レビ記 18:1-3
『主はまたモーセに言われた、 「イスラエルの人々に言いなさい、『わたしはあなたがたの神、主である。 あなたがたの住んでいたエジプトの国の習慣を見習ってはならない。またわたしがあなたがたを導き入れるカナンの国の習慣を見習ってはならない。また彼らの定めに歩んではならない。』
神様はモーセに、これから向かう約束の地で、その土着の風習に見習ってはならないと厳しく戒められました。なぜなら神様がイスラエルに約束の地を賜る理由は、世の罪で汚された地をきよめ、神様の御心に適う地へと変えるために他ならないからです。
郷に入っては郷に従えとの諺がありますが、これはその地の先住民と一体化するためのこの世の教えに過ぎません。私たちは神の民、永遠の天に国籍を持つ者です。神の民としてのアイデンティティーを保つためには、神様の御心に反するこの世の風習に倣ってはなりません。罪の世にありて罪に汚れず、きよい生活習慣を堅く守る私たちでありますように。
http://bible.com/81/lev.18.1-3.ja1955
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レビ記 18:4-5
「わたしのおきてを行い、わたしの定めを守り、それに歩まなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。 あなたがたはわたしの定めとわたしのおきてを守らなければならない。もし人が、これを行うならば、これによって生きるであろう。わたしは主である。」
神様の御言葉に従い、主の定めを守る理由は、私たちが真に生きるためです。食いつなぐことと、生きることには大きな違いがあります。死ぬことなく何とか生き延びている状態では、心も体もギリギリの極限状態、心の飢餓です。神様が私たちに望んでおられることは、心身共に充実して生き生きと日々を過ごす生き方です。主の御言葉を守る者は、この生き生きとした、いのちあふれる信仰生活を満喫することができます。
http://bible.com/81/lev.18.4-5.ja1955
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レビ記 18:6
「あなたがたは、だれも、その肉親の者に近づいて、これを犯してはならない。わたしは主である。」
神様はモーセを通してイスラエルの人々に近親相姦を禁じられました。この後に事細かく記されているように、神様は徹底的に近親相姦や性的な乱れを禁止されました。それは神様の忌み嫌われるカナンの地の風習であり、偶像礼拝の結果だからです。
古くからの土着信仰には、祭として性的乱交を行う偶像礼拝が数多くあります。カナンの地の風習もそうでした。しかしこれは神様が最も忌み嫌われるものです。なぜなら偶像礼拝は神様以外のものを神とすることであり、近親相姦や乱交は自分を愛するように隣人を愛せよとの戒めに反することだからです。
神様の御言葉を知る私たちは、神様の忌み嫌われることを自ら行って身の破滅を招くことなく、神様を畏れ、きよい信仰生活を守り、御心に適う者となりたいと願います。
http://bible.com/81/lev.18.6.ja1955
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レビ記 18:21-23
「あなたの子どもをモレクにささげてはならない。またあなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。 あなたは女と寝るように男と寝てはならない。これは憎むべきことである。 あなたは獣と交わり、これによって身を汚してはならない。また女も獣の前に立って、これと交わってはならない。これは道にはずれたことである。」
偶像礼拝では自分の子を火に焼いて捧げる風習や、同性同士、あるいは人間以外の獣との性的乱交も行われていました。これもまた神様の忌み嫌われることです。神様はこの地を愛し、ご自身のかたちに似せて私たち人間を作られました。人は他の獣とは違うのです。また神様は男と女を作られ、結婚を通して神との交わりと子孫の祝福を受け継がせました。ですから不自然な性的関係もまた神様の忌み嫌われるものです。
現代社会において、性的な乱れを容認するどころか美化する風潮が強まってきています。なぜならこの世は神様の御心に反するものだからです。神様を畏れる私たちは、決してこの世の風潮に流されてはなりません。真理の御言葉、まことのいのちを堅く守り、この世に汚されることなく、神の民としてきよい生き方を保つ私たちでありますように。
http://bible.com/81/lev.18.21-23.ja1955
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レビ記 18:24-25
「あなたがたはこれらのもろもろの事によって身を汚してはならない。わたしがあなたがたの前から追い払う国々の人は、これらのもろもろの事によって汚れ、 その地もまた汚れている。ゆえに、わたしはその悪のためにこれを罰し、その地もまたその住民を吐き出すのである。」
神様がイスラエルにこの世の風習に汚されることのないように厳しく戒められたのは、神様の御心に反して自分の好き勝手に生きたカナンの地の先住民たちと同じように、この地から絶ち滅ぼされることのないようにとの強い願いからです。神様に愛され選ばれた民として、罪の生活を追い払い、きよい生き方を通して、この世を御心に適う地と造り替える使命を果たす私たちでありますように。
http://bible.com/81/lev.18.24-25.ja1955
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レビ記 18:29-30
「これらのもろもろの憎むべき事の一つでも行う者があれば、これを行う人は、だれでもその民のうちから断たれるであろう。 それゆえに、あなたがたはわたしの言いつけを守り、先に行われたこれらの憎むべき風習の一つをも行ってはならない。またこれによって身を汚してはならない。わたしはあなたがたの神、主である』」。
神様は私たちに、御心に反するもの、忌み嫌われるものを明確に示されました。神様の御心を知る私たちは、知らずして罪を犯した、身を汚してしまったという言い訳は通用しません。何が神様の御心で、何が神様の望んでおられる生き方であるか、常に自己点検しながら、罪に汚されないきよい生き方を守り通す私たちでありますように。
http://bible.com/81/lev.18.29-30.ja1955
『主はまたモーセに言われた、 「イスラエルの人々に言いなさい、『わたしはあなたがたの神、主である。 あなたがたの住んでいたエジプトの国の習慣を見習ってはならない。またわたしがあなたがたを導き入れるカナンの国の習慣を見習ってはならない。また彼らの定めに歩んではならない。』
神様はモーセに、これから向かう約束の地で、その土着の風習に見習ってはならないと厳しく戒められました。なぜなら神様がイスラエルに約束の地を賜る理由は、世の罪で汚された地をきよめ、神様の御心に適う地へと変えるために他ならないからです。
郷に入っては郷に従えとの諺がありますが、これはその地の先住民と一体化するためのこの世の教えに過ぎません。私たちは神の民、永遠の天に国籍を持つ者です。神の民としてのアイデンティティーを保つためには、神様の御心に反するこの世の風習に倣ってはなりません。罪の世にありて罪に汚れず、きよい生活習慣を堅く守る私たちでありますように。
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レビ記 18:4-5
「わたしのおきてを行い、わたしの定めを守り、それに歩まなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。 あなたがたはわたしの定めとわたしのおきてを守らなければならない。もし人が、これを行うならば、これによって生きるであろう。わたしは主である。」
神様の御言葉に従い、主の定めを守る理由は、私たちが真に生きるためです。食いつなぐことと、生きることには大きな違いがあります。死ぬことなく何とか生き延びている状態では、心も体もギリギリの極限状態、心の飢餓です。神様が私たちに望んでおられることは、心身共に充実して生き生きと日々を過ごす生き方です。主の御言葉を守る者は、この生き生きとした、いのちあふれる信仰生活を満喫することができます。
http://bible.com/81/lev.18.4-5.ja1955
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レビ記 18:6
「あなたがたは、だれも、その肉親の者に近づいて、これを犯してはならない。わたしは主である。」
神様はモーセを通してイスラエルの人々に近親相姦を禁じられました。この後に事細かく記されているように、神様は徹底的に近親相姦や性的な乱れを禁止されました。それは神様の忌み嫌われるカナンの地の風習であり、偶像礼拝の結果だからです。
古くからの土着信仰には、祭として性的乱交を行う偶像礼拝が数多くあります。カナンの地の風習もそうでした。しかしこれは神様が最も忌み嫌われるものです。なぜなら偶像礼拝は神様以外のものを神とすることであり、近親相姦や乱交は自分を愛するように隣人を愛せよとの戒めに反することだからです。
神様の御言葉を知る私たちは、神様の忌み嫌われることを自ら行って身の破滅を招くことなく、神様を畏れ、きよい信仰生活を守り、御心に適う者となりたいと願います。
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レビ記 18:21-23
「あなたの子どもをモレクにささげてはならない。またあなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。 あなたは女と寝るように男と寝てはならない。これは憎むべきことである。 あなたは獣と交わり、これによって身を汚してはならない。また女も獣の前に立って、これと交わってはならない。これは道にはずれたことである。」
偶像礼拝では自分の子を火に焼いて捧げる風習や、同性同士、あるいは人間以外の獣との性的乱交も行われていました。これもまた神様の忌み嫌われることです。神様はこの地を愛し、ご自身のかたちに似せて私たち人間を作られました。人は他の獣とは違うのです。また神様は男と女を作られ、結婚を通して神との交わりと子孫の祝福を受け継がせました。ですから不自然な性的関係もまた神様の忌み嫌われるものです。
現代社会において、性的な乱れを容認するどころか美化する風潮が強まってきています。なぜならこの世は神様の御心に反するものだからです。神様を畏れる私たちは、決してこの世の風潮に流されてはなりません。真理の御言葉、まことのいのちを堅く守り、この世に汚されることなく、神の民としてきよい生き方を保つ私たちでありますように。
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レビ記 18:24-25
「あなたがたはこれらのもろもろの事によって身を汚してはならない。わたしがあなたがたの前から追い払う国々の人は、これらのもろもろの事によって汚れ、 その地もまた汚れている。ゆえに、わたしはその悪のためにこれを罰し、その地もまたその住民を吐き出すのである。」
神様がイスラエルにこの世の風習に汚されることのないように厳しく戒められたのは、神様の御心に反して自分の好き勝手に生きたカナンの地の先住民たちと同じように、この地から絶ち滅ぼされることのないようにとの強い願いからです。神様に愛され選ばれた民として、罪の生活を追い払い、きよい生き方を通して、この世を御心に適う地と造り替える使命を果たす私たちでありますように。
http://bible.com/81/lev.18.24-25.ja1955
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レビ記 18:29-30
「これらのもろもろの憎むべき事の一つでも行う者があれば、これを行う人は、だれでもその民のうちから断たれるであろう。 それゆえに、あなたがたはわたしの言いつけを守り、先に行われたこれらの憎むべき風習の一つをも行ってはならない。またこれによって身を汚してはならない。わたしはあなたがたの神、主である』」。
神様は私たちに、御心に反するもの、忌み嫌われるものを明確に示されました。神様の御心を知る私たちは、知らずして罪を犯した、身を汚してしまったという言い訳は通用しません。何が神様の御心で、何が神様の望んでおられる生き方であるか、常に自己点検しながら、罪に汚されないきよい生き方を守り通す私たちでありますように。
http://bible.com/81/lev.18.29-30.ja1955