レビ記 13:1-2
『主はまたモーセとアロンに言われた、 「人がその身の皮に腫、あるいは吹出物、あるいは光る所ができ、これがその身の皮に重い皮膚病の患部のようになるならば、その人を祭司アロンまたは、祭司なるアロンの子たちのひとりのもとに、連れて行かなければならない。」』
今日の箇所にある「らい病」という表現は、らい病に対する差別と誤解を招いたとして謝罪して訂正し、最新の翻訳では「重い皮膚病」あるいは原語の「ツァラアト」と表記されていると思います。iPhoneの聖書アプリでは古い翻訳のままのため手で書き直していますが、もし修正漏れがあったら、以下のサイトを参照して読み替えてください。
日本聖書協会「口語訳聖書読み替え表」
http://www.bible.or.jp/read/read09.html
いずれにしても、聖書は神様の意図される御心を、正しく、適切な言葉で翻訳され、また読み解かなければなりません。この教訓を忘れることなく、御言葉を正しく学ぶ私たちでありますように。
http://bible.com/81/lev.13.1-2.ja1955
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レビ記 13:3
「祭司はその身の皮の患部を見、その患部の毛がもし白く変り、かつ患部が、その身の皮よりも深く見えるならば、それは重い皮膚病の患部である。祭司は彼を見て、これを汚れた者としなければならない。」
聖書に記されている重い皮膚病は、罪の結果であり、また民全体に広がる危険性の高いものと認識されていました。ですから重い皮膚病の患者を診断する者は、医者ではなく祭司の務めとされました。
罪は表面だけに留まらず、身体と心の奥底にまで浸透します。ですから罪は見つけ次第、徹底的に洗いきよめ、根こそぎ絶やさなければならないものです。罪は自分だけでなく、家族や、人間社会全体を破壊する強大な力を持っていることを決して忘れてはなりません。
http://bible.com/81/lev.13.3.ja1955
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レビ記 13:12-14
「もし重い皮膚病が広く皮に出て、その皮膚病が、患者の皮を頭から足まで、ことごとくおおい、祭司の見るところすべてに及んでおれば、 祭司はこれを見、その皮膚病がその身をことごとくおおっておれば、その患者を清い者としなければならない。それはことごとく白く変ったから、彼は清い者である。 しかし、もし生肉がその人に現れておれば、汚れた者である。」
重い皮膚病に覆われていても、その身をことごとく覆い、白く変わったならば、その人はきよい者とされました。なぜならそれ以上感染が拡大することがなく、また快方に向かっているからです。
私たちは罪にまみれた汚れた者ですが、心から悔い改めて主に立ち返るならば、罪はこれ以上拡大せず、快方に向かいますから、きよい者とされます。罪人のままでも、主を求める者は誰でもきよめていただく恵みに与ることのできる幸いに感謝して、罪を悔い改めて神様の御前に進み出る私たちでありますように。
http://bible.com/81/lev.13.12-14.ja1955
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レビ記 13:45-46
「重い皮膚病の患者は、その衣服を裂き、その頭を現し、その口ひげをおおって『汚れた者、汚れた者』と呼ばわらなければならない。 その患部が身にある日の間は汚れた者としなければならない。その人は汚れた者であるから、離れて住まなければならない。すなわち、そのすまいは宿営の外でなければならない。」
重い皮膚病と認定された人は、周囲に感染が広がらないように、誰からもわかる服装で、自ら「自分は汚れた者だ」と叫び続けなければなりませんでした。また家族とも引き離され、人々との社会的関係が絶たれた宿営の外で生きなければなりませんでした。宿営の外とは、敵から攻撃されても守られることのない、人が生きるには極めて劣悪な環境でした。
罪の結果は死であるとの御言葉かありますが、重い皮膚病の人は、自らの尊厳も棄て、生きながらにして死と隣り合わせの生活を強いられました。罪の結果はこのように恐ろしいものであることを深く認識し、直ちに罪を離れ、悔い改めて、きよい信仰生活を送る私たちでありますように。
http://bible.com/81/lev.13.45-46.ja1955
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レビ記 13:47-52 JA1955
「また衣服に悪性のかびが生じた時は、それが羊毛の衣服であれ、亜麻の衣服であれ、
…
彼はそのかびのある衣服、あるいは羊毛、または亜麻の縦糸、または横糸、あるいはすべて皮で作った物を焼かなければならない。これは特に悪性のかびであるから、その物を火で焼かなければならない。」
人の身体に付く重い皮膚病だけでなく、衣服に付く悪性のかび類も、汚れたものとして祭司に認定されました。そして悪性のかびが発生した箇所は、それが何であれ、焼き捨てなければなりませんでした。罪は火で焼かれなければ、きよめることはできないこと、また罪との完全かつ徹底的な決別を意味します。
科学の発展した現代に至ってもなお、ハウスダストやアレルギーなど生活環境に起因する病の脅威にさらされていることを考えると、人の本質は旧約聖書の時代から何ら変わっていないことを思わされます。人を病と死に至らしめる罪に対して、もっと深く、正しく認識し、心から悔い改めて全ききよめを求める私たちでありますように。
http://bible.com/81/lev.13.47-52.ja1955
『主はまたモーセとアロンに言われた、 「人がその身の皮に腫、あるいは吹出物、あるいは光る所ができ、これがその身の皮に重い皮膚病の患部のようになるならば、その人を祭司アロンまたは、祭司なるアロンの子たちのひとりのもとに、連れて行かなければならない。」』
今日の箇所にある「らい病」という表現は、らい病に対する差別と誤解を招いたとして謝罪して訂正し、最新の翻訳では「重い皮膚病」あるいは原語の「ツァラアト」と表記されていると思います。iPhoneの聖書アプリでは古い翻訳のままのため手で書き直していますが、もし修正漏れがあったら、以下のサイトを参照して読み替えてください。
日本聖書協会「口語訳聖書読み替え表」
http://www.bible.or.jp/read/read09.html
いずれにしても、聖書は神様の意図される御心を、正しく、適切な言葉で翻訳され、また読み解かなければなりません。この教訓を忘れることなく、御言葉を正しく学ぶ私たちでありますように。
http://bible.com/81/lev.13.1-2.ja1955
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レビ記 13:3
「祭司はその身の皮の患部を見、その患部の毛がもし白く変り、かつ患部が、その身の皮よりも深く見えるならば、それは重い皮膚病の患部である。祭司は彼を見て、これを汚れた者としなければならない。」
聖書に記されている重い皮膚病は、罪の結果であり、また民全体に広がる危険性の高いものと認識されていました。ですから重い皮膚病の患者を診断する者は、医者ではなく祭司の務めとされました。
罪は表面だけに留まらず、身体と心の奥底にまで浸透します。ですから罪は見つけ次第、徹底的に洗いきよめ、根こそぎ絶やさなければならないものです。罪は自分だけでなく、家族や、人間社会全体を破壊する強大な力を持っていることを決して忘れてはなりません。
http://bible.com/81/lev.13.3.ja1955
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レビ記 13:12-14
「もし重い皮膚病が広く皮に出て、その皮膚病が、患者の皮を頭から足まで、ことごとくおおい、祭司の見るところすべてに及んでおれば、 祭司はこれを見、その皮膚病がその身をことごとくおおっておれば、その患者を清い者としなければならない。それはことごとく白く変ったから、彼は清い者である。 しかし、もし生肉がその人に現れておれば、汚れた者である。」
重い皮膚病に覆われていても、その身をことごとく覆い、白く変わったならば、その人はきよい者とされました。なぜならそれ以上感染が拡大することがなく、また快方に向かっているからです。
私たちは罪にまみれた汚れた者ですが、心から悔い改めて主に立ち返るならば、罪はこれ以上拡大せず、快方に向かいますから、きよい者とされます。罪人のままでも、主を求める者は誰でもきよめていただく恵みに与ることのできる幸いに感謝して、罪を悔い改めて神様の御前に進み出る私たちでありますように。
http://bible.com/81/lev.13.12-14.ja1955
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レビ記 13:45-46
「重い皮膚病の患者は、その衣服を裂き、その頭を現し、その口ひげをおおって『汚れた者、汚れた者』と呼ばわらなければならない。 その患部が身にある日の間は汚れた者としなければならない。その人は汚れた者であるから、離れて住まなければならない。すなわち、そのすまいは宿営の外でなければならない。」
重い皮膚病と認定された人は、周囲に感染が広がらないように、誰からもわかる服装で、自ら「自分は汚れた者だ」と叫び続けなければなりませんでした。また家族とも引き離され、人々との社会的関係が絶たれた宿営の外で生きなければなりませんでした。宿営の外とは、敵から攻撃されても守られることのない、人が生きるには極めて劣悪な環境でした。
罪の結果は死であるとの御言葉かありますが、重い皮膚病の人は、自らの尊厳も棄て、生きながらにして死と隣り合わせの生活を強いられました。罪の結果はこのように恐ろしいものであることを深く認識し、直ちに罪を離れ、悔い改めて、きよい信仰生活を送る私たちでありますように。
http://bible.com/81/lev.13.45-46.ja1955
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レビ記 13:47-52 JA1955
「また衣服に悪性のかびが生じた時は、それが羊毛の衣服であれ、亜麻の衣服であれ、
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彼はそのかびのある衣服、あるいは羊毛、または亜麻の縦糸、または横糸、あるいはすべて皮で作った物を焼かなければならない。これは特に悪性のかびであるから、その物を火で焼かなければならない。」
人の身体に付く重い皮膚病だけでなく、衣服に付く悪性のかび類も、汚れたものとして祭司に認定されました。そして悪性のかびが発生した箇所は、それが何であれ、焼き捨てなければなりませんでした。罪は火で焼かれなければ、きよめることはできないこと、また罪との完全かつ徹底的な決別を意味します。
科学の発展した現代に至ってもなお、ハウスダストやアレルギーなど生活環境に起因する病の脅威にさらされていることを考えると、人の本質は旧約聖書の時代から何ら変わっていないことを思わされます。人を病と死に至らしめる罪に対して、もっと深く、正しく認識し、心から悔い改めて全ききよめを求める私たちでありますように。
http://bible.com/81/lev.13.47-52.ja1955