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レビ記 12:6, 8
「男の子または女の子についての清めの日が満ちるとき、女は燔祭のために一歳の小羊、罪祭のために家ばとのひな、あるいは山ばとを、会見の幕屋の入口の、祭司のもとに、携えてこなければならない。
…
もしその女が小羊に手の届かないときは、山ばと二羽か、家ばとのひな二羽かを取って、一つを燔祭、一つを罪祭とし、祭司はその女のために、あがないをしなければならない。こうして女は清まるであろう』」。
産後のきよめの期間が明けた日に、女性たちは主の御前に礼拝して、燔祭と罪祭を捧げるようにと定められました。これは先ほど説明したように、罪の遺伝に対する悔い改めときよめの捧げものと理解することができます。また8節の規定に目を留めると、燔祭として羊を捧げることのできない貧しい人でも、きよめの儀式を行うことができるようにとの神様のご配慮が表されています。
イエス様がお生まれになったとき、母マリヤはきよめの犠牲として、この規定に従って鳩を捧げました。本来罪のない神の御子としてこの世にお生まれになったイエス様も、人の罪を背負って、しかも最も貧しい人の子としてきよめの儀式をされました。イエス様の御降誕に、人の原罪を根本的に解決する神の知恵と信じ受け入れる私たちでありますように。
http://bible.com/81/lev.12.6,8.ja1955