伊藤ファミリーBLOG

「緑のgoo!」のテンプレートに変えてみました!
(注:コメントスパム・TBスパムは予告なく削除させていただきます)

20周年

2016-06-22 21:30:54 | Weblog
今日は20回目の結婚記念日。会社帰りに花屋に立ち寄って、というか閉店ギリギリに飛び込んで、薔薇を20本、花束にして奥さんにプレゼントしました。



普段は感謝の気持ちをなかなか表せないけれど、ありがとうと、これからもよろしくとの思いを込めて。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【COGHCC聖書通読】 2016/06/22

2016-06-22 07:50:04 | 一日一章・聖書通読日記
レビ記 23:1-3
「主はまたモーセに言われた、 「イスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたが、ふれ示して聖会とすべき主の定めの祭は次のとおりである。これらはわたしの定めの祭である。 六日の間は仕事をしなければならない。第七日は全き休みの安息日であり、聖会である。どのような仕事もしてはならない。これはあなたがたのすべてのすまいにおいて守るべき主の安息日である。」

神様はイスラエルの民に聖会を守るように定められました。その第一の掟が安息日です。安息日はただ体を休めるためのものではなく、神様を礼拝する日として休むことに意味があります。日常の仕事の手を止め、身も心も神様に向けるために休むのです。

そして安息日は次の週の働きのためにもあります。今日では、教会は週の始めの日、日曜日を聖日として神様を礼拝します。神様に礼拝を捧げてから一週間をスタートする、信仰第一の生活サイクルを守る私たちでありますように。

http://bible.com/81/lev.23.1-3.ja1955

*****

レビ記 23:4-5
「その時々に、あなたがたが、ふれ示すべき主の定めの祭なる聖会は次のとおりである。 正月の十四日の夕は主の過越の祭である。」

次にイスラエルが記念する祭はユダヤの三大祭りの一つ、過越の祭です。言うまでもなく、モーセによってエジプトから脱出し、奴隷から解放されたことを記念する祭です。キリスト教会暦では主イエス様が十字架に掛かられた受難日と重なります。過越はユダヤ人のエジプトからの解放、イエス様の十字架はすべての人の罪からの解放を記念する日です。ユダヤ人たちが3,000年以上も守り続けた過越の祭と同様、主イエスの十字架の購いをいつも念頭に置き、心から感謝して喜び祝う私たちでありますように。

http://bible.com/81/lev.23.4-5.ja1955

*****

レビ記 23:9-11
「主はまたモーセに言われた、 「イスラエルの人々に言いなさい、『わたしが与える地にはいって穀物を刈り入れるとき、あなたがたは穀物の初穂の束を、祭司のところへ携えてこなければならない。 彼はあなたがたの受け入れられるように、その束を主の前に揺り動かすであろう。すなわち、祭司は安息日の翌日に、これを揺り動かすであろう。」

次にお祝いする祭日は初穂の祭です。これは約束の地に入植した後、穀物の豊かな実りを与えてくださった神様に感謝するために、一番最初に収穫した初穂を神様に捧げるためのものです。

私たちが日々の糧を得ることができるのは、すべて神様の恵みのゆえです。自分の努力だけでは決して豊かな実りを得ることはできません。これは自分の努力の賜物だと神様の御前におごり高ぶることなく、よい結果をもたらしてくださった神様に感謝するために、まず最初に神様の御許に携え来るまっすぐな心を持つ私たちでありますように。

http://bible.com/81/lev.23.9-11.ja1955

*****

レビ記 23:15-16
「また安息日の翌日、すなわち、揺祭の束をささげた日から満七週を数えなければならない。 すなわち、第七の安息日の翌日までに、五十日を数えて、新穀の素祭を主にささげなければならない。」

この祭は今の教会ではペンテコステにあたります。イエス様が死を撃ち破ってよみがえられてから50日目に、聖霊様が私たちのもとに下りました。この日を記念して教会では聖霊降臨節、ペンテコステをお祝いします。キリスト教の教会暦はイスラエルの歴史と密接な関係にあることを念頭に置き、旧約聖書の祭に秘められたそれぞれの意味を噛みしめて覚える私たちでありますように。

http://bible.com/81/lev.23.15-16.ja1955

*****

レビ記 23:26-28
「主はまたモーセに言われた、 「特にその七月の十日は贖罪の日である。あなたがたは聖会を開き、身を悩まし、主に火祭をささげなければならない。 その日には、どのような仕事もしてはならない。これはあなたがたのために、あなたがたの神、主の前にあがないをなすべき贖罪の日だからである。」

この贖罪の日には断食を行います。身を悩ますというのは断食を意味します。イエス様の十字架により罪赦された私たちは、信じること以外に罪赦されるために何か特別なことをしなくてもよいと思いがちですが、罪の購いとはそうそう簡単なものと思い違いをしてはなりません。罪が赦されるためにはイエス様が命を捨てられたということを決して忘れてはなりません。すべての時間を捧げて断食するかのように身を悩まし、罪からの解放の重みを知る私たちでありますように。

http://bible.com/81/lev.23.26-28.ja1955

*****

レビ記 23:33-34, 42-43
「主はまたモーセに言われた、 「イスラエルの人々に言いなさい、『その七月の十五日は仮庵の祭である。七日の間、主の前にそれを守らなければならない。

あなたがたは七日の間、仮庵に住み、イスラエルで生れた者はみな仮庵に住まなければならない。 これはわたしがイスラエルの人々をエジプトの国から導き出したとき、彼らを仮庵に住まわせた事を、あなたがたの代々の子孫に知らせるためである。わたしはあなたがたの神、主である』」。

仮庵の祭とは、イスラエルが荒野を放浪し、仮住まいの暮らしを続けたことを記念する祭です。私たちの今の繁栄は、過去の苦難の生活の上に成り立っていることを忘れないために、イスラエルの人々は今でもこの時期には家の前に掘っ建て小屋を建てて住み、この祭を守り行います。

便利な今の暮らしに慣れきっている私たちは、ちょっとしたことにも不満を抱き、文句やつぶやきが絶えません。しかし過去の自分たちを振り返り、また歴史を学ぶことを通して、何気ない日常の中に神様の恵みが豊かに注がれていることを思い起こし、感謝の心を取り戻す私たちでありますように。

http://bible.com/81/lev.23.33-34,42-43.ja1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【今日の聖句】 2016/06/22

2016-06-22 06:40:20 | 今日の聖句
箴言 21:21
「正義といつくしみとを追い求める者は、命と誉とを得る。」

正義と慈しみを追い求めるとは、義かつ愛なる神様を畏れ敬うことに他なりません。御言葉を守り行う者に永遠のいのちを賜り、神の子たる栄誉を授けてくださる神様を信じ従う私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.21.21.ja1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする